2006年07月

2006年07月29日

ゲド戦記 5点(100点満点中)

外道照身霊波光線!
公式サイト

思った通りに駄目でした(笑

本作の原作者が今回の映画化にOKを出したのは、アカデミー賞などで国際的に高い評価を受けているアニメ作家・宮崎駿が作ると思ったからなのだそうだ。

そうやって映画化権を取得しておいて、実際に監督を担当するのは今までに一度もアニメも映画も作った事がない息子の宮崎吾朗とは、これって詐欺じゃないのかと言いたくなるほど原作者が可哀想に思えてくる。

別に世襲だろうがなんだろうが、作品としての出来がよければ誰も何も文句は言わないし、仮に言う奴がいてもそれは単なる妬みとして一蹴されるだけだ。

が、本作の出来は良くない。これは批判されて当然。しかも宮崎駿の息子である事を宣伝材料としてアピールしまくっているのだから、比べられて当然。

というわけで、作品として何が駄目なのかを、ところどころ宮崎駿との比較を交えながら述べていく。


まずは脚本・ストーリー部分について。

本作は脚本にも宮崎吾朗の名前がクレジットされており、当然氏の責任によって書かれていると思って問題ないだろう。

これまでの宮崎駿作品には、「説教くさい」という評価が付いて回っていたが、それはあくまでも作品内の世界観や演出・ストーリーなどの中に、暗喩として込められていた"作家の主張"が、作品鑑賞を通じて観客に訴えかけられているというものであり、それは宮崎駿の作家性を際立たせるための一つの手段であったといえる。

ひるがえって本作も、より極めて説教くさい作品と仕上がっているのだが、その手法はひたすら登場人物に説教台詞を喋らせるという、映像作品として最低の手法が取られている。本作は、全ての登場人物のほとんどの台詞が説明と説教で構成されているというつくりになっており、全く評価できるものではない

全ての表現を文字のみで行うメディアである小説では、台詞が説明的であったり説教であったりしても、問題はない。だが、映像作品には、ダイアローグ以外の表現手法がいくらでもある。それらを使い分けて独自の作品とするのが映像作家の仕事である。眼で言葉を追う小説と、耳で言葉を聞く映画では、言葉の持つ意味は全く異なるのだ。小説的台詞をそのまま喋らせるなど言語道断であり、それは創作とは呼べない。

ストーリーは、長い原作の途中の1エピソードを抜粋して作られているのだが、上述の様に説明と説教ばかりで埋め尽くされている割には、物語の根幹に関わる重要な説明はほとんどなく、結局どういう世界のどういう話なのかはよくわからないため、余計に説教のみを押し付けられているようにしか感じない印象を強めてしまっている。

つまりひとつの物語として成立していないのだ。


次に映像面について。

本作のキャラクターデザインは、いつもの宮崎アニメと同様、大塚康生風のキャラクターが使われているので、普通の人たちなら、いつもとあまり変わらない印象を受けるのかもしれない。

が、宮崎駿アニメが優れていた理由は、アニメ製作における各作業パートへの異常なまでの介入と要求が、それを許せるだけの天才的なセンスに満ちていたからなのだ。

アニメは実写と違って、全てを人間の手で絵に描いて見せなければいけない。デジタルが発達した現在でも、データを入力するのは人間の手であり、要求されるセンスは変わらない。

まず、映像の設計図となるコンテに壊滅的にセンスがない。さすが素人としか言い様のない、凡庸でつまらない構図が延々と続き、見ていて少しも楽しめない。「これをここからこう見るのか!」と、カットごとに驚きを与えられていた宮崎駿作品とは大違いだ。まずこの時点で駄目。

風になびく髪、枝から地面に落ちる枯葉、鳥の羽ばたき、立ちのぼる煙…

そういった、画面上に存在するあらゆるものの"動き"を、どの様に描き動かすか、どの様に見せるのかが、アニメーターの才能・技術の見せ所であり、ここにアニメーターの作家性が如実に示されるのだ。

