2013年08月

2013年08月30日

稲作りの教訓

001このところ、毎年のように苦戦が続いている稲作りだが、今年は徒長苗が第2、第3田んぼでかなりの数発生した。


 この写真は、第2、第3田んぼの現在の状況である。更に、いもち病ではないか、と思われる苗まである。


 そこで、農協に長く務めていたTさんに、「徒長苗が多く発生するのはどうしてですか?教えてください」と聞いてみると、Tさんは「それはバカ苗病と言って病気です。籾の段階で、塩水選でよく消毒しましたか?あるいは、農薬もあるのですが」と言われる。


 そう言えば、今年は湯選と言って60℃ぐらいに10分浸す種籾消毒を行わなかった。ある人は、別に消毒しなくても冷泉でかなり浸けておけば大丈夫、とも聞いていたので楽なほうを選んだのだ。


 そして、Tさんが言われるように、確かに塩水選という方法も本には書かいてある。いずれにしろ、意識が田んぼ本体ばかりに気がいっていて、種籾消毒をおろそかにした、という致命的問題点がはらんでいた。


 ただ、徒長苗は朝日米ばかりに集中し、ヒノヒカリにはそれがない。そういうことで、もう1点考えられるのが、箱苗の薄播きを怠って、厚播きになってしまった朝日米が非常に弱い苗になり、それが徒長苗病(バカ苗病)になってしまった可能性もある。


 Tさんは、それ以外に「種籾はどうしました?」と聞くので、「毎年作っている種籾で苗を作りました」と言うと、「3年に一度くらいは、種籾を換えたほうがいいのではないですか」という。その理由として、「品種改良をして来ているから、先祖がえりして苗が変な形になったりするんですよ」とも言われる。


 様々な可能性は否定できないが、来年の課題は場合によれば種籾を購入する。更に、大事なことは種籾消毒を湯選にするか、塩水選にするかは別として、きっちりやる。そして、箱苗はかなりの薄播きにする。場合によれば、箱すら消毒する。

 勿論、箱も農薬を使わず、様々工夫しての消毒である。それと、本当は一番いいのはキチンと苗代を作って、直播きの苗がいいのはわかっている。だが、それをすると今度は苗をとるのに一苦労するから楽な箱苗で行きたいのだ。そして、場合によれば機械植えも考えるとなると、やはり箱苗ということになる。


 それから、田んぼ本体でいえば、冬季湛水という考え方と、木村秋則方式は徹底して乾かせ、という考え方である。この鶴海では冬季湛水は水がないので、まずやれない。やはりここでは、木村方式の徹底して乾かすという方法か。


 それと合わせて、本来は田んぼの草取りを一生懸命やることなのだが、それはまず無理である。畑など他のことが多すぎて、それを取り組むと「過労死」する。だから、そのあたりは手抜きを決め込もうと思っている。


 ただ、堆肥の入れ方をもう少し工夫できないか、農閑期の課題である。人間、失敗しながら、どうしたらよくなるのか、日々考えているのだが、中々上手く行かないのが現状である。


 そんなことも含めて、これから10月下旬の収穫に向けて、何とか稲穂が上向いてくれないか、試行錯誤が続く。

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2013年08月25日

東京オリンピック招致など、やっている場合か!

008俺は、もともと東京オリンピックなど招致する必要などない、と考えてきた。


 だが、ここに来て犯罪的ですらあると思うようになった。


 それは、福島第一原発の汚染水問題がレベル3の大規模放射能事故に相当する現状と、、その解決策がまったくない中で、東京オリンピックの開催決定でもしようものなら完全に目を逸らさせてしまうからだ。


 お祭り騒ぎの中、TPPは決まり、そしてオリンピックの経済効果がどうの、今後の建設予定はどうの、観光客はどれ位などと浮かれ、そして最も大事な人間の生存権が脅かされていくのだ。


