2008年05月01日

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎 53点(100点満点中)

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公式サイト

1973年にひっそりと死去した身寄りのない老人、ヘンリー・ダーガーの謎に包まれた人生を、死後に発見された彼の膨大な作品群、一万五千ページを超える大長編小説と数百の巨大な挿絵および自伝的手記、そして隣人インタビューによって解題を試みたドキュメンタリー映画。

死後に作品が世界的に評価された孤独のアーティストとして、ゴッホなどの名前を挙げて並べ語る様な批評がなされる事もあるダーガーだが、生前から画家である事を自称し活動していたゴッホと、誰一人として作品の存在すら知らなかったダーガーとは、根本的に存在が異なるものだ。

あるいは、発表したかったがやり方を知らなかっただけかも、との見方も可能であり、本当のところは本人以外知る由もないわけだが、周囲の誰も知らなかった以上、発表する意志など元よりなかったと考える方が自然ではないか。

何せ、「神に選ばれし7人のふたなり美少女が、少女を奴隷として虐待する悪の帝国と戦う」なる、人に見られたら間違いなく正気を疑われ通報される類いの、現代におけるダメなオタク妄想そのままのストーリーである。そして挿絵もまた、少女への虐待や惨殺の様子を執拗に綿密に描き出し続ける類いのものも多数存在するのだから、自身の抱えているリビドーやコンプレックスを、誰にも見せない前提だからこそストレートに投影したものとしか思えない。

つまるところ彼はあくまでも自分のために"作品"を紡ぎ続けたに他ならず、それは現代を生きるネットユーザー達にとっての、人に見られる事前提で発表しているサイトやブログの類いではなく、それとは切り離して自分のためだけに書いている本当の日記や、誰にも見せられないHDDの中身と同じものと考えるべきだろう。

自分の死後にHDDの中身を、他人はおろか家族や友人に見られる事を考えて、何も怖れない人間などいるのだろうか。いるとすれば、よほど中身のない空虚な人生を送っているのだろうと、ある意味では羨ましくもなるが。持ち主の死と同時に自動的にブッ壊れるHDDが発明されれば大売れ間違いなしである。

その意味で、彼の作品とは、彼自身の内面世界そのものの一部あるいは全部だったのではないか。それを、遺族が一人もいないからと、誰の許可も得ずに公開する事など、道義的に許される事なのだろうか。大いに疑問だ。

その昔、いわゆる宮崎勤事件で世間が騒いでいた当時、彼の部屋の様子や具体的なコレクション内容(ガセもあったが)、あるいは個人的な覚え書きや知人に出した手紙の内容まで、野次馬的興味本位で勝手に公表していた、メディアの悪質な無責任さ、それを誰もおかしいと言わない愚衆心理らさえ、ダーガーの作品を取り巻く有りようからは、想起させられもしてしまう。

もちろん犯罪者への社会的制裁の意味合いも無くは無いそれらと、何ら悪い事をしていないダーガーとを同列に語るのは間違いだ。だが何もしていない、ひたすらに地味に生き続けた人だからこそ、死んだ後に作品はおろか人生そのものまでを、興味本位で見世物にする事は、とても褒められた行為とは言えないのではないか。

あらゆる創作物は、公表された時点で作者の手を離れ独立した存在となり、触れた人間全てが自由に感じ、評価する事が出来る。だがそれはあくまでも本人の意志で公表されたものに限る筈。作家を志望し投稿や持ち込みを繰り返していたが一度も採用されず、死後に発見された未発表原稿の中に傑作があった、などの事例ならともかく、作品の存在はおろか、彼が作品を作っている事すら誰も知らなかったのだ。

とは言え、見せたくないものだからこそ見たくなる、というのは人情として極めて当然の事であり、そしてダーガーの作品は、客観的に観るべき価値が大いにあるのだから、こうした現状となるのは仕方のない結果でもある。だが、彼の作品に触れるにあたっては、自分は今、見てはいけないものを覗き見ているのだ、との罪悪感を決して忘れてはいけないと考える。それが最低限の、彼に対する敬意、礼儀というものだろう。