これらの作業は、もちろん複数の人間によって分業で行われるのだが、宮崎駿はこれらの作業に対して細かすぎるチェックを入れ、細かすぎる指示をして、自分の作品を作り上げていた。だからこそ、宮崎アニメの映像は、独自のカラーを強く打ち出しているのだ。

が、今回の監督はアニメを作った経験ゼロの素人であり、そんな指示ができるはずもない。これまた、宮崎駿の指示によるセンスに満ちた中割りとは、比べようもない低いクオリティとなってしまっている。予告編でも使われている、ヒロインの髪が風になびく映像などを見てもらえれば、アニメに詳しくなくてもわかると思う。

映像作品として、見るべきところは無い


最後に声関連。

本作も例によって、役者やタレントを声優として起用するという、誰に何の得があるのか皆目理解できないキャスティングがなされている。

さすがのジブリブランドのお陰で、他社作品に比べて豪華な顔ぶれが揃ってはいるのだが、違和感無く聞けたのは香川照之くらいで、後は散々な結果。もちろん、小説的な説明・説教台詞も足を引っぱってはいるのだが。

これは、"作品を楽しむ"という最重要課題にとって、明らかにマイナスとしかなっておらず、この悪しき慣習は本気で考え直さなければいけない重大問題であろう。

タレントや芸人を使うなというのではない。役に合った演技のできる人間を使って欲しいだけだ。

一番酷かったのは言うまでも無く、何故か本作のヒロインに大抜擢されプッシュされまくっている、手嶌葵とかいうよくわからない素人だ。

予告編やCMなどでも聞ける通り、明らかに素人としか思えない棒読みだ。宣伝で使われまくって耳について離れない劇中歌は、谷山浩子によるメロディーが秀逸なだけで歌が上手いわけではない。

なぜこんなズブの素人を起用したのかは全くわからない。パパがエラい人なんですか?


結論:宮崎駿の天才ぶりを再確認できるというだけの、単なる駄作。デビルマンのようなネタ的楽しみも全く無く、存在価値は無い。こんな愚かな商業主義の塊でしかない悪作を、これ以上作らせてはいけない。もうジブリは潰れるべきだ。

原作は面白いので、機会があれば。


tsubuanco at 16:25|PermalinkComments(28)TrackBack(4)clip!映画 

2006年07月19日

パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト 55点(100点満点中)

ズボンに巻きつくイカ子供
公式サイト

ディズニーランドのアトラクション『カリブの海賊』をモチーフとした、ジョニー・デップ主演のアクションコメディクリーチャー映画の第2弾。前作のヒットを受けて製作された続編であり、来年公開される第3弾へとストーリーを引き継ぐための中編に位置づけられている。『スターウォーズ 帝国の逆襲』の様なものだ。

前作の完全な続編である上に、前作の内容やキャラクターに関する説明はほとんどないため、誰が何者で何をどうしたいのかは前作を未見だとよくわからないという、一見さんに不親切な作りとなっている。行く前に予習あるいは復習が必要。

ストーリーは前作からの伏線や設定をそのまま引き継いだものとなっており、ウィルの父親をはじめ、前作で疑問が残った部分を回収するなど、シリーズものを追う楽しさは用意されている。

が、お話自体は大して凝っているわけでも特別斬新なわけでもなく、あくまでも個性的なキャラクターが繰り広げるコミカルな会話やドタバタ、あるいは生々しくグロテスクなクリーチャー造形と動きのリアルさを楽しむのが、本シリーズの楽しみ方だろう。女性なら、デップやブルームの男前っぷりを堪能出来るオマケもある。

今回の敵役となる魚介海賊達は、前作のゾンビ海賊と比べて、そのグロテスクさも、デザインのキテレツさも、大幅にアップしており、クリーチャー好きにはたまらない映像を存分に楽しむ事が出来る。更に今回は巨大怪獣クラーケンまで登場、グロテスクな触手を暴れさせ、豪快に船を破壊するその映像は、劇場で見て損はない。

