久しぶりの投稿になります。


最近は、新規の方も増えてある種の奇跡的?な技術を感じて貰って、その流れで「気功講座を受けてみたい」という人が増えています。


norman_gil-ai-generated-10283012_640



もう、かれこれ何十人の人が講座を受けられたか分かりませんが、受講終了して気功整体師養成を目的とした講習会のメンバーもそろそろ10人近くになりました。


過去の弟子を入れるとさらに増えますが、現在隣町でやってる弟子も順調に業績を伸ばしていますし、元?料理人の弟子は地元のイベントに参加して、高評価を得たと報告を受けています。


私は、自分自身の責務を全うするために治療したり、指導したりしていますが、私が何者になりたいかと問われれば、最終的には半妖怪みたいな存在になれたら良いなと考えています。


lisaleo-yokai-9804802_640 (1)



人間というのは、表出した宣言よりも、無意識下の野心というか欲求によって行動しますので、自分自身が何を求めているのかと思考を巡らせてみると、ざっくりとした感じでは「技術の向上」だけが残るような気がします。


昔、求めた漠然とした強さや精神的高さは、今では完全に色褪せて、ぶっちゃけ「どうでもよい」ので「浩然の気」を実践的に語れる人間は私の人生ではいなかったし、自分自身で模索して行くしか無いワケです。


技術の向上…知的好奇心という本能に従って、とにかくひたすら進んで来たら、いつの間にか思うような人生を歩めるようになっていたので、どんな得失や合理性があったとしても、自分の本能に逆らうべきではないし、それが正しいと思うのです。


後悔というヤツは、自分の本能に背く時に現れるので、私は常に自分の選択や決断を他者に委ねず進めるようにしています。



「我事において後悔せず」



我々は、自分という存在を自分の視点で正しく認識するのは困難なので、まさに「我思う、故に我あり」で自我が無いことを自覚して、自分を客観視した時、はじめて自我が見えるという皮肉なモノなのです。


deltaworks-buddha-statue-378135_640



とにかく自分を知るために仲間を作ったり、家族を作ったりして、いま周りにいる人が笑って幸せに過ごせているなら、それが正しいという証左なのですね。


痛みや悩みが抜けた時も、人は幸せを感じるので、そのお手伝いをしながら輪が広がることで、紹介の連鎖がはじまって、一気に空いていたスケジュールが埋まって行くのは、予め決まっていたパズルのように隙間無く未来が設定されて行きます。


己の役割を知りその責務を全うしている時は、無駄が一つもない曼荼羅のように、あっという間に時も過ぎて行くのですね。


漫然と過ぎし人生にしないためにも「面白きことも無き世を面白く」の精神は、とても大事な感性だと思います。


<おわり>




気功ランキング

整体ランキング

心理療法ランキング


「#カイロプラクティック」人気ブログランキング

「#気功講座」人気ブログランキング






人気ブログランキングでフォロー