神田つばきな日々

専業主婦からライターに。更年期医療から女性発信のアダルトコンテンツまで
女性と「性」の関わりを多角度から追求する神田つばきのページです。

疾走するイノベーター・真咲南朋監督のこと

三連休初日の1月7日(土)、新宿ネイキッドロフトに真咲南朋監督のトークを聴きにいった。
さいゆ〜き監督、マボロシ子監督、山本わかめ監督、駒場シェリー監督、とメーカーの垣根を越えて女性監督が5人揃うというのも滅多にない光景だと思う。

後半でDeepsの池パイプロデューサーも加わり、華やかで笑いの絶えないトークショーだった。
セックスワークサミットやゲスママNight!で司会をしてくださった赤谷まりえさんと見ていたのだが、途中から映写される作品を競ってバンバンダウンロード購入して楽しかったなあ。

私はかつて真咲監督の作品のレビューを書いたことがあって、ほかにも衛星のトーク番組や官能小説の選考委員会などでもご一緒したことがある。
皆さんは彼女の作品を見たことがあるだろうか?
もしまだなら、そして女性の「本気」が見たいと思うなら、真咲さんの作品を一本でいいから見てほしい。

ビビアンズ


真咲さんは売れっ子の女優さんでもあったので、もしかしたら、
「キミ可愛いから一本撮らせてあげるよ〜」
みたいな展開から監督になったのでは、と疑っている人もいるかも知れない。
でも、今のAV業界にはそんなお金の余裕はないし、監督デビューした2008年には3本撮り、2012年まではおよそ月1本ペースで監督しているが、2016年にはWikipediaで確認できる範囲で70本近くを撮影しているのだ!

こんな人見たことない……。
男性の売れっ子監督で、このペースで撮っている人がいたけれど、女性では初めてだと思う。

こういうことのできる人というのは、脳の運動神経が並外れて優れているのである。
現場での判断も早いし、打合せ→撮影→編集→次のアイディア作りという無限ループが苦にならないらしい。
常人はこの切り替えが大変で、脳がねじ切れそうになるのだが。

しかも真咲さんのすごいところは、手抜きやルーティンワークがないこと。
どれか力作を選べと言われたら全部選ばざるを得ない。
この人の脳はどんな次世代エンジンを搭載しているのだろうか、と思う。

真咲南朋監督の作風をひとことで言うなら、「女性の本気を見る」ということに尽きる。
AVの使命は映画(一般・ピンク)とちがい、女性が演技を超えて感じている(=行為に没頭している)さまを撮ることにあるので、監督それぞれにその手法を競う。
そこにファンがついていく。

安易な手法では目の肥えたファンはすぐに飽きてしまい、女優も心不在のやっつけ仕事になってしまう。
ファンに愛される監督というのは、ファンの代わりに女優を責めて、忘我の境地に追いこんでくれる人、そのための確実な方法を編み出せる魔法使いのような人なのだ。

つくづく厳しい仕事である、AV監督というのは……。

かつて企画もの全盛のころ、私は零細メーカーをやっていた。
不二企画の緊美研ビデオで、私自身が本気を撮っていただいたことがこの業界に入ったキッカケだったので、私もそういうものを撮りたいと思って自腹で会社を作った。

企画ものという言葉はさいしょ、有名ではない子だけれど他にない意欲的な作品を撮ったよ、という意味だったと思う。
それが、ギャラが安い企画女優さんを多人数集めて同じシチュエーションでどんどんサクサク撮っていく、同じ素材を縦横斜めからカットして何本もの作品に編集する、というやり方が良しとされるようになった時期があった。
「一日に26本の素材を撮った現場がありましたよ。そういうふうにやってください。作品じゃなくて商品ですから」
と、あるAV問屋さんに言われたとき、私は心が折れた。
メーカーをあきらめた。

それでも、多くのメーカーさんはそれに挑戦し続けていった。
女性の本気を撮る簡単な方法を使ってしまった現場もあると聞いたことがある。
驚かせて、泣かせたり、怒らせたりして、そこに行為をかぶせていく手法である。
まあ、とりあえずカオスが撮れるよね。
可愛い子で裸なんだから、カオスは恍惚に見えなくもない。
―私はそういうの、本当に苦手だ。
エッチな気分が覚めてしまうのだ。

真咲さんは女性であり、女優でもあったから、そういう怠けた手法は頭にないのだ。
精神エネルギーをありったけぶつけて女優さんに向かっていく。
細心にして過激だ。
けっこう凄いことも仕掛けるのだが、やりっぱなしではなくて着地点をしっかり見ているから、そこまでポーンと飛ばされる女優さんはひたすら気持ちよさそうだ。
……こういうのがイクってことの本質なんだと思う。


