京成電鉄物語の解説ということで。
というほど詳しくもないのですが。
とりあえず前半から。
・成田山への参拝客を見込んだ鉄道なのに、地元の反対で神社の近くに駅を作れない。
⇒成田にはその昔、路面電車も存在していたのですが、こちらも開業前に猛反対を受けたみたいです。後に京成がこの路面電車を買収しようとした時もやはり猛反対でした。一時期は投機会社が鉄材を売り払う目的で路面電車を廃止にしようとしたら、これまた大反対で大騒ぎになったとか。何でもかんでも反対反対ってうるさいね。

・成田までの路線が完成するが、ターミナル(押上)が東京都心に遠くて乗客が集まらない。
⇒開業当時、乗客は東京市電に乗り換えて都心に向かっていました。

・都心への路線延伸を何度も出願するが、ことごとく無視される。
⇒当時の東京市が市内交通市営主義(モンロー主義)を強く打ち出したおかげで、この時期の私鉄はどこもなかなか東京進出ができませんでした。といいつつ、東京市もお金が無くて自前の鉄道を作れなかったので、私鉄に免許を譲ったりとかしてました。理想と現実のギャップを感じます。

・挙句の果てに、出願に係る贈収賄で、社長はじめ会社幹部がことごとく逮捕。
⇒「京成電車疑獄事件」なんて呼ばれています。かなりの金額が政界に流れたということで大スキャンダルでした。

・新ターミナルに狙っていた浅草へは東武に先を越される。
⇒どっちが浅草を獲得するかでけっこうバトルしたみたいです。疑獄事件の件で世間の風当たりも強く、完全に浅草を諦めることになってしまいました。

・都心ターミナルとして上野駅が開業するが、国鉄駅と遠くて人が乗り換えてくれない。
⇒「上野駅」ではなくて「京成上野駅」ですからね。

・戦中にはその上野駅のトンネルを軍に接収される。
  軍:「お前、いいもん持ってんじゃん。ちょっと司令部として使わせろ。」
⇒上野公園の地下のトンネルですから。そりゃ空襲にも耐えられますよね。実際には運輸省が使ったことになっています。

・東京電燈から電力事業の一部を譲受して昭和恐慌を乗り切ろうとするが、
  逓信省の許可が出なくて結局御破算に。
⇒事業譲渡のための人材やら資金やらの準備が済んでいたのに、肝心なところをネゴっていなかったようです。

・戦時統合で傘下の総武鉄道(現在の野田線)を東武に持っていかれる。
⇒これ以前から徐々に関係性は薄れていたみたいです。繋がっているようで微妙に繋がっていない京成より、春日部で接続する東武のほうが都合がよいと考えられたのでしょう。

・戦後、鉄道連隊演習地の民間払い下げで新路線を開業しようとしたら西武が横槍。
⇒どう考えても京成のテリトリーなのになんで西武が! って思いますよね。西武は日本中でこんなことばっかりやっていました。

・ゴタゴタの末、土地だけ残して資材を片っ端から西武に持っていかれる。
⇒西武はこのときにゲットしたレールで、拝島線を開業させました。

・やっと開業した新京成は、変な規定のせいで、1067mm軌間での開業。
  京成本線と乗り入れできないので開業後に全線で改軌をすることに。
⇒この頃、「新規開業路線の軌間はは1067mmか1435mmでなきゃダメ!」って法律がありました。ただ、開業した後に改軌することについて規制はなかったのです。

・戦後復興の大義名分で、市街の中心にあった千葉駅が辺鄙な場所に追いやられる。
  トチ狂って付けた新しい駅の名が「国鉄千葉駅前」駅。路面電車か。
⇒自虐ネタで笑いを取りに走っているとしか思えません。

・京急とともに東京都心乗り入れを画策するが、東京都の茶々入れで実現しない。
⇒戦前のゴタゴタを思い出させます。ちなみに似たようなことは神戸市でもありましたね。

・結局、間に都交通局を挟むことで決着。銀座の一等地での路線開業は夢と消える。
⇒東京都にしてみれば、ようやく自分の路線を持てたことで喜びいっぱいでした。

・乗り入れ計画がまとまったが、軌間の違う2社はどちらかが相手に合わせる必要が。
  ここでまたも東京都がゴリ押し。京急の軌間に合わせるため、京成全線で改軌。
⇒結果的に東京都交通局は浅草線-1435mm、三田線-1067mm、新宿線-1372mmと、全ての地下鉄路線(大江戸線開業以前)が異なる軌間になってしまいました。

・そのおかげで新京成は2度目の全線改軌。
⇒2度も改軌した鉄道って他に無いんじゃないでしょうか。