能登 旅行の2日目の夜、いよいよあばれ祭りです。毎年7月から9月にかけて、能登半島の各地で、キリコ祭りが行われますが、その第1弾が、ここ宇出津で行われるあばれ祭りなんです。
江戸時代に、この地で疫病がはやり、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請し、疫病を治めることができたことから、大きなキリコを作って感謝したのが、祭りの始まりと言われてます。多数のキリコ祭りの中でも、飛びぬけて豪快といわれてます。楽しみやなぁ!!
このあばれ祭りに参加するキリコは約40基。キリコとは、巨大な山車(だし)のことで、高さは、約10m、重さは、ナント2トン近いとのこと。このキリコを、引っ張るんではなく、担いで練り歩くんやから、まあ大変です。このあばれ祭り、2日間行われますが、この日は2日目です。初日は、約40基のキリコが「いやさか広場」に集結、そこに5本の大松明に火がつけられ、燃え上がる炎、降りかかる火の粉を浴びながら、キリコが勇壮に練り歩くんです。
2日目のこの日は、40基のキリコを従え、2台の神輿が八坂神社への宮入を目指して、町内を練り歩くんです。ところが、この2台の神輿、どうやら悪い神輿のようで、八坂神社へ向かう道中、地面にたたきつけられたり、転がされたり、あげくには、川の中に投げ込まれたり無茶苦茶されるようです。この辺りが、あばれ祭りと呼ばれてる所以なんでしょうね。
9時ごろから、宮入が始まると聞いてたんで、町の中心にやってきました。
もうかなりのキリコが集まってるようですが、まだ宮入の動きはありません。
何しろ約40基、並んでるだけでも壮観です。
各キリコには、小さな子供が10数人ほど乗ってて、鐘や太鼓をたたいてます。
ただでさえ、2トン近い重さに、小さいといえども子供が10人以上乗れば、大変な重さです。これを担ぐんですから、ホンマ担ぎ手は大変です。
9時過ぎ、ようやくキリコが動き出しました。
大きな掛け声や、鐘、太鼓に合わせて、キリコがゆっくり進みます。
1基のキリコに、担ぎ手は3~40人ぐらいかな。まあ、中には年配の人もいますが、ほとんどが若い人。もちろん女性もいます。この小さな町にこんなに若い人おるんかいなあ、と疑問に思ったんですが、東京や大阪なんかに出てる人も、この祭りには必ず戻ってくるらしいんです。しかも、それだけでは足らないんで、友達も連れて帰ってくるとのこと。ということで、祭の時期には、町の人口、特に若い人の人口が大幅に増えるらしいんです。
キリコと一緒に大通りを歩いてると、川沿いに人が集まってます。
どうやら、この川に神輿を投げ込むようで、場所取りが始まってるようですが、神輿がやってくるには、もうちょっと時間があるとのこと。
通りを少し戻ってると、大きな掛け声が。
どうやら神輿がやってきたみたいです。この神輿、地面に叩きつけられたり、転がされたり。さらに川に投げ込まれて、もう無茶苦茶されるようです。すぐさっきの川のところに戻らんと。
川沿いはたくさんの聴衆でビッシリ。さっきよりかなり増えてます。
お神輿は、川に投げ込まれて、壁に叩きつけられ、もう無茶苦茶です。
ようやく神輿が川から引き揚げられた時には、もう11時を回ってました。いかに頑丈な神輿も、さすがにかなりのダメージを向けてます。このあと、八坂神社まで、また転がされるんかな?
大通りには、宮入に向かうキリコの列が。
何しろ40基を超えるキリコが、ゆっくりゆっくり八坂神社に宮入りをするんです。なかなか進みません。
さすがに若者達も疲れてますなあ。
それにしても、ホンマ大変な祭りです。ほんと小さな町なんですが、どこにこれだけのエネルギーが隠されているのか、ホンマ不思議です。今、能登は過疎に悩まされてます。若者はどんどん都会に出ていき、人口は減少の一途。しかし、祭りの時はみーんな戻ってきて、祭りを盛り上げてます。友達まで連れて。みんな地元、故郷が大好きなんですね。でも、地元には仕事がありません。なんか、厳しい、哀しい現実を見せられた感じです。
まだまだ、祭りは続くようですがもう12時、日付が変わってます。我々は、この辺りで退散することにしました。翌日、宿の女将さんに聞くと、祭りは早朝まで続いてたとのこと。天気がよかったこともあって、例年よりも長くやってたようです。
江戸時代に、この地で疫病がはやり、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請し、疫病を治めることができたことから、大きなキリコを作って感謝したのが、祭りの始まりと言われてます。多数のキリコ祭りの中でも、飛びぬけて豪快といわれてます。楽しみやなぁ!!
