2006年08月

2006年08月31日

UDON 10点(100点満点中)

升毅と要潤が共演している作品
公式サイト

"『踊る大捜査線』のスタッフ"という時点で、嫌な予感はしていたんだが(と言っても『踊る〜』自体は割と好きなんだが)、まさに的中(笑

香川を舞台に名物の讃岐うどんを題材とし、前半は、ユースケが火付け役となってうどんブームが起こり、やがて収束していく様子を、後半は、うどん職人である倒れた父に代わって、ユースケがうどんを作る話という、二段構えの構成となっている。

まず前半だが、そもそもユースケが書くうどん記事が具体的にどんなもので、それがどの様に読者の支持を得て情報誌の人気が上がり、地元でのうどんブームに繋がっていったのか、あるいは江守徹演じるフジテレビの偉い人が、どの様な指示を出して地域のブームを全国レベルに押し上げたのか。これらの、"ブームがどの様にして起こり、盛り上がっていくのか"という、一番説明しなくてはいけない部分がほとんど省略されてしまっているのだ。

そのため、ブーム最中の様子をいくら見せられたところで、"画面の中だけで起こっている出来事"として、冷めた目で見る事となってしまい、なんら感情移入も出来ず、少しも楽しめない。

本物の店の人をそのまま使うなどして、力を入れて行われている店紹介でも、各店のシステム的な面白さはわかるが、実際にどんな風に美味しいのかはあまり触れられておらず、「うどんが食べたい!」という気にはならない

また、超大手マスコミ企業であるフジテレビ製作の本作において、"無責任なメディアが興味本位でブームを煽り、飽きられたら捨てる"という、マスコミの持つ負の部分をクローズアップして取り上げている事自体は面白いが、そんな作品をまたフジテレビが宣伝で煽りまくっているのは、社を挙げた自爆ギャグのつもりだろうか。

この前半の展開と、ユースケがうどんを作ろうと試行錯誤する後半の展開が、あまりに乖離しすぎているのも問題だ。前半で取材したうどん屋のデータが、うどん作りの力となる構成自体はいいのだが、その見せ方があまりに取って付けた様なものでしかなく、盛り上がりとは感じられない。

ユースケの父が美味しいうどんを作るために、何十年も真面目に努力を続けてきたと強調する割には、ユースケが2週間頑張ったら美味しいうどんが再現出来たり、父が仕事着のままで煙草を吸っていたりと、「実のところ製作者はうどんを馬鹿にしてるんじゃないのか?」と思ってしまう展開や描写が続出し、またユースケ自身もそこまで努力しておきながら、最後は店を出て行ってしまうと、結局、方向性が全然つかめないお話になってしまっている。

展開もキャラクターも、その全てが"話を進めるために話が進んでいる"としか感じられないつくりで、しかもその話自体が中途半端。恋愛色を薄くしたのは構わないが、ではヒロイン小西真奈美とユースケの関係はどの程度のものでどうなっているのか、という部分の描写も説明もないため、何故小西真奈美は今この場でこうしているのかという点にも納得がいかない。人間が全く描けていないのだ。

上辺の事に関しては、「観客をバカだと思っているのか」と言いたくなるくらいにしつこくナレーションや台詞で説明されており、尺も二時間超と長い割に、観客が知りたい肝心な説明は不足している、上っ面だけの薄っぺらでまとまりのない駄作に終わっている。文字通り時間のムダ

マンモス西要潤や南原清隆、中野美奈子他、香川出身の役者やタレントが所々に出ていたり、"ブレードランナーのうどん屋パロディ"や"ほっしゃんの鼻からうどん芸"などの小ネタもあるが、その程度で作品そのものが面白くなるわけでもない。テレビ的なアップ映像がやたらと多く、劇場で見る映像でもない。

中身のないものを虚飾で誤摩化して宣伝だけで売ろうとする、現代マスメディアの愚かさを象徴する作品にすぎない。



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2006年08月29日

親指さがし 35点(100点満点中)