ただ、前半の原住民との追っかけっこや、後半の魚介海賊との戦闘など、テンポがよく迫力ある映像が堪能出来る場面はたくさん用意されてはいるのだが、それと同じくらい、冗長で退屈なドラマ部分にもたっぷり尺が裂かれており、前作と同様、この部分が大して面白くないのが少々キツいところだ。もっと短くまとめてくれるとありがたいのだが。

前作を楽しめた人なら文句なしに楽しめるだろうが、ダメだった人には同じくダメだろう。とにかく前作を観ている事が最低の必須条件の作品なので、注意が必要。

蛇足:本作の宣伝で「さらば、ジャック・スパロウ」というコピーが使われているが、3作目に続く事が知られてる状態でその文句はないだろうと。バレバレ。


tsubuanco at 15:54|PermalinkComments(4)TrackBack(19)clip!映画 

2006年07月18日

日本沈没 85点(100点満点中)

軍艦ハワイ
公式サイト

日本が誇るSF作家・小松左京の同名ベストセラー小説を、1973年から33年ぶりに再映画化。今回は、監督デビュー作『ローレライ』に次いで、何故か2作目にして超大作を任されてしまった天才オタク監督・樋口真嗣が監督を務める事となった。

優れた映像構成センスと豊富な引き出しを持ち、特撮を得意とする氏に加え、本作は更に特技監督に神山誠、監督補に尾上克郎の3者の才能と技術がガッチリ連携し、映像的観点では旧作を圧倒的に凌駕する本格的特撮映画に仕上がっている。

本格SF小説である原作のヒットを受けて製作された旧作は、原作と同様、まず日本周辺に起こっている兆候の描写からじっくりと話を開始し、「日本が沈没する」の台詞が登場するまでに尺の半分弱を使っているのだが、本作ではその部分を大幅に省略し、早い段階で日本が沈没する事実を提示し、その後の展開に重点を置いた構成となっている。

『日本沈没』という作品が、過去に大ブームとなった作品であり、読んだ事も見た事もない人でもタイトルくらいは知っているという、もはや一般教養の一つとなっている現代において、この改変は正解と言えるだろう。リアルなSF考証の積み重ねに尺を取られてしまっては、娯楽映画としての方向性を目指す上で中途半端な完成度になってしまうのは目に見えており、"みんなわかってる事"は省略すればいいのだ。

避難その結果として、旧作では予算や技術の関係で充分に描写出来なかった、天変地異や災害の大特撮映像や、逃げ惑う群衆のパニック映像などは、満足出来るレベルにしっかり描かれており、また、後半はずっと火山灰が降り続けるなど、背景エフェクトを状況説明として用いる事で、登場人物の絶望感を観客に実感させる手法も見事。大作映画としての映像クオリティは充分に満たしている

ストーリー面でも、原作・旧作の一つの軸となる"政治家の動向"の部分では、33年の時を経た現代の状況を考慮した上で、むしろ旧作映画よりもリアルな観点で各人物のキャラクターを立たせ、それをドラマに活かして効果を上げている点は評価出来る。更に政治的リーダーとなる人物と田所博士の間に、過去を絡めた人間関係を設定しておく事で、メインキャラクターが有機的に関連性を持って連動し、ドラマとしても一体感を出している。

もうひとつのドラマの主軸となる小野寺(草ナギ)と玲子(柴咲)の恋愛ドラマも、会ったその日に女が発情して、男は男で好きかどうかわからないのに美人だからとヤッちゃって、一緒に逃げようとしたら女がバカで死ぬ(死んでないけど)。という、正直な所あまり面白くない旧作の展開に比べ、自分から何もしようとせず、単に流されるだけだった旧作の玲子を、本作ではレスキュー隊員として本編の災害と必然的に絡ませて、ある程度感情移入が可能なキャラクターへと改変。

一方の小野寺は旧作とほぼ同様ではあるのだが、"単なる仕事 → さっさと逃げたい → 愛国に殉じようとする"という心境の変化を、両者の出会いと心の動きをある程度じっくり描く事で、説得力とドラマ的盛り上がりを両立させる方向性に作られている。

既に最後の決意を固めた上で玲子を抱きしめ無言で涙を流す、テント内の場面は、男性的視点で見た恋愛描写としては最大の泣きどころ。少なくとも、とりあえずヤッちゃった旧作の藤岡弘よりはカッコいい(笑)。

