2007年11月22日

この道は母へとつづく 37点(100点満点中)

出会いと別れを繰り返しながら
公式サイト

『母をたずねて三千里』を連想させる邦題だが、内容的にも、とくに後半は名作劇場や宮崎高畑アニメを彷彿とさせる展開、描写、人物が見て取れる本作、日本アニメーション製作の名作劇場シリーズは欧州でも親しまれており、その原作である児童文学はそもそも欧州作品なのだから、本作がそれらを意識して作られているという指摘は、あながち的外れでもないだろう。

だが本作が名作劇場とは明らかに異なるのは、これが今現在のロシアの現実を描いている、という一点に尽きる。

2005年のフランス映画『ストーン・カウンシル』において、西欧の夫婦がロシアの孤児院から養子を引き取って育てる、というくだりが導入として用いられていたが、こうした西欧ロシア間の養子縁組ビジネスは、現実として決してマイナーな事象では無くなっているのだろう。

本作の前半部ではまず、ロシア孤児院におけるそうした"現実"を、実際の孤児院を撮影地としそこで暮らす本物の孤児達をエキストラとして出演させる事で、リアルを追求して描く事に重点を置いている。

ここで描かれる、主人公を取り巻く"現実"が、縮図として擬似的に社会を形成しており、その中で主人公が"弱者"として扱われる様を見せる事で、彼が母親を求めて外界へと脱出する前段としているのだが、そこに養子縁組の要素を絡める事で、主人公の子供としての心情をよりリアルに見せ、客観的な幸福と主観におけるそれとの差異が主人公を突き動かす心情的なバックボーンと、リアリティとしてのそれの設定を同時に行う意図はある程度成功している。

ただ、そこで描かれる主人公の動向が、先述の通り客観的な幸福観とは乖離したものであるだけに、観客の感情移入を阻害してしまう弊害が生まれている事も確かだ。これが作り手の意図したものではない事は、ラストの顛末を見れば瞭然だ。

大人である観客にとっては、子供のワガママでしかない主人公の動機より、孤児院OBリーダーが主人公を説得しようと話した過去の方が、正論として受け止められるものだ。友人の本当の母が自殺したエピソードが、そのリーダーの過去話への反証として置かれているが、これまた特殊な一例に過ぎず、そちらを根拠とするには無理がある。

年端も行かぬ子供の判断だから、その子供自身が無謀な行動に出てしまうまではリアルな描写と呼んで差し支えないが、その事と、作品そのものが子供じみた作り話に終わる事は、当然ながらイコールではない。

子供のワガママで無謀な行動を、等身大の子供のそれとして描くのであれば、それに対する現実の有りようもまた、最後まで現実として描かなければ筋が通らないのではないか。"現実"と明らかに反するラストシーンは、安易な締め方に逃げたとされても仕方ないものだ。

また、前半の孤児院での閉塞した環境描写は、主人公が置かれている現実を観客に突きつけるために必要な長さとはいえ、そちらに尺を食われてしまい、肝心の「母を訪ねて」パートが拙速すぎるのは本末転倒にも感じる。

名作劇場アニメの場合、旅立つまでの話はホンの序盤だけで、旅の話が50話中45話程度を占めるのが普通であり、それは受け手側が"娯楽"として望んでいるものが、道程の困難や救いのエピソードに一喜一憂する事に他ならないからである。

まず観客が楽しめる娯楽作品として作り上げない事には、本来伝えたいテーマを伝える事も適わなくなる。実際、後半の旅パートは娯楽性を重視した作りとなっており、作り手もその事は承知していたのだろうから尚更、拙速感を軽減する努力は必要だった筈だ。後を想像に委ねる終わり方が、その拙速さを更に助長していたのは皮肉か。

終盤において、主人公が母親宅を訪れてからのすれ違い劇の段取りが極めて半端な事もまた、後半の弱さを感じさせる大きな要因だろう。

主人公が追いつめられて負傷したなら、運転手がそのまま病院に連れて行って、そこで母親と再会する、という流れであれば、極めて王道的ではあるが、母が病院で看護婦をしている設定にも、一度で会わせずに引張った意味合いにも、納得が行く筈だ。

だがそれを行わず、病院シーンで中途半端に看護婦として働いている母親の姿を映しておきながら、それを伏線として何ら用いる事をせず、ラストシーンでは母親の姿を一切映さず、観客の想像に委ねる形にしたのでは、狙いがあまりに散漫で、何をしたかったのか意味不明である。

そこに至るまでの展開が、人情やユーモアを交えた王道娯楽的なものながら、最後だけ中途半端に踏み外しては全てが台無しだ。

だが一方では、人物描写として対比的、アイロニカルな構図が多用されている、キャラクター配置と設定の妙は、それこそ宮崎高畑アニメを彷彿とさせ面白い。

主人公の世話を焼いていた筈のナターハは結局何もせず、売春少女の方が積極的に行動を起こして主人公を助けたり、バス停でのババア二人組とのやりとりなどは、悪意の無い過干渉が恐怖となる様をシニカルに描き、それを見かねて助け舟を出す老紳士との対比によって、シチュエーションのおかしさを演出している(ババアのおせっかいが迷惑なのは万国共通の様で笑える)。

養子縁組に積極的な孤児院と、主人公が過去に在籍した孤児院との対比では、シビアな現在と古き良き過去のギャップを、過去を美化するかたちで描く事で、観客の「昔は良かった」という共通の想いを引き出す事に成功している。

その様に楽しめる部分もあるだけに、全体としての構成の甘さ、詰めの甘さが残念だ。

題材に興味があってもレンタル待ちで充分だろう。自己責任で。



tsubuanco at 15:44│Comments(2)TrackBack(0)clip!映画 

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この記事へのコメント

1. Posted by 埼玉の孤狼   2008年03月04日 20:17
またまたマイナー映画にて推参致します(笑)。

この作品、方々にて、今ロシアの現状を鋭くえぐった、実話を題材とした・・・、ってな紹介のされ方しているようですが、それよりもだ、まず描かねばならない事が、伝えるべき事が、あるのではないかなと。

何故イタリア人夫婦が、北限の、ロシアでも特に辺境の地の養護施設の子供と、わざわざ養子縁組をせねばならないのか?
だって、相手は外国人、子供な上しかもコトバが全く通じないんでっせ!

ですとか

オマケに6歳って、日本ですと小学生1〜2年生、普通常識一般的に、もう少し年少の子供を、って思うのが万国共通自然な考え方、なんじゃないかなー

といった、映画の導入部にて誰もが抱いてしまうであろう、カンジンカナメな問題については、まるで語られない、触れることのない作品ですね、ど〜した訳だか。

これにてロシアの現実を・・・と強調されても、チョっとね。
2. Posted by つぶあんこ   2008年03月05日 17:00
本文にも書いてますけど、ヨーロッパでは説明不要の現実なんですよね。

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