仮面ライダーアギトはV6の三宅健ですか?
公式サイト

自費出版小説『リアル鬼ごっこ』でデビュー(?)し、小学生レベルの文章力と破綻した内容で、ネットを中心に笑いものにされまくるも、それが逆に話題性となって知名度がやたらとアップし、今ではマトモな本を読まない(読めない)若い世代を中心として、それなりの人気作家となってしまっている山田悠介の同名小説を原作とした実写映画。

この山田悠介の小説(と呼んでいいのかも疑問だが)、とにかくヒドい。小説に限らず、創作作品において最も重要視されるのは、"何を描くか"ではなく"いかに描くか"である事は常識だ。

名作文学と呼ばれる作品の中には、あらすじだけを聞けば大したお話ではない様なものはいくつもある。何故それらが名作と評価されているかと言えば、その文章力や描写力、構成力といった、"表現手法"が優れていて、独自の作家性を発揮しているからこそなのだ。

これは小説の世界に限らず、何でもそうだ。日常でも、同じ内容の話を、話上手な人が話せば面白くなり、下手な人が話せばつまらなくなる。それと同じ事だ。

そういった意味で、山田悠介の作品は、その表現において全く稚拙であり、内容を評価する以前の問題である。"本の読み方"を知らず、単にお話を追っているだけの低レベルな層にしか受けていないというのがその証だ。

と言いつつも、山田悠介にも評価出来る点はある。『リアル鬼ごっこ』にしても、本作『親指さがし』にしてもそうなのだが、"普通ならバカバカしくて考えつきもしない様なネタ"で作品を書き上げてしまう、その着眼点と発想力である。

上に挙げた二作でも、その他『ベイビーメール』『あそこの席』『×(バツ)ゲーム』などでも、タイトルを見るとちょっと興味を引かれてしまう(実際に読んで唖然とするのだが)、この点に関してだけは、素人のレベルを超えていると評価してもいいだろう。

そんな理由で、以前からずっと、「ネタだけを借用し、ちゃんとした人が自分流に大幅に内容を改変して、映画なり漫画なりで作品化すれば、結構面白いものが出来るのではないか」と考えていたのだ。実際に、昨年、内容が大幅に変更され映像化された『ベイビーメール』は、それなりのホラー作品として仕上がっており、上述の考えに対する確信は増した。

そして今回、『ニライカナイからの手紙』で評価を受けた熊澤尚人の手によって、本作『親指さがし』が映画化される事となるわけだが、これは残念ながらあまり上手くいかなかった様だ。

呪いの正体も含め、内容が大幅に変更されているのは一向に構わない。むしろ原作を忠実に再現などしたら、単なるパクリのオンパレードのダメホラーになってしまう事は明白であり、それを考えると、ある程度まとまった構成にされていると思う。

が、本作は"架空の都市伝説を題材としたサイコホラーミステリー"として作られていると思うのだが、まず一番の見せどころとなるはずのホラー場面が全く恐くないのだ。更にミステリーとしての伏線や謎解きも、最初の殺人のアリバイに説明が無いなど、矛盾や疑問が多く残る、かなり無理があるものになってしまっている。

ただ、"サイコ"も含め、登場人物達の心情・情感の表現においては、それなりによく出来ており、言葉による説明ではなく、映像で表現する描写力は優れたものである。永井流奈がたまごっちを掘り出しにいく場面など、この先どうなるかが完全に読めていながらも見入ってしまう。この点は、さすが情感表現を得意とする熊澤尚人と言ったところだ。

が、それでもやはり、先述の欠点をカバー出来るという事はなく、全体として見れば、あまり評価出来ない作品となってしまっているのが残念だ。最後に死体が崩れ散る場面も、狙いは分かるのだがその唐突さとチープさに苦笑してしまった。



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2006年08月28日

ラフ ROUGH 65点(100点満点中)