深刻な話題ばかりだった昨年のAV業界で、真咲さんがジャパンアダルトエキスポで監督賞を受賞したことは、数少ない明るいニュースだった。



真咲さん自身、「私は抜けない監督と言われ……」と言っているが、新しい手法が浸透するまでというのは、とかく批判に曝される。
優れた作品、突き抜けた作品ほど、そのような受難は大きい。
それは男性監督もそうで、息の長い人気シリーズを持っている監督ほど、一作目からしばらくは「メーカーのカラーに合わない」とか「ヌキどころがわからない」と言われがちだ。
不思議なものだ。

特に真咲さんの場合は、根強いファンからの「撮るより出てくれよ」コールもやまず、それに対して怒ったり拗ねたりせずに、ひたすらに作品を出すことだけを答としてきた真咲南朋という人間に私はほれぼれする。
去年、AV強要問題について意見を求められ、男性だけが消費側に固定されている産業は不健全になってしまう、この構造を変えたいという話を何度もした。
私はそんな理屈を言うだけなのだけれど、こうして真咲さんというイノベーターが疾走している姿を見ると希望が湧いてくるのだ。
「AVが面白くなるのはこれからだ」と感じた一夜だった。

宇治十帖?

自分なんか居ないほうがいい人間なのだと、思ってしまうことを理屈では止められなかったから、それでも生きていかなければいけないとわかってはいるので、毎日点滴を打ち続けるように、すがるように、情けないほど必死になって愛欲を求めた。

何年も、何十年も。
物心ついたときから、閉経してからも。

取り出して廃棄したかった、自分自身を生かしている原動にある得たいの知れない生命機械。
子宮じゃなかった、もっとまるごと消すべきエンジンがあると思いながら、削除する勇気なく、思い悩み苦しむ顔を母と子供たちにこれみよがしに見せつけるばかり、無様に生きてしまった。

死んではいけませんとか、
子供を持ったほうがいいですよとか、
とても人に言う資格のない者です。

誰かが後ろの荷台を支えてくれて、ヨタヨタと走る自転車。
ふとふり返ったら誰もいない。
はるか後ろのほうであなたは屈んで息を切らしていたなんて、私はずっと気づかなかった。

(いちじてきなものだとおもうんだけど、げすままをかいたら、はらのそこからとどろくようなあいよく、というのはきえてしまったようなんだよ。)

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仏語専攻なのに源氏物語を取っていて、宇治十帖は作者がちがうはずだと信じていた。
式部ちゃんがこんなこと言うはずないじゃんと。

でも、今は逆のことを思っている。
式部がほんとうに書きたかったのは宇治十帖なのではないか。
というか、この長編を綴るうちに式部自身がそのような心境に至ったのかも知れない。
少なくとも、そのようなことはあり得るのだ、ということ。

*写真は母の死後、実家の押入れに湿気よけの紙で何重にも包んで保管されていた、寂聴訳源氏物語全巻。
母はいかな思いでこの本を求めたのだろうか。
最後の恋はたしか50代のころだったはず。

最終巻の発行は1999年、母61歳の頃である。
問わず語られず、なかったことのように忘れ去られて、色も匂いも形もなく、でも確かにそこにある気配。

人に何かを説くためではなく、何かを得ようと求めるのでもなく、己を評価せず、他と比較せず、ゆらっと生きていたい。

年越しの記

去年は十数年ぶりの会社勤めが始まり、年末年始はただもうダラダラ過ごしたかった。
地方にいる子供の帰京も断ってしまった。

最後までダブルブッキング、トリプルブッキングをしてしまい信用はゼロベースに……。
そんな中、『ゲスママ』の担当編集者であるまつ毛君から、ごく内輪の忘年会にお誘いいただき、うれしかった。
今は少人数の部署だけれど、私は2001年からお世話になっていて、ここから巣立った編集さんや作家さんが集まり、とてもあたたかな会だった。

私は自己評価が低い上に人の気持ちがわからない人間で、まさかこんな心のこもった集まりに呼んでいただけるとは思ってもみなかったので、密かに感激した。
自分が思っているほど嫌われてはいないのかも知れない、という気持ち悪い感激の仕方。
私はほんとうに、こういうところが良くないのだ。
気が楽になった私はいつもより飲んで、食べた。

ゲスママNight!を運営してくださった方から、
「神田さんはもう『文化人』だからエロいことはしないんだ?」
と言われて、恥ずかしさのあまり一気に酔いが回った。
もちろん私は文化人じゃあない。
でも、どこかで酔って、
「私も文化人というのになりたいよー!!」
と言った記憶がある。

たしかに最近の私はエログロナンセンスな発言や行動が少なくなった。
少なくなってしまった。
『ゲスママ』を書いて憑き物が落ちたせいもあるし、思いがけず若い女性から否定されなかったので、彼女たちに逃げられたくなくて自主規制をかけている気もする。
とてもセコいのだ、私は。