 オリンピック招致活動のイベントで見せた猪瀬直樹や安部晋三の浮かれた顔を見ていると、心底腹が立ってくる。そんなものに浮かれている前に、やることがあるだろう!と思うのだ。


 自民党・中曽根政権から始まった原発政策は、国の事業として推進してきたのではなかったのか。その大半の原発政策に責任があるのが自民党であり、その延長線上にある安部政権ではないのか。


 原発再稼働や、原発輸出など、そもそもおこがましいのだ。福島原発事故の汚染水問題から、溶融した燃料の行方、そして廃炉に至る行程が今ほど急がれるときはない。


 にもかかわらず、安部政権は汚染水問題をはじめ、廃炉行程を東電任せにしているのは、全く許せないことだ。実質上、国営化して倒産寸前の東電に最早下駄を預けることなど出来ないのだ。


 政府が総力あげて汚染水問題をはじめ、廃炉行程を全力で推進しなければならないときに、安部晋三はまたしても中東に逃げ、「トップセールスを行う」などと民衆の目をそらせているのだ。


 そんなものは、企業行為であり、企業のやるべきことである。政治のすることは、喫緊の課題を政策として知恵を集めどれだけ財政出動しようとも、人の命にかかわる重大な問題を最優先すべきではないのか。


 実際、俺は福島に野菜を出荷している女性から、甲状腺の異状を直接電話で聞き、子供ものう胞の症状が出ていることを聞いた。彼女は、このままでは危ないと感じ、とりあえず放射線量のない、あるいは少ない所に子供と1ヶ月保養しようと思う、と聞かされた。お金の問題もあり、人間の生命とギリギリの所で格闘しているのだ。


 こんな現実を、安部晋三は何処まで理解していると言うのだ。まったく分かっていないからこそ、原発輸出や再稼働が言えるのであり、国を守ると言うのであれば、こういう人たちこそ真っ先に救う手立てが必要なのだ。


 にもかかわらず、オリンピック招致だとか言ってふにゃけた笑顔を振りまいているのだ。猪瀬直樹も同類である。莫大な予算を使って、オリンピック招致活動を行い、日々生活で困っている人達を助けもしない。それが政治か、と言いたいのだ。


 そして、このドサクサにTPPを推進し、日本の農業、漁業、医療、保険、食品安全など、これまで日本が最低限守ってきた生命・安全を、アメリカに売り渡そうとしているのだ。人間の生命と安全を売り渡した先に、日本の未来などあるわけがない。


 俺は、ここまで人間を切り捨てる安部政権は、早晩民衆から切り捨てられるだろうことを、確信する。問題は、一刻も早く民衆が目覚め、そして安部晋三政権を打倒する力を持つことだと思っている。俺は、自分がやれることから一つでも二つでも行動を起こしたいと思っている。

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2013年08月23日

草の力

006梅雨明けから始まった大雨、そして8月に入ってからの猛暑は例年以上の草の成長を促した。


 そして8月からは、ほとんど雨が降らないぞ状態が続いて、畑はカラカラ状態である。


 何年も畑と付き合っていると、こんな時こそ草はあんまり刈らないほうがいいと思っている。それは、草がないと一気に乾燥が進むからである。


 しかし、草があると乾燥は抑えられ、野菜や穀物は共存できると考える。写真の大豆畑は、最初に鳩に大豆の芽をかなりやられたが、それでも少しづつ成長し、草と共存しているのだ。


 それこそ、自然農の「草を敵としない」農法の真似事である。そして、この猛暑を乗り切ってから、もう少し草を取ろうと思っている。そうでなければ、畑焼けを起こして大豆は枯れてしまうだろう。


