2007年03月31日

パリ・ジュテーム 60点(100点満点中)07-090

声の出演:志垣太郎
公式サイト

パリを舞台に20のエピソードが展開するオムニバス映画。数分程度の各エピソードをそれぞれ世界各国の20人の監督が手がけ、出演者もまた実力と知名度を兼ね備えた名優達が名を連ねている。

舞台はパリの中心から外れまで、観光名所も下町もごっちゃにした20の地点とし、それらを背景として、あるいは物語そのものを象徴する基盤として、各々のクリエイターの思うがままに用いられ、またエピソードも登場人物も、相互の繋がりは全くない独立した物語群であり、それによって、雑多で多様な一つの"パリ"という街をかたち作っている。

エピソードはどれも、ストーリーを展開すると言うよりは、その場所に生きる、存在する"人間"を各々の得意とする手法で象徴的に表現しており、短さを逆に活かして作家性や主張を程よく感じられつつ、印象として残すための娯楽性も忘れない巧さが、それぞれに光っている。

序盤からしばらくは"男女の出会い"の話を続けて、そうした方向性で統一されているのかと思わせたところで"男と男の出会い"を扱ったエピソードが登場して驚かされたり、現実的なドラマである事が共通項と思わせて、いきなり吸血鬼が登場する様な超常的な物語を挿入するなど、舞台となる場所さえ押さえておけば何でもありの、起伏に富みすぎた構成は飽きさせない。

そんな中でやはり印象に残りがちなのは、"普通ではない"ギミックが用いられた、いくつかのエピソードだろう。

中華圏での活動が多いクリストファー・ドイル監督による、ショワジー門を舞台とした一編は、本作プロデューサーの過去の名作『アメリ』を彷彿させる、エキセントリックでシュールな映像、作劇が通されており、たとえ意味がわからなくともインパクトの強さは20作の中では一番だろうし、その実はしっかりと起承転結を考えて構成されているストーリーと、老いた白人男と若く美人なアジア女性のコントラストを殊更に強調した映像構成が素晴らしい。

モンソー公園の一編は、二人が歩きながら会話する様を1カットの長回しで追う事で、何気ない話に視覚的なインパクトを与える事に成功している。撮影班だけでなく演者達の苦労も忍ばれるこの映像は、脅威の長回しカットで新たな伝説となった『トゥモロー・ワールド』のアルフォンソ・キュアロン監督によるもの。単なる技術自慢に終わらず演出的な意味を与え、尚且つパリを舞台とした1965年のオムニバス映画『パリところどころ』の一編を意識したものでもある、いちいち小憎い仕掛けが楽しい。

お祭り広場の一編や、チュルイリーの地下鉄駅での一編など、"よそ者"が苦難に遭う様を、時に真っ当な悲劇として、あるいはコメディとして見せ、パリという街が持つネガティブな面をも覆い隠さずに提示し、その一方で、セーヌ海岸の一編の様に、"よそ者"からの寛容をも見せつける。いわゆる"フランス人"だけではない、マイノリティを大きく採り上げた姿勢は、世界各国のスタッフとキャストを集めた内幕だけではなく、作品内容にも表れている。

ラストを締める、14区を舞台とした一編は、基本的には複数の人間のドラマを描いていたこれまでのエピソード群とは異なり、お世辞にも美人とは呼べない、一人の太った中年女性がパリを一人旅する様を追い、彼女の建前と本音を同時に描写する捉え方にて観客の感情を煽っておきながら、最後の最後でじんわりと治める。まさに最後に相応しい内容で、気持ちよく"パリの全て"を見終わる事が出来る。

もちろん、何もかもがよく出来ているわけでもなく、例えばエッフェル塔を舞台とした一編などは、パントマイムを題材とし、本物のパントマイムの名手を出演させながら、随所に特撮を使ってしまう事で、生の技術の高さによって生じる"面白さ"が、逆にスポイルされてしまっている。これは監督のシルヴァン・ショメがアニメーションをメインフィールドとしている事から生じた齟齬であろう。双方のセンスが優れているだけに、これは勿体ない。

好きな出演者やスタッフが一人でもいれば必見。そうでなくとも一編が短いので、面白くないと感じても次を待てばすぐに変わるので、つまらないと飽きる事はまず無いだろう。機会があれば。



tsubuanco at 17:58│Comments(0)TrackBack(0)clip!映画 

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