そんな後ろめたさを、上映時間中ずっと背負わされた状態で観させられる本作、『自伝』と『物語』を混淆させ、それにシンクロする様に『現実』と『挿絵』をも混淆させ、イメージをリンクさせて誘導していく構成手法は、謎の人物の謎をクローズアップしつつ作品の片鱗を紹介する目的としては的確。

挿絵をCGにて動かす事で、イメージの誘導を更に推し進めると同時に、書籍ではなく映像作品として発表する意味を膨らませている意図は理解出来るものの、本人に無断で作品を公表するだけでなく、勝手に手を加えて動かしてしまうのは、これまた道義的な面で疑問だ。余計な事をせずとも、彼の絵には類い稀なる希求力があるのだから、ナレーションでイメージを補足するだけで充分だった筈。

トレースコラージュを駆使して描かれた群像画は、その手法により表情のパターンが固まっていたり、同じ絵の中で人物毎にクオリティが異なるなど、弊害と見られる部分も少なからず気にかかるのだが、巨大な一枚絵として全体を構成する、レイアウトおよびカラーリングのセンスは、非凡にして極めて秀逸。発見した大家が発表したくなるのも無理はない、見事な作品群だ。

だからこそ、個人の尊厳と芸術的意義そして興味本意などが、観る者の中でせめぎ合い、単なる鑑賞とは異なる感覚を抱かされてしまう事となるのだろう。逆に言えば、そこまでに感覚が至らない者にとっては、退屈きわまりない映像の羅列にすぎないのかもしれないが。

文字通り自分だけの世界を完璧に構築し、浸りきる事が出来たであろう彼は、客観的に見ても充分に幸福だったに違いない。彼の高潔な生き様に比べるべくもない、醜く歪んだ自意識から生じる他人への悪意を、コソコソ隠れ(ながら人には見てほしい自己矛盾)て発露する事でしか自分の存在意義を確認出来ず何の成果も残せない、ネットのゴミタメに巣食う糞虫など、死んだ後さえ誰からも顧みられないのだから。



tsubuanco at 17:31│Comments(6)TrackBack(1)clip!映画 

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1. 非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎  [ 佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン ]   2008年05月01日 00:23
公式サイト。写真を見ると、まるでヴィンセント・ヴァン・ゴッホだ。ゴッホの作品も死んでから有名になった。何かもう元祖ヒキコモリ、元祖大人になりたくない、子供のままでいたい、のような人の生涯を描いたドキュメンタリー。大家だった日系のキヨコ・ラーナー夫妻が死後....

この記事へのコメント

1. Posted by sai   2008年04月30日 23:32
>醜く歪んだ自意識から生じる他人への悪意を、コソコソ隠れ(ながら人には見てほしい自己矛盾)て発露する事でしか自分の存在意義を確認出来ず何の成果も残せない、ネットのゴミタメに巣食う糞虫

何か嫌なことでもあったんですか?
2. Posted by つぶあんこ   2008年05月01日 16:52
単なる一般論です。

ま、自分の事を言われてると思った人がいるのなら、その人は実際にそういう人なんでしょうけど。
3. Posted by 野茂   2008年05月03日 12:53
あまり御自分を卑下なさらないでください。あれだけ論理武装して前田氏の矛盾点を指摘するなどそうそうできません。ここは立派なブログなんですから、ゴミタメじゃあ断じてないです。これからも応援してます!
4. Posted by つぶあんこ   2008年05月03日 21:01
  _, ._
(;゚ Д゚) …!?
5. Posted by ひつじ   2008年05月04日 02:02
いつも映画館に行く時の参考にさせて頂いてます。
道義的な問題点の指摘は全くそのとーりだと思います。やっぱそういうのに無関心に映画観ちゃダメですよね、勉強になりました。
6. Posted by つぶあんこ   2008年05月16日 11:43
でもどんな話なのか、ちゃんと全編を読んでみたい気持ちは変わらないんですけどね。罪深いです。

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