2011年03月

2011年03月28日

日本の恥

2283f366.jpg命に国境はないはずである。命は、国境を超えて等しく人間に及ばなければならない。

 国籍、人種、民族、宗教を超えて、命は平等に尊ばれなければならない。同じく、教育を受ける権利も、命を繋ぐものとして平等に受ける権利があるはずだ。少なくとも、日本政府はこれまでも人道支援や国際貢献と言って、莫大な税金を世界に拠出してきた。

 ところが3月25日、高木義明文科大臣が朝鮮高校への「高校授業料無償化」適用を今年度実施しないことを記者会見で述べたと言うのだ。その理由に、これまで言って来た「朝鮮半島情勢が不安定なため」に加えて、今度は「大震災への対応もあり、事務手続きが進まない」などと、まったく理由にならない理由をもって支給出来ない方便を行っているのだ。

 これまで遅らせて来た理由に、高校の課程における授業内容が日本の高校授業内容の基準と同レベルかどうか、という事であった。。政治と切り離して、高校授業の内容が基準に達していれば支給するという審議会答申を受け、実施するとしてきたこれまでの態度を豹変させたのだ。

 俺は、これほど許しがたいことはないと思っている。それは、「高校無償化」にしろ、様々な政策が税金から成り立っており、在日朝鮮人にも平等に納税義務を課しながら、税の配分から排除すること自体が、平等原則違反なのだ。だから、そんな排除を公然と進める菅直人首相、及び高木義明文科大臣の姿勢を断じて許せない。


 本来、命と並ぶ教育を受ける権利は、国境を超えて支援を必要としてきたし、実際、そうした海外援助も行ってきた。それは、言うならば人道支援である。だが、今回の朝鮮高校への「授業料無償化適用排除」は、国が行った明白な差別・迫害である。

 これをどうして許せようか。ドイツ・ナチスが行ったのと同質の差別・迫害なのだ。在日という歴史を背負った朝鮮人に対して、国の裁量で何とでも出来るというこんな差別排外主義がまかり通ってはならない。

 拉致問題を一つの理由にしているようだが、そうであるならかって日本帝国主義がどれほど多くの朝鮮人を拉致、連行し、苦役を課してきたのだ。侵略戦争にも動員し、特攻隊にすら朝鮮人を駆り立て、無駄な死を強制してきたのだ。そんな負の歴史は、もう過去のことですと言えるのか。そして、そうして戦死した人々に対してさえ、何の保障も行っていないのだ。

 俺は、そうした国と国の関係においてすら負の歴史を持っているが、今問われているのは納税義務を課せられながら、配分から排除されている在日の人々の問題である。日本政府からの公然たる差別・迫害が道理から外れているのと同時に、日本の恥である。

 何が国際化だ。足下の歴史を背負った在日朝鮮人に道理を外れた差別を行いながら、国際貢献とははなはだ恥ずかしい限りである。ご都合主義の国際化は、いずれ世界から笑いものとされるだろう。立ち返れ!日本政府や同じことを進める橋下徹大阪府知事たちよ。
 少数者に光を与えてこそ、政治ではないか!
 

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2011年03月25日

希望と、何かを変えるチャンスに!

fe670666.jpg日々、刻々と東北関東大震災の被害が拡大している。死者・不明者合わせて2万7千人を超えたと言う。

 そんな大震災の中で、被災地で最も親交の深いシスターYさんは、仙台市宮城野区在住である。震災直後、安否確認のハガキを出したが、その後5日後に電話が通じ、無事が確認された。少し元気そうなので安心していた。そのYさんから昨日便りが届いた。

 電気、水道、ガスなどのライフラインが寸断された中で、僅か4人の壊れかかった修道院で工夫をしながら元気でやっているとのことである。

 そのYさんからの文面に「あれこれ不自由がありました。今もあります。けれど物の数ではありません。あまりにも多くの人が命を失い、普段の有様が消えたので、死の世界が普通で生の世界が宇宙の一部にほんの一時期浮かんでいるような錯覚を覚えました。ほんとうにそう思えたし、事実そうなんだと思う。この世にあるのはほんのちょっとで無言のじっと動かない世界。それが実際なんだな、と。今、この世に出会っているとなりの人、目の前の人はどんなに得がたいものかと」ある。


