2007年12月19日

ミルコのひかり 57点(100点満点中)07-350

おお見える! この紫龍の見えぬ目には(どっちだ)
公式サイト

イタリア映画界の音響マンとして知られる、ミルコ・メンカッチ氏の少年期を描いた、実話を元にした作品。

映画スタッフの話を映画化しただけあって、映画としての見栄えや構成はかなり丁寧に気遣われている事が伺える。

目隠し鬼で遊んでいる主人公達から映画を始め、父親との会話で新聞、テレビ、映画と、その後の展開を示唆するキーワードを並べておく、プロローグとしての用意周到さは上手い。目隠し鬼が最後に再び登場し、主人公および周囲の内的、外的な"変化"を明確とし、後味を良くして余韻を残しつつキレイに終わる幕引きも気持ちいい。

明るいところではヒロインが主人公を導き、暗闇に入ると一転して主人公がヒロインを導く、視覚の差異を活かした両者の共存の表現は上手く、そこからラブシーンへと繋がる前段として有効。

点字定規をテープの編集に利用するなど、様々な効果音を作り出す創意工夫とも絡め、主人公を始めとする子供達の、自由な独創性を表現して楽しませる、小ネタの用意も面白い。

ただ、全ての始まりとなる、主人公が銃を持ち出して負傷するくだりがあまりに唐突で、カプセルを転がすゲームとも関連が無く、前段としての予兆も特にないなど、肝心の起点に心配りが感じられないのが残念。

また、実在の人物をモデルとし、現実に起こった出来事を背景として描いているのだから、70年代イタリアの左翼学生運動が物語に絡んでくるのはいいとしても、その運動や盲人、盲学校に対する観点の偏向は、あまり良くしたものとは見えない。

作中で描かれている盲学校の問題点は、軟禁状態で規則で縛りつけ、盲目ゆえに発現した才能までも押さえつけようとした、本末転倒な歪んだ教育方針にあり、障害者の実情に応じた教育を施し、実社会で自立できる能力を訓練させる事自体は、間違いなく当人にとって必要なものだ。

主人公達の"成功"にしても、周囲を盲人に囲まれた盲学校という、特殊な環境下だったからこそ成し得た事であり、仮に主人公が普通学級に入っていれば、周囲との差を僻んで捻くれて終わってしまうとの想像はあまりに容易だ。

だがこの映画では結論として、まるで盲学校そのものを否定している、というか意図的に混同させてそうしている。これはあまりに思想的な偏向が過ぎないか。

これでは、現代の日本でも時に話題となる様な、養護学校を拒否し普通学級に我が子をねじ込もうとしているバカ親と変わらない、現実に即さず本人のためにもならない、偽善的で無責任な自己陶酔、自己満足に過ぎない。

保守的な大人と進歩的(笑)な若者との対立をそのまま戯画化した、70年代の幼稚な左翼思想から一歩も抜け出していないのでは、現代に作った意義すら希薄となってしまう。今となってはソ連国旗など失笑の対象にしかならないのだから、もう少し工夫が必要だった筈だ。

最初に仲良くなるドジな友人、ガキ大将やいじめっ子タイプのクラスのリーダーと、盲目である以外は類型的、記号的な人物構図を用いながら、決して陳腐なお約束に終始せず、成長、友情、少し恋愛、を王道的に描いて少なからぬ感動を起こさせる、メインストーリーの出来が安定しているだけに、余計な思想性が混入している事が大いに残念だ。

と言っても、ラストの政治絡みのテロップに眼を瞑れば(盲人映画だけに)、そうした偏向もあまり気にはならなくなり、特殊な境遇にある少年の成長物語として楽しめる事も確かで、観て損したとは思わないだろう。興味があれば。


余談:
偶然同時期に鑑賞した『ふみ子の海』、共に盲目の子供が主人公で、盲学校が重要なファクターとなり、主人公の成長や教育に対する結論は同じながら、盲学校そのものに対する扱いは全くの逆であるのが面白い。



tsubuanco at 17:23│Comments(0)TrackBack(0)clip!映画 

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