2008年06月

2008年06月30日

バグズワールド ★★★★★

公式サイト プラデラレビュー
虫嫌い以外なら必見の一本。

やっている行為は、アリの巣にションベンかけて喜んでいる幼児と大差ないのだが、近接しすぎな映像によるリアルすぎる質感から生じる臨場感と説得力で目を離させず、次々に難局を設定し、最後まで興味を惹き続けるストーリー構成および編集が秀逸にすぎる。

今まで散々苦しめられてきた脅威が、最後の最後で救いの手となる逆転展開が見事。巣を見守るハゲタカがいい味出してた。

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2008年06月29日

ミラクル7号 ★★★

公式サイト プラデラレビュー
元ネタは藤子・F・不二雄の『宙犬トッピ』あたりか。

前半の妄想シーンにおける、チャウ・シンチ―過去作のセルフパロディを絡めたドタバタ展開が、特撮やアクションのクオリティの高さも手伝い楽しい。

父親がピンチになったあたりから後の展開は読めるが、過剰にならない泣かせ演出を丁寧に押さえているため、思った通りに感動させられてしまうのが憎い。

自分が今すべき事、として主人公が勉強を始めた段階で、終盤は都市伝説版ドラえもん最終回になると予想し、泣く準備をしていたのに、オチていないオチでなし崩し的に終わってしまい唖然。絶対エンドロール後に真のオチがあると期待して待っていたのに何も無く残念。惜しい。

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2008年06月28日

花より男子ファイナル ★★ 

公式サイト プラデラレビュー
前半はTVシリーズと変わらぬドツキ漫才風キャラクターコメディや、ホテル内の追跡アクションなど、ハイテンションに盛り上がり、ファンイベントとして充分に楽しい。

だが香港以降はテンションが停滞し間延び。特に無人島ではつくしの雑草魂を活かしたサバイバルで盛り上げられた筈なのに、何もなかったため退屈。

逆ギレでクマを殴るシチュエーションは美味しかったのに、その場限りに終わってストーリーに絡まず勿体ない。事件の真相に絡めたギミックに使え、ギャグにもなった筈。

『スシ王子!』に続き何故か料理人の北大路欣也も、思わせぶりなだけで実は意味が無いのは困る。真相は早い段階で読めてしまうのだから、彼の正体にもっと意味が欲しかった。つくしの両親が発起人とのタネ明かしは上手い。

滋や静、桜子まで登場させながら、椿が出ないのは問題。たとえZガンダムのセイラさん程度であっても出るのが義務だろう。

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2008年06月27日

2008年4-6月期ドラマ その2

『キミ犯人じゃないよね?』『無理な恋愛』『ホカベン』『7人の女弁護士』『ラスト・フレンズ』はその1
引き続き終わったものから100点満点でサラリと。
パズル 70点

横溝正史の伝奇ミステリ+『TRICK』といった趣きの作品だが、タイトルにまでなっている謎解き要素自体は割とどうでもよく、石原さとみ演じる女教師のキャラクター演技および男子生徒トリオとのボケとツッコミのやりとりと、それに女子高生トリオも加わって、それぞれが互いに利用し合う関係にてシニカルに進む、キャラクターコメディとして充分に面白い。

男子トリオはバカでマジメな一方、女教師と女子トリオは腹黒く男を利用する、との、男女の性差を極端にディフォルメしつつリアルを感じさせる図式も、アイロニカルな狙いがよく出ている。

特に石原さとみによる、もはや正統派女優としてのスタンスを諦めたかのごとき、吹っ切れた本音演技は秀逸。やはりコメディがよく似合いすぎる。欲深に徹したキャラ描写が、ストーリー展開の要点を支えているために、有意な面白さとなっているのも上手い。

シリーズ化を狙っているのか、特にこれといった大局がないままに終わったのは拍子抜けだが。

Around 40〜注文の多いオンナたち〜 58点

女が幸せになれないのは、恵まれた現状を自覚せず、贅沢な欲求に固執しているからに他ならない、との結論を最初から提示し続け、それを主人公達に自覚させるべく進められるストーリー展開がまず興味深い。

かと言って一面的な"出来るオンナ"批判に留まるのではなく、自らの分をわきまえ、周囲との折り合いを付けて自覚的にスタンスを確立した上で、自分なりの幸福を追求する事は否定せずに、むしろ推奨しハッピーエンドとする、との方向性によって、女性に対する地に足のついた応援歌として成立させているバランスも見事。

