神田つばきな日々

専業主婦からライターに。更年期医療から女性発信のアダルトコンテンツまで
女性と「性」の関わりを多角度から追求する神田つばきのページです。

かがり系。

たびたび映画『ゴンドラ』と『シン・ゴジラ』のことを考える。
女の子と怪獣のことを考える。

ゴンドラは30年前に撮影された映画だし、ゴジラという怪獣の誕生は1954年である。

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おこがましくも2017年版『ゴンドラ』の劇場パンフレットに「冷蔵庫のなかにあるもの」という一文を寄稿させていただいた。
ゴンドラは少女かがりだけの映画ではない、手本とするべき母親像を喪失したまま子育てする私たちの物語でもあると、そんな意味のことを書いた(つもりだ)。

しかし「奇跡のロングラン」と言われ、都内で一週間の予定が四館目、九週に突入しようという今、この映画がなぜこれほど見られているのか、少し気づいたことがある。

それは、かがりの子どもらしくない声の低さである。
大人の声を遮って、心に刺さった棘を引き抜いて投げつけるような、冷えた激しさである。
子役って、泣いたり笑ったりして大人のシンパシーを誘う芝居をするんじゃなかったのか。

かがりはちっとも可愛くない。

そこが、よかった。
高い声でヒラヒラと笑いしゃべるヒロインには、もういい加減うんざりなのだ。
『マッド・マックス4 怒りのデスロード』のフュリオサなんか、始終怖い顔で怒ってばかりいた。
だから三回も劇場に行き、DVDまで買ってしまった。

そう言えば『シン・ゴジラ』の尾頭ヒロミも可愛くない。
可愛くない人ゆえにいじらしくて、愛しくて、応援したくなる。

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ニコリともしない尾頭が、ヤシオリ作戦が成功したときにたった一言「よかった」と漏らす。
あれがもっとも笑顔に近い瞬間だが、後はうまく表情がつくれないタイプの人のようだった。
もっと華のあるセリフを語りそうなシーンなのに、「よかった」としか言えない、影の存在でいることが沁みついている尾頭はすごくいい。

『シン・ゴジラ』にはほかにも女性が出ていた。
石原さとみのカヨコ・アン・パターソンは美人とはいえ闇が深そうだし、精神的に正常ではないような気もする。
少なくともこの女性、男にアゴクイされてウットリすることは、恐らくないであろう。

そして余貴美子の官房長官も正気と狂気のスレスレな感じがキレキレであった。
「総理、いいんですか。本当に撃ちますよ」は葛城ミサトのメンタリティでは絶対に出て来ない、鉛の玉のような言葉だ。

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みんな「かがり系」の女だ。

怪獣は私たちが子どもだった昭和中期と同じ姿で、海の底から同じように現れる。
しかし平成のここにはもう、長い髪をヘルメットに包み、可愛い声で絶叫する女性隊員はいないのだ。

ゴジラはもしかしたら牝*なのかも知れないとふと思った。
ラスト近く、ゴジラの尻尾からニョキッと出ている人間の手や顔とおぼしきものは、どこかに棄ててきた過去の私の部品なんじゃないかと思ったりもした。

(*公式には牡であると発表されている。)

映画だらけ。

立て続けに、

・田原総一朗の遺言「永田洋子と連合赤軍」
・「ラブレース」
・田原総一朗の遺言「鈴木いづみ 伝説の女優作家の誕生」

を見る。
思想的に方向付けをしようと思って見たのではなく、むしろ逆かも知れない。
最近の状況のなかで、自分がバラバラにならないように見たような気がする。

鈴木いづみが自殺したのは映画『ゴンドラ』公開の年で、私が長女を産んだ年だったことを知った。
若松孝二監督の談話がとてもよくて、また見たい映画がふえた。

昨夜はオカマルトに長沢節さんの「セツの100本立て映画館」を携えて行き、映画に造詣の深いお客さんと「地獄に落ちた勇者ども」やもっと古い映画の話をした。

そこまではよかったのだが、その方が帰られてからタガが外れた。

若松監督「ピンクは世間から”あってはならないもの”と言われ続けなければダメなんです」

マーガレットさんと「なぜオカマはオカルトなのか」という話をしたこととつながる。
でも私は少し言葉がきつかったな。恥ずかしい。
本当は自分がいちばん臆病なくせにだよ、私は。

(私がエロでSMだから子どもたちは長いこと傷ついてきたし、それを挽回して明るい笑顔にしてやろうと表の世界に露出して、ますます子どもたちを傷つけ続ける私は臆病で姑息だ。
ラブレースを見てそのことを思い出して、自分の行動にうんざりした。)

