2007年05月19日
パッチギ!LOVE&PEACE 12点(100点満点中)
スリーが苗字だよね
公式サイト
井筒和幸監督による2005年の映画『パッチギ!』の続編。時代は68年から74年へ、舞台は京都から東京へと移り変わり、前作と同じく、当時実在の人物や事件をモチーフとした、在日朝鮮人のドラマが描かれている。(序盤の電車乱闘などがそれ)
前作からして沢尻エリカやちすんの見た目の可愛さを楽しむくらいしか価値のない、どうしようもない駄作だったが、今回はそれに輪をかけて、もはや映画としての体すらなしていない大駄作と成り果てている。
前作から引き続き登場して物語のメインとなるアンソン一家のキャスティングが、アンソン:高岡蒼佑→井坂俊哉、キョンジャ:沢尻エリカ→中村ゆり、と一新されているのはいいとして、キョンジャに恋をして、様々な在日側からの偏見や嫌がらせに耐えながらも、愛と友好を貫こうとした前作の主人公・松山康介の存在が完全に抹消され、キョンジャの過去にそんな男は存在しなかったかの様に一切触れられていないのは、これは前作で主張したはずのテーマを全否定しているに他ならない。
前作の葬式場面で受けた様な、逆ギレ以外の何ものでもない見当外れな嫌がらせを、あの後も何度も何度も受けまくり遂に堪忍袋の緒が切れて「もう朝鮮人とは 関わらない」と目が醒めて逃げ出したのでは、と想像させる狙い、では当然ないだろう。
この時点で、続編として作った意味がないどころか、却ってマイナスの印象を与える要因となっており、話が始まる前から致命的な欠陥が露呈している状態である。果たしてプロデューサーや監督、脚本家に、本当にちゃんとした作品を作る気があったのかどうかさえ疑わしい有様だ。
その事は無理から忘れた事にして、前作とは全く別物の作品として観てもやはり、あらゆる面で突っ込みどころが満載で、観ている間は確かに退屈する事はない。もちろん作り手の狙いとは違った意味で。
前作でも、アンソン側とキョンジャ・康介側のドラマが大して噛み合っておらず、分離した話を交互に並べて音楽で無理矢理感動させようとしているだけのお粗末な構成だったが、今回は更に、アンソンとノーベル(藤井隆)のドラマ、アンソンの息子の病気、芸能界入りしたキョンジャ(中村ゆり)のドラマと、メインとなる3つのストーリーがバラバラな上にどれもが中途半端で、結局グチャグチャなまま乱闘シーンを無理矢理放り込んでまとめた事にしている脚本構成は、さすがは実写版ゲゲゲの鬼太郎と同じ脚本家だけの事はある、プロとして最低レベルのお仕事振りだ。
純朴な日本人青年が在日の犯罪者にそそのかされて、自らも犯罪に手を染めてしまい、それが悪事だという自覚すらない。こんな人物描写、ストーリー展開を観て、一体誰が「友好、助け合いって素晴らしい」などと思うのだろう。むしろ、真面目に善良に社会に貢献している在日の人達に対し、失礼きわまりないではないか。
ちなみにノーベルが「ドラゴン怒りの鉄拳!」と叫んで日本人学生を蹴り倒すネタは、その映画が悪い日本人をやっつける内容である事を隠喩したもの。こんな細かいところにまで恣意的な意図を紛れさせる工夫を怠らない情熱には呆れるが、そうした小ネタは本筋がしっかりしてこそ意味があるのだ。まさに本末転倒。
子供が病気なのは在日である事と関係なく、単に可哀相な子供を出して同情を買おうという、監督が普段批判している"陳腐なお涙頂戴"に過ぎず、しかも難病ドラマとしての考証も顛末もあったものではないため、何一つ感動出来はしない。「うちが白蛇殺したからや〜!」と泣き喚く場面は笑うところなのか泣くところなのか? もはや完全に何がしたいのか意味不明である。
芸能界関連のドラマにしても、"在日である事"が悩みの種となる要素は、結局最後の映画絡みの事くらいで、その他の諸問題は国籍に関係のない単なる芸能裏話ネタでしかないのでは、長い時間を使う意味がないだろう。