だが作中で描かれている様な、理想的な自立が成立出来るのは、ほんの一握りの選ばれし者だけである、との現実は決して見せない様にして、浮世離れした夢物語に終わってしまっているのは残念。

もっとも、リアルなオバサンのリアルな人生など、誰も見たくはないだろうし、年齢相応ではあるが紛れもない美女をメインに揃え、"理想的"である事を最初から提示しているのだから構わないが。
絶対彼氏〜完全無欠の恋人ロボット〜 74点

主演が速水もこみちと相武紗季という、『レガッタ』コンビなのは、何らかの悪意に拠る嫌がらせなのだろうか。ともあれその点から生じる不安は全くなく、キャラクターラブコメとしては水準以上の面白さに。

コメディ面では主演の二人よりむしろ、峯村リエや佐戸井けん太ら個性派倍プレイヤーの手腕によるものが大きいか。特に峯村リエのイケメン好きオバサンのキャラは、エスカレートするパターンギャグとして、自宅パートのクサビとなっており、秀逸にキモカワイイ。

SFギミックおよびシリアスとコメディ全てにおいて、作劇の基点を握っている重要キャラクターを、どんな駄作でも一人で面白さを創り出せる芸達者、佐々木蔵之介が演じる事で、作品基盤の底上げに貢献し、全体的な面白さを支えているのが何より強い。

女の友情の脆さを描く、上野なつひ演じるOLに関する前半の主要エピソードも、シリアスでネガティブな心情と、それを嘲笑うかの様なコメディ、および急展開のエクスキューズとなるSFギミックとが、奇麗に融合したものとして、大いに興味を惹き楽しませるものとなっていた。あえて相武より美形の女優をキャスティングした事も大きい。

アンドロイドが人の心を持つ事による障害と感動、との後半ドラマは定番だが、基盤がしっかりしているだけに、定番を定番として安心して楽しめるものに。都市伝説版ドラえもん最終回の様に、少しクドめに泣かせるオチを予想していたがそうならず、アッサリと終わりすぎたため余韻が薄いのは残念だが。

おせん 48点

まず第一話目について。「作る側の都合は客に関係ない」というのを強調して、無理から手間のかかる段取りを踏ませていたが、結果が同じになるなら、手がかからない方がコストが下がり、客にとっても嬉しい事になる筈だ。むしろ劇中で行われていた様な事の方が、作る側の都合を客に押しつけているに他ならない。切り落とした部分は捨てずに、まかないに回せば勿体なくならない。勿体ないの観点で言うなら、むしろ長時間火にかけたりする方がエネルギーの無駄だろうに。

後半の料理勝負にしても、スピード料理を得意としている人が手早く作った料理と、ゆっくりゆっくり作った料理とを同じに食べて比べたら、先に早く出来た方が冷めて不利になるに決まってる。

そもそもこの勝負のキモは、パーティの翌日は二日酔いで疲れているから、胃に優しい料理を作った主人公側が勝ち、との点であり、それに関しては正論だ。だが、そこまで仮定の状況を想定するのならば、作る人自身も二日酔いで疲れていると考えるべきであり、作る人=食べる人でもある事も考慮すべきだ。ならばスピード料理の方が相応しい事になり、問題は作るメニューの選択のみとなる。

にも拘らず、スピード料理の全てを否定して、無理からなスローライフの「ありがたーい」押しつけに終始して憚らない状態は、『めがね』同様にカルト宗教的な欺瞞臭に満ちており、不快になるだけだ。

と、第一話が最悪の印象だったのに比べると、二話目以降は欺瞞臭が少なく普通になっており拍子抜けさせられた。そう出来るのなら最初からしておけと。

それでも、無駄に見える手間やこだわりに固執する事への"言い訳"が弱い点のみは変わらず。蒼井優が可哀想に思えた作品は初めてだ。
週刊真木よう子 75点

ファン層を考慮しての事か、ヒロイン真木よう子の毎回の相手役にイケメンを使わず、逆にブサイクよりのダメ男を起用し続けるキャスティングが、まず絶妙に面白い。ピンボール女の第四話主人公を演じる井口昇は特に、年齢不詳で且つ負け組オーラで満たされた、完璧なキャスティングとして喝采ものだ。