世間から認められたいと願う人たちの気持ちは、痛いほどわかる。
でも、きっと、いや確実にそういう姿勢を取った瞬間に芯が崩れていくのだ。
「ゲスママ」だってオカルトだよ。
だから「こんな生き方誰にもお薦めしません」と言い続けてきた。

鈴木いづみが阿部薫と言い争いをして足の小指を切り落としたことを、水道橋博士は「そういうことをしてしまうほどの愛情」とサラリと言ったけれど、それでは意味がわからないような気がした。

尊敬と愛情で相手と合一したくてたまらなくて、それでも捨てられない自我への執着と葛藤だと思ってしまうのは、私が傲慢で攻撃的な人間だからなんだろうか。
私が乳首を落としたのは愛情表現などでは断じてなく、身動きできない状況から自分を救出したかったからだ。

そこを確認したくて、若松孝二「エンドレス・ワルツ」「キャタピラー」、田原総一朗「あらかじめ失われた恋人たち」を借りて帰りたいのだが、TSUTAYAカードを忘れたのはいつものこと。

私にとっての緊縛、その出発点

おそらく19年前に緊美研に参加し、故・濡木先生に縛っていただいた初期の頃の映像のDVD化。
最後の在庫一点が特価になっています。

この時の私はガリガリで化粧ッ気もなくおどおどしたおばさんですが、存在自体が傷そのもので、迫力を感じるし嫉妬すら覚えます。

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私は最初から最後まで「綺麗に縛ってください♡」というようなメンタリティとは無縁でした。
ある意味、私が常に抱えていた自分の内部に向かうサディズムは、濡木先生の持つ芸術性と拮抗し続けました。
だから私は毎月緊美研に通い続け、先生は毎回縛ってくれました。
先生はしばしば私に腹を立て、しばしば褒めてくれました。

脱ぐ脱がないということも、倫理道徳さえも、「内部に向かうサディズム」の前では意味を失い溶けてしまいます。
苦しいほど自分を憎んで、(気づいていませんでしたが)自分が好きだったので、他者が自分をどう扱っているのかという視線が欠落していました。
愛されている・いない、ということも意味を失います。
その時、とても清潔な気持ちになります。

少女の頃からずっと、自分が苛められていても愛されていても、まったく知覚できなかったし、そういう私に同情することで自分を救おうとする人の弱さに気づいてしまいます。

私にとっての緊縛とはそうしたものでした。
少なくともその最初の地点においては。

AV強要問題を語る田中美津さん(毎日新聞)

昨年9月、坂爪真吾さんと赤谷まりえさんからお声がけいただき、SWSでおこがましくも講演させていただいたとき、とても熱心にメモを取っているご婦人がいた。
ちょっとドギマギした。
とても大きな瞳でまっすぐ見つめられていたので。

会が終わってから声を掛けてくださって、名刺をいただいたのに、不勉強な私は田中美津さんのお名前を知らなかった。

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帰り道で検索して、私が大好きな70年代を牽引した女性の一人であることを知るも、ウーマンリブの旗手ということは、私たちAV業界の女のことをどう思っているのだろうか。
アゲインストな立場から話を聴かれたのではないだろうか。
搾取側だと思っただろうか、それとも男に利用されているアホな女だと思っただろうか。
いやそんなふうには見えなかった、私の話に笑い、相槌さえ打ってくれていたではないか。
……千々に思いは乱れるものの、リブもフェミもさっぱりわからない私にはそれ以上よくわからず。

数日後お会いしてお話を聞いて、安心した。
田中さんはエロスを否定するどころか、女も求め楽しんでいいものだと考えている人なのがわかったから。
ずっと業界にいるために、常に人様に厭な思いをさせないようゾーニングの壁の向こうへ向こうへと引っ込みがちな私は、どんなに心が落ち着いたか、言い表せないものがある。


一つのエピソード。
かつて田中さんはある文化会議の余興として緊縛ショーを見たことがあると話してくれた。
あっ、その話は十数年前に明智伝鬼先生から聞いたことがある……!
たしか秋田で行われたのではなかったか、立派な会議のブックレットも見た記憶があるのだ。

田中さんはこのショーの感想を求められ、煌々と明るい場所で大勢で見るものではない(もっと淫靡なものであるはずだ)という意味の感想を述べた。
たしかにそうだ、緊縛に心を惹かれた者はみんなそう思っている、同じ思いだ!
ところが、不謹慎であるという意味にとられてしまったと。
この話を聞いて、田中さんは偏見にとらわれずにエロスを見ることのできる人だとわかり、平たい言い方だがとてもうれしかった。

