2007年07月23日

黒い眼のオペラ 89点(100点満点中)

布団がふっとんだ
公式サイト

台湾をメインフィールドに創作活動を続ける映画監督・蔡明亮が、故郷マレーシアを舞台として製作した最新作。

ほとんど台詞がなく、定点観測の様な固定カメラによる長回しカットを多用する作風は変わらず、映画という表現手法に興味がなく、単にお話を追う事でしか映画を見ていない人間にとっては、ただ退屈にしか感じられない事もこれまで通りであるが、その独自の手法こそが、蔡明亮作品が持つ魅力に他ならない事は言うまでもない。

必要最低限どころかそれ以下に留められる、言葉による説明の無さにより、それ以外の情報として、映像や音響から得られるものを貪欲に見出し、解釈し解題するのは観客の役割であり、親切設計の娯楽映画では決してあり得ないが、映画という表現をより深く追求した楽しみがそこには存在するのだ。

混同、依存、等による、孤独な人間の持つ迷い、癒しを求める逃避、を、メインとなる登場人物達それぞれに投影、反映させ、その差異、あるいは類似によって物語を進める。本作にて、メインテーマを表現するために用いられている、そうしたやり口は、言葉の足りない映像、音響を注視し続ける事で、却ってわかりやすく浮かび上がってくる。これこそが、蔡明亮作品の大きな特徴と言える。

青年が拾った布団、それと同じくして拾われた行き倒れ男、青年は布団を丁寧に洗い、同じ場所で行き倒れ男の排泄を世話する、そして布団の上で男の介護をする、と、拾った布団に対する愛着と、行き倒れ男の世話をする事によって生まれる依存心が混同していき、青年にとってどちらが主で従なのかさえも混同していく。

李康生が行き倒れ男と二役で演じる寝たきり男の介護をする、中年女性と若い女性、この二人が介護に対し抱えている正反対の感情を描写した後に、寝たきり男と同じ顔の行き倒れ男に傾倒していき、同じく混同による依存が生まれる。

と、黙して語らない、おまけに動かない映像による描写だけで、人間内面を深く抉り続ける、この観察力、描写力の卓越は見事であり、これ以上言葉を用いては陳腐に堕してしまうのでは、とすら思わせるほどだ。

物語のテーマを最初に暗示させておくためか、オペラ『魔笛』の曲目が序盤に現実音楽として流され、二組の男女による物語であり、沈黙、火、水といった、本作のストーリーに必然のファクターが、テーマと結びつくものだとも、この段階で"説明"しているのだろう。『ライムライト』のテーマソングもまた、同様の意図で用いられていると思われる。そうした二重三重の暗示、隠喩表現があらゆるシーン、カットに込められており、動かない絵が続くからといって眼を逸らしていては、理解が不充分となり、ついていけなくなってしまう。

一見は退屈に思われる長回しショットも、例えば青年が行き倒れ男の頭の上に、氷嚢代わりにジュースの袋を乗せようと試行錯誤するカットなど、画面内の当人は真顔で真剣に行っている事が、それを客観的に傍観視している観客からすれば、天然系のおかしさを否応無く感じさせられ、笑いを堪えるのに必死になってしまう、といった、半分は狙いであり半分は天然と推測される様な、おそらくはアドリブも交えた動向のいちいちは、同じく眼をそらす猶予など与えられないのだ。

後半に登場する"マスク"が、よく見るとカップ麺だったりレジ袋だったりするあたりも同様。物語は真面目に進んでいるから余計に、そのおかしさのギャップが大きくなり強烈な印象として頭を離れなくなる。

そうして"観察"を行う事もまた、映画鑑賞における重要な楽しみの一つであり、それを自ら行わず単に「退屈」の一言で片付けてしまう手合いを、本作は完全に拒否している、観る人を選ぶ映画であるため、万人にお勧め出来るものではないが、本当に映画が好きなら楽しめる筈だ。自己責任で。

tsubuanco at 16:12│Comments(0)TrackBack(0)clip!映画 

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