たびたび映画『ゴンドラ』と『シン・ゴジラ』のことを考える。
女の子と怪獣のことを考える。

ゴンドラは30年前に撮影された映画だし、ゴジラという怪獣の誕生は1954年である。

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おこがましくも2017年版『ゴンドラ』の劇場パンフレットに「冷蔵庫のなかにあるもの」という一文を寄稿させていただいた。
ゴンドラは少女かがりだけの映画ではない、手本とするべき母親像を喪失したまま子育てする私たちの物語でもあると、そんな意味のことを書いた(つもりだ)。

しかし「奇跡のロングラン」と言われ、都内で一週間の予定が四館目、九週に突入しようという今、この映画がなぜこれほど見られているのか、少し気づいたことがある。

それは、かがりの子どもらしくない声の低さである。
大人の声を遮って、心に刺さった棘を引き抜いて投げつけるような、冷えた激しさである。
子役って、泣いたり笑ったりして大人のシンパシーを誘う芝居をするんじゃなかったのか。

かがりはちっとも可愛くない。

そこが、よかった。
高い声でヒラヒラと笑いしゃべるヒロインには、もういい加減うんざりなのだ。
『マッド・マックス4 怒りのデスロード』のフュリオサなんか、始終怖い顔で怒ってばかりいた。
だから三回も劇場に行き、DVDまで買ってしまった。

そう言えば『シン・ゴジラ』の尾頭ヒロミも可愛くない。
可愛くない人ゆえにいじらしくて、愛しくて、応援したくなる。

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ニコリともしない尾頭が、ヤシオリ作戦が成功したときにたった一言「よかった」と漏らす。
あれがもっとも笑顔に近い瞬間だが、後はうまく表情がつくれないタイプの人のようだった。
もっと華のあるセリフを語りそうなシーンなのに、「よかった」としか言えない、影の存在でいることが沁みついている尾頭はすごくいい。

『シン・ゴジラ』にはほかにも女性が出ていた。
石原さとみのカヨコ・アン・パターソンは美人とはいえ闇が深そうだし、精神的に正常ではないような気もする。
少なくともこの女性、男にアゴクイされてウットリすることは、恐らくないであろう。

そして余貴美子の官房長官も正気と狂気のスレスレな感じがキレキレであった。
「総理、いいんですか。本当に撃ちますよ」は葛城ミサトのメンタリティでは絶対に出て来ない、鉛の玉のような言葉だ。

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みんな「かがり系」の女だ。

怪獣は私たちが子どもだった昭和中期と同じ姿で、海の底から同じように現れる。
しかし平成のここにはもう、長い髪をヘルメットに包み、可愛い声で絶叫する女性隊員はいないのだ。

ゴジラはもしかしたら牝*なのかも知れないとふと思った。
ラスト近く、ゴジラの尻尾からニョキッと出ている人間の手や顔とおぼしきものは、どこかに棄ててきた過去の私の部品なんじゃないかと思ったりもした。

(*公式には牡であると発表されている。)