このあばれ祭りに参加するキリコは約40基。キリコとは、巨大な山車(だし)のことで、高さは、約10m、重さは、ナント2トン近いとのこと。このキリコを、引っ張るんではなく、担いで練り歩くんやから、まあ大変です。このあばれ祭り、2日間行われますが、この日は2日目です。初日は、約40基のキリコが「いやさか広場」に集結、そこに5本の大松明に火がつけられ、燃え上がる炎、降りかかる火の粉を浴びながら、キリコが勇壮に練り歩くんです。
2日目のこの日は、40基のキリコを従え、2台の神輿が八坂神社への宮入を目指して、町内を練り歩くんです。ところが、この2台の神輿、どうやら悪い神輿のようで、八坂神社へ向かう道中、地面にたたきつけられたり、転がされたり、あげくには、川の中に投げ込まれたり無茶苦茶されるようです。この辺りが、あばれ祭りと呼ばれてる所以なんでしょうね。
9時ごろから、宮入が始まると聞いてたんで、町の中心にやってきました。
もうかなりのキリコが集まってるようですが、まだ宮入の動きはありません。
何しろ約40基、並んでるだけでも壮観です。
各キリコには、小さな子供が10数人ほど乗ってて、鐘や太鼓をたたいてます。
ただでさえ、2トン近い重さに、小さいといえども子供が10人以上乗れば、大変な重さです。これを担ぐんですから、ホンマ担ぎ手は大変です。
9時過ぎ、ようやくキリコが動き出しました。
大きな掛け声や、鐘、太鼓に合わせて、キリコがゆっくり進みます。
1基のキリコに、担ぎ手は3~40人ぐらいかな。まあ、中には年配の人もいますが、ほとんどが若い人。もちろん女性もいます。この小さな町にこんなに若い人おるんかいなあ、と疑問に思ったんですが、東京や大阪なんかに出てる人も、この祭りには必ず戻ってくるらしいんです。しかも、それだけでは足らないんで、友達も連れて帰ってくるとのこと。ということで、祭の時期には、町の人口、特に若い人の人口が大幅に増えるらしいんです。
キリコと一緒に大通りを歩いてると、川沿いに人が集まってます。
どうやら、この川に神輿を投げ込むようで、場所取りが始まってるようですが、神輿がやってくるには、もうちょっと時間があるとのこと。
通りを少し戻ってると、大きな掛け声が。
どうやら神輿がやってきたみたいです。この神輿、地面に叩きつけられたり、転がされたり。さらに川に投げ込まれて、もう無茶苦茶されるようです。すぐさっきの川のところに戻らんと。
川沿いはたくさんの聴衆でビッシリ。さっきよりかなり増えてます。
お神輿は、川に投げ込まれて、壁に叩きつけられ、もう無茶苦茶です。
ようやく神輿が川から引き揚げられた時には、もう11時を回ってました。いかに頑丈な神輿も、さすがにかなりのダメージを向けてます。このあと、八坂神社まで、また転がされるんかな?
大通りには、宮入に向かうキリコの列が。
何しろ40基を超えるキリコが、ゆっくりゆっくり八坂神社に宮入りをするんです。なかなか進みません。
さすがに若者達も疲れてますなあ。
それにしても、ホンマ大変な祭りです。ほんと小さな町なんですが、どこにこれだけのエネルギーが隠されているのか、ホンマ不思議です。今、能登は過疎に悩まされてます。若者はどんどん都会に出ていき、人口は減少の一途。しかし、祭りの時はみーんな戻ってきて、祭りを盛り上げてます。友達まで連れて。みんな地元、故郷が大好きなんですね。でも、地元には仕事がありません。なんか、厳しい、哀しい現実を見せられた感じです。
まだまだ、祭りは続くようですがもう12時、日付が変わってます。我々は、この辺りで退散することにしました。翌日、宿の女将さんに聞くと、祭りは早朝まで続いてたとのこと。天気がよかったこともあって、例年よりも長くやってたようです。