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偏見なく自由に、一人の女性として語ってくれる人だ。
AV出演強要問題について、毎日新聞社が田中さんに取材している。
その前編です。

男と女であり続ける事 悦び/悲しみ/生命

予知夢ってあるだろうか。
今朝見た夢は、長年親しくしてくれているわかみほと、少し地味な感じのショッピングモールで買い物をしていて、彼女がとても可愛いブランド物の指輪を買う夢だった。
わかみほが出てきた理由が今わかった。

坂爪真吾さんから、

セックスと超高齢社会 「老後の性と向き合う」

という新刊のご献本をいただいていたのに、昼は会社、夜は台本という日が続いて、紐解くことができずにいた。
電車の中で読めばいいのだが、興味ある分野だけに、台本が上がってから……と思って、今日やっと会社に持ってきて夢中になって読んだ。

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本の最初に、2014年7月に東京・目黒区で起きた過去の不倫を知った71歳の妻が、79歳の夫を殴殺した事件が引用されている。
人はこの事件を「70代にもなって破廉恥な話だ」と思うだろうか。

これは下半身の話ではない、性は下半身に宿るものではない、と私は思う。
下半身は、性器は、性の充実をかなえるための道具ではあると、私はそういうことを過去20年かけて自分の身体を以って実験してきて、性の悦びも悲しみも心に刻まれていくものだという当たり前のことがわかった。

性とは何か。
畢竟、それは男と女であること、あり続けることだと思う。
長く一緒に暮らす人間どうしが男と女であり続けることは、実はとても難しい。
家庭は安心と信頼を分かち合える相手との要塞のようなものなのに、性欲はそのような安寧の文脈のうちには成立しにくくなっていくものだ。
結婚という大変便利な制度は、愛があればあるほど二人して性欲を棄てざるを得なくなる、という矛盾をはらんでいる。
その危険性は、どんな恵まれた結婚にも必ずついてくる。

そこで女性側は我慢をすることが多い。
あえて即物的な言い方をすれば、男性は外で発散する機会があるが、女性は子育て等で家に縛られている期間が長いし、男性のように手軽に性を発散する機会(風俗やAV等)を利用することに対する蔑視が強いためだ。
その時に負った心の傷、とっくに癒えたと思っていた傷口が、行き先の見えない介護の不安と疲れのうちにパックリ開いてしまったのでは、と想像すると私はこの人を嗤うことも断罪することもできないなと思う。
私も女だから、自分の女性を否定された心の痛みを想像すると、やはりつらい。

この事件を逆に読み解いて、男と女であることを「あえて」「お互いの努力によって」人生の最後まで継続していく努力が、老後のQOLを高めてはくれないだろうか、ということをここ数年考えるようになった。
閉経期を過ぎて、下半身的な欲望が(もともと性欲が強かった私でさえ)弱くなり、それでも心なのか脳なのか、男性とのときめく時間を欲していることに気がついたからだ。
単に性欲がモデラートになったということではなく、今の二人にどんな睦みあう方法があるか模索したい、というような新しい探求の気持ちがある。

閉経後の女性は一年間性交しないと膣が萎縮して閉鎖する可能性があるという。
三年後に還暦を控えた私にとっては切実だ。
「60歳にもなってズコズコできなくても、生きていくに問題かなろう」とは思ってみるが、まだまだ生きて働かなければならない、前向きに生きたい身であるのに、肉体の一部が死んだままそこに在るということが悲しくないと言えば嘘になる。

こんなことも、一人で抱えているとどんよりしたイヤな悩みであるが、共有してくれるパートナーがいれば話は変わってくる。
挿入できるかできないかが問題なのではなく、お互いの性について一緒に悩み、悲しみ、喜んでくれる人がいることが老後の性に彩りを与えてくれるような気がする。

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……と、まあ私にとっては他人事ではない、今いちばんHOTな話題である「老人の性」について、坂爪さんのような若いしかも男性が一冊の本をまとめてくれたことは、非常に喜ばしいことなのだ。
老人のことを老人だけで考えていてもいけない。
異なる年代の人と共有できてはじめて、嘆きと愚痴に終わることから脱出できる可能性が生まれるのだから。

読み進めていくと、「AVはすべての孤独な人たちのもの」という小見出しがある。
これは昨年9月、坂爪さん率いるホワイトハンズ主宰の「セックスワークサミット」でAV出演強要問題について、私がお話ししたことを引用してくださった章だ。
AVを必要としている、ごく真面目で愛情ある生活を送っている老夫婦の訴えを、お手紙を引用して書いたものだ。

