自分の初心がどこにあるのか?

考えてもわかりませんね。

どこというより、何だったのかさえ…。


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そもそも治療家になりたかったワケではないし、ホントのところで言えば、触れただけで人を諌めるに足る力が欲しかった。


そういう技術を求めて二十年修行して、開花したのが真逆の能力だったが故に、現在の生活になっています。


ただ、私が求めていた「強さ」は多くの人にとってはどうでもよい無価値なモノで、そのことに気付くまでに時間が掛かりました。



今ではそれも理解出来るのですが「男子たるモノ」という古い概念があって「強くあらねばならない」と思い込んでいたのです。


そのことに費やした時間そのものも無駄だったのかというと、現在の視点で言えば、そのことは幸せだったと思います。


今現在の自分が20代後半とか30代だったら、将来が心配でそんな余裕は無かったように思うからです。


過去を振り返る時間が良きモノであるなら、それは至福の時間なのでかなりの娯楽として楽しむことが出来ます。


失敗ばかり思い出すように脳みそは設定されていますが、思考をコントロール出来ると振り返る行為は古い録画を観るようで楽しいのです。


それを共有出来る昔馴染みの友人と会って話すのも楽しいですが、実際は日々の生活に追われて、年に一回も会うかどうかだと思います。


仕事がスケジュールいっぱいだったり、家族がいたりすると、サラリーマンの仕事帰りのついでのように飲みに行くこともありませんから、予定を組むだけで大変な作業です。


そう考えた時に若いウチは仲間といっぱい遊んだり、旅行に行ったりすべきだと思いました。


たぶん、我々は老後を楽しむという余裕もない未来になってると思うので、多くの人間が行政に助けられて生きて行くことになっているかも知れません。


そうならない為に走り抜けて行かなければならないこともありますが、生産性のみを重視する生き方にはかなり疑問があります。


我々は100%いつかは死ぬので、死ぬまで全力で走って行くのはシンドイし、周りの景色や隣を走る仲間とか、立ち止まったり、倒れた者に声かけるくらいの余裕はあったほうが良いのです。


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自分の存在は必要とされて始めて意義を感じることが出来ますし、その関係性はWin-Winであるべきです。


そして、その対価はお金じゃなくてもエピソードの一つとして意味があるなら、それで十分だと思っています。


人間の器というのは、自ら選択した技能よりも課せられた技能習得に費やしたエネルギーのほうが、後の自分を形成する器に大きく影響します。


無駄なく寄り道せずに生きることが求められますが、実際最短のルートというのは回り道に見えたりするモノです。


こればっかりは、ある程度年輪を重ねないと理解出来ませんが、やりたいことをやるためにやりたくないことをやる時間が必要になったりします。


病気や怪我も同様で、その結果としてフェイズやレイヤーが変わるのが人生のランダム性の一つですから、やたら寄り道やよそ見を忌避して自分の思考や概念を押し付ける人間には警戒しましょうね。



<おわり>