私が「触手療法」という場合、それは脊髄反射による神経アプローチや活点などの整圧点に一点照射を行うことを指します。
手かざしなど痛みを感じる患部に直接ないし遠隔的にアプローチするやり方を「気功」と言って一括りにしています。
昔は、矯正(アジャスト)することなくサブラクセーションにアプローチ出来るのが嬉しくて、二点療法(筋肉の起始、停止)だけでやっていましたが、深層が見えてくると一つひとつ弛めてもキリが無いので、自然と経絡を通す療法に変わって行きました。
さらに被験者の姿勢を変えたり、意念を用いず運動を行う必要がある療法を「操法」と位置付けています。
これらの概念は複雑に絡みますので、分け隔てる必要はそもそもありませんが、手技の変換を振り返ってみると大体こんな感じです。
もう一つが重要で、位置付けとしては「精神療法」や「心理療法」ですが、やっていることは「潜在意識教育」なので、確かに療法というよりは思想や価値観を変化させる教育といったほうが正しいように思います。
その他、エネルギー療法的な概念で悪い気を捉えたり捕まえたりして抜く技術を「思念術」として行いますが、霊障の類いや暗示法は全部一括りに霊術的なカテゴリーに入れています。
思念術を深めたおかげで、どのジャンルのアプローチをしても効果は出るのですが、アプローチの仕方よりも思念術のレベルで結果が全く異なることも解って来たので、知識を広げるよりも概念の書き換えや内観法を重視して来ました。
活点を探り捉えることが出来るようなると、想像通り短時間で劇的な内的変化が感じられることが解ったので、やっと先人たちの恩恵の一分を賜れる資格を得ることが出来ました。
あとは結果なので、こればっかりは経験を重ねて行くしかありません。
脊髄反射療法に関しては、やはり均整法の科学的体系は無視できないところで「類別克服法」や「 観歪法」など興味深い内容がたくさんあります。
世間は考える以上に広く、不世出の達人も時代の要求に合えば生まれるものなのでしょう。
唯一絶対のアプリオリなどこの世に存在しないので、私の手が届く範囲でやれるものの中で、最高の技術を見つけたら、それが自分に取っての奇跡の技となるでしょう。
療術の世界は面白く、まだまだ興味が尽きませんが、知識ばかりに偏って腕がサッパリでは意味が無いので、我々はこれまで野口晴哉先生の言葉を教訓に、まずは手指でどこまで情報を探知出来るようになるかだけを練って来ましたので、テクニカルな技術に走るのはこれからなのです!
体を読むということ大切也。書物をいくら読んでも、体を読まざれば学者たるのみ。他人の見つけ出した■(圧痛)や書物に記された▲(硬結)やX(過敏)をいくら沢山憶えていても、自分の指で見つけ読まねば操法の役にはたたぬもの也。カイロープラクティックやスポンデラテラピーなどの書物を聖典の如く思い込んで自分の指で△や□を探ることを忘れ、病人を撫で乍らその聖典の頁を憶い出そうと努めている人あるも、観るは体也。自分の頭の中の書物の頁に非ず。
整体操法読本 観察の書 著作全集第三巻 中期論集より抜粋
<おわり>
手かざしなど痛みを感じる患部に直接ないし遠隔的にアプローチするやり方を「気功」と言って一括りにしています。
昔は、矯正(アジャスト)することなくサブラクセーションにアプローチ出来るのが嬉しくて、二点療法(筋肉の起始、停止)だけでやっていましたが、深層が見えてくると一つひとつ弛めてもキリが無いので、自然と経絡を通す療法に変わって行きました。
さらに被験者の姿勢を変えたり、意念を用いず運動を行う必要がある療法を「操法」と位置付けています。
これらの概念は複雑に絡みますので、分け隔てる必要はそもそもありませんが、手技の変換を振り返ってみると大体こんな感じです。
もう一つが重要で、位置付けとしては「精神療法」や「心理療法」ですが、やっていることは「潜在意識教育」なので、確かに療法というよりは思想や価値観を変化させる教育といったほうが正しいように思います。
その他、エネルギー療法的な概念で悪い気を捉えたり捕まえたりして抜く技術を「思念術」として行いますが、霊障の類いや暗示法は全部一括りに霊術的なカテゴリーに入れています。
思念術を深めたおかげで、どのジャンルのアプローチをしても効果は出るのですが、アプローチの仕方よりも思念術のレベルで結果が全く異なることも解って来たので、知識を広げるよりも概念の書き換えや内観法を重視して来ました。
活点を探り捉えることが出来るようなると、想像通り短時間で劇的な内的変化が感じられることが解ったので、やっと先人たちの恩恵の一分を賜れる資格を得ることが出来ました。
あとは結果なので、こればっかりは経験を重ねて行くしかありません。
脊髄反射療法に関しては、やはり均整法の科学的体系は無視できないところで「類別克服法」や「 観歪法」など興味深い内容がたくさんあります。
世間は考える以上に広く、不世出の達人も時代の要求に合えば生まれるものなのでしょう。
唯一絶対のアプリオリなどこの世に存在しないので、私の手が届く範囲でやれるものの中で、最高の技術を見つけたら、それが自分に取っての奇跡の技となるでしょう。
療術の世界は面白く、まだまだ興味が尽きませんが、知識ばかりに偏って腕がサッパリでは意味が無いので、我々はこれまで野口晴哉先生の言葉を教訓に、まずは手指でどこまで情報を探知出来るようになるかだけを練って来ましたので、テクニカルな技術に走るのはこれからなのです!
体を読むということ大切也。書物をいくら読んでも、体を読まざれば学者たるのみ。他人の見つけ出した■(圧痛)や書物に記された▲(硬結)やX(過敏)をいくら沢山憶えていても、自分の指で見つけ読まねば操法の役にはたたぬもの也。カイロープラクティックやスポンデラテラピーなどの書物を聖典の如く思い込んで自分の指で△や□を探ることを忘れ、病人を撫で乍らその聖典の頁を憶い出そうと努めている人あるも、観るは体也。自分の頭の中の書物の頁に非ず。
整体操法読本 観察の書 著作全集第三巻 中期論集より抜粋
<おわり>
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