この恋愛部分は、(福田麻由子も含め)営業的理由で押しつけられた余分な要素を、可能な範囲で作品内に活かす方向に努力している事もよくわかり、尚かつミクロ視点における人物ドラマとマクロ視点における大局的動向とが乖離しない様に工夫された構成には感心させられる。

阪神大震災そして、SF的考証ドラマとしての前半と、日本人的感傷に満ちたカタストロフに徹底した後半とによって構成された原作や旧作に対し、本作は終盤で全く違った展開を見せ、観客を感動させる事間違いなしの結末が用意されている。

日本列島が、そして日本国民が、どんな運命を辿る事となるのか、ぜひ劇場で、自分の目で確認してほしい。間違いなくオススメ出来る秀作だ。


追記:"現代の日本の風景"を散文的に描写するオープニング映像や、「まだこの地域に被害はない」のテロップ等、意図的に旧作映画の手法が用いられている部分や、監督が個人的に好きな映画やアニメ等からの映像や用語の引用が散りばめられている等、リスペクトとオマージュに満ちた小ネタを見つける楽しみもアリ。これも、オタク監督の樋口ならではである。

追記2:パンフレットに"小学生の時の樋口真嗣が描いた日本沈没の絵"が載っているのだが、これが物凄く上手くてビビる。やっぱり天才は、我々凡人とはスタートラインからして違う様だ。




tsubuanco at 16:53|PermalinkComments(4)TrackBack(5)clip!映画 

2006年07月13日

ブレイブストーリー 30点(100点満点中)

魔神英雄伝
公式サイト

宮部みゆきの同名小説を、GONZOによってアニメ映画化。ジブリやピクサーという、世界的にブランド力を持つアニメ映画に真っ向から対決する形となった本作だが…、出来は微妙

宮部みゆきの小説(ライトノベルと呼ぶ人もいるが、呼称はどうでもいい)の特徴は、人(特に女子供)の心情・情念の描写にあると思うのだが、この小説もまた、主人公・ワタルと、親友かつライバルとなるミツルの両者が、異世界を冒険する動機として、人間の持つネガティブな心情を執拗なまでに描き、冒険を通じて成長するとともに心情も変化していき、その事によって物語が進行し完結するという、"宮部らしさ"溢れる人間ドラマが盛り込まれてあった。

が、今回の映画化において、配給側は本作の"題材"である「少年の冒険ファンタジー」の部分に作品を特化させ、"ファミリー向け娯楽映画"として興行しようと考えた様で、上述した現実世界における導入部のドラマが大幅にカットされており、同時に"宮部らしさ"も大幅減となってしまっている。

さらに、文庫で全3巻と言う、長い原作を2時間弱の尺で終わらせる暴挙に出てしまったため、冒険のほぼ最初と最後だけしか描写せずに、途中は完全省略されてしまっており、まるで総集編を見ている様な構成

ゲーム脳このため、作者が題材として意図していた"あからさまなRPG風世界に紛れ込んだ少年の冒険と成長"という本作の娯楽的要素が、全体的世界観も冒険も成長も全く描かれていないという構成により、完全にスポイルされてしまっている結果となってしまっている。

当然ながら、過程が飛ばされている事で、ワタルの冒険の仲間となる各キャラクター達の個性も役割も活躍も省略されて、単に一緒にいるだけとなってしまっており、彼らとの交流によって、異世界に対する愛着が生まれる等の、冒険の結末へ向かっての蓄積となる描写も全く無く、ワタルの最後の選択に対する説得力が弱くなってしまっている。

ここまで省略してしまうくらいなら、無理に原作に沿おうとせずに、本作でも少しは伏線として機能していた"ハイランダーとしてのワタル"という要素に方向性を特化させるなどして、オリジナルストーリーに近い形に再構成してしまった方が、映画作品としてのまとまりは良くなったのではないかと思う。

