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そしてあの瞬間が来ました。僕がそれを知ったのはチャンとした記憶が無いが、夕方だったと想う。想像を遥かに上回る海の脅威、映画のいちシーンの様なその映像に現実離れした光景が衝撃的に目を通して身体全体を冷たくさせた。
僕は普段から海で遊ばせて貰っているから、海の怖さ、海の冷たさ、底知れぬ黒さに脅威を忘れることは無かったが、映画のいちシーンにも似たこの映像を実感することはしばらく出来ずにいた。
その後何日か経ち、大学時代のサークルの後輩に連絡をとった。大学を卒業してから一度も再会をしていなかった「気仙沼の後輩ysd」と「石巻の後輩knt」である。後輩kntは以前から携帯電話の番号を知らされていたので早々に連絡が取れた。「もしもし、山梨のstyです。kntさん?」「え!先輩ですか?」その後しばらくの間泣き崩れていた。「僕は勤め先の女川で被災して、妻と息子は病院の帰りで車中で被災し、車を棄てて命からがら一命と取り留めました。娘は友達とファミレスに居るときにファミレスのアナウンスで災害の大きさを知って、逃げたそうです。私達家族が再会できるまで災害の起きた日から3日目にやっと逢えた状態でした。」
「そうか、大変だろうな、悔しいだろうな、来月には逢いに行くよ。」「また、日がハッキリしたら連絡するから」っと云う事で一旦電話を切った。そして気仙沼のysdである。あちらこちらと連絡をとる方法を尋ねたが、どうしても判らない。そうこうしている内にインターネットでysdを検索してみた。するとgoogleのサイトに被災者の捜索情報に目が留まった。「気仙沼支局長で少林寺拳法を教えていた、、、、」これだ!っと思わず息を呑んだ。消息不明か!
何日か色々な段取りをして妻と日程を詰めた。石巻のkntに行く日を告げ、妻の自動車に継続車検を取り、僕と妻とで石巻を目指した。順調に宮城県までたどり着きkntの待つ約束の場所についた。「やあー、大変だったね。こちらが妻のymkで妻が運転してきたこの車を置いていくよ。」「ありがとうございます。」、、、、しばらく話をした後に「先輩、僕の家があった場所を案内します。良いですか?」「もちろん観させてもらうよ。」
「先輩これを」っとマスクを差し出した。「二重にしてください」何かあるのか?車は被災地へと向かった。石巻港の水産加工場が見えるところまで来て気が着いた。異様な匂いである。(水産加工品などが腐敗している匂いが辺りを充満しているのである)僕は家に帰ってからの活動のことを考えて、しきりに写真を撮った。「そこの奥に基礎が見える場所が家のあった場所です。」「そうか海から近いね!」
彼の案内で一通り街を一周し、仮住まいのアパートにたどり着いた。それじゃ~knt、また連絡するよ。これから気仙沼のysdを探しに行くよ。行ってこの番号に連絡して彼の様子を聞いてみるよ。っと伝え石巻を後にした。
ナビに気仙沼ををセットし、目的地を目指すが通行止めに迂回を繰り返し被災前だと30~40分の道のりに3時間を費やした。途中気仙沼エリアに入ったところで頼りの番号に連絡を取る。「こちら山梨の、、、、です。ネットに記載されていたので、、、おじは見つかり気仙沼に居ます。番号を教えますので掛けてみてください。」姪に当る人が投稿していたようだ。教えられた番号に連絡をとる「ysdさん、山梨のstyです。突然ですが今気仙沼に来ています。逢える?」「30分後に道の駅で逢いましょう」と再会をした。
「私が仕事で地震の後、取材に行っている間に母は家共々波にさらわれてしまいました。これから先私一人で、、、、」、、、。再会がこんな形でしか出来なかったことに複雑な思いを巡らせていた。
気仙沼に残る風景から想像すると、嘗てはとても風光明媚なところであったことが想像できる。ysd君とは再度連絡を取ることを約束して、気仙沼を後にした。
山梨に戻り宮城の彼らを知る同輩、後輩に連絡を取り、支援を呼びかけた。総勢30人あまりのメンバーから支援を板だき、総額100万円あまりの支援が出来た。
僕は日頃ボランティアに興味を抱かずに暮らしてきたが、友人(先輩、同輩、後輩たち)に再会し、それも30年のブランクがあった友人たちに感謝と、労わりを感じた。友人の不幸がキッカケで集まった支援の輪、そして身近に想った友人の不幸、30年の歳月が溝であるにもかかわらず、支援を気持ちよく応じられる心に、本当に感謝です。
阪神淡路大震災の折にも友人が近くに居て被災したが、今回程ではなく皆無事であったが、今回はこの石巻以外に岩手県、秋田県にも後輩が居たが、幸いにも無事であった。
先日、テレビの報道である被災者が「避難生活している先で、もう迷惑だから、、、っと云われた」と語っていた。本当にそんなことを言う人が居るのだろうか?っと耳を疑った。人の心にすむ複雑な心境(善悪)は時として罵声にも似た、言葉になることもあるんだろう?反対にそこまで想われて良いのかと想うような心に振れることもあるだろう。
僕は これから先の人生で今回の様な友情に出会える人生であってほしいと願い、感じている。