速水もこみちの色の黒さは異常
公式サイト

昨年の『タッチ』(犬童一心監督)に続き、本年もまた"あだち充原作―長澤まさみヒロイン"の実写映画が登場。同様に漫画の実写映画化である『NANA』の監督に抜擢され、業界の一線へ躍り出た大谷健太郎監督による今回の『ラフ』は、これが初の映像化となる。

長澤まさみが引き続きヒロインを演じる事に関してはいろんな意見もあるだろうが、原作者も喜んでいる様だし、あだち充ヒロインの顔は全部同じなので、年齢的限界がくるまでは今後も長澤まさみでいいだろう。(ちなみに市川由衣も、『H2』に続いて"ヒロインの当て馬役"としての出演となる。出来ればこちらもレギュラー化決定でお願いしたい)

また、長澤まさみを東宝映画の清純派看板女優として育てたい狙いのある東宝からすれば、青春・恋愛をメインテーマとしながらも、セックスのニオイが完全排除されているあだち充の作風は、彼女のための題材として最適と判断したのだろう。

ただ、『タッチ』でもそうだったが、主人公を演じる男優側が、とてもあだち充作品の主人公に見えないという欠点を今回も引き継いでしまっているのが残念。東宝が社を挙げて長澤まさみのために製作している映画とはいえ、やはり主人公側のキャスティングにももっと気合いを入れてほしいものだ。速水もこみちが高校生(ファーストシーンでは中3)というのは、どう見ても無理がある。

実際の作品内容的には、長い原作の最初から最後までの、要所要所のエピソードがピックアップされ、初めて作るのに総集編の様な構成となっており、特に原作未読の観客にとっては、駆け足感が強く感じられてしまうかもしれない。

特に主人公・大和圭介とヒロイン・二ノ宮亜美の両者に焦点を絞った作りとなっているため、大和の恋と競技双方のライバル的存在となる仲西が、単なる記号としてのライバルキャラ的な扱いになっていたり、大和を好きになって話をややこしくするはずの小柳かおり(市川由衣)などの、本来なら重要なキャラも、ほとんど単に出ているだけという印象しか与えないなど、かなりディテールが省略されてしまっている

一方で、メイン二人を巡る、原作からのエピソード抽出は、比較的ツボを押さえたものとなっており、全体を通してみれば、破綻の少ない構成となっている。

次に映像・演出的な面。大谷健太郎監督は、おそらく『NANA』の仕事を通し、漫画を実写映像に置き換える際のコツを、かなり的確に掴む事が出来たのであろうと推測される。

コマ割りによる"間"の表現にこだわる事で、読み手のテンポをコントロールし、そこから生み出される独自の空気感や心情の機微の表現を本領とする、あだち充漫画の持つその独自の趣を、実写映画のスクリーンに再現する事に成功しているのだ。

あだち充が好んで多用している、寒めのギャグシーンなども、独特の空気を壊す事なく再現出来ている。

その上で、単なる"あだち漫画の再現"に終始する事なく、大谷健太郎ならではの演出(八嶋智人によるハイテンションなギャグなどがその代表)も所々に散見され、その両方が乖離する事なく、一つの方向性の作品としてまとまっている点は、評価に値すると言えよう。

主人公は競泳、ヒロインは高飛び込みの選手という事で、それらの競技を実際に行う場面も、本作の見せ場となる。漫画を実写化する際、キャラクターの顔や声と同じくらい、再現が最も難しくネックとなり、下手をすれば作品の完成度を大きく下げてしまう事となるのが、このスポーツ映像なのだが、本作はカット割りやデジタル処理などを的確に駆使し、本人と吹替えの区別がつかないレベルで、しっかりと"一流クラスの競技者"として見せる事に成功している。これは大谷監督の持つ、優れた映像構成力によるものであろう。

