2007年07月30日

みえない雲 67点(100点満点中)

こんな夢を見た
公式サイト

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故の翌年に書かれた、ドイツ人作家グードルン・パウゼヴァングの小説を映画化。

原発事故を題材とし、その恐怖を描く事が目的ではあるが、それを主人公の恋愛の障害として扱い、作品自体を恋愛ドラマとして特化させている事が、本作の最大の特徴だろう。

ために、物語は基本的に主人公または相手役の視点で進行し、彼女らが見えない、知らない事は、観客にも伝えられないという作りになっているのが全体の体裁。

まず観客の共感や感情移入を生むべく、平時における主人公の青春模様を描写しておいて、その後の急展開にギャップを生ませる、という構成となっているのだが、原作が若年層向けの作品だったためか、進行優先の恣意的な展開、描写がほとんどを占め、観客がリアルなものとして受け止めるために必要な、自然さや説得力には、今ひとつ欠けてしまっているのが苦しいところだ。

前半の学園ドラマ的展開は、特に脇役のクラスメイトなど、どうにも類型的な行動、描写に終止し、しかも彼らは物語状重要な意味を持つわけでもないのに、中途半端に出番が多く、視点を散漫にさせている嫌いが感じられる。女友達はともかく男連中はいなくて問題なかった筈。後半に登場する男性医師も中途半端だ。

非常時にさえ緊張感ゼロのアホども、という男連中の描写は、その時点では興味深いものだったが、後に何も続かずその場限りで終わってしまっては喰い足りない。逆に、後に再会して主人公を取り巻く環境の変化を表現する役割を担わされた女友達の方には、非常時の描写を一切しなかったせいで、再登場の驚きこそは与えられるが、心境変化に対し説得力が薄れ、結論ありきで行動させられていると感じられがちだ。

創作物なのだから、登場人物が結論のために動かされる事は当然だが、その事があからさまに気づかれない様、自然な行動、描写として紡ぐのが、創作者の腕の見せどころであり、本作はその至らなさが気にかかるところが、特に重要な場面に際して多く見られるのが残念。

主人公の弟にしても、言う事を聞かない鬱陶しさ、というキャラクターを与えたのは、リアルな子供の描写としていいのだが、それに対し主人公が抱く、マイナス面も含めた姉としての心境が観客に伝わる様にしておかない事には、事故シーンの衝撃も、その後の茫然自失にも、作り手の狙い通りの感情を観客に抱かせる事は難しくなるのだ。

実際、本作を観る限りにおいては、言う事を聞かないアホなガキが自業自得で死んだだけとしか感じられず、悲劇とは受け止め難いのだ。これでは困る。

中盤のパニックシーンの臨場感や絶望感は、混乱を上手く強調するカメラワークの巧みさによって、充分以上の迫力で観客を世界に放り込み、ここだけでも鑑賞価値はあると断言して問題ないほどだが、その状況下で主人公を悪い方へ悪い方へと追いやっていく展開のいちいちが、これまた恣意的で且つ中途半端なものに終わっているため、絶望した主人公がわざわざ外に出て雨にうたれる場面が、そうさせたいために無理から持っていった様にしか感じられない。

パニックの描写は、そこに至る伏線、ネタ振りであり、雨にうたれて倒れるところが"悲劇的結末"とならなければいけないのだから、この出来ではどうにも本末転倒である。

"事後"を描く後半も、主軸となる恋愛ドラマはともかく、それをリアルなものとして背景を与えるべき、被曝、闘病の描写が考証に欠ける恣意的なものであると素人目でもわかってしまっては、物語の底を浅くしてしまい、核の恐怖を描くという主目的にさえ弊害となるのではないか。冒頭の授業シーンにわざとらしく光合成の講義を用意して、クリーンエネルギーの重要性を強調する余裕があるなら、本題に気を配るべきだ。

ただ、具体的な展開は別として、ごく普通の少年少女のミクロ視点に限定して、大勢を揺るがす重大事を描いてみせる、という作品の方向性は面白く、原発事故そのものは抽象的にしか見せない事で、"目に見えない驚異"を表現している事も有用だ。(しかし雲は見えるが)

映画序盤、全裸の主人公が服を奪われた場面の直後に、坂道を自転車でくだる主人公の、体は手前の障害物で隠れて顔だけが見える映像を用意して、観客の予想を誘導し、そのままカットを割らずに障害物から外れさせ全身を披露し、予想とは違った"オチ"で笑わせる、など、効果的に工夫された映像が随所に見られる事も、本作の評価点だろう。

同じく、弟が事故に遭う場面においても、走る車を先に出しておいて、その直後に坂道を一人で下る弟を見せ、観客にその結果を予想させる事で、不安とドキドキを殊更に増大させ、その通りとなる事で絶望させる、といった誘導がまず上手く、撥ねられて一旦フレームアウトし、そのままカットを割らずにカメラを振って"結果"までをワンカットで見せきってしまう、作り込まれた映像によってリアリティを増し、より衝撃と絶望感を高める効果となっている。だけに、先述の人物描写、心理描写の甘さが惜しいのだ。

あるいは、その事故死場面では惨たらしい様子を直接的に見せておきながら、後半にて見せられる被爆者の死が、"空になったベッド"などの間接的なものに留められているのは、映画の目的としては反対ではないかとも思われる。後半にかけて着地点をソフトにするための配慮なのかもしれないが、これまた本末転倒に感じてしまい残念。

引き出しに車のカギをしまう描写を強調しておきながら、カギが無くて焦るシーンで、その事が活かされていなかったり、混乱する群衆の中で、その中の一人がいきなり犬を射殺する描写を挟んで驚かせながら、それが暴徒化のきっかけになるなどはなく、ただそれだけでスルーされたり、弟を"守れなかった"直後に、別の子供達を守るハメになり、それをまた守れなくて絶望が加速される、という展開も、間に別の絶望を挟んでしまったせいで、絶望の対象が散漫になり、どちらにも中途半端な印象となってしまっている、など、もっと丁寧に作り込めば面白くなりそうな要素の数々が、中途半端に放り投げられている感が強いのが本当に勿体ない。

素材は最高、狙いも面白い、のだが、料理法が至らなかったせいで、作り散らかされた印象をどうしても受けてしまう事となった本作だが、見るべきところも多く、決して観て損はしないどころか、一度は観ておくべき作品ではある。機会があれば。


蛇足:
主人公よりも親友の方がどう見ても美人でしかも脱いでいるが、これは後半にスキンヘッドになる条件を受けたかどうかの差によるキャスティングなのだろうか。

とすれば、
主人公はスキンヘッド → OK、裸 → NG で、
親友はスキンヘッド → NG、裸 → OK と、コダワリと覚悟の差異が見えて面白い。もちろん完全に想像だが。



tsubuanco at 16:43│Comments(0)TrackBack(1)clip!映画 

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 「みえない雲」  [ 心の栄養♪映画と英語のジョーク ]   2008年04月17日 09:31
みえない雲ハピネットこのアイテムの詳細を見る 高校生のハンナ(パウラ・カレンベルグ)は、母親と幼い弟ウリー(ハンス=ラウリン・バイヤーリンク)の 3人暮らし。ある日、授業中に先生の質問に窮したハンナを転校生のエルマー(フランツ・ディンダ)が 助けてくれる。以...

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
Comments