男性タレントとの恋愛の顛末は、芸能人である事と特に関係ないし、水泳大会の場面は懐かしさや絵的な賑やかさもあって楽しいが、売れっ子に勝ったらダメなのに勝ってしまう定番ネタが、その後の流れに何の影響も与えないその場限りのものに過ぎず、これまた物語構成が全く出来ていない。
クライマックスとして大泣かせしたいらしい舞台挨拶の演説も、「戦わずに逃げて生き延びたからこそ今の私の存在がある」、それは近視眼的には確かにそうだが、自分と社会との関わりや現在の世界の成り立ちを少しでも考えれば、過去に戦争があった事さえも現在へと繋がる不可欠な要因であると簡単に気づくだろう。
そもそも日本軍人として戦争に参加する事から逃げたのに日本が統治する島へ行く意味がわからない。大体どうやって行ったのか。どうやって帰ったのか。
またこの過去映像。登場人物の誰の過去の回想でもないのに、段階的に唐突に挿入されており、これではタイミングよく悲惨な映像を見せて感情を煽ろうとする意図しか見えず、物語構成としての必然性が全くないのだ。
せっかく父だけでなくもう一人生き延びたのだから、作中での現在場面で年老いた彼を登場させ、彼の回想として映像を用いれば、説得力のある使い方が出来たであろうに、それすらしないのは単なる手抜きか考えが足りないかのどちらかだ。
仮に当時の朝鮮人や日本人の全員が、キョンジャの父に倣って戦わずに逃げていたら、現在の日本と朝鮮半島はどうなっていたのか、言論、表現、思想の自由を最極端に象徴するこんな映画が堂々と作れてしまう様な国に日本がなっていたか、とも考えれば、究極にミニマムな"自分の都合"のみが主張されている劇中の演説がいかに空々しいものか、戦争反対を叫びながら気に入らない相手はボコボコに殴り倒す人間の言う事など、誰がマトモに取り合うか、と、人種国籍関係なくマトモな思考回路を持つ大人なら誰もが思う筈。
この様に、劇中で述べられている、平和や友好といったメッセージの全てはあまりに底が浅い、特定の勢力にとって極めて都合よく歪曲、偏向されたものでしかなく、そんなもので感動出来てしまう人は、その特定勢力のシンパかあるいは、何だか知らないが泣いてる人を見たら自分も一緒に泣いてしまうといった、自分の思想も指針も持たず、その場の状況や他からの干渉によって簡単に感情を左右してしまう、通常の理性も考察力も備わっていない愚者に他ならない。
全編あらゆる部分が突っ込みどころばかりで、本が何冊も出来てしまう程に、例を挙げればキリがないため全てを並べる事は諦めるが、結局、この映画は"子供騙し"以下の"アホ騙し"な内容でしかなく、マトモな人間がマトモに鑑賞するに値しない、カルト宗教の啓蒙映画となんら変わらないトンデモ映画である。それを踏まえた上で観ても、物語構成や人物造形すら一貫していない大駄作に過ぎない。
とは言え、過去映像として見せられる、大戦中の南方戦線における地獄の殺戮絵図の様は、邦画レベルでは臨場感や凄惨さがハンパではない、戦争の持つ悲惨な一面を殊更にディフォルメして描いたもので、CGや合成、特殊メイク、爆発や炎をリアルに駆使した一連の出来のいい映像は、特撮映画や戦争映画が好きな人なら一見の価値があるのは事実だ。
また、ヒロインのキョンジャを演じた中村ゆりの可愛さは、かつて「YURIMARIの可愛い方」と言われていた頃から全く劣化せず、むしろケバさが消えて落ち着いて、一段とグレードアップしたのではとも感じさせる程だ。実際とは異なり巨乳の設定が与えられている事で更に、彼女の存在そのものが"見どころ"となっている事も評価に値する。よく消えずに生き残ってくれてたものだ。
そうした見た目的な楽しみどころもあるだけに、ストーリーの質の低さとテーマの悪質さが何とも残念極まりない。
現代日本に存在する"確かな悪意"の正体が、作り手の思惑とは正反対にまざまざと露呈し、完全な逆効果となっている本作。「何が本当の問題なのか」を知る、あるいは再確認するためにも、日本に住む者なら必見ではあるが、わざわざ金を払って"悪意ある特定勢力"に利潤を与える必要はないだろう。TV放送まで待てば充分。
