2012年07月

2012年07月30日

7/29 岡山でも、熱い熱い脱原発デモ

006昨日29日、国会前の包囲デモと連動する岡山脱原発デモが、開催された。

 俺は、この日、夏風邪を引いてしまっていたが、それでも朝から恒例の1時間の草刈りを終えて、かなり調子は絶不調であった。それで一瞬迷ったが、、やっぱり参加しようと電車を乗り継ぎ、参加した。

 午後1時からの、デモと書いてあったが、まさかすぐに出発するとは思っていなかった。だが、10分前にビッグカメラ前に行くと、もうそこにはかなりに人だかりになっていた。そして、主催者の青年が「それでは1時になりましたので、デモに出発します。隊列を作ってください」ときた。

 俺は、「えー、もう出発かよ」と思ったが、まあ何せ若い感性だから、そういうのもありかと従った。そうすると、ある女性が「プラカードたくさん作ったので、持ってもらえますか?」と聞いて来た。勿論、俺は「いいですよ。ありがとう」と受け取った。そのプラカードには「電気は足りています。足りていないのは、地球に対する人間の愛です」と書かれていた。俺なら、絶対気恥ずかしくて書けない内容だ。

 そんなプラカードを持ちながらも、猛暑の岡山の街をデモったのだ。この炎天下だったが、約150人のデモ参加者がいたことは、やっぱり大きなうねりを感じずにはいられない。姫井由美子参議院議員も参加。彼女は、今は民主党を離党し、小沢一郎氏らの新党「国民の生活が第一」に所属しているのだ。彼女の選択は正しいと思っているし、こうしたデモに参加してくるのも、本当にいいことだと思っている。

 姫井由美子参議院議員が、民主党岡山県連から次回の参議院選挙の公認から外された、と聞いたとき、民主党も何と古い体質かと驚いた。それは、過去の不倫が原因だとか。男なら、多分「今後、気をつけろよ」程度で終わったであろう、その程度の話が女性だからいけない、としか考えられないのだ。俺は、言いたい。そんな完璧な人間なんて、何処にいるのだ!と。

 さて、若いお姉さんや、お兄さんのデモのシュプレヒコールの今風なのを、思わず俺は笑ってしまいながらも大声で復唱した。それでも汗がタラタラ流れるのをこらえて、デモ解散地点に来たのだ。デモ解散地点の石山公園で、ここから集会が始まったのだ。こういうのもあるのか、驚きと言うしかない。

 そんな中、次々と10人ばかりが熱い思いを語った。本当に、命が優先される、そんな政治や社会を作るために、何でもいいから行動して行こうという声に、俺は勿論共感した。本当に小さな子供たちも参加する、そんな命の叫びを見過ごしてはならないと、野田政権にぶつけたい。

 こんな岡山の地での新たな動きは、7/27 倉敷で150人の夕方デモとしても、結実しているのだ。民衆を舐めてはいけない。そんな地殻変動が起きていることを身を持って知るべきだろうと思うのだ。

 俺は、ヘトヘトになって、思わず一人岡山駅で缶ビールを1本、ゴックリ飲み干したのだ。ビールが最高だ!

tsokta at 15:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2012年07月27日

「いい風に吹かれながら、死にたい」と、健さん

003毎日新聞に、高倉健さんと近藤勝重さんの対談が2回に渡って掲載されていた。健さん大ファンの俺にとっては見逃すことの出来ない記事であった。

 それは、健さんの新しい映画「あなたへ」など、映画を通して高倉健が何を思いながら生きてきたのか、を語っている。


 俺は、健さんの大ファンだが、それはカッコ良さと言うよりも、不器用で、硬派であるにもかかわらず、ウジウジしているような「幸せの黄色いハンカチ」の主人公のようなそんな健さんが好きなのかもしれない。勿論、実像は違うかもしれないが、熱い熱い思いを口に出せないような健さんがすきである。

 お前は、全く違うだろう!という罵声が飛んできそうだが、不器用な所だけは似ていると思っている。そんな健さんが、対談の中で「いつか俳優をやめたら、風のいいところに暮らして、そこで死んで生きたいなあ、と思っています。いい風に吹かれながら死にたい、と」。そんな風に語っている。いいなあ、と俺も思ったのだ。