山下敦弘が監督を務めたその第四話、山口雄大監督、井口昇脚本のスジコ女第三話、タナダユキ監督による整形ネタの第九話、永作博美がハジケまくった三木聡監督の第十二話、と、才能あるゲストスタッフによる、濃すぎるエピソードが随所に挿まれる事で、メインの大根仁によるエピソードもまた引き立ってくる、構成バランスも絶妙。

もちろん大根仁による各エピソードが、基盤としてよく出来ているからこそ、ゲストエピソードがまた相乗して引き立つのは言うまでもない。正名僕蔵のストーカー警官がダメすぎて泣ける第七話、大根仁のスラップスティックが暴走した第八話らが特に秀逸。

しかし豊島圭介はオムニバスの平均点を下げる天才なのか。彼が担当した第六話だが、先述の井口昇や正名僕蔵、星野源、池田鉄洋ら、他エピソードのゲスト男優の絶妙なキャスティングに比して、温水洋一ではメジャーすぎてベタすぎる。このあたりに彼の凡庸さが象徴されている様にも思える。

最終回がメイキングなのは、同じく大根仁監督の深夜ドラマ『アキハバラ@DEEP』と同じ。もはや師匠の堤幸彦を完全に超えている同氏、そろそろ映画を撮ってほしいのだが。

『ごくせん』『ハチワンダイバー』『猟奇的な彼女』『スミレ16歳!!』『CHANGE』『秘書のカガミ』は後日。


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2008年06月26日

モンテーニュ通りのカフェ 72点(100点満点中)

みうらじゅん「『おフランス」と『ラ・フランス』って似てるよね」
公式サイト

2006年のフランス映画祭にて、原題の直訳『オーケストラ・シート』というタイトルにて公開された本作の、ロードショー公開としてのタイトルがこれ。

特定の場所を舞台としたオムニバス群像劇である事から、拠点となる場所をタイトルとした方がわかりやすい、との考えだろうか。だが本作にては、カフェが拠点となるわけではなく、そこで働く主人公のジェシカ(セシル・ドゥ・フランス)が、各登場人物の間を行き来して繋ぎあわせる役割として機能している事および、彼女が素晴らしく魅力的に設定、描写されている事の方ががポイントとなる。

セシル・ドゥ・フランスと言えば、フランス製ホラー映画『ハイテンション』にて、キチガイレズビアンである主人公をハイテンションに演じきった事が強く印象に残る。本作では、ボーイッシュな髪型はそのまま、ハイテンションな事も変わらないのだが、キチガイどころかむしろ問題を抱えた人の心を癒して回る、学園青春もの少女漫画の主人公のごときキャラクターを演じており、その変わり様には驚かされる。

金髪巻き毛のショーットカットにトンガッた高い鼻、どんな場所にもスイスイ入り込み、同じ様に人の心にもスイスイと入り込んで、自分の悩みは押し隠して周囲を明るく変えていく、とのキャラクターは、見た目も性格も役割も、庄司陽子の『生徒諸君!』の主人公ナッキーを実写化したかの様だ。間違いなく内山理名より全然しっくり来る。

本作のメイン登場人物達は、いわゆる勝ち組と負け組に大別した設定が、意図的になされている。同日同時刻に開催される三つのイベント、オークション、コンサート、演劇、の、三つのドラマパートの中心となる人物達は、金銭的にも社会的にも成功者に位置づけられるが、当人達は現在の状況に満足しておらず、それぞれ悩みを吐露し続けている。

一方で、田舎からパリに出てきてカフェでバイトし、ホテルのカフェではドリンクの注文にすら躊躇し、今日明日の寝るところすら定まっていない、日本で言えばネカフェ難民に位置する主人公や、歌手を目指していたが諦めて裏働きを続けるホール管理人のオバチャンらは、客観的に見れば負け組に位置づけられるものの、彼女らは何ら愚痴をこぼす事もなく、自分の人生を前向きに生きている。

この、"贅沢な悩み""足るを知る幸福"とが、同列に扱われている事が興味深い。特段に社会派テーマとして前面に押し出すのではなく、時にアイロニカルに、時にストレートな笑いや感動により、"人生いろいろ"の表現として描いている事で、柔らかい雰囲気が損なわれない様になされているのが嬉しい。