 田舎では、草を生やしているというのは、ナマケモノの象徴のように思われているが、それも構わないような気がしている。


 ただ、田んぼの草だけは本当は取りたいのだが、この暑さに負けて田んぼまで手が回らず、コナギは延び放題。それに、第2田んぼ、第3田んぼの徒長苗やいもち病など、日々見るのが辛いくらいである。どうにか、まずまずなのが第一田んぼである。この現状を、たまに我が家にやってくる息子が俺を無茶苦茶批判する。



 彼は、新しく入植した地で、有期農法で上手く育ていている人から教えてもらい、1本植えで見事に育てているから、これ見よがしに俺を批判するのだ。「何年、同じ失敗をしているのか」ということである。


 ただ、もっとも忙しい6月は、俺にとっては田植えがあり、麦刈りがあり、そして大豆や黒豆、小豆の植え付けや、麦の脱穀、そして野菜類の支柱立てやニワトリの世話。そして日々の出荷など、毎日がクタクタで田んぼの草取りにまで手が回らなかったのだ。


 田んぼに、かかりきりなら、もう少し良く出来たかもしれない。だが、それは体力との相談で草はある程度放置せざるを得なかった。慣行農法のように、除草剤を入れれば簡単だが、そうした農法を取らない俺にとっては草はある程度仕方ないのだ。それでも、多分自給分の米は取れるだろうと踏んでいる。


 一方、畑はある程度草があるほうがいいし、乾燥防止の為に草は役立っている。ただ、わが農場の草はその域を超えていて野菜の上を行っているから、これまた困ったものだ。だが、それでも草を掻き分けながら収穫しているのだ。


 ただ、最近思っているのは、畑も休ませる必要があり、その休ませ方はある程度草を生やして刈り取り、そのまま置いて腐蝕させていくことのよって畑の再生に繫がるような気がしている。自然農のあり方は、こうした積み重ねによって土の力を甦らせているのではなかろうか。


 だから、草は大事である。あんまり小さいうちから、刈り取らず、ある程度成長してから刈り取り、そして根は腐蝕に任せることが、虫との関係においてもいいような気がしているのだ。害虫、益虫それぞれが格闘しながら、全体として、バランスをとっていくということである。


 それと、どうしても水を必要とする場合、一度水遣りをするとそれからは水遣りは欠かせない。野菜や穀物は、その水に期待し地中深く根を張らずに水を待ち続けて乾燥に弱い作物になっているからだ。


 ギリギリまで、水遣りを抑えて根を張らして強い苗にすることが求められるような気がしている。ただ、水を多く必要としている作物は、ある程度の段階で水をやらないと、それこそ枯れてしまうという結果にもなりかねない。


 いずれにしても、気候変動と共にある野菜や穀物栽培は日々試練だという気がしてならない。

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2013年08月19日

靖国派の本質

0038月15日の敗戦の日、安部政権の閣僚4人をはじめ、100人からの国会議員が靖国神社に押しかけた。


 我こそは、愛国心に満ちた国会議員だと言わんばかりにである。アジアからの批判を押しのけて、民族の誇りを守ったと言わんばかりの発言で、満足げである。


 だが、俺が15年ほど前、靖国神社の遊就館を見学した感想から言えば、明らかに戦争賛美、戦争遂行のための神社以外の何ものでもないと言うことである。


 遊就館1階には、ゼロ戦が所狭しと展示されていた。そして、館内は「大東亜共栄圏」こそが日本の戦争遂行の目的と大きく書かれていた印象が強かった。


 すなわち、日本は中国の旧満州(現在の中国東北部)に侵略し、カイライ政権を樹立して日中戦争を企てていく。あるいは、朝鮮を侵略し、植民地として土地を奪い、資産を奪い、そして名前まで奪って尊厳を冒涜した。


 更に、台湾から東南アジアに覇権を追い求めたのが、大東亜共栄圏と名乗った侵略戦争である。そして、その戦争遂行を図ったのが、東条英機を始め軍部のA級戦犯なのだ。


 こういう連中を奉り、あの戦争は負けたから、今度こそ負けない軍事力をつけよう。更に、戦死しても靖国神社に祭ってやるから安心しろ、と言っているようなものだ。


 その靖国参拝派を、日本人こそが糾弾しなければならない。もう一度、侵略戦争に駆り立てるのか。人を殺し、自分も殺されていく、そんな新たな歴史を作るのか、と怒らなければならない。


