官民連携プロジェクトでアフリカをまわっている自民党のやまぎわ衆議院議員さんらと一緒に食事をした。
総理が辞任して大変な時にもかかわらず、プロジェクトに残ってアフリカを回り(議員の一人は途中で帰ってしまった)、隊員を激励するために時間をとってくれたということでとてもありがたく、なかなか楽しく話ができた。

のだが、最後に何か言いたいことがあれば言ってくださいと言われたときに、格差社会を解消してくださいとお願いしてみたら、意外な答えが返ってきた。

まず、日本ほど格差の少ない国はないんだと。
そして、がんばったものがむくわれる社会にして、そこからあぶれてしまった人は、上りつめて上に立った人間がノーブレスオブリージュで助ける。そういう社会に日本もなっていかなければいけないんだと。
そう言っていた。

確かに日本ほど格差の少ない社会はないと自分も思う。
でも、日本でノーブレスオブリージュで上に立った人間が困っている人間を助ける、というのは、日本の文化的な背景や、国民性から考えてちょっと難しいのではないかと思うのだ。

そう言ってみたら、「まあそうかもしれないね」と笑顔であっさり返してきたので拍子抜けしたけれど、そこで会が終わってしまったのでそれ以上の話はできなかった。

国際的に見たら日本というのは格差が非常に少ない社会なのは間違いない。
けれど、それと現実に日本で格差が広がっていることとは別問題なんじゃないだろうか。

そしてその「格差」というのは、がんばっていない者とがんばっている者との格差が広がっているわけでは必ずしもない、というのが味噌だ。
今の格差というのは世代間格差なのだ。
若者の中で、がんばっても全く報われない人間が増えていることが格差の主因であって、それは多くの場合、本人が悪いわけではなく、社会の状況が変わってしまったことが原因なのだ。

…といった格差に関する話は、このブログで紹介した「少子化社会日本―もうひとつの格差のゆくえ」や「仕事のなかの曖昧な不安」などの本からの受け売りなのだけれど、社会を変えることができるのは政治だけなので、そのあたり政治家の人にはしっかりと考えてもらって、もうちょっとなんとかしてもらいたいものです。
ダメ出しするだけなら誰にでもできるし建設的な提案をしたいところだけど、それは政治家の仕事なので。