 俺も、田んぼや畑が出来なくなったら、海の見える島で海風を当たりながら死んでいければ最高だなあ、と思う。ただ今は、俺には様々な欲があり、希望があるから、生きれるところまで生きてみたいと思っている。

 そして、俺は高倉健の映画は全ていいと思っているのだが、その中でも最高と思っているのが「蛍」という映画である。ストーリーは、右翼によって美化されがちだが、特攻隊に朝鮮人特攻隊員がいた事実。その朝鮮人特攻隊員に婚約者の日本人女性がいた。それが今回も共演している田中裕子である。大好きな女優だ。その彼女を残して、朝鮮人特攻隊員は太平洋の藻屑と消えていく。

 一方、健さん演じる死に損なった特攻隊員は、仲の良かった朝鮮人特攻隊員の婚約者と背中に重いものを引き摺りながら結婚する。田中裕子演じる妻は、先に亡くなるのだが、その思いも含めて韓国に渡り、その親族に謝罪に行くのだ。門前で追い払われるが、健さんは立ち尽くす。確か、そんなストリーだったと思う。

 ここで、何故、韓国の親族が元特攻隊員の同僚を門前で追い払ったのか。そこに、日本人と日本政府が戦後、朝鮮人兵士や軍属に対して何の保障もせず、棄民としてきた歴史があるのだ。怒りは当然のことだ。そして、加えて「日本軍慰安婦」として強制従軍させられてきた女性たちに、今もって日本政府は全面謝罪と補償を行っていないのだ。日本の恥である。

 俺は、この映画「蛍」を作りたい、と申し出たしたのが健さんだったと聞いている。あるいは、中国との友好関係を強めようとする健さんの姿勢にも、共感するものがあるのだ。

 そんな健さんが、ポルトガルが好きだと言う。多分、ポルトガルのいい風に当たるのが好きなのだろうと思う。海が見えるポルトガルの景色を見ながら、死ぬのもいいか、と思ってしまうのだ。

tsokta at 09:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年07月23日

経済成長が、人間を幸せにするのか

002この間の社会の動きをみていて、俺は「経済成長が、本当に人間を幸せにするのか」と、改めて思うのだ。実は、それはこの社会の支配層の発想であり、決して民衆から出てきた発想ではないと思うのだ。


 そうでなければ、日本の個人金融資産約1483兆円もありながら、一方で非正規労働者の比率、35%。その内年収200万円以下のワーキング・プアが74%である。

 言い出せばきりがないが、年収5000万円以上のの層は、10年前の3倍強に激増しているのだ。そして、企業の内部留保は300兆円である。これが、日本の格差社会の現状であり、日々の生活に汲々としている人の一方で高笑いしている一部の人々がいる。

 それが成果主義といわれたり、能力主義の名の下に富が一方に偏って集積しているのだ。かって65%だった所得税の最高税率も、今は40%である。あるいは、法人税や遺産相続税、そして株式配当税まで、金持ち優遇税制は変わっていないのだ。

 そして今、消費税引き上げの民・自・公3党合意である。低所得者を直撃すると言われながら、それでも強行されている国会の現状だ。踏んだり蹴ったりの現状にもかかわらず、小沢一郎氏や新党「国民の生活が第一」にメディアの攻撃が集中するという世相に、俺は腹立たしさを感じている。

 だが、ここ10年間の最大の犯罪的政治家は、小泉純一郎である。彼が、現在の格差社会の原型を竹中平蔵と共に、構造改革の名の下に作り上げた。郵政民営化こそが、すべての改革の一人塚だと、声をからして叫び続け、そして実現した。その一方で、「税は薄く広く取る」と語り、課税最低限を引き下げ、一方で金持ち優遇税制を強行したのだ。

 そして11年、何が変わったのか?非正規労働者が35%を超え、いよいよ半数に迫ろうとしているのだ。生活保護人口は、210万人。そして今、生活保護叩きが始まった。全く逆の発想である。金持ち優遇税制や、ほとんど税金を払わない大企業を叩くのではなく、もっとも生活困難者を叩いて溜飲を下げようと言うのだ。