追記:
『仮面ライダーアマゾン』の放送は74年10月から75年3月までの半年間で、『ドラゴンへの道』の公開は75年1月である。とすると、芸能界入り→水泳大会→映画製作発表→完成試写会と、どう考えても映画終盤にはとっくに『アマゾン』の放送は終わっているはず。
それでも何故「アマゾンが好き」というファクターにこだわったのだろうか。
仮面ライダーアマゾンこと山本大介は、日本人だが南米で孤児となり日本語を話せないという設定である。
本作中で、ノーベルは日本人だが親に捨てられて孤児として育ったという設定が、結局ドラマの本筋に絡まないのに無理に挿入されていた事とも併せ、在日朝鮮人という存在と相似形を持たせる意図があったのでは、と推測するが、やっぱり脚本がムチャクチャなせいで有効活用されず、詰め込み感を増やし物語を散漫にしただけの無駄設定に終わっている。本当に何から何まで、ダメな方向での突っ込みどころ満点だ。
ちなみに、特攻隊を扱った映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を、「戦争を賛美した最悪のプロパガンダ映画。見なくてもわかる」と酷評した井筒監督だが、本作内にて製作された戦争映画の、"コックピット内部"及び"割腹自殺"の映像の画角が、『俺は〜』と全く同一である事は、両方を観た人なら誰でも気づく筈。
つまり井筒監督は『俺は〜』を観ているのだ。にも拘らず「観てない」と公言している。嘘をついているのだ。
嘘をついてまで気に入らない相手を悪し様に攻撃する。そんな事をするのは、本当は自分が間違っている事を自覚しており、そしてそれを認めたく、知られたくないからである。情けない。もちろん彼に限った事ではない。
公式サイト
井筒和幸監督による2005年の映画『パッチギ!』の続編。時代は68年から74年へ、舞台は京都から東京へと移り変わり、前作と同じく、当時実在の人物や事件をモチーフとした、在日朝鮮人のドラマが描かれている。(序盤の電車乱闘などがそれ)
前作からして沢尻エリカやちすんの見た目の可愛さを楽しむくらいしか価値のない、どうしようもない駄作だったが、今回はそれに輪をかけて、もはや映画としての体すらなしていない大駄作と成り果てている。
前作から引き続き登場して物語のメインとなるアンソン一家のキャスティングが、アンソン:高岡蒼佑→井坂俊哉、キョンジャ:沢尻エリカ→中村ゆり、と一新されているのはいいとして、キョンジャに恋をして、様々な在日側からの偏見や嫌がらせに耐えながらも、愛と友好を貫こうとした前作の主人公・松山康介の存在が完全に抹消され、キョンジャの過去にそんな男は存在しなかったかの様に一切触れられていないのは、これは前作で主張したはずのテーマを全否定しているに他ならない。
前作の葬式場面で受けた様な、逆ギレ以外の何ものでもない見当外れな嫌がらせを、あの後も何度も何度も受けまくり遂に堪忍袋の緒が切れて「もう朝鮮人とは 関わらない」と目が醒めて逃げ出したのでは、と想像させる狙い、では当然ないだろう。
この時点で、続編として作った意味がないどころか、却ってマイナスの印象を与える要因となっており、話が始まる前から致命的な欠陥が露呈している状態である。果たしてプロデューサーや監督、脚本家に、本当にちゃんとした作品を作る気があったのかどうかさえ疑わしい有様だ。
その事は無理から忘れた事にして、前作とは全く別物の作品として観てもやはり、あらゆる面で突っ込みどころが満載で、観ている間は確かに退屈する事はない。もちろん作り手の狙いとは違った意味で。