 そして、アジアの人々を戦争に巻き込み、強制連行し、戦争に動員し、軍事施設に動員し、そして殺していった。その数、推定で2000万人と言われている。そればかりか、日本軍慰安婦として性奴隷としてアジアの人々を蹂躙した。731部隊では、人間を動物実験ごとく殺し、解剖した。


 その人たちへの本質的謝罪と公費での補償も今もって日本政府は行っていない。しかし、安部晋三は今年の戦没者慰霊祭で、遂に加害責任や反省という文字すら消し去った。


 侵略を否定し、植民地主義への反省もない、新たな戦争準備を推し進める安部政権にとって、否定されるべきは平和主義であり、二度とこうした侵略戦争を行わないという誓いなのだ。だからこそ、靖国神社へは玉ぐし料を払い、本心は戦争遂行、賛美にこそあるといいたいのだ。


 だが、こうした右翼国会議員たちの何とひ弱なことか。安部は、夏休みを利用してゴルフ三昧だったが、あのひ弱い物腰を見たか。実際戦争にでもなれば真っ先に逃げ出す、そんなひ弱い人間が自分は戦地に行かない愛国者なのだ。


 そして、もっとも底辺の若者を戦地に送り出し、平気で戦死すれば靖国神社の祭ってやる、と言いかねないのだ。そんな2世、3世国会議員ばかりが、右翼靖国派なのだ。自分が、あるいは自分の子供や親族は決して戦争には行かせず、他人ごとなのだ。


 俺は、靖国神社と共に鹿児島県にある知覧特攻平和会館にも行ったが、あそこにもゼロ戦や特攻飛行機が展示されていた。そして、俺が朝鮮半島出身者ではないか、と数えた特攻隊員兵士は23名いた。この人たちは戦後親族に対して、何の補償もしていない。あるいは、障害者になっても障害年金すら受給させなかったのだ。


 これが、日本の侵略戦争の実態であり、アジアから歴史認識を問われて、当然のことではないか。


 最後に、戦後処理ではドイツを見習え、と言いたい。そして、アメリカに対しても、ノーといえる政治を実現した自立心と、今もってヒトラーは当然にして、戦犯なのだ。

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2013年08月17日

シスターYさんの来訪

002この14日〜16日まで、シスターYさんがニコニコして久しぶりに我が家に来られた。


 いつも「ここに来たかったのよ」と嬉しげに言ってもらって、こちらが幸せな気分になる。2年ぶりの来訪である。


 今は、仙台の修道院に居られるから、なかなか来られるチャンスがない。それでも東北の大震災の年には来られた。


 思えば、尼崎のハンセン病問題を考える市民の会のグループ16人と共に8年前、愛生園を訪れた後に、我が家に来られ雑魚寝して以来の付き合いである。当時、70歳でそれから8年、毎年のように来訪され、笑顔を振りまかれた。


 当初は、車で来られ、自転車にもよく乗られていたお元気なYさんだが、仙台に行かれた位から膝が悪くなり、現在は杖を突かれている。それでも、いつも心はお元気だし、その決断力と行動力に俺も見習うことの多いYさんである。


 今回は、何故シスターになれたのか、そんな話しをしてくださった。兵庫県の豊岡市の近郊で生まれ、19歳のときに洗礼を受けられる。その後、外国人の神父さんから「シスターという生き方がありますよ」と勧められたが、とても自分がなれるとは思わず、何年か躊躇していた。ある時実際に修道院を紹介され、そしてご両親にその神父さんが説得に来られたが、さすがにお父さんはその場から雲隠れ、神父さんとお兄さんが話しをされ、シスターになることを承諾されたとのこと。