そんな自分が太宰治的に恥ずかしくなり、とっさにハッタリで、
「そんなことないですよ! ミニスカボーリング大会やりますよ!」
と安請け合いしてしまった。

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ミニスカボーリング大会をやったのは8年前の4月。
果たして当時のメンバーが集まるかどうか……。
「貴女、まだそんなことやってるの?」と呆れられる覚悟で声を掛けてみるけれど。

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*文中の写真は2009年4月に行われたミニスカボーリング大会。隣りのレーンの男子生徒たちが全員口を開けて見ていた。

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二次会までお邪魔して、まだまだ羽目を外したかったけれど、自己嫌悪になる前に帰った。
もう少しお酒強ければいいのにな。

MONONOFUだけの恋ダンス

私の心の中ではまだまだ真田丸は終わっていなくて、その最終回には恋ダンスがあるはずなのだ。
それを見届けるまで私の真田丸ロスは終わらない、終われないのだ。

masayuki


景勝と直江が……
源二郎と景勝が……
三十郎と源二郎が……
昌幸と家康が……
三成と源二郎が……
出浦と昌幸が……

相並んで踊るMONONOFUだけの、恋ダンス
もちろん、歌声は秀忠なり!(せっかく居るんだから)

mitsunari


「討ち死にの山が暮れたら色めき
馬たちは運ぶわ カラスとむくろの群れ

意味なんかないさ 主従があるだけ
ただ腹を空かせて 殿のもとへ帰るんだ


naoe


物心ついたらふと見上げて思うことが
この世にいる誰も 二人から

胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それはお側にいること
旗印にあるもの
袴の中にある鼓動
恋をしたの主の剣の混ざり まげの香り
おほりを超えてゆけ」


(戯れた替え歌にて、御免仕る!)

ゲスママ読書会を終えて

さる12月17日(土)にA live-connectさんのご厚意により、『ゲスママ読書会』を開かせていただいた。

文末の画像は夏蓮さんが『ゲスママ』を読んで、文中に登場するCDのパッケージを持参してくださったもの。
そうです、これこそが「ザクザクする」ことだったのだわ、と世紀末のグロテスクな耽美を思い出した……
細かいところまで読んでくださって、ありがたい。

前のイベントで購入してくださった本を持参してくださり、二度目のサインを求めてくださる方もあり……
また、『ゲスママ』を図書館で見つけて読んでくださった方もあり……
とても励まされた。
そんな暖かい人たちに囲まれた読書会……

お客様をお迎えする側だというのに、私自身が誰よりも目を開かされ、あふれる情報を息もつかずに飲みこんだ。
それほどまでに今の人たちは言葉を持っているのだなあ、とビックリした。
非常に驚かされる豊かで切実な発言に私は撃たれ、ドテッパラに風穴を開けられながら風圧で立っている感じの二時間半であった。
それは新鮮で心地よい体験であった。

メディアに乗って流れてくる成型された「現実」とはちがう。
お口の中でふんわり溶けて、誰でもあっさり飲みこめるようなお話ではなく、考えることを促してくれるお話が次から次へと。
誰かの主義主張に乗っかって声高に叫ぶネット上の発言とは真逆の、生きている時間から静かに出てくる思いはこちらの心の中にちゃんと収まっていく。
こんな体験ははじめてだった。

たとえば、私(や母)と同じくシングルマザーの方で、シェアハウスで子育てされた方のお話はとても興味深かった。
今は大きくなったそれぞれのお子さんたちは、元々の実家ではなく、そのシェアハウスを「ふるさとだ」と言っているのだそう。
A live-connectのキックオフイベントで、二村ヒトシさんが、
「親が何人もいるのがいいね」
という意味の発言をされたことを思い出した。
私はあのとき、何も言えずに黙っていたんだよね……

私の育った家庭も、婚家も、私自身もものすごく閉鎖的で、他人の規範が持ちこまれることを非常に嫌った。
親以外の人の意見は、子どもを思ってくれた上でのものでも、すべてフィルタリングされた。
どちらの家も保育園に子どもを預けることすらいけないと言うのだ。

親たちはどうしてそうなったか知らないが、私は単純に他人恐怖症で一人の時間を確保することに執心するからなのだが、果たして子供たちはどう感じていたのだろうか。

そう言えば……と長女が反抗期以来、大家族の家ばかり選んでは棲みついたことを思い出した。
私は勝手に外泊する彼女を叱り、「私はそんな子じゃなかったのに……」と嘆いたが、もしかしたら長女はただ私の家が息苦しかっただけなのかも知れない。

こたつに入って団欒しながらの読書会、フムフムと考えていると、ほかの参加者の方からも、
「テーブルに上がって遊ぶと叱る大人と、叱らない大人と、両方いる環境で過ごしたことは良かった」
というご意見が出て腑に落ちた。
私に狭量なところがあるのは、

