2006年12月

2006年12月31日

2006年10-12月期ドラマ 後編

正月ボケ解消のリハビリを兼ねてサクサクッと100点満点で。
前編はこちら
のだめカンタービレ 75点

原作漫画の持つギャグテイストに重点を置いて、ビジュアルのみならず空気やノリまでも再現にこだわり、更にそこから突き抜けて、独自のギャグ表現をも挿みながらも、世界観を壊さずにまとまった流れを作り出している。

ハジけたコメディとマジメな演奏シーンとの、ギャップとバランスのとり方が絶妙。

月9でありながら上っ面のみの豪華さに終わらず、玉木宏&上野樹里という地味な主演なのも功を奏している。

あまりに原作通りに話が進むため、意外性やワクワク感に欠けるのが残念。

続編を作るのは舞台や役者の問題もあって難しいだろうが、二時間SPなら出来るか?
役者魂! 40点

明らかに製作者側にはシェイクスピアに対する理解もリスペクトもない、としか思えないのに、やたらと「シェイクスピア俳優」なる言葉を錦の御旗のように使うやり方が、ダメな時の君塚脚本を象徴している。

単発的なギャグでは面白いものもあったが、本筋に関わるコメディ展開はベタ過ぎたり外しすぎたりで今イチ。妄想ネタも、結局どの方向へ持って行きたいのか不明なままフェードアウトする有様。

タイトルは『家族魂』の方が相応しいのではないかと思ってしまう程、舞台より親子関係を重視した話で進めながら、結局どちらも中途半端なままで、しかも主人公は全てを失って一人になったのにハッピーエンド風と、よくわからない終わり方には感動も出来ない。

メインから脇まで、豪華な演者を揃えておきながら勿体無い。
僕の歩く道 70点

障害者を主人公にしながらも、安易なお涙頂戴に逃げず、主人公の奇行とそれに対する周囲の様々なリアクションとを、コメディにならない程度におかしく、尚且つ最終的には"いい話"へと収束させる、21世紀版『裸の大将』とも言うべき安定した面白さが毎回楽しめた。

母親の言動等に少し偽善的煮え切らなさが残っており、その辺りをもっと深く追求すれば、また別の面白さも出てきたのかもしれないが、あえてそこまでする必要もないだろう。

香里奈の不倫話に尺を裂きすぎた割には、そこがあまり面白くなかったのはマイナスだが、"嫌われ役"一名を除いて皆が納得の行くかたちで幸せになるのは、最近のドラマとしては稀有な存在かも。
14才の母 0点

この種の、普通の常識やモラルで考えれば許されない事柄を扱って、視聴者を感動させるドラマを作りたいのなら、まずそれを行うキャラクターに、視聴者がしっかりと感情移入して自己と同一視させ、「これなら仕方がない、可哀相だ。頑張れ!」と思わせる様に、ストーリーを展開しないと話にならない。

本作ではその点が全く欠けており、感情移入どころか、二人の"恋愛"にすら納得の行ってない状態でセックスして妊娠して、しかも開き直って自己正当化ばかりしているので、感動どころか「自分で責任も取れないガキが勝手な事ばかり言ってんじゃねえ」と、作品的には悪役扱いされている編集長の言ってる"正論"に、そのまま納得してしまう始末。

最初の時点から、作品として完全に破綻し失敗している。

プロデューサーも脚本家も、下衆な題材を感動作として昇華するには明らかに力不足。特に脚本家の井上由美子は、原作がなければまともに話もキャラクターも作れない事はこれまでの作品でもわかりきっており、何故こんなのを期待の作品に起用したのかが疑問。

思わせぶりな母親のモノローグも、留年生や担任の背景も、何もかもが中途半端に放り出され、一話延長されたのに、単に無駄に間延びしただけに終わっている。脚本的にも0点。

そんな糞みたいな話ながら、なまじ脇を演じる俳優人が実力者揃いだけに、迫真の演技でありえない言動を取らされている彼らが可哀想になってきてしまう。

上っ面だけの奇麗事に自己陶酔しているミスチルの主題歌が、同様の内容にピッタリ合いすぎていて笑える。

妊娠検査薬の万引きは確実な犯罪です。悪い事してます。
Dr.コトー診療所2006 50点

柴咲コウが地方ロケに来ない等の問題材料を抱えつつも、それを出来る限り不自然にならない様に上手くまとめている。

流石に毎回の様に重症患者が出るのは無理があるが、これはもう、そういう話だと思って観るしかないだろう。実際にそういう話なのだから仕方ない。

シリーズものとして安定した面白さはあるが、これまでのシリーズを観ていない人にとっては、各キャラクターの説明が少し不足していて不親切に感じるかも。

メインから脇まで、最初から狙っていたかの様に豪華な俳優陣の演技も、安心して観ていられる。今回から参加の蒼井優も、相変わらず存在感が凄い。
嫌われ松子の一生 20点

