お墓の話

9月13日(木)に日本文芸家協会が主催する富士霊園にある「第18回文学碑公園」を訪ねるツアーに参加しました。夫も私も日本文芸家協会の会員なので、十数年前に文学者の墓の一隅を購入しました。知り合いのノンフィクション作家から勧められたのがきっかけでした。しかし、購入した直後に一度訪れて以来、ほったらかしというのが実情でした。

当時は夫も元気で、杖をつきながら山道を登ることができたので、ほとんどピクニック気分。向田邦子や宝塚のトップスター大浦みずき(作家坂田博夫の娘)と同じ列に名前が刻んであると喜んだものです。日本文芸家協会は、毎年、遺族のための墓参ツアーと一般向けの講演会付きのツアーを開催しています。初めて参加したのは、遺族対象のもので、その年に納骨された人が代表で挨拶します。私たちが訪れたときの代表は、大浦みずきのお姉さんでした。

平日に開催されるので、なかなかスケジュールが合わず、その後、訪れることもありませんでした。しかし、私も80歳を迎え、夫の入院もあったりして、そろそろ考えなければならない時がやってきました。夫は、父親が造った東北の田舎の墓に入るつもりですから、まったく新しい墓には関心がありません。しかし、私は、あまり気が進みません。初めて訪れた時、高齢の親族たちの話がほとんど理解できず、そのカルチャーショックがあまりにも大きくて、何となく異郷の地という感じでなじめないのです。

今回は、一般向けのツアーに参加しました。スケジュールが合ったのと、こちらのほうがサービスが良いからです。往復のバス、角田光代さんの講演、昼食、文学者の墓と秩父宮記念公園の散策、そして日本文芸家協会編の新しい文庫本1冊つきで5000円というのは超お値打ちです。参加者は、文学ファンの中高年者、圧倒的多数が女性です。新聞を見て参加したとのことですが、ほぼ毎年来ている人が少なくありません。昨年は、林真理子さんの講演と岸信介の別邸訪問だったそうです。日本文芸家協会からのお世話係として参加した男性は、私が公益法人等認定委員会の一員として、日本文芸家協会を訪問した際に会ったことのある人でした。

久しぶりに訪れた富士霊園は、以前に比べて格段に整備され、素敵なレストランやホールもありました。以前は歩くのにも難儀した文学者の墓も、歩道が舗装され、手すりもついていました。第一期のトップは、菊池寛。文学者の墓ができたのは、文芸春秋を創設した菊池寛の発案であったとのことです。今でも日本文芸家協会の事務局は文芸春秋社の中にあります。

墓に記された名前を見ていくと、著名な作家もあれば、あまり聞いたこともない名前もあります。何人かの知り合いの名前を発見して嬉しくなりました。物書きという共通点でつながっている人たちの終の棲家といっていいでしょう。久しぶりに訪れて、何となく安心いたしました。



高齢社会をよくする女性の会全国大会 in 川越

9月8,9日には、高齢社会をよくする女性の会の全国大会がウェスタ川越で開催されました。大ホールの1階がほぼ満席でしたから1000人くらいは参加していたのではないでしょうか。毎年、全国各地で大会を開き、今年は37回になります。中年女性が集まってできた会ですが、年を重ねて高齢化が進みました。しかし、皆さん驚くほど元気で、鹿児島や鳥取など遠方からの参加者も少なくありあせん。地震のため、北海道の会員は参加取りやめになりましたが、それでもたまたま東京にいた2人が参加しました。

昨年の徳島大会は、参加者のべ3000人超というド派手な大会で、たくさんの来賓の挨拶がやたらに長く、交流会もイベント満載で疲れましたが、今年は、手作り感のあふれる、心のこもった良い大会でした。来賓の挨拶も短く、国会議員や県会議員・市議会議員もお名前の紹介に留めたのが良かったと思います。女性の会には、地元の有力女性たちが参加するので、必ず議員たちがやってきます。そうした人たちをどのように扱うかにも地域の特色が表れているようです。

実行委員長は元小学校教師で90歳の岩崎君子先生。足腰もしっかりして、86歳の樋口恵子さんも顔負けの元気さです。教え子たちが先生に頼まれたからにはと張り切りました。

来年は秋田市、再来年は小田原市と開催が決まっています。再来年になると、樋口さんは米寿です。小田原市とはゆかりも深いので、何とかそれまでは元気でいたいと思います。


持続する志

夫の親友であるTさんが、入院中の夫を見舞ってくれたのは8月27日(なんと私の誕生日)のことでした。早稲田大学政経学部以来ですから60年を超える付き合いです。彼は大学卒業後、すぐに社会党本部に勤務し、やがて社青同(社会主義青年同盟)の中心メンバーになり、次第に党の方針に反発するようになり、党を離れました。その後、一貫して政治活動を続けています。一度は参議院全国区の選挙にも出馬しましたが、惨敗でした。顔つきが似ている夫は、替え玉として車に乗って手をふったことを思い出します。

社会党を辞めて以来、おそらくきちんと給料の支払われる仕事には就いたことがないと思われます。こうした活動を支え、子どもを育て上げたのは同い年の妻です。収入が良いからと、ずっとトラックドライバーとしてかなり高齢に達するまで働いてきました。

当日は作務衣に下駄ばきという姿で、こんがりと日焼けし、精悍な面持ちは異彩を放っており、病院の看護師を驚かせたようです。今なお各地の運動を支援し続け、沖縄や被災地にも出かけているとか。しかし、寄る年波には勝てず、数か月前、デモの最中に転倒して、額を切ってしまい、かなり出血したそうです。駆け寄った機動隊員が「救急車をよびましょうか」と尋ねたのに対して、「いらん」と言って、手持ちのバンドエイドで出血を止め、後で家の近くの医者に診てもらったとのこと。機動隊などの助けを受けるものかという気概には、笑ってしまいます。これからは、仲間に迷惑をかけるといけないのでデモは自粛するそうです。

活動しているメンバーは、ごく少数でかなり高齢のようですが、それでもニュースを発行し続け、時には韓国にまででかけて労働者の連帯を叫んでいます。私は、夫の名前で時々カンパをしていますが、どうやって活動資金を捻出しているのか不思議です。各地にサポーターがいるようで、ニュースには彼らや彼女らの寄稿文が載っています。

夫の親友には、もう一人、早稲田の同期がいます。彼は高校からの共産党員で、やがて党を離れて、もっと左寄りの活動にのめり込みました。残念ながら彼は大分以前に亡くなってしまいましたが、事務所が家の近くの居酒屋の2階にあったので、時々、その居酒屋で飲んだことがあります。こちらも生活を支えていたのは、新聞記者の妻でした。活動家は、妻の支えなしにはやってゆかれないということでしょうね。そういえば、マルクスも妻のジェニーに大分、苦労をかけたようです。

学生運動をしていた人たちの多くが、卒業後は官庁や大企業に勤務し、出世していく中で、ぶれることなく自分の信念を貫く人たちには、本当に感心させられます。私にはとうてい無理ですが、それでもそうした人たちを尊敬し、支援を続けています。安倍政権が権力をふるう今日、細々ながらでも体制に反対す続けるのは、蟷螂の斧かもしれませんが、とても貴重なことです。こうした運動があることで、日本社会の健全性が保たれるのではないでしょうか。






記事検索
プロフィール

たかちゃん

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