2005年07月

友達が備長炭'sというチームを結成した。
よくわからないけど自分も参加させてもらうことにした。

備長炭'sのホームページはこちら
http://blog.livedoor.jp/tororo_mishima/

HPのタイトル画像に全仏オープンテニスのシャラポワを使ってあるのはナゾだけど。。。
打倒シャラポワって・・。

それはそれとして、もしご近所でしたら「備長炭」に入ってみませんか?

単なる思い付きを書きます・・。

プレートのひずみが極大になると巨大地震が起こる。
それなら、あまりにも大きい地震が起きて首都が壊滅的な打撃を受ける前に、
プレートの境界に小さな衝撃を与えて、最高震度5弱程度の地震を人工的に継続的に起こすことで、
超巨大地震を防ぐことはできないものか??

難しいだろうけど、不可能じゃない気がするのだけれど、どうかな?
だれか研究してる人もいるんじゃないだろうか。
これができればノーベル賞もの!?

コンビニでトイレを借りた。

ちょっと手が汚れたので、ズボンのボタンを一番上だけ止めて、ベルトもそのままで先に手だけ洗った。

その後、いつも通り立ち読みをしていた。

何事もなかったかのように。

数分後、なにか違和感を感じ下を見ると、ありえない光景が繰り広げられていた。

そう。みなさんお気づきの通り、手を洗ったあとベルトと残りのボタンを止めるのを忘れ、いろいろと丸だしのまま立ち読みしていたのだ。

さすがに焦りました。

周りに誰もいなかったのが救いと言えば救いか。

夜だったので道行く人々からは丸見えか?という可能性も、たぶん本棚でうまく隠れていたに違いないと祈るほかない。

トイレから本棚までのあいだですれ違った人に対しては、とんでもない景色を見せてしまったであろう点について申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

ところで、事件発生後何分かしたあと私が思ったことはなにかと言うと、
「やった!これでブログに書けるいいネタが手に入った!!」
というもの。

いいのか?これで。
人として・・・。


※注 見えていたのはパンツだけです。

先日の連休など、最近は暑くて休日何も出来ずに寝て過ごしてしまうことが多いので、ついにエアコンを購入する決断をいたしました。

いままでは、エアコンなんぞを使っていたら人間としての生きる力が退化してしまう、と考えてヤセ我慢していたのです。

生きる力の退化より、休みの日に何もできずにオツムが退化する方が、想定外に影響が大きいという判断です。

生きる力はジョギングで補います。

・・・というかまあようするに暑いんです。

暑すぎるんです!!

「○○できたら死んでもいい」という表現はふつう、

「あのアイドルとキスできたら死んでもいい」

などの夢のような出来事に対して、実現したら死んでもいいくらいのありえないくらい素晴らしいこと、という意味の比喩として使う。

そうじゃなくて、ホントに自分が寿命を終える時に、
こうなったら死んでもいい状態ってどんなんだろう?と考えてみた。
それを考えることで、「死」について前向きに捉えることが出来るんじゃないだろうか。

「すべての行動の適不適を測るための尺度として、
 理想的な人生の最後の姿を思い描き、
 それを念頭において今日という一日を始めることである。」

ということを言ったのは「7つの習慣」のコヴィー博士だが、
今まで実際に「理想的な人生の最後の姿を思い描」いたことはなかった。
その言葉から、実際に自分が何をどうやって考えればいいのか、全然わからなかったからだ。

「○○できたら死んでもいい」という身近な言葉を使うことで初めて、
その考え方を自分のものにできたような気がする。

本当に心の底から、おだやかな気持ちになって、
自分はもうこの世に未練がない、やるだけのことはやった。
と思えるためにはどうなればいいんだろうか?

それがなんなのか、考えながら生きていきたい。

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