主人公が主人公だからと言って特段に活躍したり前に出るわけでもない、との、同様のバランスが顕著となるのが、クライマックスの"本番"場面の描かれ方だろう。演劇とコンサート、オークションの三つが同時並行して展開するこの場面、特にコンサート場面では演奏を途中でブチ切って別の場面へ飛んでいるにも拘らず、何ら違和感のないスムーズな場面移動が行われている、編集構成の妙がまず秀逸。

そして、このクライマックス場面では、それまで散々チョロチョロと各パートに顔を出していた主人公ジェシカは姿を見せず、各パートの人物達が"主人公"として各々のドラマを盛り上げ、悩みを昇華させていく、との転換が、観客がそうと意識しない様に、サラリと自然に行われているのが素晴らしい。主人公は影響を与えるのみに留まり、人生を切り開くのは自分自身であるとのメッセージが、押し付けがましくなく伝えられる由縁である。

主人公が今夜はどこでどうやって寝場所を確保するのか、あるいは管理人のオバチャンは今度は何の曲でノリノリなのか、などの人物描写とストーリー展開を兼ねたネタへの期待も楽しい。

ソープオペラや古典喜劇に不満を抱えていた女優だが、映画監督が彼女を評価したのはそれらの演技からだ、との流れから、人生に無駄などなく、受け取り方ですべて変わってくると、皮肉を込め伝えられる展開が各ドラマに盛り込まれているのも気持ちいい。

冒頭、主人公がカフェに求職する場面にて、店主が女を雇わない理由としてゴチャゴチャと御託を並べ立て続けるが、それは実際には舞台設定などを観客に説明しているだけの内容に終始し、当の理由は最後に「決まりだから」で終わらせる、といった風に、状況や設定を説明するための台詞を、そう感じさせない様に、言い回しや組合せの妙で言葉自体を楽しませる工夫も抜かりがない。

その場面、長い説明が説明でしかなかったと観客に気づかせてズッコケさせるだけでなく、ボーイッシュな主人公に男物の制服を着せて、ビジュアルを引き立たせるための理由付けにもなっているのだから上手い。

軽妙なコメディに見せかけながら、ディフォルメした人間描写にリアルを投影させる手法も良くしたもの。ピアニストに日本人記者がインタビューしている場面にて、ピアニストがせっかくいい事を言っているのに遮り、どうでもいい様な低レベルな質問を繰り出すくだりなどは、当の日本の観客がこれを観ても、バカにされていると怒るどころか、日本のマスメディアにはこの通りに、対象に対する知識も見識もなく、マトモなインタビューを行えない、バカで恥知らずな自称ジャーナリストが大勢いる事に日頃からウンザリしているからこそ、「いるいる」と苦笑して楽しめてしまう。ピアニストが自虐的に口にする「トテモキレイ、トテモバカ」の言葉は、作り手の意図としては日本人インタビュアーに向けられた揶揄である。

と、全体の構成の狙いや枝葉の小ネタなど、充分に楽しめるものではあるが、ほぼ全てが予定調和に進んでハッピーエンドでは、いい話すぎて拍子抜けだ。女優の元夫の演出家など、何か展開があるのかと思わせて特に何もなく、背景の説明でしかなかったと、見終わってから気づく要素が多いのも勿体ない。

女優の着メロに周囲の誰一人触れようとしないのが、一番の笑いどころか。

『ハイテンション』レビュー


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2008年06月25日

西の魔女が死んだ 45点(100点満点中)08-210

西の魔女から東の魔女まで素敵な夢を届けます
公式サイト

梨木香歩の同名児童文学を映画化。

イギリス人の老婆が一人で日本の山奥に住んでいる、との、現実感の薄いシチュエーションだからこそ浮かぶ、良い意味でリアリティの欠落したビジョンという、原作を読んで生じるイメージを、映像として再現出来るかどうかが、まず前提として要求されるものだろう。

その点では、実際に山奥に撮影用に小屋を新築する事で、ジブリアニメの実写化の様なロケーションを作り出す事には成功している。日本語が話せる白人女性、との条件で採用された、サチ・パーカー演じる"魔女"もまた、適度な片言加減が丁寧語台詞に逆にリアリティを生み、同時に寓話的な空気をも醸しつつ、超然とした存在に感じさせ、キャスティングとしては最適だろう。

