7/30 岡田団長命日。あれから五年

998d8251.jpg二日連続登場の青空巴でございます。関東地方はまだ梅雨明けしません。じれったいものです。


さて7月30日、スワローズファンの皆様、そして私どもツバメ軍団も忘れられない岡田団長の命日です。


ここでは私事で大変恐縮ですが、岡田団長と青空巴の思い出を綴らせて頂きます。


私が岡田団長の存在を知ったのは今から15年前。
中学校の担任から「お前、黒ぶち眼鏡の岡田さんって応援団長知ってるか」と聞かされました。


それから神宮球場に通いだし、応援しているとスタンドにひょっこりと威勢のいいおじさんが表れました。


「あっ、この方が岡田団長だ」と初めて見ました。


95年のある日、試合後に緊張しながら、岡田団長から帽子にサインを頂きました。
その際に

「球場来るときはお母さんにお弁当作ってもらいなさい」

と声を掛けて頂きました。
岡田団長は応援用具作りや球場内において「お金を掛けないこと」をポリシーとして持ってました。


その後も毎年球場に足を運び岡田団長の雄姿を見に球場に行くのが楽しみでした。


そして99年の開幕後にツバメ軍団に入団しました。

再び岡田団長と再会。

もちろん岡田団長は高校生の頃の私を覚えてませんでしたが、入団初日に

「君!野球の応援は毎日来るんだよ」と言われた言葉は忘れられません。


入団後は毎日、応援団の下積みや礼儀、応援のやり方のマスター等日々、大変でした。


応援以外にも岡田団長の本業であった看板業や家の倉庫の片付けと一杯手伝いました。


入団以来、球場でも球場外でもいつも私を子供のように可愛がってくれました。時には説教も…。


岡田団長とは「応援の盛り上げ方や岡田団長のカリスマ性」など応援話はほぼできなく、日常生活の父親という感じでいつもお世話になってました。

近くにいて一番感じたのは、

「人に対しての温かみ。思いやり。大事にする気持ち」これが岡田団長の良さなんだなと感じました。


言葉ではなかなか伝わりませんが、人隔たりなく接してくれるところが大好きでした。


2002年に入り、夏場から体調を崩された岡田団長。私は七月中旬の札幌ドームに遠征してました。

札幌三連戦の日曜日になり岡田団長が来ると聞いて「身体の具合大丈夫か」心配でした。


日曜日にいらした際、八回裏は岡田団長の応援イニング。私は近くにいました。



それから一週間経ち、具合が心配で岡田団長宅に行きました。


「今は暑いからさ、風邪治したら行くからよ」と言ってました。


そしてその三日後。


いつものように皆に挨拶し球場着いた際、一人の団員から裏に呼び出され


「岡田のオヤジさんが今朝亡くなった」と言われました。


私は亡くなられた悲しさに信じられなく頭が真っ白になりました。試合開始前に外野のポール側の上で一人大泣きしてました。


札幌ドームの応援、岡田団長との会話、最後に関わった団員はどうやら私らしいです。


今でもあの日のことは信じられません。


2003年以降、今年は行けませんでしたが、札幌ドームに試合あるたびに遠征、毎年7月30日には岡田団長宅に足を運び仏壇に挨拶と欠かさずにやってきました。

「オヤジと最後に会った団員は自分だから」といつも思います。


本日も岡田団長宅に行ってきました。


大変長くなってしまいましたが、まだ書ききれないほど岡田団長との思い出は一杯あります。


ファンの皆様も岡田団長のことを常日頃思っていただけてるなら嬉しいです。

そして、まだまだ私も頑張って外野スタンドを盛り上げていけるように一試合、一試合力を尽くして参ります。


岡田団長の優しさと温かさ。時には説教。子供のように可愛がってくれたあのハートは一生忘れられません。


最後に


「やっぱ今日も雨。オヤジはスワローズを見ててくれてるんだな」と感じました。

昨日も書きましたが、岡田団長が絡むと雨が多いんです。




by・ 青空巴@ツバメ軍団

 │   (02:55)