また、水平方向の"競泳"と垂直方向の"高飛び込み"という、主人公とヒロインの競技を両者の交わりに暗喩させるという原作の着想を、本作では、画面上での位置関係を重視した映像としてしっかり見せつける事で、より強調したものとなっているのも、大谷監督の狙いであると思われる。

約4年間に渡るドラマを一気に見せてしまうための"時間経過・季節変化を大幅に省略"する演出として、"歌をバックにダイジェスト映像を見せる"という、極めてオーソドックスな手法がとられており、この事で、"総集編を見ている"的印象を強めてしまっているのかもしれないが、他にこれといって上手い逃げ方もないだろうし、何より使用されているスキマスイッチの歌が、作品の根底に流れるテーマの一つ、"かけがえのない、未完成な青春"と見事にマッチしているため、気分よく見ていられるのだ。このタイアップは成功と言え、同種の映像としても水準以上の出来となっている。

最後に、やはり本作一番の見どころは、何を差し置いても"長澤まさみの水着姿"と言っても、全く問題ないだろう(何せこの点は原作者の本懐でもある)。

東宝の意向からか、女優としての売り出しを意識されてからというもの、比較的露出を抑えられてきた(セカチューの控えめな水着であったり、タッチではレオタードではなく体操着とされるなど)彼女であるが、今回の役柄が"高飛び込み選手"とあっては「もう逃げられない(原作者・談)」ため、覚悟を決めてハイレグ競泳水着姿を存分に披露している。

大谷監督もこれを機とばかりに、舐める様なカメラワークでじっくりしっかり撮ってくれており、ファンならずとも満足だろう。

さらに市川由衣、果ては田丸麻紀の競泳水着姿まで見せてくれており、サービスは満点だ。正直なところ、これだけでも劇場へ足を運ぶ価値は充分にある

エピソードの取捨選択が中途半端で、犬童一心の演出が、あだち作品の表現手法と今イチ噛み合っていない感があった『タッチ』に比べ、本作は"あだち作品の実写化"としてよく出来ている事は確かだ。しかも水着祭りのオマケ付きだ。長澤まさみファンならずとも、あだち充のファンが観ても、過度の期待をしなければ楽しめるのではないだろうか。興味があるならどうぞ。

ただ、ラストの試合結果は、原作通りの表現の方が良かったかもしれない。


蛇足:
なにげに本作、超大作『日本沈没』を差し置いて、"東宝映画製作作品"である(例によって製作委員会のクッションはあるが)。冒頭のロゴクレジットではいきなり"若大将シリーズのロゴブリッジ"が流れ、続いて加山雄三の歌が"大和が聴いている曲"として流れるという、古くからの日本映画ファン大喜びの嬉しい遊びには、ニヤリとさせられた。

といっても、この映画を観に来るメイン層には、何が何やらだろうが(笑



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2006年08月22日

花田少年史 幽霊と秘密のトンネル 60点(100点満点中)

北村一輝と沢村一樹を混同しがち
公式サイト

一色まこと原作の人気漫画を、キャラクターのみ借用した完全オリジナルストーリーで実写映画化。原作というより原案と言った方が近いかもしれない。

こういったやり方は、原作を猛烈に愛するファンからは不満もあるかもしれないが、『花田少年史』自体は、漫画に比較的忠実なアニメ化もされており、また同じ事を実写でやると言うのも芸のない仕事だろう。「だったら最初から作るな」と言われればそれまでなのだが、その辺は大人の事情だ。原作に忠実かどうかと、作品として面白いかどうかは別の問題であり、最初から色眼鏡をかけて鑑賞に臨むのは、何の得にもならない不毛な行為と考えるべきだ。

主人公・花田一路の容姿(スキンヘッドに後頭部の縫い傷と、その由来)、能力(死にかけた事が原因で幽霊が見える様に)などは原作そのままであるが、舞台となる町、時代、家族、そして本筋のエピソードなどは、原作とは違った物となっている。が、原作の持っていたノスタルジックな空気感や、コメディタッチに人情を描くドラマ描写などは、原作のカラーとあまり変わらない物になっていると感じられる。

