2006年11月24日

ハリヨの夏 50点(100点満点中)

国松さまのお通りだい
公式サイト

1990年夏の京都を舞台に、17歳の少女の心の成長を描いた映画。監督は本作が初の長編作品となる中村真夕。

"ハリヨ"とは、劇中にて主人公が父親からプレゼントされる淡水魚の名称。この魚の成長、生態とが、主人公の行動、運命、決断として描かれる事象に暗喩される象徴となっている。

物語の展開と、そのための登場人物の配置、それらに合わせて進む主人公の心理変化など、全てが無駄なく有機的に絡み合い、ひとつの結論へと導かれていく、全体的な構成にはそつがなく、脚本だけで何年もかけた、と言うだけの事はある。

基本的に全てが主人公の視点を通じて提示される、その私小説的手法も上手くマッチしており、女性が作っただけ合って、女の心理描写はかなりリアル。特に主人公とその母の、共依存と見ても穿ちすぎではない、その"互いに都合のいい"関係は、監督の本音というか願望さえ感じられるものだ。

"少女の妊娠"を肯定的に扱った作品ながら、現在放送されているテレビドラマ『14才の母』の様な押し付けがましい偽善的な不快さどころか、全く嫌みが無いのがありがたい。この辺りは"女の自立"という命題に対し、まだ希望的観測が多分にある年代の監督ならではだろう。

それとは逆に、登場する男性陣がぞんざいな扱いなのは、引っかかるところでもある。同級生の水泳部員も、父親も、主人公の人生に大きな転機を与えるアメリカ人も、総じて"肝心なところで頼りにならない、究極的には不要な存在"として描かれているのだ。この辺りは女性観と同様、監督の男性観がそのまま作品に現われていると推測される。

身近でリアルな世界に、身近でリアルな人物ばかりが登場する作品中において、一人特異な位置づけで違和感を感じるアメリカ人男性も気になる存在だ。当初、主人公は彼を嫌悪し拒絶しているが、次第に心を許す様になり、しかし結局は見捨てられる(あるいは自分から見限る)、この距離感と心理の変化が生々しく描かれており、これもまた、アメリカの大学に留学していた監督の、実体験に基づく観念によるものなのだろうか。

作中の年代が90年とされているのは、主人公の父母が学生運動世代で、アメリカ人男性はベトナム戦争での従軍経験者であるという、この人物設定のためであるのは明白だ。(あるいは携帯電話を出したくなかったのかもしれない)

その人物設定と物語全体の流れから、60〜70年代反米左翼的な空気が作中の至る所で感じられ、その時代を現実に経験していない世代である監督の、実態の伴わない頭でっかちな思想あるいは主張が痛々しいのも事実で、この点に関しては、あまり評価できたものではない。

主として鴨川周辺で撮影が行われ、橋、土手、河原、川の中、あるいはそれぞれの上、下、中、と、様々な位置に人物を配置し、様々な角度、方向から撮られ、情感を重視した長回し気味のカットを多用した映像はよく出来ている。

主人公を演じた於保佐代子の自然な演技は見事で、関西出身でないにも関わらず全く違和感のない関西弁も素晴らしい。若い頃の遠藤久美子を彷彿とさせる、ボーイッシュな容姿も魅力的で、将来が楽しみな人材だ。

地味な内容ながら、監督の意欲は強く感じる本作。興味のある人は機会があれば。



tsubuanco at 16:02│Comments(0)TrackBack(0)clip!映画 

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