 そして、少ない食料をYさんが、工夫し調理し分け合っている。そんなYさんは「私は自分を褒めている」と言われる。俺なら、絶賛します!と言いたいくらいだ。ここには、助けって生きようとする人間の原点と、全国から心を寄せる思い、人間の連帯が彼女らを決して孤立させない思いが連なり、必ず被災地は生き返ってくるだろうと確信しているのだ。


 そして、もう1つ福島第1原発を巡る情報がスローライフの会から入っている。その方は、福島第1原発から20キロの川内村・通称「獏原人村(ばくげんじんむら)」と呼ばれる山中で自給自足をしておられたOさん夫婦と子供2人が、放射線被害を逃れて岡山の実家に避難されている。そのOさんからのメッセージに、改めて原発の被害と今後の社会のあり方を問うものであった。

 「私たちは、福島県民有志による『ハイロアクション福島原発40周年実行委員会』です。この会は、福島第一原発1号機が設計寿命40年を迎えるのを機に、廃炉と廃炉後の社会について真剣に考え、全国に発信していこうと、昨年11月に結成されました。来る3月26日・27日には、そのオープニングイベント「ふくしま原発40年とわたしたちの未来』をいわき市で開催する予定でした。」とある。

 「希望の持てる『ポスト原発社会』を構想しようと、日々準備に奔走する中、今回の福島原発震災が起こりました。『廃炉の時代』がこのような幕開けになったことは本当に悔しいです。しかし、核が引き起こす現実、この悲劇を引き起こした私たちの社会の現実に全ての人々が直面することからしか、未来への希望は生まれてこない、そこにこそ希望がある、ということに変わりはありません」と言われる。


 まったくその通りであり、我々はこの現実から逃げることなく、やっぱりキチンと直視し、そしてこれからのあり方を考えていくべき位置にある。


 今、問われてるのは「がんばろう日本」や「復興」などではない。とりあえずの復旧であり、そしてそこから拡大主義や効率主義ではない新たな価値観を持った社会を作っていくことである。そして、被災地の皆さんには「ボチボチいこか」という言葉であリ、物心はその外から届けるものだと思っている。

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2011年03月21日

春の植え付けシーズンと、被災地への思い

5ba8c269.jpg風邪をこじらせたままである。およそ3月10日頃から始まる春の植え付けシーズンと、東北関東大震災の痛みが加わって、風邪が直らない。

 それでも、この時期の春野菜の植え付けをまずはジャガイモから始めるのだが、その種芋が早々と売れ切れている。更に、サトイモの種芋すら入荷が減っているのだ。ジャガイモは、大体毎年10数キロ植えつけるのだが、今年は9キロ植えつけたところで種芋がない。仕方ないので、道の駅などで秋に収穫した芽掻きしていないジャガイモをもう少し植えよと思っている。

 ジャガイモやサトイモなど保存が利くイモ類は貴重である。東日本全体で、今春の農作物の植え付けが困難な現状で、出来る限り安全な野菜を作っておくことは重要だからだ。幸い、種類は不足が無く、この間ニンジンやサニーレタス、それにサンチュなどを直播きしておいた。

 一方、温床において、トマト、ナス、キューリ、カボチャ、ズッキーニ、ゴーヤ、シシトウなどの唐辛子系、マクワウリなどをとりあえず苗作りに植えつけた。まだまだ植えつけたい苗はあるが、今のところ1箇所しか温床がないので、この程度にしている。芋温床がある程度できた段階で、更に新たな苗作りに挑戦しようと思っている。

