私にとって、この一年はかなりしんどい年でした。最大の理由は、鬱病による夫の入院です。昨秋の物凄い躁状態から、今年に入ると一転して鬱に陥り、まるでジェットコースターに乗っているような気分でした。躁の時の暴言や罵詈讒謗、止めどない買物、薬害による筋力の衰えと転倒や歩行困難等など。道路で転倒して、たくさんの方々に助けられたこともあります。無縁社会と言いますが、世の中には親切な人が少なくないことを実感いたしました。
鬱が高じて「死にたい」と言い出したために、今年の3月に緊急入院し、6月までの3カ月間入院しました。やっと訪れた静謐な時間。水泳や読書を楽しむことができました。私の行きつけのスポーツクラブは、病院と家の中間にあります。病院で夕食につきあい、その後、バスないし徒歩でプールに向かい、1時間ほど泳ぎました。まるで自分がイルカが魚になったようで、至福のひと時でした。泳げて本当に良かったと思います。
6月に退院しましたが、社会復帰にはかなりかかりました。入院中に筋力が衰え、要支援2になってしまいましたが、困ったのはデイサービスに行きたがらないこと。お迎えの車が来る直前になると、お腹がいたい、頭が痛い、吐き気がすると言いだします。これって、登校拒否と同じですね。あげくの果てに、カバのように肥ったオバサンがいるから嫌だと言いだす始末。仕方なく、曜日を変更してもらいました。進んで行くようになったのは、11月ぐらいから。腕の良い柔整体師がマッサージをしてくれるのが気に入ったようです。
こうした日々にもかかわらず、水泳と手話と歌舞伎は、ほとんど欠かすことがありませんでした。もちろん、大学での非常勤も一日も休みませんでした。これは私を助けてくれる助手の佐藤富士子さんや家事を手伝ってくれるシルバー人材センターの森さんのおかげです。いろいろな人に支えられて生きていることを実感しております。
今年一番残念だったのは、やはり勘三郎さんが亡くなったことです。デビュー以来のファンであり、お茶大の近くの小日向にある勘三郎さんのお宅の前を何度も通りました。家の前に車が止まっていると、今日は勘太郎さんや七之助さんは在宅だと何となく嬉しくなったものです。歌舞伎役者がうまくなるのは、60歳を過ぎてから。今や円熟の境地に達した幸四郎も菊五郎も70歳です。本当におしいことをしたという思いです。
来年4月には、新装なった歌舞伎座が再開されます。どんなことがあっても、4月のチケットを入手したいものです。そして来年こそ、もう少しプロダクティブな年にしたいものです。