食卓に上るのはサンドウィッチやトーストを始めキッシュなど、西欧風の食事で占められ、通常の"田舎のスローライフ"にて象徴的に出される筈の、米飯やオニギリが登場しない事もまた、他作との差別化に貢献している。レタスを捌く際の、瑞々しいシャイシャキ感の表現や、トーストを噛む際の音を強調して、香ばしさや歯ごたえを観客にも体感させるなど、自然系ジュブナイル作品にて必須の"美味しそうな食べ物"の見せ方も必要以上に上手い。

その様に、基本的に洋風の趣きにて"魔女"のテリトリーを描写していると思わせつつ、中盤に登場する寝室では畳間に布団を敷いている、との、奇妙なミスマッチがまた面白い。この寝室の描写が、固執のなさ許容などの魔女の命題を表現し、キャラクター描写としているのも良くしたものだ。

また同時に、主人公まい(高橋真悠)と一緒に寝る場面にて、ベッドだと窮屈だが布団だと並べればいいだけで、絵面的にもピッタリハマる事や、ラストの遺体場面でも構図をとりやすいなど、撮影上の都合までフォローしているのだから、一石二鳥である。よく考えたものだ。

ただし、そうした効率あるいは見栄えにこだわるあまり、それが透けて見えて興醒めとなる点が散在するのは問題だ。

たとえば野いちごを摘む場面、普通に考えれば群生の端から摘んでいく筈が、何故かど真ん中に陣取って摘んでいるのは、明らかに不自然すぎる。絵面的な見栄えがリアリティを損ねている顕著な例であり、自然体を基調とした作品の方向性にも反するものだ。

シーツを洗濯する場面では、まず足踏みの描写が、普通なら"労働の楽しさ"を表現すべく、主人公が少なからず楽しんでいる演出を行うべきが、それが特に成されず、何を考えてその作業をしているのかが掴めない。また、シーツを干す段でふわっと広げるまでの構図は、洗剤のCMかと思わせる程に決まっているものの、干している状態を上から捉えた画面は、そこに会話を被せて長々と見せるに足るだけの構図としては決まっていない、視点の定まらないものでは困る。

後半に主人公が着用するレインコートが、明らかに魔女服を意識したものなのはいいとして、ではその衣装がその場面でどんな意味を持っていたのかは曖昧だ。祖母との口論が決裂した段で、魔女服を脱ぎ捨てフレームアウトする、との、負の面での描写はわかりやすかっただけに、バランスの悪さを感じる。

総じて、事象として見せたい事物と、イメージとして内包させたいもののバランスに問題がある事が、本作の散漫な印象の元となっている。これは、作り手自身が解釈や方向性を定められなかった事に起因するのだろう。

映画オリジナルの人物である郵便屋(高橋克実)の存在に、その曖昧さが象徴されている様にも思える。彼が現実世界と魔女世界を行き来する橋渡し的存在である事は理解出来る。だが、現実世界の異物を魔女世界が拒否した表現であろう、門前でバイクが壊れる描写は、固執のなさと許容を唱える魔女の命題とは反するものだ。

また、現実世界の象徴として存在しながらも、彼自身は魔女に受け入れられているという位置づけは、主人公が"俗物"として嫌悪するゲンジ(木村祐一)のスタンスとの兼ね合いに不和を生じさせ、方向性を不明瞭としてしまっている。郵便屋のくだりは全てカットしても、何ら問題はなかった筈だ。

そのゲンジにまつわる描写、主人公が汚物の様に忌み嫌う相手としては、最初の登場シーンの演出からは、必要とされる"汚らしさ"が大して表現されておらず、必要な"悪印象"は薄い。関西弁を封じられたキムの演技の不自然さも原因。魔女と違い、こちらにはたどたどしさは不要だ。

一方捨てられたエロ本の描写は、妙に生々しくリアルだ。原作からそうだがこの場面、普通の健全な中学生女子であれば、周囲に誰もいない事を確認してから手に取ってじっくり見て、人によっては秘密基地に持ち帰って秘匿するのだが、主人公はそれどころか嫌悪の表情で完全に拒否する、との描写によって、彼女が間違いなく精神を病んでおり、"現実"を拒否している事が瞭然となる、秀逸な展開だ。

ゲンジを拒絶するのは、無神経な現実に傷つけられた事の現れであり、ラストシーンでのゲンジの印象が異なるのは、彼が変わったのではなく主人公が現実を許容する事が出来る様になったからだ、との意味が込められている。勝手に「ヒメワスレナグサ」と呼称していた草の、一般的な呼称をゲンジが言い、それを拒絶せずに納得するくだりでも、主人公の観点の変化が示されている。