前作でも、アンソン側とキョンジャ・康介側のドラマが大して噛み合っておらず、分離した話を交互に並べて音楽で無理矢理感動させようとしているだけのお粗末な構成だったが、今回は更に、アンソンとノーベル(藤井隆)のドラマ、アンソンの息子の病気、芸能界入りしたキョンジャ(中村ゆり)のドラマと、メインとなる3つのストーリーがバラバラな上にどれもが中途半端で、結局グチャグチャなまま乱闘シーンを無理矢理放り込んでまとめた事にしている脚本構成は、さすがは実写版ゲゲゲの鬼太郎と同じ脚本家だけの事はある、プロとして最低レベルのお仕事振りだ。
純朴な日本人青年が在日の犯罪者にそそのかされて、自らも犯罪に手を染めてしまい、それが悪事だという自覚すらない。こんな人物描写、ストーリー展開を観て、一体誰が「友好、助け合いって素晴らしい」などと思うのだろう。むしろ、真面目に善良に社会に貢献している在日の人達に対し、失礼きわまりないではないか。
ちなみにノーベルが「ドラゴン怒りの鉄拳!」と叫んで日本人学生を蹴り倒すネタは、その映画が悪い日本人をやっつける内容である事を隠喩したもの。こんな細かいところにまで恣意的な意図を紛れさせる工夫を怠らない情熱には呆れるが、そうした小ネタは本筋がしっかりしてこそ意味があるのだ。まさに本末転倒。
子供が病気なのは在日である事と関係なく、単に可哀相な子供を出して同情を買おうという、監督が普段批判している"陳腐なお涙頂戴"に過ぎず、しかも難病ドラマとしての考証も顛末もあったものではないため、何一つ感動出来はしない。「うちが白蛇殺したからや〜!」と泣き喚く場面は笑うところなのか泣くところなのか? もはや完全に何がしたいのか意味不明である。
芸能界関連のドラマにしても、"在日である事"が悩みの種となる要素は、結局最後の映画絡みの事くらいで、その他の諸問題は国籍に関係のない単なる芸能裏話ネタでしかないのでは、長い時間を使う意味がないだろう。
男性タレントとの恋愛の顛末は、芸能人である事と特に関係ないし、水泳大会の場面は懐かしさや絵的な賑やかさもあって楽しいが、売れっ子に勝ったらダメなのに勝ってしまう定番ネタが、その後の流れに何の影響も与えないその場限りのものに過ぎず、これまた物語構成が全く出来ていない。
クライマックスとして大泣かせしたいらしい舞台挨拶の演説も、「戦わずに逃げて生き延びたからこそ今の私の存在がある」、それは近視眼的には確かにそうだが、自分と社会との関わりや現在の世界の成り立ちを少しでも考えれば、過去に戦争があった事さえも現在へと繋がる不可欠な要因であると簡単に気づくだろう。
そもそも日本軍人として戦争に参加する事から逃げたのに日本が統治する島へ行く意味がわからない。大体どうやって行ったのか。どうやって帰ったのか。
またこの過去映像。登場人物の誰の過去の回想でもないのに、段階的に唐突に挿入されており、これではタイミングよく悲惨な映像を見せて感情を煽ろうとする意図しか見えず、物語構成としての必然性が全くないのだ。
せっかく父だけでなくもう一人生き延びたのだから、作中での現在場面で年老いた彼を登場させ、彼の回想として映像を用いれば、説得力のある使い方が出来たであろうに、それすらしないのは単なる手抜きか考えが足りないかのどちらかだ。
仮に当時の朝鮮人や日本人の全員が、キョンジャの父に倣って戦わずに逃げていたら、現在の日本と朝鮮半島はどうなっていたのか、言論、表現、思想の自由を最極端に象徴するこんな映画が堂々と作れてしまう様な国に日本がなっていたか、とも考えれば、究極にミニマムな"自分の都合"のみが主張されている劇中の演説がいかに空々しいものか、戦争反対を叫びながら気に入らない相手はボコボコに殴り倒す人間の言う事など、誰がマトモに取り合うか、と、人種国籍関係なくマトモな思考回路を持つ大人なら誰もが思う筈。
この様に、劇中で述べられている、平和や友好といったメッセージの全てはあまりに底が浅い、特定の勢力にとって極めて都合よく歪曲、偏向されたものでしかなく、そんなもので感動出来てしまう人は、その特定勢力のシンパかあるいは、何だか知らないが泣いてる人を見たら自分も一緒に泣いてしまうといった、自分の思想も指針も持たず、その場の状況や他からの干渉によって簡単に感情を左右してしまう、通常の理性も考察力も備わっていない愚者に他ならない。