奥さんが認知症を起こしかけていて、性交渉ができなくなっているご夫婦にとって、唯一の性の時間はあるAVを観る時間だった。
このビデオに出演しているのが、わかみほこと、私の友人でもある若林美保さんなのである。
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毎週100円を払って、すでに廃盤になっていたこの作品をTSUTAYAで借り続けていたご主人の姿を、坂爪さんは「さながら百度参りを続ける熱心な信者のようだ」と書いてくださった。
坂爪さんがそのように受け止めてくれたことが、とてもうれしい。

わかみほさんの夢を見たことは、早くこの本を読めということだったかなと、ふと思ったのだ。
このサミットのおかげで、くだんのお手紙はもちろん、いろいろな人と知り合うこともでき、坂爪さんと司会の赤谷まりえさんに深く感謝している。

揺るぎない母になりたかったよ

卜沢彩子さんが、

「結婚しても母になっても自分の人生を生き続けたいということは間違いなのだろうか?」ゲスママを読んで

という文章をnoteに発表してくださっています。
卜沢さんは私にとって「性被害」という、多くの女性が遠いことのように感じていて、実は誰の身にもいつだって起こりうる問題について、目を開かせてくれた方です。

私の年代は、性被害や男性からの暴力に逢うのは「女性が悪い」という風潮がまかり通っていました。
今でもそうですが、今以上にそうでした。
そのことについても思うことがありますが、それは後日に譲るとして……

母娘ほどの年の差がある卜沢さんと私ですが、一つ似ているなあと思うところがあります。
それは、卜沢さんも私も「正解を一つに限定しない」ところだと思います。

そういうと、結論を明らかにしない無責任な人を想像されるかも知れませんが、そういうことではありません。
『ゲスママ』を書いたとき、いろいろな人から、

「神田さんは、多くの女性たちも、ご自身のように性の悦びを追求したほうがいいと思いますか?」

という意味のことを聞かれました。
私はいつも、そうは思っていません、とお答えしてきました。

私には解決しなければいけない命題が幾つかありました。
父親不在、母に対する憧憬と劣等感、自分が生まれて来なかったほうが家族は幸せだったのではないかという思いこみ、等々です。
また、自分と親との関係に悩んでいるため、子どもを愛することができるのか、自信が持てませんでした。

そういった煩悶を消したくて、私は「性」を選択しました。
卒業の翌年に結婚したことも、今思うと「性」の選択だったのです。
子どもを産み、慈しみ、育てるということに実感もビジョンも持てませんでしたが、思いきって結婚生活をはじめてしまえば、自然とわかるのではないかと思ったのです。
後ろ向きな気持ちではありませんでした。
自分の身体に備わっている女の機能が、頭でっかちな私の逡巡を吹き飛ばして、揺るぎのない妻に母にしてくれると期待したのです。

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……
そうはならず、なれず、逆に悩みを深め、子宮癌で全摘手術をしたときに、家庭を解体してしまいました。
私はどうしても、自分の中の「愛情を紡ぎ出す機械」は壊れている、としか思えませんでした。
愛によって喜びが得られないならば、性によって喜びを得たいというような思いがあったかも知れません。
自分の悩み苦しみに復讐するような、それでもまだ女性である自分を祝うような、ちょっと一言では言えない複雑な気持ちです。

それからの出来事は『ゲスママ』に書いたとおりです。
私はほんとうに、性については語りきれないほどの探求をしましたが、それは目的ではなかったようです。
ただ、性はとてもわかりやすく、肉体で感知することができ、かりそめにも他者とコミュニケートできるコマンドをたくさん持っていました。

性を利用することで、私は自分をがんじがらめに束縛していた先入観や、因習や、家族の闇から離れることができたのです。
ですから、私が人に薦めることがあるとすれば、「あなたを束縛して悲しませているものから自由になりなさい」ということであって、性を追求しなさいということではないのです。

その意味で、『ゲスママ』は「論」ではなく、なり得ないものです。
むしろ私小説のようなものです。

こんな人がいるんだ、ふんふん、では私は何をもって闘い、自由を勝ち取ろうかな……

というふうに、ゆるやかに考えていただければいいと思います。
さて、私は幼い頃からの束縛からは自由になれました。
でも、やっぱり、揺るぎのない妻・母にはなれなかったのです。

それは私が「性」を闘いの道具に選んだこととは関係がありません。
私にとって、親になること・親であることは、最初から最後までむずかしい! 今も!