ストーリーは、安藤希演じる女子高生の幽霊や、何故か一路の父を自称する北村一輝演じる謎の幽霊などが、一路の両親の過去と交わり合い、一つの大きな流れとなるエピソードを主軸に、一路の友人親子にまつわる人情エピソードのを絡めたものとなっており、"親子愛"が、全体を通した、映画そのものの大きなテーマとなっている。

「もっとこうした方が面白くなったのに」という不満(というか願望)もあるし、映像的にも低予算なため、チープな画面に苦笑してしまう部分もあるのだが、夏休みの家族向け映画として企画されてているであろう本作にとって、あまり難解にも冗長にもならず、笑いと感動がテンポよくちりばめられ、いくつも用意されている泣きどころには、しっかりと感嘆させられる事となる上に、伏線を散りばめたストーリー展開も充分によく構成されている。決して悪くはない。

文句なしにオススメというわけにはいかないが、この手の作品は個人的に好きなので、結構お気に入りとなった。


余談:
美少女だった頃『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』や『さくや-妖怪伝』などで超絶的な美少女っぷりを見せつけてくれた安藤希だが、今や既に24歳(撮影時は23歳だが)。

少女期に小顔美少女だった者の逃れられない宿命で、大人になるとアゴやエラ、頬骨の周りがゴツくなって来るという劣化現象に襲われてしまい、もはやかつての美少女の面影はなくなってしまっており残念。

いや、今でも決して悪くはないはずなんだが、とても清純な女子高生には見えない、勘違いギャルの様なケバいメイクがまた、その劣化に拍車をかけている始末。メイク担当は腹を切って詫びてほしい。




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2006年08月21日

ディセント 75点(100点満点中)

面堂終太郎
公式サイト

『ドッグ・ソルジャー』にて一躍有名となったニール・マーシャルが、監督・脚本を手がけて製作した英国製ホラー映画。

突然の交通事故で夫と幼い娘を失った主人公が、趣味の冒険仲間(なんじゃそれ)の女友達5人と一緒に洞窟探検に出かけるのだが…という、特に珍しくないお話。出演者は無名の役者、ストーリーのほとんど全部が洞窟の中で進められる、と、かなりの低予算作品である事は明らか。

だが本作、そうバカにしたものではない。

映画前半、洞窟探検中、狭い横穴に引っかかって動けなくなり、落盤に襲われパニックになる恐怖や、帰り道を失い、次第に理性を失い始め、争い出す焦燥感が、洞窟の"狭さ・暗さ"をこれでもかと強調する構図・照明・演技により、観客自身が洞窟内に閉じ込められているかの様に錯覚させる程、リアルに突きつけられ続ける。これは、低予算を逆手に取り、"洞窟"と言う限定された舞台、それが本来持っている"恐ろしさ"を効果的に活かしたものとして、卓越した演出センスが感じられる。

そんな、ただ暗くて狭いだけでも恐い洞窟をさまよう主人公達を、更なる脅威が襲う事となる後半の展開は、前半のノリで最後まで進む事を期待していた観客にとっては、あまりにぶっ飛びすぎた超展開として捉えられる事となるのかもしれないが、前半の段階で、そうなっていくであろう伏線は既にそこかしこに提示されており(序盤の川岸でのやりとりや、「夫の言葉」、洞窟内で主人公達を見つめる謎の影など)、それを見逃してしまっていたのは自己責任だろう。

前半の心理的恐怖を煽る展開に対し、後半はストレートなスプラッタ映像が続出する、ハイテンションな展開となるのだが、個人的には、同じカラーでずっと進められるより(それはそれでいいのだろうが)、いろんなギミックが用意され、どんどんとノリが変化していく本作の構成には非常に満足している。楽しみは多い方が得というものだ。それに、後半も心理的な描写は決しておざなりにはされておらず、むしろ、冒頭から引張ってきた主人公の心理的伏線は、後半から終盤にかけて生きてくるのだ。