全編あらゆる部分が突っ込みどころばかりで、本が何冊も出来てしまう程に、例を挙げればキリがないため全てを並べる事は諦めるが、結局、この映画は"子供騙し"以下の"アホ騙し"な内容でしかなく、マトモな人間がマトモに鑑賞するに値しない、カルト宗教の啓蒙映画となんら変わらないトンデモ映画である。それを踏まえた上で観ても、物語構成や人物造形すら一貫していない大駄作に過ぎない。
とは言え、過去映像として見せられる、大戦中の南方戦線における地獄の殺戮絵図の様は、邦画レベルでは臨場感や凄惨さがハンパではない、戦争の持つ悲惨な一面を殊更にディフォルメして描いたもので、CGや合成、特殊メイク、爆発や炎をリアルに駆使した一連の出来のいい映像は、特撮映画や戦争映画が好きな人なら一見の価値があるのは事実だ。
また、ヒロインのキョンジャを演じた中村ゆりの可愛さは、かつて「YURIMARIの可愛い方」と言われていた頃から全く劣化せず、むしろケバさが消えて落ち着いて、一段とグレードアップしたのではとも感じさせる程だ。実際とは異なり巨乳の設定が与えられている事で更に、彼女の存在そのものが"見どころ"となっている事も評価に値する。よく消えずに生き残ってくれてたものだ。
そうした見た目的な楽しみどころもあるだけに、ストーリーの質の低さとテーマの悪質さが何とも残念極まりない。
現代日本に存在する"確かな悪意"の正体が、作り手の思惑とは正反対にまざまざと露呈し、完全な逆効果となっている本作。「何が本当の問題なのか」を知る、あるいは再確認するためにも、日本に住む者なら必見ではあるが、わざわざ金を払って"悪意ある特定勢力"に利潤を与える必要はないだろう。TV放送まで待てば充分。
追記:
『仮面ライダーアマゾン』の放送は74年10月から75年3月までの半年間で、『ドラゴンへの道』の公開は75年1月である。とすると、芸能界入り→水泳大会→映画製作発表→完成試写会と、どう考えても映画終盤にはとっくに『アマゾン』の放送は終わっているはず。
それでも何故「アマゾンが好き」というファクターにこだわったのだろうか。
仮面ライダーアマゾンこと山本大介は、日本人だが南米で孤児となり日本語を話せないという設定である。
本作中で、ノーベルは日本人だが親に捨てられて孤児として育ったという設定が、結局ドラマの本筋に絡まないのに無理に挿入されていた事とも併せ、在日朝鮮人という存在と相似形を持たせる意図があったのでは、と推測するが、やっぱり脚本がムチャクチャなせいで有効活用されず、詰め込み感を増やし物語を散漫にしただけの無駄設定に終わっている。本当に何から何まで、ダメな方向での突っ込みどころ満点だ。
ちなみに、特攻隊を扱った映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を、「戦争を賛美した最悪のプロパガンダ映画。見なくてもわかる」と酷評した井筒監督だが、本作内にて製作された戦争映画の、"コックピット内部"及び"割腹自殺"の映像の画角が、『俺は〜』と全く同一である事は、両方を観た人なら誰でも気づく筈。
つまり井筒監督は『俺は〜』を観ているのだ。にも拘らず「観てない」と公言している。嘘をついているのだ。
嘘をついてまで気に入らない相手を悪し様に攻撃する。そんな事をするのは、本当は自分が間違っている事を自覚しており、そしてそれを認めたく、知られたくないからである。情けない。もちろん彼に限った事ではない。
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ハッキリと言う。
前作『パッチギ!』と比べて明らかにパワーダウンしたね。
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『パッチギ!』のエンドロ...