本編のストーリー展開やノリを原作通りにしながら、タイトルバックやテーマソングなど、中途半端に映画版のテイストを持ち込んでいるのがまず失敗。

バカ女の自業自得の転落話で感動させるのなら、そのバカ女に感情移入させないといけないのにそれが行えていない。

これは、汚れ役をやるには明らかに覚悟が足りなかった内山理名の実力的な問題もあるが、何よりも、どこに重点を置きたいのかが中途半端で、そもそも今展開しているドラマが誰の回想、あるいは追想なのかが曖昧すぎて入り込めない、脚本構成の出来の悪さにある。

特に最終回の"犯人"の変更が全てを台無しにしており、原作のストーリーの意味を全く理解していない、最低の改悪と言って過言ではない。

映画がヒットしてドラマ化するのなら、同じノリで行くにしても、全く違う方向性に挑戦するにしても、まずその映画の何が受けたのかを理解して作らないと駄目だろう。
たったひとつの恋 45点

古き良き恋愛ドラマ、と言った趣の設定、キャラクター、ストーリーが、程よくベタに展開していた前半部は、こっ恥ずかしい青春劇をこっ恥ずかしい気持ちで観ていられ、様々な障害を、どんな風に乗り越えるのか、あるいは潰されるのかと、それなりに毎回を楽しめていた。

が、最終二話で、これまでの話をリセットしてしまった時点で興醒め。様々な障害は、結局"二人の恋愛"に対するギミックとしての障害でしかなく、人間ドラマを描く事をこの段階で放棄してしまったも同然。せっかく途中まで上手く行っていたのに台無しだ。

それにしても戸田恵梨香はこの枠に出すぎ。




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リトル・ミス・サンシャイン 55点(100点満点中)

そこだ〜 忍法幼児体型の術〜♪
公式サイト

アメリカのTVCMやPVの世界で活躍していた、ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス夫妻初の監督作品となる長編映画。

5〜7歳の幼女限定のミスコン、"リトル・ミス・サンシャイン"の本選への繰り上げ出場が決まったオリーブと、それに同行する彼女の家族、父、母、兄、祖父、叔父の、崩壊寸前の一家の変化をコミカルに描いた、ファミリー・ロードムービー。

それぞれに闇を抱える、ギスギスしていた家族が、行動を共にする中で困難に直面し、それを乗り越え最終的に和解する様子を、各登場人物のキャラクターを活かし、時には楽しく、時には悲しく見せる、典型的なファミリー映画の体裁を取りながら、それぞれのキャラクター設定や扱う題材などで、徹底して"現状のアメリカ的価値観"をアイロニカルに笑い飛ばす内容となっているのが、本作の特徴だろう。

父親が提唱する"勝ち組・負け組論"、兄が憧れる空軍パイロット、一流の学者でホモの叔父、自由奔放すぎてウザイ祖父など、いかにもディフォルメされたアメリカンな男達が、それぞれに自分が信じているものに裏切られて挫折を味わう一方で、母と娘はごく普通で自然体なまま変わらず通されるなど、性差による意図的な偏向が見られる部分もあるのだが、このあたりは話を面白く進めるためにも機能しているので、あまり噛みつく事もないだろう。

全体的な題材となる"幼女のミスコン"もまた、アメリカの歪んだ価値観の象徴としてシニカルに描写されてはいるのだが、クライマックスの展開が、それをぶち壊すだけのカタルシスには少々欠けてしまっているのは残念。最後くらいはもっとハジケてほしかった気もする。(「アメ〜リカ〜♪」とかキモい歌をキモく歌ってたキモMCなどには、何らかのオチを用意してほしかったのだが)