むしろ、映画化するよりも、深夜枠のアニメ番組として2クール(26話)程度のシリーズで製作した方が良かったのでは。と、本作を観たアニメ好きなら誰もが思ってしまうだろう。それならば、クライマックスの対決も、最後の選択も、ラストシーンも、もっともっと感動出来るものとなるであろう事は間違いない。ストーリーの積み重ねによる感情移入なくして、クライマックスの感動は有り得ないのだ。

GONZOによるアニメーション自体は、劇場映画だけあってクオリティの高いものではあるが、脚本があまりに中途半端で、原作の良さは削られ、代わりとなる新しい面白要素もないという、決してダメではないのだが、特に良くもない、人にはお勧めできない作品となってしまった。題材は悪くなかっただけに残念。

追記:もはや定番となってしまったタレント声優だが、主人公のワタルを演じた松たか子はじめ、常盤貴子や大泉洋など、特にひどい違和感はない出来であった。が、それならそれで、わざわざアニメ声を作らせてアニメ演技をさせるくらいなら、別に普通の声優でいいじゃないかという気もする。

ウエンツだけは、もう声優はしない方がいいかと。



tsubuanco at 17:07|PermalinkComments(10)TrackBack(0)clip!映画 

2006年07月10日

サイレントヒル 10点(100点満点中)

夢にかけて震える〜 Be
公式サイト

最近よくある、ホラーゲームの実写映画化。監督がこのゲームのファンらしく、ゲーム内に使用されているネタが散りばめられた構成が、同じくゲームのファンである層からは、それなりに好評の様だが、単純に独立したホラー映画として観た場合、かなり厳しい出来だ。

名作ゲームのストーリーをベースに物語が構成されているので、世界設定などは結構面白く感じるのだが、あまりにゲームの再現にこだわりすぎてしまったためか、映画として観た場合に無理がある展開があまりに多い。

たとえば中盤あたりの展開で、主人公がトイレにある変死体の口から謎の欠片を取り出そうとする。その欠片に書かれているホテルに行こうとする。ホテルのキーロッカーに変な絵があったら、その番号の部屋に行こうとする。ナイフが落ちていて、次の場面でそれをすぐ使っていきなり壁の絵を切り裂き、使い終わったらすぐなくすetc…

これらは、ゲームのフラグ立てとして必要な情報であるとプレイヤーが判断して行うからこそ、自然な行為として受け入れられるのだが、映画の登場人物が盲導犬に導かれる様に、これらの突飛な行為をするのは明らかに不自然で、説得力が全くないため、普通の映画作品として鑑賞している観客は、「なんでだよ!都合良すぎだろ!」と突っ込みまくるばかりで、全く感情移入が出来ないのだ。

少なくとも普通の人間は、謎の変死体が自分と関係あるとは思わないし、「やらないと殺す」とでも言われない限り、その口の中に手を突っ込んだりしないし、口にクワエてるモノに意味があるなんて思いません。ゲームと現実の区別がつかない頭のおかしな人なら別だが。

あえて人の言葉を借りるなら、
それにしても、このスタッフにはセンスがない。ちなみにこの場合のセンスとは、「ゲームを実写映画にする際、なにをしたらリアリティが崩壊してしまうか」を判断する感覚のこと。セリフや行動、設定、ストーリー……それぞれの段階に潜む"リアリティ崩壊地雷"を、慎重に避けてとおらなければ、ゲームの映画化は成功しない。それは、理屈ではなくほとんど直感、センスの問題だ。
 (いや、理屈の問題なんだけどなw)

これは脚本レベルの問題点であり、ゲームが好きで、再現にこだわるあまり、映画としての完成度を下げてしまっている事に気づかなかったのだろう。恋は盲目とはよく言ったものだ。

映像的な観点では、CGや特殊メイクなど、特撮技術のクオリティ自体は割と高い。が、ここまでデジタルが進歩した昨今、単に作り物感が薄い・リアルというだけでは、映像として優れているとは言えない。それらの技術をベースとして、それらを"いかに見せるか"のセンスこそが、クリエイターの勝負所なのだ。