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人間不信度数は『....
5. かなりイタイぞ!『パッチギ2』。 [ TATSUYAのシネマコンプレックス ] 2007年05月22日 21:47
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6. 【2007-69】パッチギ! LOVE&PEACE(ラブ&ピース) [ ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!! ] 2007年05月22日 22:35
生きぬくんだ、
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世界を
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愛だと信じたい。
7. 『パッチギ!LOVE&PEACE』 [ アンディの日記 シネマ版 ] 2007年05月25日 01:06
感動度[:ハート:] 2007/05/19公開 (公式サイト)
泣き度[:悲しい:]
満足度[:星:][:星:][:星:]
【監督】井筒和幸
【脚本】羽原大介/井筒和幸
【時間】127分
【出演】
井坂俊哉/中村ゆり/西島秀俊/藤井隆/風間杜夫/キムラ緑子/手...
8. 映画「パッチギ!LOVE&PEACE」 [ 茸茶の想い ∞ ??祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり?? ] 2007年05月26日 13:24
LOVE&PEACEになっても、結局始まりは暴力シーンなんだよねぇ・・アリランもいいけど、前作での"イムジン河"がとっても良かっただけに熱唱なくて残念・・
舞台は1968年の京都から、1974年の東京に移る。アンソン(井坂俊哉)は息子チャンス(今井悠貴)の...
9. パッチギ! LOVE & PEACE [ 映画、言いたい放題! ] 2007年05月27日 04:26
前作品「パッチギ!
」は物凄く評判が良かったですよね。
その続編のこの作品の完成披露試写会にアメーバブログさんから
ブロガーとして招待して頂きました、バンザイ!\(^0^)/
会場は悪天候にもかかわらず、大勢のマスコミや関係者で大賑わい。
ロビーでは楽団が、...
10. パッチギ! LOVE&PEACE [ 映画君の毎日 ] 2007年06月01日 11:11
前作は、たまたま公開日の翌日に、
目当ての映画が混雑しているから代替に観たら大感動。
そしていつのまにかクチコミで広まって大ヒット。
そういう映画のパート2を作るという噂の時点で、
無かったはずの
11. 「パッチギ!LOVE & PEACE」またパッチギですか! [ soramove ] 2007年06月09日 23:15
「パッチギ!LOVE & PEACE」★★★
井坂俊哉 西島秀俊 中村ゆり 藤井隆 出演
井筒和幸 監督、127分
前作「パッチギ」は在日という重いテーマながら
全体に「生きる」という前のめりな情熱に溢れた作品で
「GO」と同様、かなり好きな映画だった。
さて、今...
12. 「パッチギ!LOVE&PEACE」 [ やまたくの音吐朗々Diary ] 2007年06月10日 11:08
公開中の映画「パッチギ!LOVE&PEACE」を観賞。井筒和幸監督作品。2004年に公開された「パッチギ!」の第2弾。出演は井坂俊哉、西島秀俊、中村ゆり、藤井隆、今井悠貴、風間杜夫、手塚理美、キムラ緑子ほか。1974年。前作で京都にいた在日朝鮮人のアンソン(井坂俊哉)...
13. パッチギ! LOVE&PEACE ☆☆☆★ [ 旭のほとりで ] 2007年06月25日 09:45
監督 井筒和幸
評価 65
ボクシング元世界王者徳山さん、銀幕デビュー??