 そんな植え付けシーズン真っ盛りの中で、やっぱり東北関東大震災が気がかりで仕方がない。俺も、阪神淡路大震災を経験したが、やっぱりその比ではない巨大さに言葉が出ないくらいである。震災から10日、いよいよしんどくなるこの時期に、ガソリンや軽油、灯油などがないと言うのは本当に厳しいものがある。現状では移動の手段として最も重要な燃料や暖房が取れない困難は、阪神大震災当時はなかった。

 ただ、当時は学校などの避難所は満杯で、テント生活者が大勢いたし、決して食料も十分だったとはいえなかった。それでも陸路からの救援物資はガソリンがあったから、徐々に入っていた。

 しかし、これが巨大地震というこれまでの常識を覆す天災なのだ。ただ、天災といっておられないのが福島第1原発で引き起こされている原子炉格納容器の被災である。今もって予断を許さない状態が続いている格納容器事故は、東北関東地方に放射能を拡散しているとしか言いようがない。

 俺は、そんな中で福島第1原発内で作業をしている東電社員やその下受け企業社員、自衛隊、消防隊員の皆さんに本当に頭が下がる。命の危険と隣り合わせの作業をやってくれ、やるべきだなどと誰が言えよう。彼らは、国や電力会社の原発推進の犠牲者であり、その周辺住民も含めて人災の被害者である。

 日々、心が痛い状況で、風邪も中々治ってくれないのだ。

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2011年03月17日

これから、を考える時期に

f1bb71cc.jpg刻々と伝わる東北大震災の惨状と、福島第1原発の事故状況は生半可の事態ではないことを示している。

 とりわけ、福島第1原発は現状においてもチェルノブイリ原発事故と同程度、あるいは複数という意味においても、それをも上回る事故へ拡大しようとしている。現場は、多分誰もが入れないほどの放射線にまみれて、手の施しようがない規模へと拡大しようとしている。

 このまま推移すれば、東日本エリア全体が放射能汚染にまみれるだろう。あるいは、日本列島全体、そして地球規模での汚染だってありうる。だが、死を覚悟で誰が水を注入し続けろ!と言えるだろう。ここまで進行しては、誰かに責任を被せて、自分は知らないとはいえないのだ。

 今は、人が被爆を最小限にしか浴びないない程度に放射能を押さえるしかないのだ。そういう限定的な作業を、民衆はじっと見守るしかない現状にある。そして、最悪を考えておくべきだ。かなりの地域を緩衝地帯にして、放射能汚染を半減や拡大から押さえ込んでいく道筋である。

 そんな気の遠くなるような現実、それでも人間は生きていく。旧ソ連のチェルノブイリ近郊の人々が数多くの被爆から後遺症に悩まされながらも、生き続けている。連れ合いが、1986年に被爆したベラルーシの女性と今も文通を行い続けているが、当初は医薬品の郵送から始まって今は文通がほとんどである。それでも交流を続けている。そして、その女性も今は何とか体調維持が出来ている。一時、ほとんどの子供たちが健康障害を持っていたが、被災地から離れると健康を取り戻したり、の現状から少しづつ回復してきたのだ。

 だから、あらゆることが起きても、決して希望を捨ててはならないと云う事である。我々は、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故の経験を持っている。その教訓を、最大限活かしながら、何とか立ち直っていく方策を考えていくべきときにある。

 そして同時に、今回の原発事故を通して、本当に脱原発を模索していかなければならない。もう「安全神話」はないのだから、本当に真剣に考えるべきだろう。同時に、今回の震災でももっとも必要に問われたのが、水、食料、そして雨露が凌げる住居である。この3点が、人間が生きていく上での必要不可欠なものである。それ以外は、何とでもなるのだ。

 今回の震災で、つくづく思ったのは、石油ストーブではなく、日本の家屋で薪ストーブ、あるいはペレットストーブがもっと多くあれば、暖房はもっと身近に調達できただろうと思うのだ。

 食料の国内自給率向上や、木材自給率の向上を計っていけば、過疎の解消や都会集中が緩和されて行くだろう。そして、今回の震災でもすごく感じたのは、物凄い助け合いの気持ちが湧き上がっていることである。これは日本社会が本当に変わっていける契機になれば、と思っている。

