さて、なんだかんだで時は過ぎ、いつの間にか完全に冬が到来って感じがします。

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「寒到来ですね」


今の時代、長く生きることが正解なのかというと、それは夏休みと一緒で、過ぎ行く日々はあっという間に終焉を迎えてしまうので、大抵の人は満足せずに終わるのです。


人生の時間について考察する作品に「わたしを離さないで」がありますが、少しくらい時間が伸びたところで、死の恐怖など払拭出来るモノではありません。


わたしを離さないで [DVD]
20th Century Fox Jp
2012-06-02




不満や未練の無い人生などあり得ないと、お笑いの有吉さんが言っていて「どんな高級料理食べて死んでも、最期は「水ください」とか言って未練残して死ぬんだよ」と語られていましたが、全くその通りだと思います。


人によって満足度は違いますし、武術なら「極めたい」とか「指導者になって自分の道場を持ちたい」とかありますし「結婚して家庭を築きたい」とか「好きな車を手に入れたい」とか、それぞれにあると思います。


それらの多くを希望通り手に入れる人もいれば、それらが全く叶わない人も当然います。


所詮、幸せというのは束の間の切り取った瞬間を評価する程度のモノですが、故人を手前勝手な視点で赤の他人が批判すべきではないと思っています。


「友川かずき 無惨の美」


友川かずきは孤高のフォークシンガーで、独特の東北訛りでギターを掻き鳴らすスタイルは、どのジャンルの世代にも響くモノがあります。

ちなみに唐詩郎と私は、小学生の時に観た「一家だんらん物語」で主題歌を歌っていた友川かずきに惚れて、互いにそれを知らずレコードを買いに走ったモノですが、インディーズのレコードなど子供にはわからず「生きてるって言ってみろ」を二人で聴けるようになるまで十年以上の時が必要でした。



 その死は実に無残ではあったが
 
 私はそれをきれいだと思った

 ああ覚(サトル)

 そうか死を賭けてまでも

 やる人生だったのだ

 よくぞ走った

 走ったぞ

 無残の美



彼は弟「覚」が自死したことを「無惨の美」として歌っていますが、その後弟が残した資料のノートから詩集が出版され日の目を見ました。


人の「生き方」や「死に方」は他人がとやかく評価すべきではなく、少なくとも残された家族や友人、またはファンが傷付くような批判を偉そうに発信すべきではないでしょう。


我々のように整体を通して人と向かい合うことを生業とする人間は、稀に生死と対峙する場面に立ち会います。


そのような経験から如何なる命であっても、その生き方を無下にすることがあってはならないと感じています。


どんな終わり方を迎えようと「よくぞ走った」と言ってやりたいのです。


コロナ禍においても実際に死に目に会えなかったり、葬儀も出来ない別れがある中で、パーセンテージで死亡率を掲げる意味など自己顕示欲以外にありません。


何かしらを提言して、世間に問うには「実績と能力」の裏付けがない限り、他人が発信した内容を引用したパクリの言葉など、マトモな人には響きません。


同じ内容、同じ意見をプロフェッショナルが言うのと、素人が語るのとでは全く意味が異なるからです。


「東京03  同意見」


「ダサイ奴から勧められた服は着ないけど、同じ服をオシャレな人に勧められたら、着ようかな〜ってなるんだよ」と角ちゃんが言いますが、素晴らしいド正論です。


この頃の東京03は最高ですね。



<おわり>