ただし、スプラッタ描写と言っても、暗い洞窟の中の映像ばかりなので、かなりエグい残虐行為が繰り広げられるにもかかわらず、あまりハッキリとは画面に映らないのが残念なところだ。(だからと言ってその時だけ明るくされても興醒めするので仕方ないし、低予算だから暗い方が造り物の粗が誤摩化せていいのだろう)

これまた冒頭から撒き続けてきた伏線描写が、見事に結実するラストシーンは、受け手によって解釈が分かれる、一筋縄では行かない二重三重の仕掛けが用意されており、見終わった後も「あーだ、こーだ」と、死ぬまで結論の出ないグダグダな議論ごっこが出来ると言う、お楽しみも用意されている。

内容はどんどん変化していく一方、重要な縦糸は変わらず張られている、その交錯の妙を、戸惑わずに受け入れる事が出来る人にとっては、充分に楽しむ事が出来る佳作であり、是非とも鑑賞をオススメする。アタマに柔軟性のない人には、残念ながらオススメしない。


余談:
冒頭から何度も主人公に"悪夢"を見させ続け、最後が夢オチなのかどうかをハッキリと明示しないラストシーンにつなげる全体の構成は、ジョージ・A・ロメロ監督の『死霊のえじき(DAY OF THE DEAD)』と同じものであり、これがオマージュなのかパクリなのかは、またまた意見の分かれるところだろう(笑

ホラー映画ファンが見て気づかないわけはないので、リスペクトを込めたオマージュと思いたいものだ。



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2006年08月20日

時をかける少女 95点(100点満点中)

元ネタは5期メンバー?
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NHKの『タイム・トラベラー』(1972年)、大林宣彦監督・原田知世主演の角川映画(1983年)など、これまでに何度も実写にて映像化されてきた筒井康隆の同名ジュブナイル小説を原作とした、初のアニメ映画化作品が、宮崎駿の後継者と目された事もある期待の実力派・細田守監督をはじめ、そうそうたる実力派スタッフ達によって創り上げられた。

細田守と言えば、『劇場版 デジモンアドベンチャー』、『おジャ魔女どれみ どっか〜ん!』#40「どれみと魔女をやめた魔女」、『劇場版 ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』などの代表作からもわかる通り、原作の設定を自分流に換骨奪胎し、その魅力を大きく活かした上で、独自の面白さを作り出すという、非凡な能力を持ったクリエイターとして、アニメファンの間では評価の高い存在である。

また、その能力が認められ、ジブリに招聘され『ハウルの動く城』の監督を任されるも、その能力の非凡さ故に宮崎駿とケンカして監督を降板する事になってしまったという逸話もあり、その実力は、ファンのみならず業界内でも高く評価されている。

そんな彼が、自ら「これを原作に作品をつくりたい」と申し出たのが本作。一流の創作者が、雇われ仕事ではなく、自分で選んだ作品。これを見ずして何を見るというのか。

ストーリーは、これまでの『時かけ』映像化作品とは異なり、原作をベースに、新世代のキャラクターを主人公とした物語を新たに作り出している。

具体的には、原作(あるいは実写作品)を過去の話とした続編的作品として作られており、主人公はこれまでの芳山和子ではなく、彼女の姪の紺野真琴という少女となっている。つまり、原作や映画に登場する、"芳山和子の妹"の娘と考えて問題ないだろう。

そのキャラクターも、思慮深く、突然備わった時間跳躍能力に戸惑い、「普通に戻りたい」と願い続けた芳山和子とは正反対に、能力をクダラナイ私利私欲に使いまくる"おバカな少女"へと、大きく変えられている。