このことは、卜沢さんが書いておられる「母になるのがおそろしい」ということと関連していますし、多くの若い人が密かに悩んでいることではないかと思うので、続けて書いていきます。

膣トレのススメ

「女性器まわりの筋肉を鍛える」
膣トレボールの効果的な使用法

女性の健康とWLB推進員
OVO広報顧問
神田つばき


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膣内にはいろいろな筋肉がある
膣トレーニングは膣内にトレーニングボールを入れておくことで、骨盤底筋群を鍛える方法です。「群」と呼ぶのは女性の性器まわりの筋肉は一種類ではなく、幾つかの筋肉が連動して活動しているからです。
よく、「排泄後のようにキュッと肛門を締めることで、膣の締まりがよくなる」という話を聞くと思います。これももちろん間違いではありませんが、これによって鍛えられるのはおもに膣の入り口付近の筋肉です。
女性の膣は筒状になっていて、いちばん奥に子宮口があります。子宮口はふだん閉じていて、分娩のときに分泌されるホルモンの働きによってのみ開きます。子宮口の周囲をポルチオと呼び、ここにも性感帯がありますが、ふだんは指などが届くところではないので、眠れる性感帯と言っていいでしょう。
このような奥部の筋肉もまんべんなく活性化して、いつまでも若く女性らしい性器の健康を保ちましょう。

「いく」と「いけない」をつかさどるインナー・マッスル
年齢に関係なく、女性には「気持ちよくはなるのに、いった経験がない」という人がたくさんいます。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。
不感症、冷感症という言葉がありますが、これは感じにくい状態を言うのであって、器質的に感じることのできない身体というのはありません。誰でも「いく」ことはできるはずなのです。
そもそも「いく」というのは、女性器が強く収縮して、そのあと一気に弛緩することです。そのときの血流の変化で全身が緊張し、次に解放されます。この急激な変化がこころよいのです。
「いく」ために必要な条件は二つあります。
一つは完全に集中して、つまり「我を忘れること」です。きちんと避妊してくれないのではないか、もっと感じるところがあるけれど言えない、そんな小さなハードルがエクスタシーへの道をはばんでいることは多いのです。
そしてもう一つは、骨盤底筋群=さまざまな部位のインナー・マッスルが刺激によって収縮することです。これがなかなかむずかしいのです。ふつう、私たちは毎回同じ相手と、だいたい同じ体位でセックスすることが多いと思います。
かんたんに言うと、さまざまな部位を、いろいろな角度で刺激されることで骨盤底筋群は活性化して、いきやすくなります。女性の性感帯は膣の中にも無数にあって、刺激を受けるほどに感じる部位がふえるということです。
しかし現実には、一生に二〜三人としかセックスしない女性もたくさんいます。夫しか知らないという人もいます。そこで、イク身体になるためには膣トレーニングが重要になってくるのです。

正しい膣トレボールの使い方
人間の筋肉は鍛えることで、どんどん使い方を覚えていきます。赤ちゃんは泣いたり、お乳を飲んだりしながら筋肉の使い方を覚えていきます。寝返りが打てるようになり、物がつかめるようになるには何か月もの時間を必要とします。
骨盤底筋群も同じです。膣トレボールは、膣内の眠っている筋肉をゆっくり目覚めさせるためのトレーニング器具です。
膣トレボールを入れるとき、思ったより大きくて抵抗を感じる人も少なくないと思います。「膣が苦しい……」と感じて途中で入れるのをやめてしまうと、いつまでも膣口が広げられて苦しいままです。そんなときは、一度抜いてさいしょから入れ直しましょう。

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膣口は狭く締まっているものなので、ボール二個が完全に中におさまるように、ローションなどをつけてゆっくり中に入れます。目安としては、押し込む指の第一関節がすっぽり入るまで挿入すればOKです。このとき、取り出し用のヒモを誤って中に巻き込んでいないか、外にきちんと出ているのを確認します。
そのまま普通に生活して、10〜15分ほどしたら取り出します。慣れてきたら、30分、1時間、と入れておく時間を長くしていきましょう。「こんなことで鍛えられるの?」と疑問に思われるかも知れませんが、取り出そうとすると、力を入れているわけではないのに、なかなかボールが出て来ない、という感覚を体験されると思います。これが膣が締まっている証拠です。腕や足のような随意筋(アウターマッスル)とちがい、骨盤底筋群は時間をかけてボールの存在を感じ、ゆっくりと締まっていくのです。ふだん指やペニスがあまり当たらない場所、眠れる性感帯も回を重ねるごとに目覚めていきます。
長い時間入れておけばおくほど効果があるのでは、と思い入れっぱなしにすることは逆効果です。取り出して休ませる、また挿入して鍛える、という緊張と弛緩の繰り返しこそが膣トレーニングなのです。
デートの前のメイクタイムやお昼寝の時間を利用するのもいいでしょう。取り出した膣トレボールには分泌物がついていますから、よく洗って清潔にしてください。その意味でも入れっぱなしは避けましょう。