親の価値観一色に染まらないと自分で自分が許せない

という形而上的な免疫異常に起因しているのかも知れない。
そりゃ〜、子供も居心地悪いわ……と、読書会のおかげで思い至った次第。
もう今さら過ぎた時間はやり直せませんが、そのあたりどんな気持ちだったのか、今度子どもと話してみよう。

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アレクセイが好きだったカニバル・コープスのジャケット。
私たちにはこれが愛に見えていたんですよね……。

『ジムノペディに乱れる』 〜女とは

日活ロマンポルノのリブートプロジェクトということで、5人の映画監督が新作を発表する。
もちろんすべて見るつもりだけれど、まずは第一弾の行定勲監督作品『ジムノペディに乱れる』を、女優のしゅうさんと観た。



(しゅうさんは、拙著『ゲスママ』の扉うら、献辞のところにお名前を書かせていただいた、大切な業友。
もう一人は『ボン脳即菩薩』の安藤ボン監督である。
ゲスママを書くにあたって、「みずから乳首を切った話を書くべきだろうか」と相談した二人だ。
意見は割れたのだけれど、二人の真剣な態度に、それが子供にとって重要な事件だったと身に沁みた。……)

ロマンポルノは予算700万円、尺70分、10分に一回カラミのシーンを入れノーモザイクで作ると定めた成人映画で、売上低迷に悩む日活の起死回生の一策であった。
日本映画の黄金時代を支えた日活映画の、志高い映画人たちが成人ものを撮ることになったのである。
上記の制限さえ守れば、自由に好きなストーリーを撮ることができる。
予算と納期の制限はあれど、若手映画人にとっては、創造の翼を自由に羽ばたかせる場となったこともまちがいないだろう。

日活ロマンポルノは1971年〜1988年までで、家庭用ビデオデッキとともに普及したアダルトビデオに追われるように終焉を迎えた。
(実際、電器店はビデオデッキを買った客にノベルティとしてAVを供していた、という話をAV男優の太賀麻郎さん、AVライターの文月みほさんから聞いたことがある。)

そのロマンポルノが28年ぶりにリブートプロジェクトとして新作発表するとはワクワクするし、うれしいし、興味深い。
たまさか本年はAV業界のほうに出演強要問題等の問題が起こり、その余震のように日本はロリータ表現や女性蔑視に甘すぎるのではないかという論議が次々と起こっている。
「性を表現すること」、それ自体は汚らわしいことでも恥ずべきことでもないのに、どうしてこのように問題が次々と起こるのか。
やはり性表現そのものを規制すべきなのか。

誰もが抱く疑問に対するたった一つの答は、多くの人が肯定できるポルノを作ることしかないのではないだろうか。
多くの人、というのは女性も入る。
若い人も入るし、草食系と言われるような人たちも入れるべきなのかも知れない。
そのほか、これまでポルノ映像を見てこなかった人たち、たくさんいるはずだから。

その意味で、このように誰もが作品を見たことのある映画監督が競作する、というのは素晴しいアイディアだと思った。
「大人の学校」でライターの亀山早苗さんと日活の女性社員である高木希世江さん、滝口彩香さんのトークを聴きながら、ポルノは大人だけに許された娯楽であって、そこに文脈とドラマがあるかぎり、たとえば「今はネットで無料で無修正の動画が見られるからAVが売れなくなった」というような議論(というか愚痴)とは別のところで、まったく新しいポルノ映像が誕生する可能性はあるのだと思った。



観客の中にはかつてのロマンポルノそのままの情感を求める人が多いだろうから、現代的な映像でもって観客を裏切り、新しい表現で陶酔を誘わなければならない。
五人の監督がそれぞれどんな方法を使うのか、そこにリブートプロジェクトの楽しみがあるはずだ。

【そんなドキドキを以って見た『ジムノペディに乱れる』、16日(金)まで新宿武蔵野館で公開しているので、以下の記事はネタバレになることを申し添えておきます。なお、各種優先割引のほか、三越伊勢丹MIカードで300円割引もあります】

私はむしろ、昔のロマンポルノの空気をそのまま再現したような、昭和テイストにこだわった作品を見ることになったらどうしよう、とそんなことをちらと思っていた。
私にとってのロマンポルノは、「ぴあ」に掲載された団鬼六作品の、縛られた谷ナオミさんの小さなサムネイル。
憧れ、息を詰め、食い入るように見つめていた切手ほどの白黒写真なのだ。

私は晩生なのにM性に目覚めてしまったおかしな子どもだった。
その畸形な性のありようのせいで、男性に対して欲望を率直に打ち明けることができず、一方的に奪われて責められることだけを待ち望む不毛な欲望に苦しんでいた。
もちろん上映館に足を運ぶことも一度もなかった。

