2007年03月01日

善き人のためのソナタ 75点(100点満点中)07-060

聴かれた男
公式サイト

1984年、ベルリンの壁が崩壊する少し前の東ドイツを舞台に、独裁政権下の監視社会の実態を暴き、そこに生きた人間の心情の変遷を描いた物語。

まず冒頭、東ドイツ、国家保安省の役人として反乱分子の粛正に貢献してきた主人公・ヴィスラーが、容疑者を尋問する場面と、その状況の録音を教材として、尋問テクニックの講義を行っている場面から物語が始まる。

この講義場面を通じ、主人公のこの時点での人間性、思想が見せられ、同時に、これから展開する物語の端々において重要な構成要素となる様々な伏線や基礎知識も開陳される。

例えば、「ウソをついている者は同じ弁明を繰り返す」という主人公の台詞が、後にドラマの展開上で、"ウソをついている人間"にそのまま当てはまる行動パターンとして現われたり、椅子や椅子にかけられた布の意味など、尋問室の様子を細密に見せておいて、後半にいくつかのキャラクターが尋問室へ呼ばれる場面が登場し、そこで序盤で知った事項が生きてくる、など、情報の提示と回収に無駄がない構成となっている。

作家がタイプライターを隠す際に、インクで手が汚れる映像を見せ、これが後に、主人公がタイプを隠したと作家が気づく伏線となっているのだが、この時は、主人公の手にインクが付く映像はあえて見せず、先の伏線と重ね合わせ、観客に連想させる仕掛けとなっている。

この様に、同じ物、同じ状況を同じ様に繰り返して気づかせる手法と、あえて同じ様には見せず、少し考えさせて気づかせる、両方の狙いが、それぞれ的確に使い分けられ、いちいち唸らされるギミックのバラ撒き方は巧い。

序盤の講義場面で反論した者、中盤の食堂で政治ジョークを言った者、終盤に主人公とともに単純作業に従事していた者、と、同じ人物を忘れた頃に主人公の近くに登場させ、彼が辿った顛末を想像させるとともに、主人公だけでなく、他の人々も皆、それぞれの人生、思惑を抱えながら、国家の権力に翻弄されていく様を、いくつかのパターンとして象徴的に表現している。

この事で、フィクションながらも緻密に取材を重ねて現実に起こりえた一例を再現し、リアルな当時の世情を観客に体感させる効果をあげているのだ。

何故、ベルリンの壁は崩壊したのか、独裁監視社会が破綻したのか、を、主人公の視点で描きながらも、特別な一個人の問題としてではなく、似た様な心情の変遷が多くの人々の中にあった事を象徴する存在とし、物語に込められた普遍的な思想が、わかりやすく伝わる意味もある。

主人公の変遷、劇作家と女優の変遷、それぞれが隔たれた別空間、別次元で同時進行しながらも、互いに少しずつ影響し合い、物語が進んでいく。三者がひとつところに顔を合わせる場面が最大の悲劇場面となり、それぞれの思惑がそれぞれ思い通りに進まず、破綻していった到着点であると示している。

主人公の上に立つ大臣を、国家のためと言いつつ私的な欲望を満たす下衆野郎として描き、独裁政権の腐敗の象徴として戯画化すると同時に、対照的に描写される、職務を忠実にこなしていた主人公を引き立たせているが、それは国家の正義を信じていたというより、単に思考停止状態にあった、と、劇作家達の本当の声を聞き、それにまつわる出来事も影響して、自分が行っている仕事が、本当に社会主義の正義に基づくものなのか、を疑問視させていく事で提示し、先述の大臣の私利私欲を知り、それが一つの決定打となり、上の命令ではなく、自らの信義のために動く様になっていく。

その流れを、言葉による説明ではなく、あくまでも映像、演技、状況描写で伝える、何もかもが計算されつくした構成は素晴らしい。

タイトルにあるソナタも、この曲を聴いた事が劇的な転機となるわけではなく、あくまでも一要因として、さりげなく劇中に挿入され、終始淡々としたトーンで進む。それだけに、終盤の事故シーンや、最後の台詞の粋さが引き立つ意図も成功している。

まず知人の"自殺"を劇作家が聞きつけ、告発記事のテーマとして"自殺"を選択させ、それを発表した後に更なる"自殺"場面を、今度は直接的な映像でハッキリと見せつける事で、独裁政権下の悲劇をより強調するとともに、アイロニカルな意味も込める、いちいち狙いの定まった、隙のないつくりには感嘆する他ない。

ドイツにとっては過去の物語だが、北朝鮮などでは現在進行形で同様の悲劇が繰り返されており、物語のテーマの普遍性は、これからも保ち続けられるだろう。

当時の社会情勢を知らずとも、歪んだ理想の強制が人間を支配する事の矛盾を、わかりやすくリアルに観客に伝える、良く出来た社会派の愛憎ドラマが堪能出来る。興味のある人は是非。

tsubuanco at 17:28│Comments(1)TrackBack(11)clip!映画 

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この記事へのコメント

1. Posted by kimion20002000   2009年03月17日 12:09
おっしゃるように、とても緻密に計算されて作られていますね。
とても長編処女作だとは思えません。

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