膣トレのうれしい効果
骨盤底筋群がしなやかに反応することで、膣内の性感帯が広がり、収縮と弛緩が起こりやすくなり、イキやすい身体になることをご説明しました。
男性にとっても、同じようにペニスを入れているだけなのに、反応する部位が広がったことで快感が大きくなります。「締りがよくなった」と言われ、お互いの反応が豊かになることでセクシャルコミュニケーションが楽しくなることはまちがいありません。
また、膣トレーニングの成果はセックスに関することだけではないのです。
現代は生活が便利になり、歩いたり、しゃがんで拭き掃除をしたり、重いものを持ちあげたり、ということが日常生活の中で少なくなっています。実は、デコボコした道を身体のバランスを取って歩くだけでも、骨盤底筋群は鍛えられていたのです。現代女性の骨盤底筋群は確実に弱くなっています。
その結果、本来は老齢期にしか起こらなかった子宮脱(内臓脱)が起こり、膣内部に子宮が垂れ下がってくるということが、まだ出産経験のない若い女性にも起こるようになってきました。お風呂から上がると膣からお湯が出てきた、くしゃみや咳で尿漏れする、こんな症状が起きたら要注意です。
骨盤底筋群が弱ってしまうと、分娩も大変になりますし、産後も子宮が元の位置に戻りにくくなります。便利な日常生活が当たり前になった現代の女性にとって、膣トレボールは健康な肉体維持のためにも欠かせないものです。

疾走するイノベーター・真咲南朋監督のこと

三連休初日の1月7日(土)、新宿ネイキッドロフトに真咲南朋監督のトークを聴きにいった。
さいゆ〜き監督、マボロシ子監督、山本わかめ監督、駒場シェリー監督、とメーカーの垣根を越えて女性監督が5人揃うというのも滅多にない光景だと思う。

後半でDeepsの池パイプロデューサーも加わり、華やかで笑いの絶えないトークショーだった。
セックスワークサミットやゲスママNight!で司会をしてくださった赤谷まりえさんと見ていたのだが、途中から映写される作品を競ってバンバンダウンロード購入して楽しかったなあ。

私はかつて真咲監督の作品のレビューを書いたことがあって、ほかにも衛星のトーク番組や官能小説の選考委員会などでもご一緒したことがある。
皆さんは彼女の作品を見たことがあるだろうか?
もしまだなら、そして女性の「本気」が見たいと思うなら、真咲さんの作品を一本でいいから見てほしい。

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真咲さんは売れっ子の女優さんでもあったので、もしかしたら、
「キミ可愛いから一本撮らせてあげるよ〜」
みたいな展開から監督になったのでは、と疑っている人もいるかも知れない。
でも、今のAV業界にはそんなお金の余裕はないし、監督デビューした2008年には3本撮り、2012年まではおよそ月1本ペースで監督しているが、2016年にはWikipediaで確認できる範囲で70本近くを撮影しているのだ!

こんな人見たことない……。
男性の売れっ子監督で、このペースで撮っている人がいたけれど、女性では初めてだと思う。

こういうことのできる人というのは、脳の運動神経が並外れて優れているのである。
現場での判断も早いし、打合せ→撮影→編集→次のアイディア作りという無限ループが苦にならないらしい。
常人はこの切り替えが大変で、脳がねじ切れそうになるのだが。

しかも真咲さんのすごいところは、手抜きやルーティンワークがないこと。
どれか力作を選べと言われたら全部選ばざるを得ない。
この人の脳はどんな次世代エンジンを搭載しているのだろうか、と思う。

真咲南朋監督の作風をひとことで言うなら、「女性の本気を見る」ということに尽きる。
AVの使命は映画(一般・ピンク)とちがい、女性が演技を超えて感じている(=行為に没頭している)さまを撮ることにあるので、監督それぞれにその手法を競う。
そこにファンがついていく。

安易な手法では目の肥えたファンはすぐに飽きてしまい、女優も心不在のやっつけ仕事になってしまう。
ファンに愛される監督というのは、ファンの代わりに女優を責めて、忘我の境地に追いこんでくれる人、そのための確実な方法を編み出せる魔法使いのような人なのだ。

つくづく厳しい仕事である、AV監督というのは……。

かつて企画もの全盛のころ、私は零細メーカーをやっていた。
不二企画の緊美研ビデオで、私自身が本気を撮っていただいたことがこの業界に入ったキッカケだったので、私もそういうものを撮りたいと思って自腹で会社を作った。