だから私にとって、今回のリブートPが初めてのロマンポルノとなるのだ。
自分自身もあの、緊縛画像から目を離すことのできなかった学生時代とは、性への向き合い方も変わっている。
あの日の期待を今裏切られないためには、まったく新しい「今」の映像を見せられるべきだと思った。

果たして『ジムノペディ』は非常に今日的な映像美の、まったく新しいロマンポルノで、まずその点に満足した。
第二にドラマが現代的でおもしろかった。

「大人の大学」で亀山さんが言ったように、AVにおけるセックスはスポーツ的だと私も感じている。
それは一枚の画像でオナニーできる男性にとっては便利なものでさえあるのだが、文脈で興奮を高める女性にとっては物足りないことが多い。
(だから私はドラマ物AVにこだわっているのだと自己弁護しておく。)

高木さんか滝口さんの言葉のように、「月9のドラマの、その先」で起こるはずの濃厚な時間が見たい、それを私はロマンポルノに求めているのだと思った。
しかし、こと『ジムノペディ』に関して言えば、私はあまり性的に興奮しなかったようが気がしている。
作品の質は高く、これまで求めていた「月9のその先」が描かれているのに、私はどうしてしまったんだろう?

滝口さんがトークで「私はAVはエロいと思う。生まれた時からありましたし」と発言されたとき、ハッとしたことを思い出した。
この10年余、私はつねにAVを見ながら仕事してきているので、AV的な表現がないと興奮できなくなっているのかも知れない、と疑ってみた。

しかし全編を思い返してみると、強く心を揺さぶられた場面があった。
それは、板尾釧路が元嫁にお金の無心に行き、シングルマザーの元嫁は怒りに憮然としながら30万円と引き換えに、好きでもない男に抱かれる。
このシーンが印象に残ったのは、私自身がAVのドラマ台本を仕事にしていて、

「女性が怒っているシーンは書かないで。男は萎えちゃいますから」
「女性が病気になって寝込むシーンもやめてください。元気じゃないと安心して犯せないですから」

という男性の声に従って、物語を書いているからだ。
男性にとって女性の怒りは何よりも恐ろしいものだという。
ドス黒い怒りをにじませた女を抱くシーンは、これまでに見たあらゆるセックス描写にはない衝撃があった。

よくある吉原物などでも、女の怒りは嫉妬か同性同士の諍いと決まっていて、男に対する侮蔑をあからさまには描かないものだと思っていた。
お金で買われるかわいそうな女性、という(世の男性が女に押し付けたがる)イメージはまったくなくて、乾いたリアリティを感じた。
きっと、家に帰ったら何も顔に出さずに子供と食卓を囲むんだろうなというような。
そこが、いい。

冒頭のシーンにAV女優の西野翔さんが出演している。
もう何年か前、安藤ボン監督・脚本は私で、『鏡の中の私』という作品に出演していただいた。
演技のうまい女優さんの一人であり、努力家でもあるので、活躍の場が広がっていることがとてもうれしい。

CASSHERNからハムレットへ 〜女とは 

この一年は「女とは」というテーマに思いを馳せ続けるうちに過ぎた。
来し方を綴った私小説『ゲスママ』を書いたことと、今も脚本を書いているアダルトビデオの世界で出演強要をはじめとする事件が起きたことは大きかった。

そんな一年の終わり、立て続けに映画と舞台を見る機会が続いている。
衝撃を受けたのは紀里谷和明監督の『ハムレット』だった。





私は紀里谷さんのCASSHERNの映像が好きで、何度も何度も見ている。
わざと音を消して一枚一枚絵を見るようにして、胸のざわつきを楽しんだりもする。
そのたびに「これをナマで(舞台で)見たい」と思ってきた、その夢がこんなに早く叶うとは思わなかった。
そしてCASSHERNを見るたびに底のしれない淋しさにとらわれることにも気づいて、しかしその気持ちに気づきたくなかった。

CASSHERNの序盤、東博士が新造細胞について講演するシーンを、私はなぜかこの議場が完全な円環でその中央に博士が立っていると思いこんだ。
それをカメラがぐるりと360度、鎌首をめぐらせて撮ったように記憶して、それをリアルで見たいと思ってしまっていたのだ。

だからこのたびハムレットの客席に案内されたとき、全身が戦慄した。
私たちは闘技場を取りかこむコロッセウムの観客であった。
四方に配置された客席はわずか二列しかない。
なんと贅沢な―。
登場人物はこの四角いリング内で死闘する。
瞬く時間も惜しまれる緊張の連続であった。……

劇がはじまる。
ハムレット、こんなにも悲しく苦しい話だっただろうか。
舞台の床は全面にパンチングが施され、天井にも同じパンチングの金属板が吊るされている。
そこから照明が洩れる仕掛けが天と海のように演者をはさみ、人間の悲哀を残酷に照らし出すようにも見える。

