久しぶりに映画を観ました

台風10号のため、9月1,2日に熱海で開催予定の詩吟の研修会が中止になりました。東海道新幹線が止まってしまったのだから仕方がありません。中止が決まったのは、前日の夜8時頃。荷造りもしていたのに残念です。が
予定がなくなってしまったので、9月1日には久しぶりに近所の囲碁教室に出かけました。突然、豪雨がやってくるという不安定な天気のためか、参加者は通常の半分ほど。さぼっていたので、ごろ負けでした。

本日(2日)は、1年ぶりくらいに映画を観ました。私が映画を観なくなった第一の理由は、2年ほどまえに贔屓にしていたギンレイホールが閉館してしまったことです。コロナによる休館や観客の減少がこたえたようです。ここは世界各国の良質な映画を2本立てて上映していました。夫が厚生年金病院に入院していた時は、夜8時まで病院にいて最終回の1本をよく観たものです。通常はシニア割引1200円が、最終回は1000円でした。

映画館への足が遠のいた理由の第二は、映画館のデジタル化です。1年ほど前、新宿にある映画館に出かけたところ、ロビーにはずらりと券売機が並んでいました。ガイド役の女性がいましたが、手助けの必要な人がいるために、なかなか私の番が回ってきません。画面をタッチしてもお目当ての映画館が出てこないのには、慌てました。同じビルのなかに、複数の映画館があるシネコンなので、最初の画面にはお目当ての映画館が出ていないのです。指示にしたがって、「次へ」を押すと、何時からを希望するかをタッチ。次に座席を指定するのですが、まずエリアを選んで、次に座席を選びます。

支払いが、これまた大変。まず会員か否かを聞いてきます。シネコン全体の会員になっていると割引になるようです。次に一般か学生かシニアか障害者かを聞いてきます。ついでカードか現金かを指定してやっとチケットが手に入るというわけ。15分ほどかかってしまい、劇場にたどり着いたときには予告編が始まっていました。暗闇の中を手探りで、最後列の端の席にたどりつくまで、すみません、すみませんを繰り返しました。

そんな訳に映画館に出かけるのがおっくうになってしまいました。本日、出かけたのは和光の裏にある銀座シネスイッチという小さな映画館。インターネットでの予約はできません、現金のみのお取り扱いです、と言うのが気に入りました。

観たのは「エターナルメモリー」。ピノチェト独裁政権の下で、果敢に活動したジャーナリストがアルツハイマー病を患い、チリ最初の文化大臣である女優の妻との愛情あふれる日常を描き出すドキュメンタリー映画。高齢者を描いた映画はなるべく観るようにしていますが、認知症患者を扱った日本の映画は何となく暗くて重苦しい。しかし、この映画はとても爽やかです。不穏な言動や幻聴はごくわずかしか登場せず、もっぱら夫婦のこまやかな愛情といたわりが描かれています。もちろん、介護の大変さはあったことでしょうが、そうした大変さはほとんど取り上げられていません。言い換えれば、認知症の映画ではなく、高齢夫婦の愛の物語というわけです。認知症を扱った日本映画では、患者の服装は乱れ、部屋はごちゃごちゃですが、この映画の主人公はいつもダンディで素敵。部屋もきちんと片付けられています。この違いは何なのだろうかと思ってしまいます。

平日の昼間のせいか、観客はもっぱら高齢者と中年女性でした。これからも、この映画館を贔屓にしようと思います。


始めるよりも終わるのは難しい

前回は、戦争について、始めるよりも終わるのははるかに難しいと書きました。今頃になって、太平洋戦争はどの時点で止めるべきだったかとか、そのチャンスはいくらでもあったのに、という言説がしばしば登場します。

昨夜観たNHKスぺシアルのサイパン玉砕を取り上げた番組では、軍部が「一撃、講和」を考えていたいうことに衝撃を受けました。米軍の攻撃に成功して、有利な条件で講和に持ち込むというアイデア。もし講和が実現していたら、東京大空襲、そして広島や長崎の原爆投下のためにサイパンからB29飛び立つこともなかったでしょう。ひょっとしたら名古屋空襲で私の家が焼かれることもなかったかもしれません。ほとんど記憶はありませんが、写真で見るとかなりの豪邸でした。

始めるよりも終わることが難しいのは、原発も同じです。東京電力の福島原発は、東日本大震災から13年もたつのに、廃炉作業は遅々として進まずです。電力不足解消のために、原発の新設や再稼働が目論まれていますが、どうやって廃止するかについては、まったく解決策が見つかりません。

自然エネルギーへの転換が説かれていますが、これも廃棄についてははっきりしません。太陽光パネルは、20年くらいで劣化してしまいます。どのように処分するのか、どこに捨てるのかは不明です。風力発電のための巨大な風車も、何年か先には劣化して、ゴミになります。

もっとも確実は解決策は、私たちの生活レベルを下げて、不便さや不快さに耐えることかもしれません。とはいえ、連日の猛暑。一日中、クーラーをつけっぱなしにしながら、エネルギー政策の今後について、あれやこれやと頭を悩ましている今日この頃です。

8月と戦争、そして平和

8月は、6日、9日、15日と忘れがたい日が続くので、通常は戦争と平和を考えるテレビ番組や新聞記事が並びます。しかし、パリ・オリンピックのせいか、今年はそうした番組や記事がとても少ないように感じます。どのテレビ局も、日本選手の活躍する姿を繰り返し放映するか、毎度おなじみのお笑い芸人たちが旅をしたり食べまくる番組ばかり。ガザやウクライナでは、戦火が収まりそうもないのに、これでいいのかという思いです。

8月3日(土)と4日(日)には、家の近くの地区センターで開催された「第6回新宿平和のための戦争展」に出かけました。恥ずかしながら、こうした催しがあることを知りませんでした。たまたま見かけた新聞の折り込みチラシで発見したのです。ラジオ体操の仲間に伝えたところ、気が付かなかったという人ばかり。素晴らしい企画なのに、参加者がとても少ないのは残念でした。

私は、1953年の映画「ひろしま」とドキュメンタリー映画「ガザ攻撃 2014年」を観ましたが、その他、東ちづるさんや孫崎亨さんの講演や武田美通の彫刻、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ被災展示」、鶴彬の反戦川柳の紹介など盛りだくさん。鶴彬の川柳については、「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」や「手と足をもいだ丸太にしてかえし」というのは知っていましたが、「塹壕で読む妹を売る手紙」や「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章やらう」という川柳には衝撃を受けました。多くの人が大勢に流されていた時代にも、冷静に現状を把握していた人がいたのですね。彼は検挙されたまま、赤痢のために奥多摩病院に移送され、1938年に29歳の若さで亡くなりました。

「ガザ攻撃 2014年」は、10年前の出来事なのに、現在とまったく同じであることに驚かされます。歴史は繰り返すといいますが、ガザでは、ずっと同じ状況が続いているのです。イスラエルの攻撃によって家族を殺され、家を失い、水や食糧不足に苦しむガザの人びと。インタビューされたガザの人たちが、民間人を空爆するイスラエルを非難し、「ハマスへの支持が上がったいる」と繰り返しています。
ハマスを撃滅したいというイスラエルの野望は無理なのではないでしょうか。

ガザもウクライナも終わりが見えません。戦争を始めるのは簡単だが、終わるのはとても難しいと言われます。何とか今年中には、二つの戦争が終結し、平和が戻ってきてほしいものです。

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