企画ものという言葉はさいしょ、有名ではない子だけれど他にない意欲的な作品を撮ったよ、という意味だったと思う。
それが、ギャラが安い企画女優さんを多人数集めて同じシチュエーションでどんどんサクサク撮っていく、同じ素材を縦横斜めからカットして何本もの作品に編集する、というやり方が良しとされるようになった時期があった。
「一日に26本の素材を撮った現場がありましたよ。そういうふうにやってください。作品じゃなくて商品ですから」
と、あるAV問屋さんに言われたとき、私は心が折れた。
メーカーをあきらめた。

それでも、多くのメーカーさんはそれに挑戦し続けていった。
女性の本気を撮る簡単な方法を使ってしまった現場もあると聞いたことがある。
驚かせて、泣かせたり、怒らせたりして、そこに行為をかぶせていく手法である。
まあ、とりあえずカオスが撮れるよね。
可愛い子で裸なんだから、カオスは恍惚に見えなくもない。
―私はそういうの、本当に苦手だ。
エッチな気分が覚めてしまうのだ。

真咲さんは女性であり、女優でもあったから、そういう怠けた手法は頭にないのだ。
精神エネルギーをありったけぶつけて女優さんに向かっていく。
細心にして過激だ。
けっこう凄いことも仕掛けるのだが、やりっぱなしではなくて着地点をしっかり見ているから、そこまでポーンと飛ばされる女優さんはひたすら気持ちよさそうだ。
……こういうのがイクってことの本質なんだと思う。


深刻な話題ばかりだった昨年のAV業界で、真咲さんがジャパンアダルトエキスポで監督賞を受賞したことは、数少ない明るいニュースだった。



真咲さん自身、「私は抜けない監督と言われ……」と言っているが、新しい手法が浸透するまでというのは、とかく批判に曝される。
優れた作品、突き抜けた作品ほど、そのような受難は大きい。
それは男性監督もそうで、息の長い人気シリーズを持っている監督ほど、一作目からしばらくは「メーカーのカラーに合わない」とか「ヌキどころがわからない」と言われがちだ。
不思議なものだ。

特に真咲さんの場合は、根強いファンからの「撮るより出てくれよ」コールもやまず、それに対して怒ったり拗ねたりせずに、ひたすらに作品を出すことだけを答としてきた真咲南朋という人間に私はほれぼれする。
去年、AV強要問題について意見を求められ、男性だけが消費側に固定されている産業は不健全になってしまう、この構造を変えたいという話を何度もした。
私はそんな理屈を言うだけなのだけれど、こうして真咲さんというイノベーターが疾走している姿を見ると希望が湧いてくるのだ。
「AVが面白くなるのはこれからだ」と感じた一夜だった。

宇治十帖?

自分なんか居ないほうがいい人間なのだと、思ってしまうことを理屈では止められなかったから、それでも生きていかなければいけないとわかってはいるので、毎日点滴を打ち続けるように、すがるように、情けないほど必死になって愛欲を求めた。

何年も、何十年も。
物心ついたときから、閉経してからも。

取り出して廃棄したかった、自分自身を生かしている原動にある得たいの知れない生命機械。
子宮じゃなかった、もっとまるごと消すべきエンジンがあると思いながら、削除する勇気なく、思い悩み苦しむ顔を母と子供たちにこれみよがしに見せつけるばかり、無様に生きてしまった。

死んではいけませんとか、
子供を持ったほうがいいですよとか、
とても人に言う資格のない者です。

誰かが後ろの荷台を支えてくれて、ヨタヨタと走る自転車。
ふとふり返ったら誰もいない。
はるか後ろのほうであなたは屈んで息を切らしていたなんて、私はずっと気づかなかった。

(いちじてきなものだとおもうんだけど、げすままをかいたら、はらのそこからとどろくようなあいよく、というのはきえてしまったようなんだよ。)

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仏語専攻なのに源氏物語を取っていて、宇治十帖は作者がちがうはずだと信じていた。
式部ちゃんがこんなこと言うはずないじゃんと。

でも、今は逆のことを思っている。
式部がほんとうに書きたかったのは宇治十帖なのではないか。
というか、この長編を綴るうちに式部自身がそのような心境に至ったのかも知れない。
少なくとも、そのようなことはあり得るのだ、ということ。

*写真は母の死後、実家の押入れに湿気よけの紙で何重にも包んで保管されていた、寂聴訳源氏物語全巻。
母はいかな思いでこの本を求めたのだろうか。
最後の恋はたしか50代のころだったはず。