【このパンチングは照明を通すためだけに使われたのではなかった! その仕掛けについても書きたいが、この演出で再演されることを祈って、まだ見ていない人のために内緒にしておきます。ただ一つ書いておかなくてはならないのは、ハムレット役の室屋翔平さんはよく目を開けたままあの芝居ができたなと驚いたこと。】

私の理想のハムレットは、オフィーリアとガートルードが同じ一人の女性の表裏のように演じられることだった。
さいしょは(たとえば夜の女王とタミーノのごとく)対照的に見えた二人の女性が一つの哀しみに飲みこまれて同化していく経緯が見たかったが、果たして紀里谷さんの演出はそのように描いていた。

私がCASSHERNを見て哀しくなるのは、CASSHERNでは登場するすべての女性が彫刻のように血抜きされ、客体的な美として徹底的に描かれていたからだ。
あたかも自分が舌を抜かれ言葉を失ったかのように悲しくなる、これは私の病のような何かなんだろう。

だから私は今回のハムレットがうれしかった。
オフィーリア役の中村美貴さんは瞬時に悲憤と狂気を演じ分けることが見事で、

「ひな菊の花ことばは……不実な恋」

の声は、片脚を引きずる実直な父・ボローニアスをも誘惑しかねない不穏な気配を感じさせ、戦慄させた。

いずれの場面にも丁寧に計算され尽した演出が連綿と編まれているので、クローディアスと亡霊の確執などもくっきり炙り出されているし、何よりハムレットの狂気懊悩はもしかしたら彼こそが正気で、何事もなく日々を平気で暮らしている我々のほうが異常神経なのではないかと思わずにいられない力を持った劇であった。

演出の深さと美しさの拮抗という意味で、1992年に銀座セゾン劇場(今はもうない、2階にバルコニー席のある美しい劇場でした)で観たスティーブン・バーコフ演出『サロメ』と同じく忘れられない舞台となった。


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*知人の奥居氏に「あなたは役者になったほうがいい」と、例によってお告げぶって無責任なことを言ったあげく、彼が紀里谷版ハムレットのオーディションに受かって亡霊役を演ることになり、それで観に行くことになったご縁に感謝。
奥居氏はたたずまいに存在感があるので亡霊役が似合うとは思ったけれど、夏ごろ観に行った現代劇のときよりずっと良い声になっていて驚きました。
あのときは精霊でしたね。
いつまでも芸を磨かれて、この世とあの世を行き来する奔放なる旅人としてご活躍ください。
拙文、どうかご容赦ください。

伊藤智生監督「ゴンドラ」再び

「ゴンドラ」を観るのは2回目なので、前回はボロ泣きしたけれどもう泣くもんかと思っていた。

のに泣いて、ひどい顔になった。

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この映画は1986年公開、私が最初の子供を産んだ年の映画だ。
それゆえ思うことも多い。

しかし30年経ったいま、この映画のテーマは古くなるどころか、現代のほうがより求められていることを感じ、それは少しショックでもある。
私たちはいったい何をしてきたのかと、間違えて歩いてきた道の長さに愕然とする。

ひとりでも多くの、特に若い人たちに見てほしい映画である。
公開は1/28から渋谷ユーロスペースで1週間、2/11からポレポレ東中野で2週間。
私は一度この映画を見ているのだが、デジタルリマスターの大画面では、実験的な映像表現を楽しむことができて、うれしい。

「ゴンドラ」は日本ペンクラブの推薦を受け、トロント初め海外で数々の映画祭で招待上映もされた。
監督の伊藤智生はまだ30歳であった。
同じ年、私は27歳の家庭の主婦で、ゴンドラを知ることも伊藤智生監督を知ることもなかった。

しかしいまから6年ほど前に私は伊藤智生さんと知り合い、たびたび悩み苦しみを聞いてもらっているのである。
人の縁の不思議。
この話はまた後日、映画の感想とともに書かせてください。

蔵の町・川越に森島花さんの作品を訪ねる

さきの日曜日、次女をともなって、川越で開催中の『蔵と現代美術展』に森島花さんの展示を見に行った。
子どもを連れて行ったのには理由があった。

一つは花さんのお母様である劇団羊のしっぽの森島朋美さんが制作と出演で参加される、劇団新転位21の『骨風』を彼女と観る予定だからだ。
花さんも美術で参加しておられ、お芝居を観る前に花さんの作品を観ることで、私たちの思いもより深くなるだろうと思ったのだ。

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もう一つの理由はたびたびSNSで拝読する朋美さんのことばに、花さんに対する深い愛情があふれていて、次女はきっと私にこういうお母さんを求めているのだろうな、と思ったからだ。

川越の由緒あるお蕎麦やさん、中正屋さんの蔵が花さんの展示会場だった。
花さんに作品のことをいろいろおたずねした。
お母様のことばから、花さんのたたずまいは想像していて、果たしてその通りの優美で清楚なお嬢さんだったが、何千枚もの和紙をご自宅でひとりで手で漉いたことをうかがうと、創るということに対する気迫を感じる。

