2006年03月26日

SPIRIT 85点(100点満点中)

このばんぐみにでてくるドルゲはかくうのもので、じつざいのひととはかんけいありません
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清朝末期の実在の武術家、霍元甲の生涯をドラマチックに描いたフィクション映画。あくまでもフィクションなので、鵜呑みにせず映画として楽しむのが正解。日本の作品で言えば、実在の武道家、大山倍達の半生を描いた劇画「空手バカ一代」の様なものと考えればわかりやすいかもしれない。

主演はジェット・リー。だが自分の様なカンフー映画ブーム世代にとっては、リー・リンチェイという呼び名の方がしっくりくる。彼は単なるアクション俳優ではなく、実際に武術の達人であり、その動きや技のキレは、中国武術を使うアクション俳優の中でも群を抜いてトップレベルだ。デビュー作であり日本でも大ヒットした「少林寺」で見せた、リアルな武術アクションの衝撃はいまだに忘れられない。これで顔がナイナイ岡村似でなく美形なら最高なのだが、天は二物を与えずか。

ストーリーは巧妙に伏線を織り交ぜ、最終的に一つのテーマに到達する上手い構成で、なおかつ説教臭くなりすぎず、娯楽作品として楽しめるものとなっている。

本編は、霍元甲の幼少時から始まる。天津有数の武術家を父に持つ元甲少年は、父の教えに背いて学問もせず、強さのみを求め隠れて拳法の修行に明け暮れる。元甲の父は、武台上の決闘において敵の胸部への正拳突きを寸止めし、その結果負けてしまう。これを見た元甲は「父は弱い」と思い込むのだが、この決闘の前、父は素手で石柱を叩き割っており、元甲もこれを目撃しているのだ。この一連の展開は、試合の勝敗という、表面的な結果に捕われた結果、石柱をも破壊する突きで相手を殺さないために寸止めとした父の考えを理解できていない、元甲の未熟さを説明するものとなっており、これが最後までの伏線となってくる。

大人になった元甲は、父亡き後の道場を継ぎ、天津で一二を争う強さを誇る様になり、その名声に群がる取り巻きの媚声甘言や酒に溺れ、母親や幼なじみの親友の諌めも聞かず増長する。この時に元甲が行う決闘の一つに、高く組まれた櫓の上の武台で戦い、元甲は相手が台から地面に墜落する事で勝利する事となる場面があるのだが、落ちた相手を一応気遣うが、落ちる前に助ける事はしなかった。これもまた、後の展開につながる事となる。

元甲はついに天津一を競うライバルとの死闘に及ぶ事となる、この死闘が、本作で最も凄惨で迫力のあるアクションシーンとなっている。夜の酒家で剣と拳の限りを尽くし、二人の武術家が戦う様は圧巻。死闘は、正拳突きを力一杯相手の胸部へ打ち込み、死に至らしめた元甲の勝利となり彼は天津一の武術家となるのだが、その直後に、元甲は家族・親友・財産の全てを同時に失ってしまう。この時、街に住むキチガイ乞食が、彼を「天津一!」と褒め叫ぶ場面はあまりにも虚しくブラックな描写。

自暴自棄になった元甲は、放浪の末にとある辺境の村で行き倒れ、その村に滞在する事となる。行き倒れた元甲の面倒を見たのは盲目の美少女・月慈。彼女は浜崎あゆみを53万倍可愛くした様な超美少女。こんな娘に親切にされて、勘違いしない男はいないだろう。この、目は見えないが心は開いている彼女との出会いや、自然と共存し、互いを尊重する村人の生活に溶け込む事を通じ、元甲はついに、真の強さ・真の武術に開眼する。村人との田植え作業を通じて、競うだけでなく協調する事の大切さを学んだり、風を感じ、心身を休ませる村人の描写など、最低限の事は描かれているが、やはりこの過程は少し急ぎ足の感がある。実際に、隣村のムエチャッカーと戦うシーンなど、丸ごとカットされているシーンもあるらしいのだが。

天津へと帰った元甲が目にした光景は、外国人達が街を大きな顔で闊歩しているというものだった。元甲が辺境で過ごす間に、清国は列強国による侵略を受けていたのだ。列強国は、搾取を容易にする目的で清国人の心をも支配するために、異種格闘技試合を開催。西洋の巨漢レスラーに対抗できる清国の武術家達はおらず、清国人は心を折られていた。その事を知った元甲は、自らこの試合に参加。真の武術家として、巨漢レスラーと戦う。この試合で元甲は、リングから落ちそうな相手を救うのだ。これは先の高武台上の決闘で、落ちる相手を助けなかった元甲が、今度は助ける事で、相手から負けを認め元甲を讃えるという展開を見せ、元甲の成長をハッキリと示す伏線構成となっている。

