新たに見えて来た身体観ですが、今までは、筋骨格から内臓マニュピレーションあたりまでを、整体の領域として展開させていました。


さらに心理療法まで進むと、人体構造において各部位の知識を高めるよりも、統合的な療法に重きを置く流れになっていました。


そして、数々のコペルニクス的転回を迎えて、今度は新たに「筋膜」に対する認識を変えるフェイズに入って来ています。


前に学ばせてもらったことがある気功の先生から、筋肉は「感覚器官である」というヒントを頂いてから、実に多くの発見がありました。


そして、肌に対する認識が「皮膚常在菌」となり、神経ネットワークが「ミエリン鞘」となり、現在では「筋膜」に対する概念が進化しています。


訳あって学びに行けない状況となってしまったので、残念ではありますが、それもまた面白いと考えて、自分で色々挑戦していました。


様々なヒントや文献のおかげで、ようやく筋膜アプローチの手技で驚くべき結果が出せました。


前に書いた、医者に見放され、要らぬ頸椎手術をされたクライアントのお爺さんですが、仙骨周辺から筋膜アプローチを施すと、臀筋が溶けるように弛み、大骨子に触れたり、梨状筋を掴めるほどに大腿部がペッタンコになりました。


そこから、不具合を起こしている腱や筋肉を掴まえることが可能になるので、まさに解剖しているような感覚で(したことはありませんが)、腑分けが出来るようになります。


さらに、筋膜アプローチで内部の階層を狙って弛めることが出来ると、まさに筋肉は「水」のようにユルユルと揺れるのです。


筋肉は水と言っても、触感的には張りの無い水風船のようで、気持ち悪いくらい柔らかい状態です。


昔参加したセミナーでは、バレエをやられている女性の筋肉を触れさせてもらいましたが、その体験が生きているように思います。


そういえば、昔テレビで見たマイクタイソンの試合で、ゴングが鳴る前に隣でトレーナーがタイソンの大胸筋をマッサージしていたのですが、まさにグニャグニャで、あの感じでした。


生きた筋肉というと語弊があるかも知れませんが、硬く張った筋肉のパフォーマンスとは違う、使える筋肉という世界観がありました。


しかし、今回辿り着いた視点から見えた感じだと、高齢でガチガチになった筋肉であっても、同じようにユルユルになるということです。


そして、そのユルユルの中に、幾つかの結晶のような硬結があり、それが流れを阻害しているのです。


野口整体で語られる硬結が、コレのことを指すとすると、野口晴哉の背骨に対するアプローチは、まるでピアノを弾くような軟らかいタッチをしていたという話も頷けます。


この仮説が正しいとすると、野口先生のスゴいところは、そのスピードとタッチの正確さ、またそこから得る情報量にあると思います。


しかし、コレらの技術が継承されることはなく、野口晴哉も次に伝える術を持たず「我は去る也(知らない人はコレ↓過去記事参照)」に書かれていたことは真実だろうと思います。



かつて整体協会の内弟子で、指導員だった方から、直接手解きを受けたことがありますが、その経験も踏まえて、神業と云われた技術に関しては、指導員クラスでも継承出来ていないと確信しています。


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「野口晴哉の和装姿はカッコイイですね♪」

手技のみで治療家を目指すというのは、素手で一瞬のうちに倒す武術の達人を目指すのと似ています。


会ったことのない偉人の技術を追うのは、非常に無意味なことですが、その無意味が向上心に繋がるならば、少なくとも生涯楽しむことが出来ます。


筋膜アプローチは、一頃流行った筋膜リリーステクニックとは全く違う別物なので、かなり繊細な触診と脳内ビジュアライズで変化させるだけの「思念術」が必要です。


まだまだ検証する余地がありますが、弟子たちとこの感覚をシェアして、自分たちなりの次世代の整体技術を発展させたいですね。


<おわり>