この日は小春日和で、薄暗い蔵の宙空からこれも紙を漉いてこしらえた糸で吊るした花弁のような和紙たちが、午後になっても冷たくならない風に、うれしそうに揺れていた。
これは何を表現されたのですか?―
花さんの答を聞くうちに、次女を連れてきたことも忘れ、思い出すのは四年半前に喪くした母のことばかりだった……


母を喪くした日からわたしがしたことは、
日々忘れていく母との記憶を必死で掻き集め、
古い着物をしまうように心の底に積み重ねていく作業だった。

しかし何枚か積み重ねては、かつてその袂にあったはずの
麗々しい絵羽柄が白く抜け落ちていることに気づき、
幾つかの重要な記憶が哀しいものだったのか、
そうでもなかったのか、母と私と
それぞれにとって意味が違うことに今さら気づき、愕然とする。

母はいつもそこにいる人で、
くちかずのおおい人であったから、
どんなこともいつでも聴けることであると思って、
ほうぼうに棚差しにしたまま私はそれらを忘れた。

何より私はひとりになりたかった。

何より私はひとりになりたかった。

ひとりになって自分の記憶と向き合いたかった。

それはかなわぬことの筈だったのに、
真冬の駅のホームで見知らぬ番号の電話を受け、
母が救急車で運ばれていると聞いた瞬間から
私はほんとうにひとりになった。

母の遺した写真や食器を手に取るたび、
あれこれの記憶がずるりと出てくるのに、
いずれも不完全で香りと温度を持たない。
母と過ごした時間は確かにあったのに、
その記憶を共有した母がいなくなってみると、
片面しか色のない花びらのように、
取り返しのつかぬ欠落の残酷さに傷つく。

どんどん晒されて白くなる。

どんどん晒されて白くなる。

それでいいのだと誰かが言ってくれないか。
完全に白くなった私の記憶と母の記憶はいつか
一片の和紙のように洗われて練られ漉かれて一つになり
時の風にちりぢりに、そうだそれでいいのだと。


自分の拙い感想文に花さんの力作の写真を掲載することははばかられるので、明日23日(祝)まで開催の『プレ蔵と現代美術展』にぜひ足を運んでみてください。

中正屋美術館は石原町1-2-1、川越駅からバスで7つめの「札の辻」が最寄りですが、小江戸情緒たっぷりの通りを30分ほどかけて散策するのもお薦めします。
また、『蔵と現代美術展』さんのFacebookにも今回の花さんの展示の写真があります。

しばし過去を振り返り、未来を見つめる時間をいただき、どうもありがとうございました。
花さんの今後のご活躍をお祈りいたしております。

『SEX and the live キックオフイベント』に思う

土曜日の『SEX and the live キックオフイベント』、雨にもかかわらず満員のお客様に迎えていただき、ほぼ4時間のトークイベントの後、懇親会にもお邪魔して、大いに語り合いました。

卜沢さんが言っていた「中間の場」がちゃんとできましたね。
心からおめでとうございます。

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中間の場というのは、以下は私の感じ方ですが、性について話をするとなると、非常に消費的なエロエロどんちゃかな話か、「あれも危険、これもダメ」なお堅い話か、どちらかを求められてしまいます。
これがとても不自由です。
まるで世の中には、セックスが大好きで生中だしをされても気にしない女性と、生殖を目的としたセックスをする以外の日は性欲がない女性と二種類いるみたいです。

それって男性が、「妻には貞淑かつ母性的な女性像を求め、外では淫乱な娼婦を求める」という話と似ています。
不倫の是非とかモノガミーの限界という話はまた別で語るとして、女性にはその二種類しかいないわけではない!
娼婦であっても子どもは健全に育てたいし、フェミニズムを勉強したら性欲が消滅するわけでもないのですよ。

女性を二つのカタマリに分けたあげく、どちらかに嵌まりきれない女性がたくさんこぼれて、自分の生き方を模索して苦しい思いをしている。
それを病んでいるとか、メンヘラとか、まるで精神的に弱いみたいにどんどん追い込んでいくことが、私はつくづくイヤになってきたのです。

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ついでに言うと、そういう女性を「助けてあげる」「救ってあげる」という態度にも限界を感じています。
それが土曜日のトークで私が「チンポコ騎士道」に言及した理由なんだけど……

男性性でもって女性を庇護し、救えるという考えは、それはそれで悪くはなかったんだろうな、と私は思っています。
無垢な女性が強く気高い男性に救われて……という童話を読んで私たちは育ってきました。
ある時代まではそれが、例えば自然災害などに対抗して子供を残すために、有効なスキームだったのではないでしょうか。