"この映像は、何を、どう、見せようとして撮ったのか"というスタッフの意図が、観客に対して意図した通りに(あるいはそれ以上に効果的に)伝わらなければ、魅力的な映像とは言えないのだが、本作の映像にはそれが全く欠如している

後ろから忍び寄るクリーチャー、群れなして襲い来る怪虫、醜く変形した人体などなど、ちゃんと撮れば素晴らしく恐ろしいホラー・スプラッタ描写になるはずの映像が、まるでワザとやっているのではないかと疑ってしまうほどに、映像的センスが全く感じられない、意図の見えない画面構成で撮られており、要するに、怖がらせるための映像がちっとも怖くない"のだ。

これは監督(あるいはコンテ担当)に、映画のセンスが全くない事を証明するものであり、おかげでクライマックスの殺戮シーンもちっとも盛り上がらず、何のカタルシスも得られない結果となってしまった。(最低でも、ドアが閉まって出られない様子くらい、もっとわかりやすく見せろと)

"話は無理がある。映像はセンスが無い"と、もうどうしようもない残念作。少なくとも、ゲームをやった事が無い人、映像にこだわって映画を観る人には、全くオススメ出来ない


tsubuanco at 16:22|PermalinkComments(17)TrackBack(2)clip!映画 

2006年07月06日

2006年4-6月期ドラマ 後編

前回の続き。100点満点
弁護士のくず60点

"いい加減な奴が実は有能"というのは王道パターンだが、王道は面白いからこそ王道とされる。マンガ原作ながらあまりマンガ的にならず、コメディとドラマのバランスがちょうど良く楽しめた。

続編ありそう。
医龍途中脱落

大した事でも無い事をもったいぶった演出で御大層に見せようとしているためか、ダラダラとテンポの悪いドラマ展開に閉口して脱落。
富豪刑事DELUXE40点

原作をベースに、深田恭子のキャラを活かし独自のテイストを出していた前作とは異なり、完全オリジナルストーリーとなった今回は、深田恭子のキャラのみに頼りきったドラマとしてパターン化してしまい、結果として作品自体のクオリティは下がってしまった。

財力を活かした作戦のパターンが毎回全く同じなのは、どうにかならなかったものか。

とか言いつつ、続編があったら観るだろうが。
クロサギ途中脱落

プロの詐欺師を騙す詐欺師にしては手口が稚拙すぎてつまらない。

堀北真希演じるヒロインは、何の代替案も無く主人公の詐欺をやめさせようとするだけのバカで、見ててウザい。

脚本のクオリティに問題がある。
てるてるあした70点

同枠にて好評だった『雨と夢のあとに』のスタッフとキャストが再結集し、満を持して作られただけに、クオリティ高し。

"ワガママな少女が田舎の婆さんに躾けられていい子になる"という構図は、おそらく児童文学『霧の向こうの不思議な街』あたりにインスパイヤされたものと思われるが、そこに母子関係の連鎖などの独自の要素と、幽霊に代表される"S(すこし)F(ふしぎ)"エピソードを加え、独自の作品に昇華。

沢村一樹や速見もこみちなどの、前作を観ていた者だけがわかる小ネタも楽しく、メインとなる人情ドラマも、連ドラとして充分楽しめるレベル。

この枠は毎回、比較的安定したクオリティを提供してくれる優良枠。
ギャルサー75点

当初は新垣結衣戸田恵梨香が出ているというだけの理由で観始めたのだが(松山まみ加藤美佳もオマケで)、思いのほか面白く、今期で一番楽しみなドラマに。

カウボーイとギャル達および商店街の大人達との、"言葉は通じるが話は通じていない"会話が小気味よいテンポで進められ、ドラマの締めである、"日本の常識を知らない者に正論を諭される"パターン展開への振りとして上手く機能しており、毎回飽きる事無く楽しめる結果に。

豪華な顔ぶれのギャル達と同様、商店街の面々も豪華キャスト。第一話からずっと出ていながら、ずっと会う事の無かった古田新太と生瀬勝久が、最終回でやっと顔を合わせるなどの小ネタも充実。