14. パッチギ! LOVE & PEACE−(映画:2007年80本目)− [ デコ親父はいつも減量中 ] 2007年07月21日 13:17
監督:井筒和幸
出演:井坂俊哉、中村ゆり、今井悠貴、藤井隆、清水優、でんでん、西島秀俊、手塚理美、風間杜夫
評価:70点
公式サイト
お前らさあ。
いいかげんもうちょっと仲良くしろよ。
暴れりゃいいってもんと違うだろうが、このバカタレっ!
といっ....
15. パッチギ! Love & Peace(5/19公開) [ 第八芸術鑑賞日記 ] 2007年08月02日 04:08
7/18、シネアミューズE/Wにて鑑賞。6.0点。
前作はかなり高く評価している。在日をめぐるテーマの井筒のあざとい取り上げ方には少々辟易したし、もともと俺は喧嘩で何かが伝わるとかいったことは全く信じていないインドアな人間なので「パッチギ」という(タイトルにもな...
16. mini review 07078「パッチギ! LOVE&PEACE」★★☆☆☆☆☆☆☆☆ [ サーカスな日々 ] 2007年11月06日 14:04
解説: 大ヒット作『パッチギ!』のキャストを一新し、さらにパワーアップした、涙と笑いの感動作第二弾。今回は舞台を京都から東京に移し、三世代に渡り受け継がれる壮大な家族史と命の輝きを描く。2200人を超えるオーディションで見事主役に抜てきされた『GO』の井坂俊哉...
17. 独断的映画感想文:パッチギ!LOVE&PEACE [ なんか飲みたい ] 2008年06月11日 22:47
日記:2008年6月某日 映画「パッチギ!Love&Peace」を見る. 2007年.監督井筒和幸. 出演:井坂俊哉(李安成(アンソン)),中村ゆり(李慶子(キョンジャ)),西島秀俊(野村健作),藤井
この記事へのコメント
2. Posted by Ryo 2007年05月22日 12:31
前作は大好きでした。
ベタなストーリーでは有りましたが、「在日にしろ日本人にしろ、年寄りはだめかもしれんが、未来は若者の手にある」というメッセージは青春映画の王道だったと思います。
それ故今回の続編のクソっぷりにはがっかりしました。前作完全否定じゃん・・・
ベタなストーリーでは有りましたが、「在日にしろ日本人にしろ、年寄りはだめかもしれんが、未来は若者の手にある」というメッセージは青春映画の王道だったと思います。
それ故今回の続編のクソっぷりにはがっかりしました。前作完全否定じゃん・・・
3. Posted by 2007年05月22日 18:17
前作も「思想抜きにすれば、青春映画として面白い」って言われてたけど(自分は全く面白いとは思わなかったが)。それって監督の意図をあえて省くことで、やっぱコノシリーズは「在日マンセー」って言いたいだけなんでしょうね。でも、コンナ描き方じゃあ逆効果な気も・・・
4. Posted by ウイングゼロ 2007年05月22日 19:18
私よりも思想的に中立の管理人様がこの作品を見てこの採点というのは、正に『角川(小説版を出版)と井筒のダブル自爆』を証明してしまってますね。
まあ、マスコミは前作同様各映画賞を総なめしそうな作品であるかのような取り上げ方をしてましたが。
まあ、マスコミは前作同様各映画賞を総なめしそうな作品であるかのような取り上げ方をしてましたが。
5. Posted by いつも拝見してます 2007年05月23日 06:45
まったく同意です!
「俺は〜」を脚本こき下ろし「パッチギ!続編」に★5個なんて映画blogもありますが、それって映画の評価じゃなく石原氏への評価なんですよね。
井筒と同じといわれて誇らしいとかまで言ってて脳に蛆が涌いてるblogなんかありました。
そんな世の中のblogが多い中こちらは映画の評価をちゃんとやってくれているので気持ちいいです。
また覗きにきます。「映画」の評価頑張ってください!