が、先述の通り「換骨奪胎」を得意とする細田監督の面目躍如。続編的時系列に作られていながらも、物語の大まかな流れ(理科準備室で事は起こり、別れで終わる)や人間関係(男子生徒2人との微妙な友人関係)は原作を踏襲したものとするなど、原作・旧作へのオマージュに満ちた作品となる(ちょっと前にも同じ様な事を書いた気がw)とともに、原作・旧作を知らない人にも、1本の独立した作品として充分楽しめる様に仕上げられているのだ。このバランス感覚はあまりに絶妙。まさに非凡。

時計また、原作では、あくまでも主人公および読者を非現実的世界へ導入するためのギミックとして用いられている側面が強かった"時間跳躍能力"というファクターを、本作では作品の根本のテーマから細かなストーリー展開、各キャラクター達の心情変化、あるいは映像表現としての"見せる演出"などなど、あらゆる要素に"時間"という概念を徹底して絡める事で、作品そのものを動かしている。ここが、本作の大きな特徴の一つであろう。

その"時間"を強調した作劇によって、主人公・真琴の生きている"青春"が、まさに活き活きと描かれているのも、本作の大きな魅力の一つだ。彼女はその能力によって、人生をリセットし、セーブポイントまで戻る事は可能だが、"全く同じ時間"は二度と戻ってこない。当初はなにも考えていなかった真琴が、この事に段々と気づいていく様になり、物語の結末へとつながるそのストーリー構成は見事に練られており、過去作品とはまた違った面白さを生み出しているのだ。

そして、ストーリー描写を徹頭徹尾、主人公・真琴の視点に立脚したものとして描き、真琴以外のキャラクターの思考・心情の動きも、あくまでも真琴の主観を通じて観客に見せるかたちを取る事で、感情移入対象を意図的に真琴に限定し、真琴の心情を観客のそれと同化させるという手法がとられており、これも見事に効果を上げている。

さらに続編的位置づけという事で、芳山和子が"先代時かけ少女"として、真琴に助言を行う場面もまた、本作ならではの見どころである。特に、彼女の作業部屋の片隅に、ラベンダーが活けられた花瓶と、深町一夫・浅倉吾朗とともに写された写真が飾ってあるという仕掛けは、『時かけ』ファンとしてはあまりに嬉しい映像だ。(もっと言えば、彼女の声が原田知世なら万々歳だったのだが)

アニメーションとしての映像的な面について、まず、キャラクターデザインはガイナックス作品でおなじみの貞本義行ではあるが、作画監督によるリファインによって、そのタッチは少なからず変えられており、「エヴァやナディアのキャラと似ている」という印象には全くならず、本作独自のキャラクターとなっている。普段アニメにあまり縁がない層にも観てほしい作品として、これは正解だろう。

その他、コンテ、レイアウト、動画(中割り)、美術と、細田監督をはじめとする、一流のスタッフ達によるセンス溢れる仕事がなされており、画面構成・動きの巧みさ、背景の美しさ・奥行き感はあまりに秀逸。一時たりとも目を離せない、美しくクオリティの高い映像にほれぼれしてしまう。キャラクターの作画そのものを、あえてシンプルなものとした事も効果を上げている。

特に、本作の様な、普通の現実世界を舞台にした作品の場合、背景美術という仕事は、作品世界に観客を入り込ませるための要素として、非常に重要なウエイトを占める事となる。実際にロケハンをし、綿密に設定を作り上げ、構築された本作の舞台は、尾道の街並を舞台とした大林版に匹敵する、完成された世界観と、リアルな現実感、果てはノスタルジックな空気感までも醸し出しており、本作の完成度を高める事に、大きな役割を果たしているのだ。

最後に声優に関して。本作は、いわゆる"アニメ声優"を起用しておらず、監督自身によるオーディションを経て、監督の想起するキャラクターイメージに最も合ったキャスティングがなされている。これは、近年の劇場用アニメが、話題作りのためだけにタレントなどの"非アニメ声優"を起用し、作品のクオリティ自体を下げてしまっているのとは完全に逆方向の姿勢であり、純粋に演出意図としてアニメ声優を起用しなかったのだ。