 Yさんを可愛がっていたお父さんや家族との別れが辛かったYさんは、1日前に親類の家に泊まってから修道院に入ろうと出かける寸前、お父さんは縁側に走りこんできて物干しに掴まっていた、という。それが何ともいえない悲しい別れだったといわれる。


 その時、Yさん22歳、普通に結婚して子供を授かってという人生よりも、素晴らしい神父さんや神との人生を生きたいと思われた純粋さが印象的である。


 そして、修道院に入られるのだが、そこでの生活は毎日仕事だといわれる。Yさんは、シスター達が着られる服を縫製する仕事を5年間ほど、仕事のようにしてこられたという。ほとんど外の世界とは遮断された生活である。それでも、当時はそれなりに楽しくもあり、不満もなかったという。


 その後、賄いの仕事もするようになり、料理はその時に習ったという。そんな生活を30年間ほどして来られ、やっぱり外での生活にもしてみたいと、52歳の時、無理を言ってほとんどお金も持たず、西成区の食堂に賄いなどの仕事を住み込みで行う道に進まれる。


 ここで、Yさんの第3の人生が開眼したのかもしれない。2年間、食堂やキリスト教系に慈善団体の仕事をして、もう少しそうした生活をしたかったのだが、修道院に連れ戻されたという。


 しかし、外の生活も知り、様々な社会問題やあるいは山登りなど趣味も知ったYさんは、その後も様々な形で外と繫がっていく。そして、尼崎ハンセン病問題を考える市民の会とも交流し、我が家に来るきっかけになったのだ。


 Yさんの根底にあるのは、やはりヒューマニズムである。そして、心の元気さであり、決断力である。そして我が家にも、正直に来たい!嬉しい!と言われる純真さは、こちらが元気を貰うのだ。


 杖を突きながらも、膝を直してこれからも来たい、と言われる。俺も、連れあいも、そう言って下さるYさんに「これからも、是非きてくださいよ」と心から、そう思っている。


 人間の繋がりから来る心の交流は、やっぱり人間を嬉しくしてくれる。誰かが喜んでくれる嬉しさにつながるものだ。人が幸福感を感じてもらえることは、こちらも幸福感に浸れるものだ。

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2013年08月13日

この間の出来事

001昨日は、あまりの暑さに、クーラーにあたりたいという思いで映画館に出かけた。


 初めて観るインド映画「きっと、うまくいく」である。エンターテイメントそのもの、コメディタッチあり、ミュージカル風あり、そして大逆転の成功物語である。


 上映時間3時間、観ていて飽きの来ない物語だが、やはりそこにインド社会が投影されている。子供は、男はエンジニア、女は医者という親の期待が一身に込められている。ここにもインド社会の格差社会が投影され、子供にはその素質以前に親の思いが全てなのだ。


 しかし、この映画はそのあり方を喜劇的に風刺し、自分の人生は自分の生き方を貫けと言っているようなのだ。。主人公・ランチョーは頭脳明晰、名門工科大学を首席で卒業する優秀さである。不利益があろうと決して自分を曲げない、更に友人達を助ける為には、少々の犯罪すら犯すのだ。


 だから、他人をかえりみず、競争に勝った者だけが生き残れるという学長からは憎まれる。しかし、彼の思いは「きっと、うまくいく」と自分に語りかけ、そして最大限の集中力を発揮し、次々と問題を解決していくのだ。ある種のスーパーマンである。


 ある友人は、退学の危機にあって、ランチョーを裏切るなら退学は止めてやろうと、誘惑するがその友人はランチョーを裏切ることが出来ず、、飛び降り自殺するのだ。九死に一生を得た友人をランチョーは助けるためにあらゆる努力をする。そして、友人は奇跡の復活をする。


