今日は、8月15日。72年目の敗戦記念日です。例年は、靖国神社から千鳥ヶ淵を回るのですが、今年は取りやめにしました。いつも8月15日は、かっと照り付ける晴天なのに、なぜか今年は、梅雨時のような雨。外に出る気分にはなれませんでした。

これまで8月15日前後には、戦時中の日本人の苦労を描いたセンチメンタルな長時間ドラマがテレビで放映されるのが常でした。こうしたドラマに対して、あまりにも被害者意識が強すぎることに、私は違和感を抱いていました。ところが、今年はそうしたドラマはなく、いくつかのすぐれたドキュメンタリー番組が放映されました。特攻、731部隊、東京大空襲、インパール作戦等など。いずれも日本が無謀な戦争に突入し、ぎりぎりのところまで追いつめられていたにもかかわらず、なかなか降伏しなかったことの愚かしさを描いています。今晩見たインパール作戦を描いたNHKスペシアルでは、勝ち目のない戦に駆り出され、虫けらのように死んでいった兵士たちの無念さと命令を出した司令官たちが戦後も生き残って天寿を全うしたことの矛盾をつきつけられました。奇跡的に生き残った兵士が、戦友の肉を食べたり、売ったりしたという壮烈な地獄絵を語っていました。戦争は、人間としての理性や品格を失わせるのです。

私は、30年近く教えた老年学の授業で、高齢者の聞き書きを課題に与えてきました。多くの学生は祖父母や曾祖父母から話を聞いていましたが、なかには施設に入居する高齢者や近所のお年寄りから話を聞く人もいました。何と言っても忘れがたいのは、戦時中の体験です。満州から引き揚げる際に、泣き叫ぶ赤ん坊を殺すか中国人に渡すよう命じられたが必死の思いで連れ帰ったという祖母。その時の赤ん坊が、後に学生の父親になりました。もしあの時、殺されていたら今の私はなかったと、彼女は書いていました。また、引き揚げの途中、ソ連兵に襲われ、窓から飛び降りて逃げた祖母は助かったが、逃げ遅れて強姦された少女は一夜にして白髪になったとのことです。

南方に送られ飢えに苦しみ、蛇、とかげ、ネズミ、草の根を食べ、なかには死んだ戦友の肉を食べた兵士もいたと語る祖父。「もしやして、おじいちゃんも」という文章にはぎくりとさせられました。第二次大戦で命を喪った兵士の半数以上が餓死であったといわれます。十分な食糧もなしに前線に送り込んだ軍の上層部の人間性を疑わざるを得ません。

こうした過酷な体験を、高齢者たちは、自分の子どもたちには、まったく伝えていません。学生から話を聞かされた父母たちは、「そんなことがあったの」と驚いていたそうです。時間がたち、世代を隔てることで、重い口を開き始めたのでしょう。孫や曾孫から尋ねられたことで、やっと語る気になれたのかもしれません。戦争体験者は誰もが、「二度と戦争をしてはならない。平和が大切」と語っています。

集団的自衛権の容認、共謀罪の成立、そして憲法改正へと、日本は戦争のできる「普通の国」に向かいつつあります。日本の歴史上、こんなに長い間、戦争に巻き込まれずに済んだのは稀有なことです。戦争体験者が90歳を超える今こそ、彼らの体験と平和への想いを聞き取る最後の機会かもしれません。