 そして、民衆には「計画停電にさせないために、原発再稼働を」と誘導しているのだ。さらに、経済成長なくして、民衆の生活は成り立たない、と来る。

 嘘をつけ!と怒鳴り上げなければならない。現状の、日本の個人金融資産1483兆円。そこに資産課税、「富裕税」を1億円以上の人に、年間1%かけるだけで数十兆円の税収が発生すると、元大蔵官僚の武田知弘氏は言う。

 現状でも、十分日本社会は生きていくのに、困らない金があるのだ。それを、民衆から無い金をむしり取っても、経済を更に落ち込ませるだけなのだ。金持ちは、金を使わない。民衆は、日々生活のために、必要最低限のカネを使わざるを得ないのである。

 そして一方、もう経済成長が国民の生活を上向かせるという幻想から、そろそろ脱却しなければならない。便利だから、何でも揃っているから、幸せとは限らない。本当の幸せは、人と笑顔で話せる心の余裕があるかどうである。

 今、土から自然の恵みを受けながら、つくづくそう思っている。

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2012年07月19日

梅雨は、明けたが

003あれだけ雨続きだった梅雨も、やっと明けた。九州地方のような、かってない豪雨の連続ということもなかったが、それでも大雨の連続に、やれやれという気持ちであった。


 そして、梅雨が明けると、今度は一気に猛暑である。自然は、人間の思うようには行かない。そのことを、この間の2011年3.11大震災や九州地方の豪雨や河川の決壊は物語っている。

 人間が、自然をコントロールできるなんぞ、驕りもいいところである。自然の猛威に、出来るだけ逆らわず、逃げ、そしてその中で工夫して生きていくべきだろう。農作物も、自然の猛威の前になす術もない。だが、その中で育ってくる野菜や穀物を頂き、生きていくことが求められている。

 この間の、長雨の影響で作物は根ぐされや、味の薄い野菜が出来たりする。それでも、しばらくすると、お天等さんが大地を乾かし、そしてそれなりに野菜たちは復活したりするのだ。それを、人間の力ずくで変えようとしても、結局は空転したりする。それほど、自然の前に、人間力なんぞたいしたことはないのだ。

 自然のあるがままを受け入れ、その中で自然のサイクルを生かした土作りを行っていれば、比較的災害は少なくて済むことを、俺は少しは学んできた。

 だから今、原発立地の地下に活断層があるとの指摘に、本当に真摯に向き合わなければならない。志賀原発や再稼働真っ最中の大飯原発地下の活断層や、破砕帯など、再稼働を止めて調査するべきだろう。この事実を無視して、原発のフル稼働などあり得ないのだ。

 何故なら、現在の自然の猛威は想像を絶する規模で、日本列島あるいは地球上で起こっているからだ。九州地方を襲った豪雨は、これまで経験したことない雨量であり、そして連続して降り続けた規模においても、過去の対比さえ超えるものであった。

 そして、当然にして昨年の3・11大震災は、地震の規模、そして津波の規模においても、この間の想像をはるかに超える規模と災害をもたらした。今、言われている「南海トラフ」の津波は34メートルを超えようかという規模が想定されている。それでいて、原発が安全などとどうして言えようか。

 自然が、人間の構造物を壊すなど訳のないことである。大地を耕し、その恵みを受けている俺にとって、自然の前に人間の営みなど本当にちっぽけな物だと、つくづく感じているのだ。

 驕りが、災いの元だと、今ほど知るときはない。本当に、もう原発は無くさなければならない。俺は、東京で行われた7/16 17万人集会には行けなかったが、この岡山で開かれる7/29デモには参加したいと思っているのだ。

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2012年07月15日

「内部被ばくを生き抜く」上映会&鎌仲ひとみ監督講演会

001昨日14日、赤磐市桜ヶ丘いきいき交流センターにおいて、映画「内部被ばくを生き抜く」上映会と、鎌仲ひとみ監督の講演会に参加した。


 前日、所要で帰りが遅く、睡眠不足だった。そんなことで、午後1時から始まった上映会は、俺の得意の「コックリ、コックリ」で映画の半分近くは居眠りをしてしまったのだ。よくある俺の失態である。


 しかし、この映画上映会には中学生が10人以上スタッフとして参加し、カンパ集めも行うという極めて面白い構成であった。また、参加者は若い子供連れが多く、放射性物質への内部被爆への関心の高さが伺える。そして、参加者も会場ほぼ一杯の150人ぐらいはいたであろう。