 時に、学長の長女が停電まで起きた大雨の日、妊婦だった長女は、破水し、危機的な状況になる。この時、ランチョーと友人2人は退学を言い渡され、大雨の中を寮から追い出されて、雨の中を出て行くときにこの事件と遭遇する。


 しかし、ここはランチョーである。退学を言い渡した学長の長女だが、何としても助けようと必死の努力をする。そして、病院とインターネット接続をして、バッテリーをかき集め、ランチョー自身が子供をとあり上げ、無事に出産は成功するのだ。


 そして、3人は退学を免れ、それぞれの人生を生き、ものすごい大逆転の再開を果たすというハッピーエンドなのだ。ここら辺は、映画を観てもらうしかないが、やっぱり人生捨てたものではない。


 そんなこの11日、息子夫婦が第2子を授かった。今回も2人だけでの自宅出産である。俺はもう反対しても仕方ない、と静観していたのだが、早朝4時に出産したという。母子とも健康、第2子は女の子だと言う。電話をとったのは俺だが、「それは良かった」と答えたのみである。


 連れあいは、心配で心配で仕方なかったようだが、安心したと顔がほころんでいた。世間では、孫が可愛くて仕方ないような報道があるが、俺はどうも愛情が薄いのかもしれない、と思っている。元気であればいい、と思っている。


 人間には、それぞれの生き方があり、その生き方だけは尊重したいものだ。映画「きっと、うまくいく」も、自分の人生を歩んだランチョーとその友人達の人生は、やっぱり幸せだったからだ。

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2013年08月09日

アメリカに弱く、アジアの声を聞かない情けないニッポン

001今日9日は、長崎に原爆投下された憎むべき日である。


 広島、長崎と訪問しているオリバー・ストーン監督は、米国の戦争早期終結のための原爆投下論を批判する。

  
 「米国が原爆を投下した理由は、社会主義ソ連をけん制するため。原爆を落とさなくても戦争は終っていた」と主張する。


 このオリバー・ストーン監督の主張は、俺もそのとおりだと考える。戦争早期終結のための原爆投下論は米国のこじ付けであり、今もってアメリカ国民と日本人に対するデマゴギーである。


 そんなアメリカが、当然のごとく沖縄・普天間飛行場にオスプレイを12機増備しようとしたことに、日本政府は全く異論を挟まなかった。そして今、アメリカ軍ヘリが沖縄県・宜野座村で墜落し、沖縄県から抗議の声が上がってやっと原因究明を求めるなどという重い腰をあげたに過ぎない。


 日本は今もってアメリカの植民地であり、そしてその犠牲を沖縄に集中的に押し付けて知らん振りを決め込んでいる。何が日米同盟だ。何が集団的自衛権だ。アメリカの犬よろしく、、尻尾を振り続けているだけではないか。


 TPPにしろ、日本郵政でのアフラック(アメリカン・ファミリー)でのガン保険販売など、TPPの先取りではないか。そんな安部政権を、圧倒的多数の右翼雑誌は全く批判をすら行わず、相変わらず韓国、中国、北朝鮮バッシングを続けている。


 相変わらずのアジア蔑視、アメリカには尻尾を振り続ける犬のごとく、こんな情けないのが大半の右翼である。最近、保守論客・西部邁の話を聞いて、この人間の方が真っ当だという印象を抱いたのだ。


 そして、面白かったのは、アントニオ・猪木である。彼の外交論は「外交に、勝利はない」「落としどころだ」というのも、その通りだと思うのだ。


 俺は、以前から尖閣諸島は日中平和条約の原点に立ち返る「棚上げ」しかないと考えている。それで何か不都合でもあるのか!それより、お互いに協力し合った漁業協定こそ今重要だと思うのだ。


 一方、日本軍慰安婦の問題は、やはり日本政府による明確な謝罪と補償である。民間基金などというごまかしではない元慰安婦の人々への償いである。そのことを明確にした上での韓国との交渉である。