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2011年03月14日

最悪なことが重なるものである

954f2cf4.jpg9日ぐらいから風邪の症状が出ていたのに、懲りずに動いていると、遂に11日昼ぐらいから完全にアウト。

 午後2時50分、横になりながらテレビをつけてみると、東北大震災の様子がリアルタイムで放送されていた。NHKのアナウンサーが震度8.2(この時)の大地震が発生し、津波予報を3m〜6mと叫んでいた。そして、海岸付近の映像が流されていた。

 その映像には、呑気に漁港の水位を覗き込む人もあれば、自動車に乗ったのはいいが、ゆっくりと車を走らせ、山のほうに向かうのではなく、少し上がったところで駐車するとか、きわめてのんびりしたものであった。

 俺は、最悪の体調だったが、思わず「早く山に逃げろ!」とテレビに向かって叫んでいた。ただ、このとき東北地方は全県停電で情報がほとんどなかったのかもしれない。だけど、スマトラ島沖大地震やプーケットの津波を知っていた俺からすると、何とのんびりしているのだろうと思って、最悪な体調の中、イライラしていた。

 そうすると、たちまち大津波が押し寄せてきた。物凄い破壊力で、民家を押しつぶしていく。特に凄かったのは、川の上流めがけて津波が押し寄せ、河岸を押し潰し、全てを飲み込んで津波がよじ登っていく様である。それが、僅か5分ぐらいの間に全ての民家を飲み込み、巻き込みながら上流へと駆け上がっていく。

 最早なんとも言いようのない激流の様を、リアルタイムで見てしまい、俺の体調は最悪の様相である。咳がコンコンと出るのに寝るに寝付けない。

 更に、翌12日からは福島第一原発と第2原発、更に女川原発と立て続けに炎上、損壊の報道である。体調不良の中を、やっぱりテレビを観ないわけにはいかない。そして、現在福島原発においてメルトダウンや放射能汚染が言われだしている。『安全神話』がいかに脆いものか、権力側から発せられる『安全』や『環境』に適した原発神話は、ゴロゴロと転げ落ちている。最悪の環境破壊、そして人、自然を破壊する原発の姿が、ここに来て最早誰もが「絶対」ではなかったことを自覚することとなった。

 まだまだどうなっていくのか誰もわからないが、救急措置をとっている現場の労働者の被爆は救われない状況にあるだろうと推察する。最悪を回避するために、現場の労働者は自ら最悪の被爆状況にある。これが紛れもない原発の現実である。

 これまでも、そして現在も、山口県上関で進められようとしている原発に、多くの人達が反対の声を上げ続けているが、それを暴力とカネで押し潰そうとしてきた。だが、本当の正義はどこにあるのか、今や明白となっている。

 今後、日本社会は20年ぐらいの単位で本当の意味で変わっていかなければならない。「高度成長」ではなく、共に生き、共に助け合って生きる社会への全面転換である。本当に必要なものと、不必要なものを取捨選択していく時代である。

 そんなことを体調不良の中で考えた次第である。

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2011年03月07日

「イラク戦争とは何だったのか?」−高遠菜穂子講演会

63a10a93.jpg5日土曜日、岡山県立図書館デジタル情報シアターにおいて、3/8国際女性デー岡山県集会が開催された。

 講演の講師は、2004年4月にイラクで人質となったイラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんであった。人質解放後、日本国内から「自己責任論」の非難が飛び交い、精神的にもまいっていた高遠菜緒子さんだったが、今は見違えるほど自信と気迫に満ちていた。

 今の彼女は、自信をもってイラク支援ボランティアを行っており、自分の行動が間違っていなかったと今も地道に支援活動を行い続けている。そんな彼女の姿を見るにつけ、あの時の1億総バッシングは何だったのだろうと思わずにはいられない。