アメリカ人がアメリカを皮肉ってアメリカ人に見せるために作られた映画だけに、部外者の日本人に取っては、感覚的な部分で理解しにくい面もあり、満足する程の楽しみは得られないだろうが、それでも、一人一人のキャラクターを大切に扱い、全ての要素がどんどん絡み合って最終的に一つの結論に到達し、通常の観客の予想とは違うかたちでキレイにハッピーエンドを迎える、良く練られた構成は上手い。

笑いと泣かせのバランスに多少の違和感があったり、幼女オリーブは顔は可愛いが、体型が妊娠してるのではないかと思ってしまう程に幼児体型で、「これで予選2位はオカシイだろ」と突っ込んでしまうなど、気になる部分もあるのだが、総合的には問題なく楽しめる小品。劇場で観る程の映像でもないので、興味のある人はレンタルででも。


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2006年12月30日

鉄コン筋クリート 50点(100点満点中)

はじめ人間
公式サイト

サブカル方面の人達に根強い支持を受ける松本大洋の同名漫画を、ハリウッドでCGエフェクトの経験を積み、『アニマトリックス』でハリウッドと日本アニメの橋渡し役を果たした、マイケル・アリアス監督によってアニメ映画化。アニメーションの製作自体は、日本のスタジオとスタッフで行われている。

昭和的ノスタルジックさと、アジア的エスニックさが同居する架空の町、宝町を舞台に、町の支配者を自称する少年・クロと相棒のシロ二人を主人公とし、町の開発を巡る争いをベースに様々な人間模様を描くストーリー。

まず冒頭、宝町の様子が上から下からあらゆるアングルで、CGと手書きを絶妙に組み合わせ、二次元でありながら立体的に動く、圧倒的なビジュアルを見せつけられ、町の様子を印象づけられるとともに、アニメーション映像の凄さに期待を高められる事となる。

そこから続く、クロ&シロと朝夜兄弟との決闘場面における、"松本大洋の絵"が縦横無尽に動き回る映像によって、更に期待は高まる事となる。のだが、その後の展開は、冒頭のテンションの高さとは真逆の方向に向かって行くため、そのギャップに戸惑う人も多かったのではないだろうか。(特に原作未読者)

松本大洋の独自カラーは、ドライ&クールな作風にあると思うのだが、原作の大ファンと自称するマイケル・アリアスが、本当にこの辺りを理解していたのか疑問。

原作では、どんどん鬱方面へ進行する物語ながら、そのドライな空気感によって湿っぽくならず、独特のテンションを保ちながら読み進める事が出来るのだが、このアニメの場合、やたらと湿っぽくウェットな演出、演技で物語が進行するため、原作読者にとっては違和感となり、未読者にとってはダルい展開と感じられる結果に陥ってしまっている。

町の開発を巡る抗争をベースとしながら、物語的に重要な事項はその行く末ではなく、あくまでもクロとシロの心の繋がりの露呈や進捗にあるのだが、本作ではその部分の見せ方や、原作からの表現のチョイスが今ひとつ中途半端にも感じてしまう。

例えば、シロがリンゴの種を埋める場面が原作通りにありながら、その後のクロとシロの関係の変化を見せた後、芽が出る事で時間経過とともに二人の心的繋がりを暗喩的に視覚化し、同時にクロの決断を促すくだりはカットされているため、クロの内的な一面であるイタチを克服あるいは受容する展開においての、クロとシロの関係性が曖昧になってしまっているのだ。

この辺りは、"原作のどの部分に重点を置くか"でも変わってくる事なのだろうが、それでも明らかに作者が「ここ重要」と示している事が明白な部分は、原作ファンだったら無視してはいけないだろう。

たとえ原作と変わっていても、別の良さが出ていれば、それはそれで構わないのだが(木村の嫁のキャラ変更などはそれか)、リンゴやイタチのくだりなどは、明らかにそうではない。

また、確かに映像技術的なレベルは非常に高いのだが、例えば、組事務所に入ってエレベーターに乗る一連を主観で見せる映像などは、明らかに他の場面の映像とは全く違うタッチになっており、違和感が強く作品世界を破綻させてしまっているとも取れてしまう。この様な、本来なら"物語を見せる"ために使われるべき映像技術が、単に技術を見せびらかすためだけに使われていると思われても仕方のない部分が多いのは、気になるところだ。

あるいは、原作のコマ割りをそのままカット割りとして使っている様な部分では、映像モンタージュの基本である"イマジナリィライン"を何度も超えてしまい、流れが繋がらない映像が部分的に見られた事も問題だ。意味もなく最低限の文法を踏み外すのは、映像作りの観点からは落第点だろう。

