From:ななころ
プライベートオフィスより


2011年3月11日(金)

14時46分18秒

東日本大震災発生


それから3日後

私はサラリーマンを辞める決断をした



◆地震発生当日

当時、私はサラリーマンでした。

朝6時半に起きて、7時20分の電車に乗る。

ごくごく一般的なサラリーマンでした。


その日もいつもと変わらず出勤。

あと5日で1歳になる息子と妻に行ってきますを告げて、

水道橋の本社ビルへ約1時間かけて通勤していました。


しかし、この日を境に、私の人生は大きく変わった。

地震発生時、私は11階建てのビルの8階で、

パソコンに向かって仕事をしていました。


ビルは大きく揺れ、パソコンや棚は軒並み倒れ、

電車が停まり、5時間かけて家まで歩いて帰りました。


家に到着したのは深夜の1時ごろ。

妻と息子の顔を見て心から安堵しました。

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◆3日後の月曜日

時間が経つに連れて地震の被害が分かってくる。


2011年3月14日(月)

地震発生から3日後の初めての平日


会社の上司からのメールは「出社せよ」。


電車は間引き運転を行い、駅には長蛇の列。

まだ余震がある中、幼い息子と不安な顔の妻を家に置き、

「いったい俺は何をやっているのだろう・・・」

「なんでここまでして出社するのだろう・・・」

会社を辞める決断をした。


それから約1年後。


賃貸併用住宅を購入し、

サラリーマンを辞める準備が整い、

2012年9月末、

サラリーマンをやめました。


そして、今、収入は当時の給与収入を大きく超えました。

自分のために使える時間も大きく増えました。


子供はもう一人生まれ家族4人となり、

そして世界中に家族が増えていっています。


「あぁ〜、あの日があったから今日がある」


毎年3月11日を迎えるといつも思い出す。

今日はあの日の自分に帰りながら・・・


(2011年3月の写真より)
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◆編集後記

私があの日に「会社を辞める」と決断できたのは、すでに家賃収入があったというのは大きかったのだと思います。


一方で、「不安はなかったのか?」と言われると、不安の方が大きかったのも確かです。

まだ飛び込んだことも無い世界。

家賃収入はあるとはいえ、妻と子供を養って行く必要があります。


「準備が出来ているから、チャンスをつかめる!」

などと言ったりしますが、私はこれは違う気がしています。


実際は準備が完了する前から、チャンスが来ることが多いのです。

「えっ!?今準備してるからもうちょっと待ってよ!」

というタイミングでチャンスがやってきたりします。


何か向かって準備をし出すと、

必ず自分の決断を試すようなことが起こるんですよね(笑)。


でもそこで、まだ準備が完了していてはダメ。

そのチャンスを逃すことになります。


だから、

「チャンスだと思ったら、準備はまだ途中だけど、やってみる!」

このぐらいの心構えが大切なんじゃないかと感じている次第です。



亡くなられた方とご遺族に深く哀悼の意を表します。