 ここでも息子達や、息子の仲間連中とも再開。お互い、ニコニコ笑って「ヤー、ヤー」と声を掛け合った。この岡山には、福島からの避難者を受け入れようと「おいでんせえ・岡山」というのがあり、多くの若い人たちが「シェアハウス」などで、共に暮らしていたりするのだ。

 さて、映画は俺の観た範囲で、4人の医師、肥田舜太郎(広島での被曝経験)、鎌田實(チェルノブイリ医療支援など)、児玉龍彦(福島現地の被ばく線量の危険性を告発続ける)そして、スモルニコワ・バレンチナ(チェルノブイリ原発事故の子供たちを見続ける臨床医)の現状に対する様々な警鐘を語っている。

 更に、俺のこころを打ち続けたのは、福島県二本松という福島第一原発から100キロ以上離れた土地にあって、子供の尿からセシウムが検出されるという母親の「どうしたらいいの」という物凄い不安との格闘。そして、引っ越すことも出来ず、その中でせめて食べ物だけでも放射性物質がゼロのものにこだわって、弁当などを作っている姿が目に焼きついた。

 その不安は何年も経ってから現れる甲状腺癌や白血病、さらに様々な疾病の危険性を、バレンチナ医師は告発する。児玉医師も、内部被曝ほど怖いものはない、ともいう。そんな将来への不安に、若いお母さんたちは日々苦悩しているのだ。

 そんな映像を見ながら、福島原発事故は「収束」したなどとどうして言えるのか。そういう言葉でもって、若い親たちの現実の苦悩を葬り去ることなど出来ない。こうした映像と重ねながら、つくづく野田佳彦は許せない、と更に感じたのだ。

 続いて、鎌仲ひとみ監督の講演は、他人ごとと流され続けてはならない、という警鐘そのものの話であった。先ほど行われた鹿児島知事選挙でも、投票率は僅か40%台、そして若い人たち、特に女性の投票率がものすごく低かった。

 原発容認派と原発反対派が、正面からぶつかった選挙であるにもかかわらず、低投票率と選挙に行かない若者達の現状が、容認派の勝利に導いた。それでいいのか!という話である。全くそのとおりである。また、大飯原発再稼働によって、8基もの火力発電所が止められた。電力不足はウソだ、というものだ。

 更に、鎌田ひとみ監督の話で、強い危機感を感じたのは、福島第1原発事故では風の影響で大半の放射性物質は太平洋に流れたが、次に福井とか島根、伊方、玄海が事故を起こしたとき、その風が列島を襲えば、日本は終わりだという話であった。俺も、全くそのとおりだと思う。

 使用済み核燃料の問題も、何も片付いていない。本当にこれでいいのですか?という問いかけであった。俺は、ことごとく同感であり、今は本当に変わらなければいけない時代だと実感する。

 そんな現状だが、この岡山でも様々な取り組みに多くの参加者が増えているのは希望だと思うのだ。
 

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2012年07月13日

稲作りの難しさと楽しさ

006慣行農法で、長年稲作りをやっている人からすれば、稲作りの何が難しい!と言われそうである。

 だが、全くの素人から、無農薬有機農法で稲作りを取り組んでいる俺にとっては、本当に難しいとつくづく実感するところである。

 稲作り7年、最初の1〜2年は何も分からなくても、休耕田だった田んぼを耕して、稲作を始めたら、驚くほど良く出来た。

 だが、3年目辺りから、自然に堆積した肥料分はなくなり、そして雑草も驚くほど伸びだしたのだ。ヒエ、コナギ、スベリヒユなど、稲よりも力強く成長し、稲がこうした雑草に負けだしたのだ。あるいは、有機肥料の選択を誤り、下肥など完全発酵していない有機肥料が、ガスとなり、稲をいためたのである。

 そして、4年目辺りから最悪の稲の収穫となった。ひどい年は、1反で200キロしか取れなかったのだ。そんな中、稲作りの本や実践例なども参考に格闘が始まった。肥料を一切入れなかった年もあるが、やっぱり案の定不作であった。そして、昨年は8月に油粕を振り撒いてみた。そうすると、ものすごく悪かった稲が、何とか持ち直してきたのだ。それでも240キロであった。