 当時の日本社会は、イラクに大量破壊兵器があるとするブッシュと小泉政権の悪宣伝にまんまと乗せられ、イラク戦争こそが正義だと信じ込まされていた。戦後60年経った今でも、政権とメディアに簡単に信じ込まされる「国民世論」があるのだ。

 さて、高遠菜緒子さんの話は映像も交えて、米軍が行った「テロとの戦い」が実はイラクを破壊し、イラク人の大量殺戮以外の何者でもなかったことを、気迫を持って語り明かしたのだ。

 かって70年代〜80年代、イラクは先進国であり、教育も医療も物凄く充実していた。それが、91年からの国連による経済制裁によって、食料や医薬品が不足するようになった。それでも大半のイラク人はフセイン時代の方が今よりましだと思っている。それに、宗派対立もなく、家族の中でスンニ派とシーア派の結婚など、別におかしくもなかった。

 しかし、今では電気が1日4時間しかなく、飲み水さえない。イラク難民は、国外で230万人、国内で240万人と国連の報告書で言われている。イラク総人口2700万人の2割近くが避難民である。そして、今世界で言われているイラクの武装勢力という言い方は事実と違うという。それは、レジスタンスなのだという。

 そして、今もって米軍がイラク人が殺せば、「武装勢力」で片付かされているのだ。イラクが民主化されたなのどと言うのは、まったくの偽りだという。そして、驚いたのは高遠菜穂子さんが、映し出したビデオの動画に、米軍から殺されたイラク人の死体がウジ虫が沸いているものから、まったく身体が溶けて蝋状態の遺体、そして服は焼けていないのに身体が黒焦げだったり、物凄く酷い死体の山なのだ。

 高遠菜穂子さんが言うには、「皮膚が擦りむけたようになっている死体は、白リン弾によるものです。これにはウジ虫さえも着かないのです」と言う。さすがに多くの死体を見せられ、気分のいいものではなかったが、これがイラクの現実であり、戦争そのものである。

 そして今、最も重大な出来事は、現在イラクで生まれている子供の多くに先天性奇形児が多く見られ、生きることさえ出来ずに死産となっている現実が映し出されていた。その理由として、劣化ウラン弾による放射能汚染が深刻になっているというのだ。

 そんな現実に向かいながら、高遠菜穂子さんは現在も医療支援を中心として活動されている。こんな高遠菜穂子さんのような人がいるから、日本人はイラクで見捨てられていないのだ。アメリカ追従や、ODAのように何の役にもたっていない「国際貢献」ではなく、本当の世界の人々との支援連帯が求められていると実感した講演会だった。

 そして、高遠菜穂子さんを講演に呼んだ岡山の女性たちのセンスの良さに、俺も嬉しくなった。
 

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2011年03月04日

竹中平蔵的世界観と、ブータン的世界観

4db5ea04.jpg昨日の毎日新聞に、竹中平蔵が寄稿しているコラムを読んでいると、またしても腹が立ってきた。

 竹中は、税と社会保障で「年金は徹底した資産調査を行い、給付を制限する。給付開始年齢は67歳に引き上げれば、兆単位の財源は出る。そもそも老後に必要なお金は自分で貯めるのが大原則」などといい、消費税を5%を引き上げたうえで、高齢者の年金や医療の為には使わない」と公言して憚らないのだ。

 その一方で、法人税は香港並みの17%(現行40.69%)に引き下げ、正規労働者ももっと首が切れるように、などと言いたい放題である。

 2月25日毎日新聞コラムで反貧困ネットワークの湯浅誠は、小泉・竹中路線の2002年から2007年にかけて戦後最長の好景気の中で、給与所得総額は1.5兆円減少したと書いている。すなわち、企業は好景気だったかもしれないが、労働者の賃金はそのおこぼれにも預かっていないのだ。

 そればかりではない。この間、労働者の非正規化が急速に進行したのだ。規制緩和の大合唱の中で、竹中のような人間がしっかりそのおこぼれを頂戴したのだ。だからこそ、老後は貯蓄で十分だといえるのだ。日々の生活で一杯一杯の圧倒的民衆は、そんな悠長なことなど言ってられないのだ。