一方、いわゆる"アニメ声優"を使わないキャストには、大抵の場合不安がつきまとい、その不安はまず間違いなく的中する場合が多いのだが、本作においてはその限りではなく、ほぼ全員が、"アニメ的ではない"自然なキャラクター演技を見せてくれている。

特に、シロを演じる蒼井優は、シロが持つ子供的な白痴感や厭世感、あるいは後半の狂気の言動など、複雑な内面を持つキャラクターを見事に演じきっており、知らなければ絶対に蒼井優と気づかないレベルでの、声色の作り方も上手い。演技力の点においては、同世代の女優としては群を抜くレベルである事が、本作によってまたまた証明される結果となった。

本作、"作品"としてはいろいろと足らない部分もあり、また、好みの分かれる作風でもあるが、原作好き、アニメーション好きならまず必見の一作だ。特に序盤の映像は、劇場の大画面で観る価値はある。蒼井優のファンも、彼女の素晴らしさを再確認するために、観ておいて損はないだろう。



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2006年12月29日

シャーロットのおくりもの 70点(100点満点)

クモノイトン
公式サイト

アメリカの作家E・B・ホワイトが1952年に書いた同名の児童文学(原題:『Charlotte's Web』)を映画化。かつてアニメ映画として製作された事もあるが、今回は実写。

生まれてすぐ処分されるはずだったが、農場の娘・ファーンに救われた主人公の仔ブタ、ウィルバー。その後伯父の農場に預けられ、納屋に同居する動物達と知り合い、同じく納屋に巣を構えるクモ・シャーロットと友人になる。自分が"出荷"される事を知ったウィルバーは、「死にたくない」と願うが…というお話。

同作家の『スチュアートの大ぼうけん』が、映画『スチュアート・リトル』として実写化され、その可愛いヌイグルミの様なネズミのCG造形や動きの演出が評判となったが、本作では"リアルな動物"が、リアルな外観、動きと同時に、微妙に擬人化された表情、動きをする映像が見られる事となり、更に発達した技術の凄さと、その見せ方の絶妙さには感心する。

ガチョウ夫妻の羽毛の質感が少し気になるが、それ以外の"リアルさ"はほぼ完璧と言っていいレベルだ。動物同士で会話している時はコミカルに、人間と絡む時はリアルに見せられる、動物達の動きを微妙に使い分け、見た目はリアルながら、擬人化された動物劇にも見える、観客の錯覚を操る作り手のセンスは見事。

特に主人公、ウィルバーのブタ可愛さは最高で、自分も家で飼いたくなってしまうくらいの愛らしい容姿、動き、そして声は素晴らしい。序盤の、「おやすみ」を言う相手がおらず、ひとり寂しく「おやすみ」を連呼する場面の、悶絶しそうな程のあまりの切なさ、可愛さは反則レベルだ。

タイトルにもなっているクモのシャーロットの、原作では文章で曖昧に書かれている"巣作り"の描写も、まるで学術映像の様なリアルさでありつつも、実際にはあり得ないかたちの巣作りを行う、その映像表現は秀逸で、充分な見せ場として機能している。

と言っても、シャーロットの外見は眼の表情以外は本当にリアルなクモそのものなので、虫嫌いの人には耐えられないかもしれない。

映画冒頭は、絵本の様な"絵"で書かれた風景の中を、視点が移動していく映像によって、「これから始まるのは、絵本の様な"おはなし"ですよ」と示した上で、実写の映像に切り替わって物語が開始される導入部と、最後もまた、再び絵の世界に戻って、本を閉じる様に映画が終わり、世界が完結する、全体的な構成も上手い。

本作、ガチガチの"子供向け映画"である。にもかかわらず、これほどまでに金、人、手間をかけて、大人の観賞にも堪えうる、決して子供だましに終わらないリアルな映像をしっかり作りこむ、それだけの事が許される環境は、日本映画では絶対あり得ないものだろう。日本映画には日本映画の良さもあるが、この点ではハリウッドは本当に羨ましい限りだ。

ストーリーは原作をほぼ忠実に再現したもので、それだけでは短いと考えたのか、あるいは波乱が足りないと考えたのか、ネズミのテンプルトンとカラス兄弟によるドタバタ劇が、オリジナルの要素として加味されて、わかりやすいギャグシーンとして、流れに緩急を与えてにぎやかしの効果を持たせている。