 俺は思うのだ。アジアに対しては強気一辺倒、アメリカに対しては独立国としての明確なノーさえ言えないふがいなさではなく、時にノーをいい、そしてアジアの国々に対して過去の侵略と植民地主義を明確に謝罪し、誠意を示すことが求められているのだ。

 強い者に媚び、弱い者に居丈高なそんな政治姿勢でいる限り、世界から尊敬など集められようはずもない。ましてや、中国も韓国も日本と並ぶ、いやそれ以上の大国である。相手国への尊厳をもってこそ、今後の未来は開けるのだ。


 武力で、領土を奪い合ったり、人間の尊厳を踏みにじる時代ではないのだ。憲法9条を高々と掲げて、平和主義の観点から交渉する時代が今ほど求められているときはない。

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2013年08月05日

次代に残すべきもの

001今を生きる大人の責任として、安全な大地、安全な水、そして海を汚染から守ることだと考える。


 それは、何はともあれ、人が生きるには安全な食べ物と水、そして様々な恵みの海が全ての生物循環のもとだからだ。


 食べ物は2の次、第1はスマホであったり、ゲームではないのだ。食べ物があって当然、なければサプリメントでもいい、とする思考が人間全体の弱体化に繫がり、生命力すらなくしていく。


 そんな根本が忘れがちな社会で、今重要な事態が進行しているのだ。福島第一原発敷地内から大量の汚染水が海に流出していることである。東電発表で、トリチウム40兆ベクレルを始めとする大量の汚染水が20011年5月〜2013年7月まで地下水に混じって海洋流出したという。


 こんなことを、ここにいたって明らかにする東電の体質が問題だが、それ以上に何故トリチウムだけの発表なのか?当然、セシュームやストロンチュームが混ざっていて当然だし、他の放射性物質が混入していて当然である。


 結局、東電はトリチウムの危険性が明確にはなっていないことを良しとして、これだけの発表にしたのではないのか。だが、専門家の間ではガン、遺伝子への影響、発達異常、生殖への影響などがいわれている。


 そして、海洋への流出は全く止まっていないどころか、お手上げの状態である。遮蔽壁でもどうしようもなく、現状の東電任せでは日本近海のみならず太平洋全体、ひいては海洋全体に汚染が進行して行く。それこそ、政府がこの問題ですべての英知を集めて、最大限の重点政策としなければならないのだ。


 軍事予算を莫大に増やすことより、今すぐにやらなければならないのだ。日本の国土と海洋が汚染されていくのなら、この先の日本人の生きるすべが断たれていくのだ。ここにこそ、軍事予算と復興予算をつぎ込んで、何としても海への流出へを食い止め、そして出来る限り安全な廃炉を進めるべきではないのか。


 俺は、時折ドキュメンタリー映像で、福島第一原発の計画的避難区域で、放射線量が減っていないことを見ているのだ。決して、収束などしていない現実を目の当たりにしている。


 更に、重要な事件は起きている。それは、飯館村の牧場で馬が17頭も不審な死にかたをしているという「週間金曜日」の記事である。これから何があっても不思議ではない予兆として、馬の死があるのではないか。馬の伝染性貧血でもなく、寄生虫でもなく、原因の特定は出来ないという。しかし、放射線量検査はしていないというのだ。


 こんな現実をあるにもかかわらず、一方で原発輸出や再稼働などと脳天気なことを言っている安部政権とは何ぞや。命があってこその経済であり、カネなのだ。そして、一方で電力会社の「原発再稼働できないから、電力料金値上げはやむを得ない」と言うなら、まずは発送電分離をしてから言うべきだろう。


 そして、民衆もこうした脅しに騙され、再稼働賛成と言うなら、何故ガソリンや食料品の値上がりで、安部政権の経済政策に異を唱えないのだ。結局、アベノミクスは金持ちにはカネが更に増え、貧乏人は更に貧乏になるという格差社会推進の経済政策でしかない。