 さて、今年は昨年の9月、稲が植わっている段階でレンゲを蒔いた。古いレンゲの種だったので、発芽率は悪かったが、それでもそれなりに成長した。そして、1月ぐらいの段階で牛糞堆肥をふりまいた。

 そして今年6月、代掻きを行った後に、EM菌を振り撒いた。更に、その後に2度目の代掻きを行い、稲を植えつけたのである。それも、これまで縦横40センチの広い植え付け幅から、今年は横30センチ、たて35センチと植え付け幅を狭くした。広く取っても、稲の分けつが大きくならなければ意味がないからである。

 そして今、稲の植え付けから約1ヶ月、第2、第3田んぼはまずまずの成長を遂げている。第1田んぼも、少し悪いが昨年と比べれば、かなりいい感じである。面白いことに、第1田んぼはかなり雑草が少ないのだ。だから、第1だけはごろ押しをしていない。

 おかしなもので、雑草の生え方も変わってきた。最近は、第1〜3田んぼまでヒエはほとんど見れなくなった。やっぱり、見つけては取って来た成果である。だが、コナギは地面に張り付くように生えるため、完全除草は無理である。だから、今はコナギの天国と言っていい状態なのだ。

 こんな時、除草剤は何と便利なのだろうと思う。稲以外、雑草が全く生えないからだ。だから、稲作は兼業でも出来ると言われてきたのだ。田植え時期と、刈り取りを除けば、時間を取られる事は少ないからだ。

 だが、殺虫剤の使用も含めて、慣行農法の田んぼはほとんど虫やカエルさえもいない。だが、俺の田んぼはゲンゴロウやオタマジャクシ、あるいは名前も知らない虫やカエルの天国である。ついでに、害虫の稲ゾウムシまでいる。

 しかし、それが自然界であり、そうした虫たちがいることが面白いではないか。かって、田んぼに這いつくばって除草していた昔の人たちのしんどさが分かると言うものだ。俺は、結構手抜きだが、それでも今は首痛から、歯茎を腫らしている。

 そんな苦労の末、出来た米はやっぱり愛おしいと感じるのだ。まだまだ、最上級には届くべくもないが、それでも自家製米は最高である。そして、米があれば、生きていけると感じている。

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2012年07月10日

世論誘導に騙されてはならない

011この間、特にNHKがひどいのだが、節電目標と大飯原発3号機がフル稼働したから、関電管内の節電目標が15%から10%以上に緩和されたと、大宣伝を行っている。


 こんな節電計画や、節電目標など本当に世論誘導としか言いようがない。嘘をつくな!と叫びたい心境である。そもそもこの間の電力不足キャンペーンや計画停電予測など、大飯原発再稼働のための世論誘導そのものではないか。


 大体、今年の夏の電力需給を考えれば、2011年3.11大震災と原発事故の経過を見れば、関電は最大限原発無しでの計画を立てていなければならなかった。だが、3.11以後でも関電は、オール電化推進を進め7万所帯も増設したのだ。

 更に、大阪府岬町の多奈川第2火力発電所(120万キロワット)の再稼働に、地元・岬町が要請したにもかかわらず拒否をしたのだ。今、騒がれている大飯原発3号機(118万キロワット)よりも発電量が大きいのだ。それを拒否した関電は、燃料費の高騰を上げている。これも全くのペテンだ!

 何故なら、原発依存度の少ない中国電力は24億9000万円の黒字決算(2012年3月期)を上げている。更に、原発が一切ない沖縄電力は、69億円の黒字である。燃料費高騰というのは、あくまで世論誘導のためのすり替えであって、その真実は原発の維持費が莫大だということだけなのだ。そうでなければ、中国電力の黒字も沖縄電力の黒字も説明出来ないではないか。

 そして、野田佳彦政権の経団連擦り寄りの「日本経済が立ち行かない」という論理のすり替えである。電力不足はウソである。全国の電力を融通しあえれば、十分足りるのだ。それを行うのは政府の責任だ。それを、電力不足キャンペーンを張り、原発再稼働の世論誘導を行ってきたのだ。それだけでも、野田佳彦を許せない。