『ニコモノ』『Sh15uya』『ドラゴン桜』そして本作と、新垣結衣の演技が全く向上していないのは逆にアリか。

夏期はほとんど観たいと思うドラマがなく、かなり楽。
忙しくなるので丁度いいが。



tsubuanco at 17:27|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!テレビ・ラジオ 

2006年07月05日

2006年4-6月期ドラマ 前編

観てたのをサラサラッと100点満点で。
トップキャスター15点

職業モノとしても人間ドラマとしても恋愛ドラマとしても全てが中途半端で薄味。

ま、月9なんていつもこの程度だから仕方ないが。

細木数子をモデルにしたインチキ占い師の正体を暴く話は面白かったが、ネタが面白いだけでドラマとして面白かったわけではないし。

児玉清がもったいない。
アテンションプリーズ40点

『エースをねらえ!』『アタックNo.1』に続く、上戸彩リメイクドラマの第3弾と思いきや、タイトルが同じだけで完全に別物。局がテレ朝からフジに替わった時点で気づくべきだったか。

CA、操縦士、整備士のそれぞれタマゴの3者を対比し絡めながらドラマを作っていくものだと思っていたが、そういうわけでもなく結局上戸彩ばかりが目立つ結果に。

恋愛要素を薄めにしたのはいいが、他の職業ドラマも人間ドラマも薄めで結局上戸彩ばかり(略

南海キャンディーズなどの小ネタ的面白さはあったが、それらがドラマと有機的につながって面白くなっているかと言えばそんなこともなく、散漫な印象。

せめて主題歌が三沢郷作曲「アテンションプリーズ」のアレンジカバーだったら良かったのだが。
ブスの瞳に恋してる35点

鈴木おさむが稲垣吾郎って、美化しすぎです。

おさむの心境の変化が全く描写されておらず、あまりに行き当たりばったりすぎ。最終的にミユキを選ぶ事は全員がわかってるんだから、「ブスと美男子がいかにして結ばれるか」という、本作最大の興味部分に説得力を持たせるドラマを展開しないと、何のために1クールも見続けてるのかわからない。

恋愛ドラマのはずなのに、恋愛ドラマとしては完全な駄作。マギーは脚本家としてまだまだ実力不足。

大島は歌上手い。
プリマダム最終回手前まで50点 最終回は採点不能

"お稽古事としてのバレエ"を題材に、家族や友人との人間関係を描く事がドラマの主旨だったはずで、その点に関しては、それなりによく出来ている。

問題は最終回の「発表会生中継」なる企画。番組にイベント性や話題性を持たせ、視聴者の興味を引くというのは、営業として正しいし、それ自体に文句をつけるつもりは無い。

が、本ドラマの主旨および毎回観ている視聴者が望んでいるものは、前述の通りバレエを題材とした人間ドラマである。発表会はあくまでも登場人物達の目標であって、視聴者の目的ではない

そこを混同し、発表会を最終回のラストシーンに配置し、全てのドラマを中途半端に放棄したまま終わってしまうだけでも論外なのに、カーテンコールでマイクを持った黒木瞳が素の黒木瞳として挨拶する段に至っては、もう呆れるしか無い。

これは、エヴァンゲリオンやマイトガインの最終回や、必殺からくり人のアバンタイトルなどに見られる、"演出としての意図的なメタフィクション"とは異なり、完全にスタッフの勘違いによる暴走であり、評価は出来ない。

もう、ウリナリが受けた時代とは違うんですよ。日テレさん。
七人の女弁護士30点

"女優としての釈由美子"が好き+法廷モノが好きという理由で観ていたのだが、"釈由美子を鑑賞する"という以外に特に見どころは無し。

「逃げる場所はありませんよ」の決め台詞は、『スカイハイ』の「お逝きなさい」を意識して狙ったものなのだろうが、普通の現実世界を舞台としたドラマには全くそぐわず聞いてて恥ずかしくなってしまう始末。誰だアレ決めたの。

と言いつつ、続編があれば釈由美子だけを目当てに観るだろうが。

長くなったので続きは次回に。



tsubuanco at 17:00|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!テレビ・ラジオ 
Comments