 さて、俺たち社会の底辺で生きる民衆は、アブクに群がることなく、次代の世代の安全な大地と水、そして命のもとの海をきれいに残してこそ、責任が果たせると思うのだ。それは、今を生きる大人の責任なのだ。20歳以上なら、俺は関係ないではない。


 そんな声をあげ続けたいと思うのだ。いくら耕作放棄地や放棄山林になっても、次世代がまた整備していけば蘇る大地、そしてそこから湧き出る水があれば、人間は生物は生きていけるのだ。そのことを、声を大にして言いたい。

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2013年08月03日

希望は、ある。

001参議院選挙後、この国の民衆は本当に愚かだと、しばらく白けていた。


 だが、よくよく見ると、そんなに捨てたものではないではないかと思うようになった。


 とりわけ緑の党の比例候補者、三宅洋平の「選挙フェス」をユーチューブで見て、山本太郎とはまた違った個性でいいじゃぁないかと、嬉しくなったのだ。


 それまで、三宅洋平など全く知らなかったのだが、息子がビラを持って来ていたので名前だけは知っていた。その三宅洋平が17万6900票もとったことも驚きだが、7/20選挙戦最後の日の山本太郎と三宅洋平の選挙演説を聴いて、何か胸が熱くなったのだ。


 そして、その場に集まった2万人からの聴衆が、彼らと一体になり、新しいムーブメントを巻き起こしている当事者として熱い熱い思いでいることが、俺にまで伝わってきたからだ。その聴衆の圧倒的若さが、俺には眩しかった。


 俺は、そればかりか残念ながら落選した森ゆうこ生活の党の代表代行が、落選後の7月26日に講演会で語った言葉が、俺には熱い思いを抱かせた。落選こそしたが、引退せず、それこそこれからは原発再稼働反対の1イシューで頑張ると言うものだ。もとから、彼女は生活者の視点(民衆の視点)で闘い続けた人だが、落選でもう終わり、とはしない本来の政治家であった。


 更に、スゴイな〜と思ったのは、7月18日参議院選挙終盤に頼まれもしないのに、山本太郎が新潟に駆けつけ、森ゆうこの選挙応援演説を行ったのだ。森ゆうこは、26日の講演会で「横で聞いていて、涙がでました。あのストレートに国民に訴えるわかりやすさ、力強さがやっぱり必要だと改めて感じました」と語っている。


 俺は、森ゆうこも素晴らしいが、その選挙応援に自分の選挙を置いても駆けつけた山本太郎の信義に感動する。俺は、山本太郎も語っているように、決して平坦ではない議員活動に民衆が彼を見捨ててはならない、と思ったのだ。


 そして、三宅洋平が語っているように、これから多くの人が自ら選挙戦に出るよう求めていたが、まったくそのとおりだと思ったのだ。そして、選挙演説の最後に、憲法9条を読み上げて終わりにした彼の感性に、時代は「希望」を呼びかけているのだと、強く感じたのだ。


 その一方で、俺は比例では社民党に投じたのだが、それは政党名ではなく「又市征治」に投票した。それは、俺が知る限り、国会において唯一朝鮮学校を授業料無償化から排除するべきではない、と明確に語り追及したからである。右翼的世間の傾向に動じることなく、当たり前のことを当たり前に追求した又市征治に拍手を送りたいからである。そして、彼はただ一人の社民党当選者となった。


 この時代に、俺は思っていることがある。それは、「今こそぶれてはならない!」ということである。山本太郎も言っていた。「事故前のように、条件闘争するなよ!命が掛かっているんだよ!」と、俺も思う。


 俺は、御堂筋デモに駆けつけた反「在特会」の若いメンバーの感性といい、未来に、希望があると確信する。今、我々に求められているのは、自分の立ち位置で何をするかである。

tsokta at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)