しかしその"原作に忠実"な面が逆に、原作における不満や疑問、突っ込みどころなどもそのまま"忠実に再現"してしまっている弊害もあり、痛し痒しと言ったところだ。

食べられるために育てられたブタが、そうならない様に何とかする話において、「じゃあ一緒に生まれた他の兄弟ブタはどうなったのか?」と、少し考えの回る子供なら気になる点も放置だし、最初にウィルバーを救い、全体を通して重要な位置づけになるのかと思わせるファーンの、その内面変化と物語内における位置づけ変化のバランスの悪さなども、何らフォローされる事なくそのままで、消化不良感が残ってしまうのは残念。

一方で、終盤に用意される"泣かせ"の展開は、たとえ原作を知っていても問題なく感動出来る様、しっかりと演技、演出がなされており、これは映像のみならず、各キャラクターの声を演じた俳優陣の腕の確かさによるものも大きい。(その意味で、本作は字幕版での鑑賞をオススメする)

もともと幼児的な可愛さが売りだったダコタ・ファニングが、すっかり普通の少女になってしまっているのは残念だが、子供ならずとも大人でも、童心に帰って、あるいは保護者側からの視点で、ともに楽しむ事が出来る、良質のファミリー向け映画だ。機会があれば是非。



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2006年12月28日

大奥 30点(100点満点中)

「オメーらの謀事は、まるっとお見通しだ!」とは言いません
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フジテレビの人気時代劇ドラマ『大奥』シリーズから、主演以外のキャストとスタッフをほぼそのまま引き継いで製作された劇場版。

7代将軍・家継の時代に起きた史実として伝えられている、江島(絵島)生島事件を題材に創作を加味した、テレビシリーズとは完全に独立したオリジナルストーリーとなっている。

さて本作、劇場映画ならではの、"豪華絢爛"な美しくスケールの大きい映像が見られるものかと少しは期待していたのだが、結局スタッフがテレビと同じなので、そんな期待は叶えられるはずもない。

もちろん予算規模は桁が違うだろうし、撮影には東映京都撮影所や時代劇でおなじみのロケ地を使い、町の場面などではエキストラを大量に動員しているなどして、テレビシリーズと比べると"リアルさ"は増しており、「ああ、金かかってるなあ」と感じる部分もあるにはある。

だが、撮り方、見せ方がテレビの手法そのままでしかなく、クドい程に顔のどアップばかりが多用され、あまりのテレビ的な画作りに呆れ返ってしまった。これではテレビスペシャル版をそのまま劇場で流しているのと変わらないではないか。

顔ばかり映っているので、宣伝などで自慢している"金をかけた衣装"も効果的に映っておらず勿体ない限りだ。何よりヅラの境目くらい後処理でもいいから消さないと、アップばかりなので気になって仕方ないのだ。

特にクライマックスの、花火をバックに愛を成就するシーンなど、せっかく夜空に奇麗な花火が光っているというのに、ここでもやはり顔ばかりをどアップで映し続けて、人物、花火、夜空、水面などを上手く配置して美しい映像を構成し、"愛"を盛り上げるといった、当たり前の演出すらされておらずガッカリした。

ストーリー的な部分に目を向けると、まずこの映画が、どの層をメインターゲットにして作られているのかと言えば、主題歌が倖田來未な事を鑑みても、おそらくは若い女性層を第一の狙いとしていると思われるが、それにしては、時代設定や人物に関する説明が不足してはいまいか、とも思う。

家継が幼児で、しかも7歳で死んでしまうというのは、マトモな大人なら一般常識のレベルだろうし、大奥のシステムなども同様だが、今どきの若い女性が果たしてそこまで知っているかは疑問だ。この辺りをもう少し説明をしておかないと、人間関係や地位の上下がわかり辛く、ストーリーに対する理解度にも影響したのではないだろうか。

それだけではなく、主人公・絵島(仲間由紀恵)や、家継の生母である月光院(井川遥)など、本作にて観客の感情移入を誘って感動させる役割を持っている人物が、まず感情移入出来る程の描写がなされないままに話が進んでしまっているので、作り手の狙い通りには感動出来にくい結果となってしまっている。