「おばあちゃん大好き」と言えないまま別れ、そのまま死なれてしまった。との後悔がポイントとなる後半の展開は、『ドラえもん』での、のび太とおばあちゃんの思い出の後悔を描いたエピソードとも共通する。人情として普遍的な有りようだけに多用され、また人を共感、感動させるものなのだろう。

田舎のスローライフを、俗世の現実に対する反意ではなく、延長上の理想として描き、「自分で考えて決める事」を重視し、拒絶を拒否する寛容なスタンスは、カルト宗教的に偏狭な価値観を押しつけて、そぐわないものを阻害する、『めがね』の欺瞞的な作風とは正対しており好ましい。

だが高橋真悠は正面顔は可愛いが、横から見るとペッチャンコのデコッ八に見えるため、撮る角度に気をつけるべきなのが、あまりに無頓着なため残念な見え方になっている事が多く可哀相だ。



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2008年06月24日

REC/レック 68点(100点満点中)

動物に触ったら手を洗おう
公式サイト

ビデオカメラで撮影された映像をそのまま見せる、との体裁による、擬似ドキュメント形式の感染パニックホラー映画。

同じスタイルにて作られている『クローバーフィールド』の存在がつい最近にあるだけに、どうしても比較してしまうのは仕方ない。そして本作、スケールや予算の差は別としても、全体的な完成度としては今ひとつ及ぶものではないのが残念。

最も大きいのは、全編通して観客を飽きさせないための配慮の差だろう。『クローバー』では、事が起こる前においても、少しだけ複雑な事情があるらしき人間模様に対し、少なからずの興味を惹かされる事で、登場人物の説明を基盤としたパーティ場面を、退屈する事なく観る事が出来た。事が起こってからのノンストップに関しては言うまでもない。

一方本作は、事が起こるまで、具体的には現場に移動するまでの序盤の展開が、単なる説明と段取りに終始するのみであり、作中の理由付けとなっている消防士ドキュメントとして見ても、全く興味を惹かれない退屈なものである事が、最初の問題となる。この時点で観る気をなくされては、緩急の狙いどころではなくなってしまう。

先に挙げた『クローバー』のみならず『ブレアウィッチ・プロジェクト』『ノロイ』など同種作品において、これから見せられる映像が、どの様な状況にて存在するものなのか、との、冒頭に説明がなされる定番要素が存在しない事も、興味の方向を上手く誘導出来ていない要因だろう。

中盤に小休止的に展開する、人間同士の揉め事パートも同様。アジア人差別を揶揄するかの様なやりとりや、老夫婦の噛み合わないボケ同士の会話など、意味ありげに見せられるものが、結局その場限りの揉め事に終わり、前段とも今後とも、特に有意な繋がりを見せない。この人間模様の無意味さによって、ただテンションを停滞させているだけの、退屈で冗長な中だるみに終わっている。

薬を買いに外に出た父親や、上に残されたおじいちゃんなどの、何らかの伏線かと思わせた情報が投げっぱなしで、建物内に残った人達が最終的にどの様に感染発症したかも、半数近くが曖昧なままだ。その曖昧さが、主人公の不安感とシンクロして盛り上がるのではなく、物足りなさとなっているのは、重点の置き方が不明瞭な作劇バランスの悪さによるものだ。

視点を単一とした作品スタイルの長所を活かしきれず、逆に弊害が出てしまい、"わからない"事が悪い方向に働いた結果と言える。

だが一方、見どころであるパニック、サスペンス、ホラー関連の描写、表現においては、カメラ視点の手法が活かされた、秀逸なものが多く観られる事も確かである。退屈なところは忘れて、ハイテンションな部分のみ楽しみきったほうがお得だ。

テレビの取材であるとの設定により、カメラを最後まで手放さない理由付けとして、基本的なツッコミをかわしつつ、イレギュラーな事態により撮影スタッフの目的が不明瞭となってしまう事で、映画の目的として見せたい対象と、それを捉えるカメラの視点との差異によって、観客の感情をコントロールするやり口が見事。

問題の老婆のいる部屋に入り込んだ警官と消防隊員をフォローする映像にて、この時点でカメラマンが追っているのは、眼前の警官と消防隊員となる。ゆえに、廊下の奥に見える老婆のシルエットは曖昧な像としてしか映らない。