 こうした様々な世論誘導は、小沢一郎氏への「壊しやキャンペーン」と追い落としキャンペーンとしても進められている。小沢は悪だ!というキャンペーンである。だが、この間の消費税3党合意や、その下での大政翼賛会国会に意義を申し立て、離党覚悟で望んだ小沢一郎は立派ではないか。俺は、そう思っている。

 もし、このまま3党合意で消費税が合意され、進められたら底辺の民衆は踏んだり蹴ったりである。その事を自覚した上で、小沢一郎はダメだと言うのか。こんな世論誘導にフラフラしていてはダメなのだ。原発再稼働反対も、小沢一郎の覚悟から言えば、実行するだろう。こうしたいい点を評価しながら、もしひどい政策になって来たら、小沢を引き吊り下ろせばいいのだ。

 それに、俺は選挙で何故社民党や共産党に投票しないのかも分からない。ベターな選択として、左派政党を入れるべきだろう。ヨーロッパで、社会保障や福祉が充実しているのも、左派政党がそれなりに議会で力を持っているからだ。

 ところが、この日本ではこれだけ格差社会にもかかわらず、橋下徹や石原新太郎が世論誘導もあって、支持を集めている。橋下徹が何を行ったのだ。職員叩きや福祉の切り捨てに邁進しているだけではないか。ましてや、石原慎太郎など、通りもしないオリンピックに莫大なカネをかけ、それがダメだと見るや、尖閣諸島買い上げで名を売りたいだけではないか。

 こんな連中を、世論誘導で持ち上げる日本のメディアや、それにコロッと騙される日本の民衆の「多数派」と言われる連中を、俺は愚かな奴だと思っている。

 それに引き換え、原発再稼働反対や差別排外主義に反対する人々を、俺は尊敬するのだ。

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2012年07月06日

悩ましい雨続き、そんななか日本の農を考える

002「晴れの国」と言われるこの岡山でも、連日の雨続きである。田んぼは、水入れをしなくていいとはいうものの、やはりお日様あっての田んぼである。ましてや、畑は田んぼ状態で、何もかもがズブズブである。


 しかし、こればっかりは自然のなせる業、仕方がない。梅雨の空けるのを待つしかない。仕方がないので、先日雨の日に「倉敷アウトレット」に行ってみた。結構、俺はミーハーなのだ。西日本最大というアウトレットというので、どんなものかと見て回った。ただの、専門店街ではないか。


 そして、その中にあるイトーヨーカ堂に立ち寄った。俺は、スーパーや百貨店の食品売り場に行くのが好きだ。買うわけではないのだが、どんなものが置かれているのか、値段は、そして栽培方法まで大体見れば分かる。

 入ってみると、その中の野菜売り場はおよそ20分の1ぐらいのスペースしかない。大半が、加工品売り場であり、現在の世相を反映していると思ったのだ。時間に追われ、素材からではなく、加工品ですませる家庭が増えているということである。あるいは、調理に時間を費やさせるより、他に時間を割り振ろうというものだ。そこには落とし穴があるのだが、大半の消費者は安全よりも手軽さを選択するのだ。

 そして、野菜は俺が見る限り、大半はハウス栽培である。葉物野菜の弱々しさからして、そう見える。あるいは、水を嫌うトマトなどは、まずは完璧にハウスである。あるいは、この時期のナスは、ものすごく虫がつく季節で農薬なしではほぼ取れない。だから、キレイなナスはどれだけ農薬を使っているかが分かる。

 そんな観察をしながら、値段の高い野菜は大体季節はずれの野菜である。これが、日本の栽培農家の苦肉の方策であったりする。旬の野菜は、軒並み値段は安い。だから、農家は立ち行かないのだ。

 あるいは、米にいたっては、いよいよ栽培農家が急激に減りだした。俺の住む鶴海でもここ7年の間に、約半分に減っている。休耕田にしているか、耕作放棄地である。岡山県の農業者平均年齢は70歳である。もう5年もすれば、ものすごい農地の分岐が始まると考えている。作りやすい平野部の農地は農業法人化が進み、100〜200ヘクタールの大規模化が進むだろうと思われる。実際、そうした動きは近くでも見て取れる。

 一方で、中山間地や山間部は、いよいよ耕作放棄地と限界集落の道にまっしぐらに転がり落ちていくであろう。効率の悪さから、農業法人は手を出さないからだ。

 ただ、ある意味、本当に自給的暮らしを求めている人には、絶好のチャンスでもある。家も、土地も格安で手に入るだろうし、集落の人間関係もわずらわしさから開放されていくだろう。