作画と同様に、いわゆる"萌え"を廃し、"等身大の青春"を生きている少年少女達の、その"等身大の青春"を、観客がリアルに実感出来る様、絶妙なキャスティングがなされており、その方向性は、結果として大きくプラス方向に作用している。この演技は、既存のアニメ声優には出来ない事は明らかだ。(アニメ声優そのものを否定しているわけではないので悪しからず)

本作、アニメ映画のみならず、今年の映画作品の中でも、間違いなくトップクラスの大傑作である。絶対に観て損はない。

おまけリンク




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2006年08月17日

スーパーマン・リターンズ 90点(100点満点中)

帰マン
公式サイト

世界的に有名な"元祖・スーパーヒーロー"アメリカンコミックを原作に、1978年に公開された映画『スーパーマン』、その続編の『スーパーマンII 冒険編』からストーリーを引き継ぎ、続編として製作された最新作。なので、本作を鑑賞する前に、ビデオなどで復習or予習しておくのが最善。

おそらくは旧作を観ておかないと、本作冒頭でレックスがスーパーマンの秘密基地"孤独の要塞"をいきなり訪れる意味もわからないだろうし、「そもそもこのハゲは誰よ?」という状態になってしまうだろうし、その他クリスタルの機能やロイスの現状など、本作中にて非常に重要なファクターでありながら、ほとんど説明のない要素が大量に出てくるため、絶対に観ておく事をオススメする

可能であれば、"前作と本作の間、スーパーマンはどこで何をしていたのか"を理解する一助として、TVシリーズ『新スーパーマン』も観ておくと、よりいいだろう。コチラは無理にはオススメしないが、面白いので観ておいた方が得だ。

本作のストーリーは、続編でありながらも、全体的に旧作のオマージュに満ちたものとなっている。レックスは土地を求めて悪事を働き(前回は西海岸を沈めようとし、今回は東海岸を沈めようとする)、ロイスは墜落死の運命をスーパーマンに救われ、社の屋上から空のデートを楽しむ。その他、「一番安全な乗り物です」などの旧作同様の台詞も頻出。オープニングからエンディングまで、旧作の映像を現代の技術でリメイクしたような映像が続出する。もちろんあの、スターウォーズのテーマと混同しがちなテーマソングも健在だ。

さらには旧TVシリーズの名文句「空を見ろ、鳥だ、飛行機だ」であったり、スーパーマンの創刊号(Action Comics)の表紙と全く同じ構図、"自動車を持ち上げるスーパーマン"の映像(噴水の前なのはパロディであるスパイダーマンの更にパロディ?)などなど、新旧あらゆるスーパーマンネタが全編通してこれでもかと使われまくっており、二時間半の長尺も全く飽きずに楽しめるのだ。(この154分という上映時間もまた、映画一作目のディレクターズカット版と同じ長さというコダワリ様)

創刊号パロディ

もちろん普通に娯楽映画としてのクオリティも高い。序盤の飛行機事故や、クライマックスの大カタストロフなど、地球最強の超人の大活躍を、最新技術の特撮映像で存分に楽しむ事ができる。

中年『X-MEN FINAL DECISION』の監督を蹴り、持てる力の全てを本作に注いだスーパーマンオタク監督、ブライアン・シンガーの実力は120%発揮されていると言って問題ない。こっちを選んでくれて本当に良かった。(いや、X-MENも好きなんだがそれはそれで)

本作はまさに、「スーパーマンファンの、スーパーマンファンによる、スーパーマンファンのための映画」として、現状ではほぼ完璧なものである事は間違いない。文句なしに、この夏一番の娯楽映画。30代以上のスーパーマン世代なら、何を差し置いても絶対に観るべし。ただし、クドい様だが旧2作の予習復習も必須。

蛇足:2作目の時点でアップの度にソフトフォーカスで誤摩化されてた旧ロイスと違い、本作のロイスはちゃんと若くて美人な女優さんを使っているので安心。





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