メインストーリーとなる、絵島と生島新五郎(西島秀俊)との"許されざる愛"と、それとの対比として見せられる、月光院と間部詮房(及川光博)との同じく"許されざる愛"、更には"裏"として見せられる、天英院(高島礼子)や宮路(杉田かおる)の"執着"も、全ての描写において底が浅いため、ただただ決められた話を進めているだけなのだ。

そもそも『大奥』シリーズでの見どころは、狭い世界での人間同士の、腹の探り合いや裏の取り合いと言った、駆け引きの面白さだろう。本作ではそう言った面白さがほとんどなく、絵島も"できる女"としての一面がほとんど見られず、陰謀の裏をかくなど全くせず、単に状況に流されているだけにすぎない。せっかく豪華な"美人女優"を、脇に至るまで揃えているのにも関わらず、無駄遣いとしか思えない。

絵島と新五郎の、それぞれの心情の動きとして、"いつから本気になったのか"という、最も重要な部分が非常に曖昧で、ここがしっかりと描かれていないから、後半の展開が唐突で御都合主義的に感じられてしまう事になっているのだ。

また、月光院が間部の愛を求めるくだりなどは、「男に会えない」だけで倒れて死にかけて、太い注射をブチ込んでもらった途端にケロッと全快するという、もはやギャグでやっているとしか考えられない、単に肉欲に飢えているだけの色キチガイとしか感じられない描写で、同情どころか「お前のせいで皆が迷惑してるんだろ!自覚を持て!」と突っ込みたくなってしまう有様。

本当にこれで観客が感動出来ると考えて作っているのなら、作り手側は"一般人"をバカにしきっているとしか思えない。

史実を元にしているとは言え、何の意外性もなくストレートに進んでしまうストーリーは工夫が足りなすぎる。面白さより史実を優先するなどは本末転倒で、人物は実在でも、話は面白くなる様に創作しないと、娯楽作品として作る意味がないではないか。

一方で、大奥が本来の機能を果たせない原因として、実は本作の背景自体にもっとも重大な影響を与えてしまっている存在、家継の、"本人に罪はない、哀れな存在"としての見せ方には卒がなく、政務の場での緊張をコケにする様な天真爛漫な有りようや、倒れた母の元に駆けつけるも、その母は男の名前をうわ言で呼ぶばかりで子には目もくれない哀しい場面、あるいはラストでの絵島の処遇を決める場面など、節目節目に出番が配置され、好印象の存在となっている。

「美味でございますぅ〜!」の三人組は変わらず登場するが、これは単に出ているだけにすぎず、むしろ話の流れを壊す存在として邪魔になってしまっているのも残念だ。せっかくの劇場版なのだから、何らかの役割を与えて本筋に必然的に関わらせるなど、シリーズのファンに対してのサービスになる要素を加味するくらいでないと、ただ出すだけでは芸がなさすぎる。

出演者やシリーズのファンであっても、来年の今頃にテレビ放送されるまで待ってからの鑑賞で充分



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2006年12月27日

海でのはなし。 20点(100点満点中)

博士の異常な愛情
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スピッツのシングルコレクションCDのCMをきっかけに製作された、宮崎あおい、西島秀俊主演作品。もともとネット配信用に製作されたものだが、どうやら好評だったらしく、今回劇場映画として上映されるはこびとなった。

父親が浮気しているのではないかと悩むヒロイン・楓(宮崎あおい)と、大学の非常勤講師・博士(西島秀俊)二人の、それぞれの家族のあり方をメインの流れとし、二人の関係とそれぞれの心情の変化が、スピッツのヒット曲をバックに進行する内容となっている。

だが、まずそのストーリーが非常に陳腐で、少しも魅力を感じられないのが大きな問題。親の浮気だの出生の秘密だの、あるいは親を信じられない悲しさだの、そんな要素はそもそもスピッツの歌と全然マッチしていない事は、別にスピッツのファンでなくともわかるはずだ。

また、主人公二人の、そもそもの関係性が全く語られていないので、そこから二人の関係が進展したところで、出発点が不明なのだから意味がわからないし、結ばれても感動も何もあったものではない。

主人公二人以外も同様に説明不足に感じる人物ばかりで、例えば二人の共通の友人らしい女性(菊地凛子)なども、そもそもこの人が何者なのかが全然わからないため、重要な役どころであるはずなのに、何故そう言ってそうするのかも理解出来ないのだ。