最終巻の発行は1999年、母61歳の頃である。
問わず語られず、なかったことのように忘れ去られて、色も匂いも形もなく、でも確かにそこにある気配。

人に何かを説くためではなく、何かを得ようと求めるのでもなく、己を評価せず、他と比較せず、ゆらっと生きていたい。

年越しの記

去年は十数年ぶりの会社勤めが始まり、年末年始はただもうダラダラ過ごしたかった。
地方にいる子供の帰京も断ってしまった。

最後までダブルブッキング、トリプルブッキングをしてしまい信用はゼロベースに……。
そんな中、『ゲスママ』の担当編集者であるまつ毛君から、ごく内輪の忘年会にお誘いいただき、うれしかった。
今は少人数の部署だけれど、私は2001年からお世話になっていて、ここから巣立った編集さんや作家さんが集まり、とてもあたたかな会だった。

私は自己評価が低い上に人の気持ちがわからない人間で、まさかこんな心のこもった集まりに呼んでいただけるとは思ってもみなかったので、密かに感激した。
自分が思っているほど嫌われてはいないのかも知れない、という気持ち悪い感激の仕方。
私はほんとうに、こういうところが良くないのだ。
気が楽になった私はいつもより飲んで、食べた。

ゲスママNight!を運営してくださった方から、
「神田さんはもう『文化人』だからエロいことはしないんだ?」
と言われて、恥ずかしさのあまり一気に酔いが回った。
もちろん私は文化人じゃあない。
でも、どこかで酔って、
「私も文化人というのになりたいよー!!」
と言った記憶がある。

たしかに最近の私はエログロナンセンスな発言や行動が少なくなった。
少なくなってしまった。
『ゲスママ』を書いて憑き物が落ちたせいもあるし、思いがけず若い女性から否定されなかったので、彼女たちに逃げられたくなくて自主規制をかけている気もする。
とてもセコいのだ、私は。

そんな自分が太宰治的に恥ずかしくなり、とっさにハッタリで、
「そんなことないですよ! ミニスカボーリング大会やりますよ!」
と安請け合いしてしまった。

006


ミニスカボーリング大会をやったのは8年前の4月。
果たして当時のメンバーが集まるかどうか……。
「貴女、まだそんなことやってるの?」と呆れられる覚悟で声を掛けてみるけれど。

022


*文中の写真は2009年4月に行われたミニスカボーリング大会。隣りのレーンの男子生徒たちが全員口を開けて見ていた。

030'


二次会までお邪魔して、まだまだ羽目を外したかったけれど、自己嫌悪になる前に帰った。
もう少しお酒強ければいいのにな。
講演「性の文化とAV」


セックスワークサミットでの講演の模様が弁護士ドットコムニュースに掲載されました
書籍が出ました


「ゲスママ」9/10刊行
私はなぜ異端の性を求めたか―神田つばき初の自伝的私小説。刊行・コアマガジン帯文・宮台真司(社会学者)
更年期コラム連載中

「そうか、更年期だったのか」
ラブピースクラブに好評連載中
脚本担当しました


安藤ボン監督・藤崎ルキノ主演『別の顔』、2014年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭フォアキャスト部門にて初上映。脚本で参加しました
書籍が出ました


女性の妄想にアクセスしてちょっと変態なエッチに誘うトーク術のハンドブックが登場! 不埒なことを真摯に研究する神田つばきの書下ろし三和ムック。三和エロティカまたはamazonで!
大人のケータイ小説


いつでもどこでもケータイ・スマホ・PCでも読めるR18官能小説!毎日更新中!神田も毎夜読んでます。
投稿官能小説のコンテストの審査員を務めさせていただくことになりました。どの作品が受賞するのか楽しみです!
週刊現代10月26日号


「実はみんなやっています 明るく楽しいSEX生活 2013」にコメントを寄せています。だって本当にやってるんだもーん☆
壮快11月号


9月16日発売! マキノ出版『壮快11月号』の特集「下半身の活性術」で「女性の体は休火山! 豆腐タッチでイキやすく…」というお話をしております。
週刊現代6月23日号
熟年セックス講座
「50歳から妻とやり直す」


セックス研究家兼ライター・神田つばきとして「中折れを愛でる」というお話をしています。
神田つばきの提言


「すべての女性の活躍のために女性ホルモン値検査を」女性特有の健康問題の観点から、一億総活躍社会への提言をしています。女性の健康と更年期のブログもこちらから。
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OVO大使に就任



ライフスタイルグッズOVOが、栄えあるレッドドットデザイン賞を受賞! 低価格高品質のドイツ製バイブレーターや膣トレボールのご紹介をしています
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