 だから、農地の分岐もそうだが、新しい生き方の分岐があっていいと思うのだ。ただ、それでも相当な覚悟がいる。中山間地以上の土地では、動物たちの天下になっているからである。この獣害との格闘は相当な覚悟がいるのだ。

 それでも俺は、新しい希望を中山間地に見る。いずれ、世界は食料危機の時代を迎える。まずは食が自給でき、そして燃料さえ自給できる。太陽光パネルが安くなっていけば、電気の自給だって出来るし、場所によっては小水力発電だって可能だ。後は、少なくて済む金をどう稼ぐかだけである。

 そんなこと考える今日この頃である。

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2012年07月02日

大飯原発現地から帰って来た息子から電話

0057月1日、昨日の夜、息子から電話があった。「6月29日〜30日にかけて、大飯原発3,4号機再稼働反対行動に参加してきたんのだけれど、ニュースか何かで逮捕者が出たかどうか、聞いている?」というものだ。

 俺は「、少なくともニュースでは逮捕者は聞いていないけどなあ」と応えた。「それにしても、いっとったんや」と感心の様子で語った。息子とその連れあい、そして2歳の子供、更に犬まで連れて29日夜から大飯原発現地に駆けつけたようだ。

 「それで、どうやったんや?」と聞くと、「最初は本当に少ない人数やったんやけれど、30日になって200〜300人まで増えて、しかし、機動隊がかなり来ていて緊張の状態やったんやけど、1日朝市があるから帰ってきたんや」「道路封鎖もしていたから、排除すると言っていたんで、逮捕者が出たか気になったんや」という。

 今朝の新聞でも、「警官隊が強制排除」とあったが、逮捕者の報道はなかった。それにしても、かなりの雨の中での抗議行動である。息子も、かなり疲れた様子だったが、子供は元気だったようだし、家族ぐるみというのはいいことだ。

 何故、息子がニュースを聞いて来るかと言えば、彼の家には新聞はおろかテレビもない。だから、一般的なニュースが入ってこないのだ。それでも、こうして反対行動の連絡は入ったり、放射性物質の拡散が今どうなっているか等、必要な情報は俺以上に入っている。

 加えて言えば、息子の家にはガスも引いていなければ、電気も必要最低限の1000円台と聞く。調理は、冬場は薪ストーブ、夏場は「おくどさん」である。だから、金も必要最低限ですみ、日常はあまり金をかけないが、命の危機に対しては、金をはたいてでも駆けつける。だから、普段は俺とよく論争になったりするが、息子の生き方については尊重したいと思っているのだ。

 しかし、それにしても野田政権の酷さには本当に腹が立つ。福島第一原発事故の収束どころか、次々と新たな危険性が露呈してきているのだ。6月26日には、1号機建屋内にある圧力抑制室の「外側」で、毎時1万300ミリシーベルトの放射線量を検出した。1万ミリシーベルトは、致死量である。それが、放出され続けているのだ。

 それどころか、今春には2号機の格納容器内で7万2900ミリシーベルトを検出した。そして、6月30日、使用済み核燃料が大量に保管されている4号機で冷却装置が自動停止たのだ。33時間後、応急措置で何とか冷却を再開したが、10℃近く水温が上昇していたのだ。

 まさに、綱渡りのような現状であり、これで「収束」などと断じて言うことなど出来ない。そして、一番気がかりは、その現場で働く原発労働者の被曝であり、今後こうした被爆が必ず体調に現れるかと思うと、全く許しがたいことである。

 この現状を放置しながら、原発再稼働などあり得ないのだ。息子も言っていた。「4号機はどうなった?」と。世論誘導の夏の電力不足キャンペーンをはる余裕があるのなら、福島原発の日々拡散する放射性物質を閉じ込めることにこそ、全力を傾けるべきなのだ。

 それにしても、息子は大飯原発再稼働抗議行動からとんぼ返りで、1日の朝市に出店するという強行軍だった。息子の連れあいも含めて、本当にご苦労さん。「ご苦労さんやったな。ゆっくり休めよ」と言って、電話を切った。

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