「俺は〜」を脚本こき下ろし「パッチギ!続編」に★5個なんて映画blogもありますが、それって映画の評価じゃなく石原氏への評価なんですよね。
井筒と同じといわれて誇らしいとかまで言ってて脳に蛆が涌いてるblogなんかありました。
そんな世の中のblogが多い中こちらは映画の評価をちゃんとやってくれているので気持ちいいです。
また覗きにきます。「映画」の評価頑張ってください!
7. Posted by つぶあんこ 2007年05月23日 17:28
コメントどうもです。
未来志向といっても、今から40年前が舞台なのに…
思想が込められた映画から思想抜いたら意味ないですよね。
前作が持ち上げられた事からしてオカシイんですが。
多いというか声が大きいだけの様な気もします。
未来志向といっても、今から40年前が舞台なのに…
思想が込められた映画から思想抜いたら意味ないですよね。
前作が持ち上げられた事からしてオカシイんですが。
多いというか声が大きいだけの様な気もします。
8. Posted by q 2007年05月23日 17:39
いろんな意味で気をつけたほうがいいと思うよ
9. Posted by つぶあんこ 2007年05月24日 14:53
ヒィー(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
10. Posted by こーいち 2007年05月25日 01:07
こんばんは♪
いつもTBでお邪魔してます。
脚本はゲゲゲの鬼太郎と同じだったんですね〜
納得できました(笑)
いつもTBでお邪魔してます。
脚本はゲゲゲの鬼太郎と同じだったんですね〜
納得できました(笑)
11. Posted by つぶあんこ 2007年05月25日 10:34
プリキュアの脚本も書いてる人だと考えると、より納得できるかもです。
12. Posted by ダンボー 2007年05月26日 11:53
前のテレビでやってた1しか見てないんですが、書きます。
まぁ内容がアレな話なので、ビビって別の名前書きますけど、なんとなく予想して下さい(笑)
そうだろうとは思ってましたが、やっぱり今回も引き続きダメ映画ですか。
そして脚本実写の鬼太郎の人ですか、なおさら納得。
今回沢尻エリカは出演拒否らしいですね(笑)
前作の主人公いないんですか!
>前作の葬式場面で受けた様な、逆ギレ以外の何ものでもない見当外れな嫌がらせ
ですよね〜。まぁ、別な意味で分かりやすかったですけどね(笑)
前作、(多分今作も)国とかアレな話題をぬかしても、DQN賞賛みたいな頭の悪さが嫌いでした。
テレビでも見なくていいや。
まぁ内容がアレな話なので、ビビって別の名前書きますけど、なんとなく予想して下さい(笑)
そうだろうとは思ってましたが、やっぱり今回も引き続きダメ映画ですか。
そして脚本実写の鬼太郎の人ですか、なおさら納得。
今回沢尻エリカは出演拒否らしいですね(笑)
前作の主人公いないんですか!
>前作の葬式場面で受けた様な、逆ギレ以外の何ものでもない見当外れな嫌がらせ
ですよね〜。まぁ、別な意味で分かりやすかったですけどね(笑)
前作、(多分今作も)国とかアレな話題をぬかしても、DQN賞賛みたいな頭の悪さが嫌いでした。
テレビでも見なくていいや。
13. Posted by ウイングゼロ 2007年05月27日 17:23
某大型掲示板では、井筒監督のことを「悪魔に魂を売った男」と酷評してました。今回の映画がトラブル続き(例・出演者が暴行で逮捕など)なのもそのためなのか…ガクブル。
14. Posted by つぶあんこ 2007年05月28日 19:05
・た(ry
全く、ねえ。若かったら他人に迷惑かけていいんかと。
・ウイングゼロ さま
悪魔つーかパトロンですな。
全く、ねえ。若かったら他人に迷惑かけていいんかと。
・ウイングゼロ さま
悪魔つーかパトロンですな。
15. Posted by kimion20002000 2007年11月19日 02:55
そういう見方が、ある意味で、成立すると思いますね。
僕も、今回は駄作扱いしています。
「あほんだら」って。
ただ、前作は、評価しているんですけどね(笑)
僕も、今回は駄作扱いしています。
「あほんだら」って。
ただ、前作は、評価しているんですけどね(笑)