松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。
長州萩城下の(現在の山口県萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいます。
短期間しか存続しなかったが、尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出しました。
塾生は約50名ほどいました。
門下生には、尊王攘夷、倒幕の全国志士の総元締の役割を果たした久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一、寺島忠三郎、この人々の死んだ後を受けて藩論を倒幕にまとめ、征長の幕府軍を打ち破った高杉晋作がいました。
高杉晋作、久坂玄瑞は、「識の高杉、才の久坂」と称され、「松下村塾の双璧」と呼ばれた。また、この2人に吉田稔麿を入れて松陰門下の三秀と言い、さらに入江九一を合わせて「松下村塾の四天王」と称された。
これら直門の高弟の衣鉢を継いで、末弟子の伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵らが、明治政府の最高指導者を担いました。
他の門下生には、萩の乱を起こした前原一誠や飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎、時山直八、駒井政五郎、中村精男、玉木彦助、飯田正伯、杉山松助、久保清太郎、生田良佐、宍戸璣(山県半蔵)らがいます。
桂小五郎(後の木戸孝允)は塾生ではないものの、明倫館時代の松陰に兵学の教えを受けています。