2018年08月07日

今年も怒りの8/6広島へ

DSCN3821DSCN3824今年も、8/6ヒロシマ集会に猛暑のなか参加した。


 豪雨被害で、JR山陽線が止まる中、高速バスでの参加となった。


 昨年は、青春18きっぷで電車の旅気分だったが、それがかなわず残念である。


 しかし、最大の豪雨被害の爪痕を、自然の猛威を忘れまいと高速バスから眺め、一路広島へ。


 8/6前日の5日に出発したので、久しぶりに広島原爆資料館を見学した。


 いまだリニューアル中ということだったが、以前とは違い写真や映像が中心の構成となっている。以前あった焼けただれた人形の置物などなかった。


 ただ、さすがに映像技術の進歩に目を見張るものがある。しかし、俺は当時の焼け出された品物展示が少なかったのが残念だった。そこで、案内の人に「完全リニューアルはいつですか?」と聞くと来春だいう。


 さて、夕方仲間3人と落ち合い飯を食い、泊ったホテルがカプセルホテルである。若い頃なら我慢が出来るが、さすがに眠るのに一苦労した。1泊3000円だった。


 そんなこともあり、午前5時過ぎには起きてしまい、身支度をして24時間営業の店で朝飯を食い、いざ出陣である。


 午前7時前に原爆ドーム前に到着したが、機動隊の物々しい警備にムカついて来る。もう一部の集会が開かれており、その警備に完全武装配置だった。


 「グランドゼロの集会」は、午前7時半過ぎということで、俺は広島市の平和記念式会場にも行ってみた。さすがに、多くの人波のなか、結構子供や若い人が団体で集まっていた。


 ここに、安倍晋三が来るのか、と新たな怒りがわいてくる。だが、ここもまた厳重な警備である。とてもじゃないが、安倍晋三の近くなど行けそうもない。それこそ、「ウソつき安倍はヤメロ!」と言いたいところだが、一般参加者は遠くに押しやられている。


 そんなこともあり、グランド・ゼロの集会に参加。原爆投下時間には、今年もダイ・インを行った。それが2枚目の写真である。


 そうして、広島市内をデモ行進し、中国電力前での座り込みと抗議集会が今年も行われた。今年は、月曜日ということもあり営業日に本社前での抗議集会は意味があった。次々と、発言者が島根原発再稼働反対や新設稼働反対、それに上関原発反対などシュプレヒコールを行った。


 そんな午前中の集会が終わり、午後の「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に参加したが、今年は昨年以上に感動した。それは、小出裕章さんの話も良かったが、福島から避難し、原発賠償請求訴訟に参加する女性たちの話に、胸を打たれた。


 一人の女性は、18歳で故郷・広島から東京の大学に進み、様々な経験をする内、結婚し福島で自給自足の生活をする。彼女は、被爆3世であった。つわりがひどく、生まれた子供に障害があったが、それでも必死に生きようとした。


 そんな時、福島原発事故が起き、子供を連れて広島の実家に戻るが、夫はしばらく福島に残った。1年後、夫が広島にやって来た時には障害を発症し、読み書きも言葉も発言できないほど重症化していったのだ。


 そんな日々を語った彼女の苦悩の発言に、原発事故がなければ、あるいは原発そのものがなければ、こうした苦しみを味あわなくてすんだのに、と思わずにいられない。あるいは、広島原爆が投下されなければ、被ばくを受け継いでいなくて済んだのに、と思わずにはいられない。


 もう一人の女性も、子供2人と登壇し、夫と離れ離れで、虐めや苦悩すら語れない現状を報告した。ここに、日本社会の歪んだ構造があることをひしひしと痛感したのだ。


 俺は、帰りの高速バスの関係で、この2人の話を聞いて会場を後にした。外に出ると、相変わらず猛暑だったが、こんな時間帯にもデモ行進が行われていた。熱い熱いヒロシマだった。


 そんな怒りの広島に関わらず、安倍晋三は核兵器禁止条約に参加しないと公言したという。人間の心を失った政治家が、この日本社会を支配しているのだ。心から、許せない思いでいる。


 最後に、小出裕章さんの話を紹介しておきたい。「かっての戦争の悲劇、ヒロシマ・ナガサキを継承し、沖縄と朝鮮を犠牲にする歴史を廃止するため、一人一人の責任で考え、行動する必要がある。自分の身に危険が迫った時には、すでに抵抗の力は奪われている」と締めくくった。


 一人の人間として、今の時代をどう生きるか、が問われ続けていると俺自身も思っている。そんな中、やっぱり現地に行くことによる新たな心の揺さぶりに、喜ぶ心がある。

tsokta at 10:30│Comments(0)

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