 さて、そんな経済成長一辺倒主義から、そろそろ我々は脱却しなければならないのではないか。そんな折に、2月25日毎日新聞は「幸せの基準とは」という論点を特集していたのだ。

 竹中のように、経済成長主義一辺倒から「欲望から降りる知恵」と題して、ブータンの国民総幸福(GNH)こそ学ぶべきだという論点であった。俺は、まったくその通りだと考える。

 経済成長が、人々を幸福にさせるというのは大きな勘違いだと思っている。最低限のお金や住居や衣服は必要だが、すべてがカネで解決するそんな社会的風潮はやはり間違っていると思うのだ。

 それよりも、分かち合う思想、分かち合う社会的仕組みこそが、ぎすぎすした社会を変えていくのではなかろうか。ここ10年間からの自殺者3万人越えや過労による精神疾患の激増、それらは決して幸福社会にはありえない背景である。

 辻信一明治学院大学教授は言う。「『上る』だけの人生観や歴史観は既に破綻している。今求めらるのは『より早く、より大きく、より多く』ではなく、3つの「S]、スロー、スモール、シンプルに形容される生き方の中に見出されるだろう。そう、僕たちは幸せへと『降りてゆく』のである」と結んでいる。

 俺も、この日本社会に埋もれている多様な資源と共存しながら、活用から生活が成り立ち、潤わせてくれる、そんな生き様をほんの少しからでも実践していきたいのだ。
 

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2011年03月01日

一応、ミツバチ巣箱を完成させるも、さて?

436dcc85.jpg昨日、雨が降る中を、玄関先で最後のミツバチ入り口と、箱の中に入れる斜交いを作り、一応完成させた。

 つくづく思うのだが、俺は緻密な工作物は苦手である。本当に、人間が大雑把なものだから、大雑把に出来るものは得意と言うか、好きな作業である。だが、やると決めた限りは、ストレスと肩凝りに悩まされながらも、とりあえずやり遂げるのである。

 一応、目標としていた5個の巣箱は完成したが、経験者から見れば本当にまだまだという代物である。それも、大きすぎたようだ。大体、ミツバチをおびき寄せる箱は、横25センチ、縦25センチぐらいらしいのだが、俺は根っからの邪魔臭がりだから、最初から住居用の30センチ四方と35センチの大きすぎるのを作ってしまった。

 まあ、仕方がない。それが俺と言う人間である。取り合えず、この巣箱に蜜蝋を塗りこんで、塩化ビニールの雨避け覆いをして、本当の完成である。

 これを考えていた置き場所に、分散して置いてみようと思う。それでダメなら、少し改造したり、来年もう少しいいのを完成させようと思う。それがこの春先の、ミツバチ巣作りの経験であった。

 さて、これからが春夏野菜の苗作りや、その為の温床の作業を急ピッチで進めなければならない。あるいは、ニワトリの雛を入れるための小屋の修理だったり、いよいよ本格的な農繁期の入り口である。

 それにしても、連れ合いからも言われるのだが『何でそんなに忙しいの』と云う事のようだ。多分、この性格は変わらず、このまま忙しく生きて死んでいくのだろう。

 人間には、生来の性格と言うのがある。だが、この性格が作られた背景は、仕事をしながら学校も高校から大学まで夜間、そして少年時代から時間を惜しんでアルバイトの掛け持ちをしてきたそんな生育期に、性格を作ってしまったのかもしれない。

 だから、閑だと自分をもてあますのだ。ついつい何をしようと、することを考えてしまう。そして、首懲りや腰痛に悩まされるという日々である。

 自分を、もう一人の自分があざ笑う。おいおい、もっとゆっくり生きたって何とかなるさ、と笑っていっている。そうして、やっと立ち止まるのである。そんな日々に、梅が咲き出し、ウグイスが早朝の朝に「ホケキョ」と鳴き出した。

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