ストーリーにもキャラクターにも魅力がない、そんな作品において、唯一光って見られるのが、主演の二人、宮崎あおいと西島秀俊の存在感と演技力である。

この二人、それぞれ全くカラーは異なるが、共に役者としての能力、演技力、存在感は、同世代の他俳優と比べても群を抜いており、ただそこにいて台詞を話しているだけで、形容し難い魅力を発揮している存在だ。

そんな二人が『純情きらり』以来のカップル役として共演している本作、邦画好きならそれだけで観る事を決めてしまうだろうが、いかんせん、それ以外に見どころが全くないのは困りものだ。

やたらと長い台詞を全く動きのない長回しで延々と見せる映像、演出ばかりで構成される本作、効果的な意図を狙っての長回しと言うより、単なる手抜きと言っても過言ではないこの画面作りは、面白くないストーリーと相まって、正直なところかなり退屈なものなのだが、それが逆に、主演二人の存在感を増してしまっているのは皮肉か。

と言っても、二人の魅力だけで約70分程度の映像を見続けるのも無理がある。劇場公開を意図せず作られただけあって、画質も悪く鑑賞には堪え難いものがある。出演者のファンでも、また無料でネット配信されるまで待つか、レンタルで充分。



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2006年12月26日

unknown アンノウン 40点(100点満点中)

誰も知らない
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『CUBE』や『SAW』などと同様、"密室での謎解き"を題材とした、シチュエーションサスペンス映画。

主人公が目を覚ますと、そこは荒れた廃工場の中、周囲には様々な状態で気を失っている4人の男。主人公を含め全員が記憶喪失状態で、自分が何者で、何故この場にいるのかもわからない。という状況から物語は始まる。

この導入部は非常に魅力的で、何故かやたらと喧嘩っ早い男達が、時には揉め、時には力を合わせ、何とか現状を打破しようとする、その狙いはかなり面白く、どんな展開が待ち受けているのかとワクワクさせられる。

が、残念ながら、その期待はあまり達成されないまま終わってしまった。

それぞれの記憶が戻るにつれ、謎が明らかになって行く、この全体的な流れが、まず失敗ではないかと思われる。

密閉された空間において、そこに存在する物、あるいは各人の状態や所持品などから、現状を分析して謎を解こうとするといった動きは全くなく、てんでバラバラに唐突に記憶が蘇って、自分が誰で何者なのかがわかってしまうパターンが繰り返され、謎解きの面白さも驚きも全くないままに話が進んでしまうのだ。

記憶喪失の5人が閉じ込められている間に見せる様々な行動は、その場その場での混乱を見せるだけのもので、後の展開に繋がるものがほとんどない、単発的なものばかりでしかない。ただギャーギャー騒いでケンカしているだけなのだ。

そこに最初から存在するものが実は重要な伏線となっていて、登場人物とともに観客も驚かされる、その様な構成が本来は求められるはずのジャンルながら、全くそれが無いのは呆れてしまう。

また、"誰が何者か"に関しては、比較的早い段階で決着がついてしまい、終盤は"主人公が何者か"の謎解きへと話が移行するのだが、これまたロクな伏線もなく"唐突に思い出して"明らかになる、芸のない展開が続いてしまう始末。

しかもその真相のうち、"主人公の職業"については、かなり早い段階で観客には想像がついてしまうもので、それもまた、ストーリーや映像がヒントとなって想像するのではなく、「この手の話はきっとこういう事だろう」と安易に予想した事がそのまま正解という有様。

そのくせ、ラストは大した意味もなく思わせぶりに投げっぱなしで終わってしまう、あまりに底の浅い展開にはガッカリした。

そもそも、密室内で繰り広げられる、息の詰まる空気感こそが重要となる作品において、閉じ込められている建物の外観を、かなり早くから何度も見せてしまっているのは問題だろう。主人公達がわからない事は観客にもわからないからこそ、登場人物と観客が一体化し、共に恐怖や焦燥を味わう事が出来るのだ。

同様に、外部で行われる警察の捜査も、"妻"の存在以外はほぼ何の伏線にもなっていないのだから、追う車を間違えたりといった展開などは全く不要だったはずだ。

魅力的なアイディアを内容に活かしきれなかった、残念な作品。もっと脚本が練られていれば、最初に挙げた2作品に匹敵するものになったとも思えるだけに勿体ない。レンタルで充分


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