その曖昧さが却って、マズい事態が始まりつつある事だけは認識している観客の期待と不安を高め、サスペンスを盛り上げる効果となっている。そしてその老婆の状態が"急変"する段でも、普通の映画の様にカメラを寄せることなく、あくまでも引いた視点でフラットに撮り続けている事で、客観的な目撃性を高め、観客の視点とのリアルな距離感のシンクロがなされるのだ。

警官に撃たれ倒れた老婆の姿が、画面の奥に映り続けている間、観客はいつ復活するかとドキドキが止まらないまま焦らされ続ける事となる。そこで巻き戻しを挿んで、更に焦らしを増大させているのは小憎いが、巻き戻し映像がそのまま見られるのはツッコミどころだろう。

同様に、階段手すりに固定された母親が、一瞬目を話した間に急変しているカットもまた、離れた場所だからこそのリアリティが最大となる。階段の踊り場から転落する局面も同じく、いきなり起こる事に驚かされるシチュエーションを、客観的な視点で見てしまうからこそ、リアルなショックとなって体感させられる事となる。

そうした一連の離れた視点の中で、少女が急変するくだりだけは極めて近い距離で見せられて、また驚かされてしまう。いや、実際には、本作における急転による驚かせは、前段から予想はついており、その通りとなるものがほとんどである。

そして本作は、人に近寄ったり、視点を振り替えるなど前フリによる、「くるか、くるか?」とドキドキを盛り上げる"予想"または"期待"と、その予想が絶妙のタイミングで「キター!」と事が起こり喜ばされる、そのタイミングが本当に絶妙である事が、大いなる評価点となる。

先述の少女の発症や、終盤の屋根裏のシチュエーションなどが、その代表と言える。この予想と結果の的確さは、主観映像である事も併せ、ゲームの『バイオハザード』一作目を髣髴とさせる。

尚、その様な同ジャンル作品へとの類似またはオマージュと見られる要素を見出していく事も、楽しみどころのひとつとなる。

まず、スペインを舞台にアパートを警察に封鎖され閉じ込められる、との大元のシチュエーションは、スパニッシュハーレム内のアパートに警官隊が突入する『ゾンビ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に代表される"立てこもり"とは真逆の"閉じ込められ"スタイルなのも面白い。建物内で感染が広がっていく様は『シーバーズ』『デモンズ』か。

幼い美少女が発熱している状態は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、結果も同様だ。天井裏の子供は『呪怨』だろうか。終盤の赤外線カメラ映像以降の"根源で何かに追いつめられる"展開は、『ブレアウィッチ・プロジェクト』だ。主人公側が二人いる事で、オチを二段オチ的に重ねているのも嬉しい仕掛けだ。最後になって強調される女リポーターの胸元はラストサービス。

必然的に長回しばかりとなる本作において、ゾンビ・感染系映画につきものの噛み付き、食いちぎりシチュエーションを、その長回し内にて行っている事が、映像的に最も驚かされるところであり、最大の評価点と言えるだろう。

何せ本当の事ではないのだから、本当に噛み付いて食いちぎるわけにはいかないが、本当の事に見せないといけない上に、カットが割られない長い流れの中、まず最初は無傷な状態での行動を自然に見せ、いざ噛まれる段では、噛まれている状態、必死に逃れようとしている状態をリアルに、段取りを踏んでいる様には見えない演技をしながら、噛まれた後の状態となるための仕掛けも、これまたバレない様に行わなければいけないのだ。

もちろん実際には途中で割られていたり、CGや合成によるエフェクトもあるだろうが、基本的には現場の段取りが命である事に相違ない。しかも血糊を使うため、NGが出たらまた準備から着替えから全部やり直しだ。考えるだけで気が遠くなる作業を、各シチュエーションにていちいち行っているのだから、その努力とセンスが見事に現れた結果には、目を見張らないわけがない。

ラストに現れる元凶が、パンツだけは履いている事が一番の謎か。

蛇足:
中盤のアジア人差別描写に引っかかるのは、槍玉に挙げられている日本人と中国人くらいだろうが、だが日本人だって、スペイン人とポルトガル人の区別など、普通はつかないだろう。慣習の違いで起こる諍いも、日系ブラジル人移民問題を見るまでもない。人の事はあまり言えないのだ。
『クローバーフィールド HAKAISHA』レビュー


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