民族の誇りを蹂躙されていた清国人の心に、光を与える存在となった元甲は、列強各国の最強の戦士・武道家達との連続決闘を行う事となってしまう。欧米各国の戦士達を、相手の得意とする武器を使った勝負で次々に退ける元甲。ここはやはり、剣・槍・棍など、あらゆる武術に秀でているジェット・リーの面目躍如で、その武器捌きのカッコ良さは天下一品だ。

連勝する元甲を最後に迎え撃つ事となったのが、日本の武道家・田中安野(中村獅童)。「中国映画に敵として出てくる日本人なんか、どうせ非道な極悪人にされてるんだろう」と思いきや、なんとこの田中は立派な武道家であり、求道的武術論を唱える元甲に対し、最大の敬意を表し、正々堂々と戦いを挑むのだ。こんな「ラストサムライ」にでも出てそうな、理想の日本人像が中国映画に出てくるとは、これには正直驚いた。

田中の使う武器はもちろん日本刀。それに対する元甲の武器はなんと三節棍! リー・リンチェイ時代の彼の映画を必死で見ていた世代にはタマラない武器の登場だ。クライマックスにこれをチョイスしたセンスにはシビレる他ない。

武器の勝負で決着がつかず、勝負は素手による組打ちへ移行するのだが、本作に一人だけ登場する悪い日本人・三田の陰謀で、元甲は毒を盛られ倒れる。親友や弟子達が病院へ運ぼうとするが、元甲は試合の続行を主張。文字通り命を懸けて挑む元甲に、改めて真の武術家の姿を見た田中もまた、全力で相手をする。中村獅童はあまり好きではないのだが、この田中はカッコ良すぎる。思わずファンになってしまいそうだ。もちろん中村獅童は武道家ではなく単なる役者なので、アクションシーンはほぼ吹替えであるが、そんな事は関係なくカッコいいぞ獅童。

元甲は毒に苦しみながらも戦い、最後の一撃・田中の胸部への正拳突きを寸止めし、倒れる。父が拳を止めた理由、それを理解した元甲もまた、拳を止めた。かつて、拳を止めなかった事で、多くの人間が不幸になってしまった、その過ちを繰り返さないために。真の武術家として、自分自身に打ち克つために。序盤から張られた長い長い伏線が、ここで結実する事となるのだ。これで燃えない奴は男じゃない。

テーマは充分に語られたが、この映画はまだ終わらない。倒れた元甲を見た三田は、審判に田中の勝利を宣言させようとする。だが田中はそれを制止し、元甲を抱き起こし、元甲の腕を手に取り高く上げ、「霍元甲!!」と、元甲の勝利を高らかに叫ぶのだ。そして試合会場を引き上げる途中。田中は「どういうつもりだ」とまくし立てる三田の胸倉を掴み、柱に叩きつけ、「貴様は日本人の恥だ」と言い捨てる。つまり、田中こそが本当の日本人の基準の姿であり、三田はイレギュラーな異端者であると描写しているのだ。ここまで見事な日本人を描いてくれるとは。素直に感動だ。

本作は、一人の武術家の姿を通じ、「真の強さとは何か、真の勝利とは何か」という、男なら誰もが憧れる万国共通のテーマを見事に描ききった、素晴らしいアクション映画となっている。男なら見るべし。

これは余談だが、「真の強者に悪人はいない」「命懸けの戦いを通じて互いを尊敬する」といった要素や、「人を殺す事で、頂点からドン底に突き落とされた主人公が、農村で精神を成長させ、戻ってくる」という展開など、冒頭で例に挙げた「空手バカ一代」との共通項が多く見られるのが興味深い。どの国の人間も考える事は同じ。男の夢に国境は無いのだ。



tsubuanco at 17:37│Comments(0)TrackBack(1)clip!映画 

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1. SPIRIT  [ ☆彡映画鑑賞日記☆彡 ]   2008年05月12日 21:40
 『見たこともない、強さが欲しかった。聞いたこともない、生き方に会いたかった。世界は今も、この男たちのドラマを超えられない。』  ってなワケで、昨日3/18に公開になったコチラの映画です。100年ほど前の1910年9月14日に上海で開催された史上初の異種格闘技戦を中....

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