でも、それでは社会が立ち行かなくなっていることを、みんなひしひしと感じているわけです。
年配の議員さんなどが、「女は仕事を辞めて子供を産めばいい」みたいなことを言うたびに、「それができればとっくにやっている」「仕事辞めたら自分も子供も餓死」と、みんな暗い気持ちになっていくのですよ……。
少子化は女が生意気になったせいでも、男が草食化したせいでもありません。
一生に二人の子供を作るぐらい、かなり草食な男性だってできますって。
問題はそこじゃない。

最近はこのキックオフのほかにも、さまざまなイベントやシンポジウムに出ていました。

・メノポーズ協会主催のWHAMサロン……PMSや更年期障害が理由で昇進を辞退する女性の現状など。
・日活ロマンポルノの魅力を女性が語る「大人の学校」
・家庭内での性暴力についての講演
・中高年者の性の実態についてのシンポジウム
・ジャパンアダルトエキスポ……AV業界をあげて年に一度行うファン感謝祭
・緊縛美研究会

などなど……。
いずれも性のさまざまな面をしっかりとらえた集まりなわけですが、そこで得たことをほかの人と共有できる場がほしいと、毎回思っていました。
その意味で、SEX and the liveのような場ができることは、私たちの「これから」を変えていく第一歩になるかも知れません。

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「性について話します」と言うと、
いやらしい話が聴けると思ってニヤニヤしちゃう人……
ゴリゴリの男尊女卑撤廃や「女はつらいよ」を聞かされると思って身構える人……
今までは、どこに行ってもそう、そんな感じでしたが、これからはちがってくると思います。

私は、私の話をします。
私に、あなたの話をしてください。

ということでもありますね。
染矢明日香さんの言葉を、当日来れなかった皆さんにも贈りたいと思います。

「sexはエロい人だけのものじゃないからね」

若い人の口からこの言葉が出て来たことを我々中高年は猛省すべきだと思う。
私たちが若い人に教えるべき言葉なのに。
行き詰ったあげく、
「四人に一人が年寄りだって? どうするんだ、年寄りは早く死ね、若者はもっと産め」
じゃなくて、10代、20代、30代との対話をすることが唯一の明るい方向に向かう道なんじゃないですか?

写真 帖津价鼎量漫后左から私、二村ヒトシ先生、染矢明日香さん、たかだまなみさん、卜沢彩子さん、きのコさん。
写真◆帖帖嶌Fはどうやったらポルチオでイケるかみたいな話をする場じゃないんだよね?」「あきまへん」と夫婦漫談する二人合わせて109歳な二人。
写真……ラブサポーターの竹田淳子さんと。ラブサポーターとは清く正しく美しい性の啓蒙活動と全ての女性の健全な愛のお手伝いをする方です。

お写真と当日のトーク内容からのキーワードは参加者の皆さんにお借りいたしました。
ご協力どうもありがとうございました。
講演「性の文化とAV」


セックスワークサミットでの講演の模様が弁護士ドットコムニュースに掲載されました
書籍が出ました


「ゲスママ」9/10刊行
私はなぜ異端の性を求めたか―神田つばき初の自伝的私小説。刊行・コアマガジン帯文・宮台真司(社会学者)
更年期コラム連載中

「そうか、更年期だったのか」
ラブピースクラブに好評連載中
脚本担当しました


安藤ボン監督・藤崎ルキノ主演『別の顔』、2014年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭フォアキャスト部門にて初上映。脚本で参加しました
書籍が出ました


女性の妄想にアクセスしてちょっと変態なエッチに誘うトーク術のハンドブックが登場! 不埒なことを真摯に研究する神田つばきの書下ろし三和ムック。三和エロティカまたはamazonで!
大人のケータイ小説


いつでもどこでもケータイ・スマホ・PCでも読めるR18官能小説!毎日更新中!神田も毎夜読んでます。
投稿官能小説のコンテストの審査員を務めさせていただくことになりました。どの作品が受賞するのか楽しみです!
週刊現代10月26日号


「実はみんなやっています 明るく楽しいSEX生活 2013」にコメントを寄せています。だって本当にやってるんだもーん☆
壮快11月号


9月16日発売! マキノ出版『壮快11月号』の特集「下半身の活性術」で「女性の体は休火山! 豆腐タッチでイキやすく…」というお話をしております。
週刊現代6月23日号
熟年セックス講座
「50歳から妻とやり直す」


セックス研究家兼ライター・神田つばきとして「中折れを愛でる」というお話をしています。
神田つばきの提言


「すべての女性の活躍のために女性ホルモン値検査を」
女性特有の健康問題の観点から、一億総活躍社会への提言をしています
PROFILE
OVO大使に就任



ライフスタイルグッズOVOが、栄えあるレッドドットデザイン賞を受賞! 低価格高品質のドイツ製バイブレーターや膣トレボールのご紹介をしています
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