2008年05月07日

アイム・ノット・ゼア 31点(100点満点中)08-140

千の風に吹かれて 「そこにー わたしはー いませんー♪」
公式サイト

アメリカのカリスマミュージシャン、ボブ・ディランをモチーフとしたオムニバス映画。

監督のトッド・ヘインズは以前にも、『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』という映画にて、実在の有名ミュージシャンをモチーフとした人物を登場させるなど、同種の手法を用いている。つまるところ、自分の好きなミュージシャンを自分の作品に登場させたい(あるいはその人で作品を作りたい)が、そのまま本人を描いては芸がないと思われるので、暗喩の手法でキャラクターを創造して、「わかる人にはわかる」範囲に敢えて留める事で、マニアックな興味と評価を引き出したい、との意図によるものだろう。

だが、"他人に公開する作品"としてそれを行うには、同監督のクリエイティブセンスはあまりに陳腐かつ及ばないものであり、本作にはその問題点が如実に露呈している。

一人の人物の多面性を、複数の俳優が複数の人物として演じ分ける、との構成自体は、評論あるいは解題的に人物像を描く作品としては定番である。問題はその定番の使い方だ。

本作では六人の俳優がそれぞれ担当するエピソード(側面)が、同時並行してザッピングされていく、これまた定番の構成を用いている。のだが、各々のシーンに切り替わりに際して、その瞬間に次に切り替わる意味、意義あるいは、前段を踏まえて切り換えられる次シーンの導入のそれらが無いに等しく、ただ雑多にブツ切りでゴチャ混ぜにされているだけでしかない。何故変わるのかがわからなければ、観客は置いてけぼりを喰らってしまう。

六つのシークエンスは、ボブ・ディランを知る者なら「これはあの時の事、こういう意味だな」と、ことごとく事実に即した事象、事物が暗喩と直喩の双方で細かく配されているが、それはただ「これはアレだ」と気づく以上の、そこから先に発展する解釈や考察というものが見られない、単なる小ネタの羅列でしかないのだ。これでは単にオタクの自己満足オナニーでしかない。

構成手法とマニアックネタを入り混ぜたものとして、たとえば黒人少年のエピソードにおいて、白人である筈のディランなのに黒人を使っている、という、あまりにあざとく陳腐なキャスティングには、イメージの貧困さに失笑する他無い。彼の名前がウディ・ガスリーというのも、そのまんまヒネリも何もない。名前に関しては、アルチュール・ランボー、ビリー・ザ・キッド、ジュードなども同様、パロディなりオマージュなりとして、「上手いこと絡めた」と思わせるだけの、センスというものがまるで感じられない凡庸ぶりだ。

各エピソードで描かれるドラマもまた、わざわざ別人として描いているだけの意味合いが希薄すぎる、何のヒネリも無いベタでストレートなものに終始。それもまた、ディランの軌跡を知っている事前提で、しかもコマ切れのブツ切りなものだから、知らない人にとっては「だから何?」とひたすら興味の糸口すら与えられず退屈に終始し、知っているものにとっても、「うん、そうだね知ってるよ。だから何?」と、やはり単なる既知情報の雑多な羅列には退屈するのみだ。

とにかく何もかもがベタ、陳腐にすぎる。65年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのブーイング事件を元にしている場面にて、プロテストフォークからロックへの急転向がファンに与えたショックを、舞台上に上がったディラン(モチーフの人物)が客に向けてマシンガンを乱射する、との"比喩表現"で表しているなど、何十年前の子供騙しセンスだよと、見ていて恥ずかしくなる限りだ。

ケイト・ブランシェットがその場面を端緒とする裏切者"ジュード"役を演じているのも、黒人少年と同じく、表面的な奇をてらっただけの、宣伝用一発ネタ的キャスティングでしか、本来は無かったのであろうとしか考えられない、兎にも角にものセンスの無さには閉口する。

だがしかし、そんなつまらない役でも、見事にボブ・ディランを演じきってみせ、単なるインパクトのみに終わらせず、オバサンが青年を演じる意味を作品に持たせてしまった、ケイト・ブランシェットの持つ演技センスと表現力、解釈には、大いに賞賛んを贈りたい。彼女がいなければ本作は惨憺たる有様だったと想像に難くない。

"似ている"度合いではクリスチャン・ベイルの方に軍配が上がるが、こちらは言うなれば栗田貫一のルパン三世の様に、モノマネの域を出ていない事を鑑みれば、ケイト・ブランシェットの独自性がより引き立つというもの。(出番の多寡ももちろんあるが)

ボブ・ディランに関するものなら何でも受け入れて喜んでしまう類いの、信者レベルのファンなら別だが、普通に作品を鑑賞したいだけのボブ・ディランファンにとっては、何ら新しい解釈の見られない駄目なオタクの独りよがりに辟易するものでしかない。また、ボブ・ディランを良く知らないが、これを機に興味を持てれば、と期待して臨んだものにとっては、全く意味もわからず興味も持てない、駄目なオタクの独りよがりに辟易するものとしかならない。

何の意義も一貫性も無く、視点も自身のパーソナリティも、時系列も場所もどんどん入れ替わり、カオスを成して行くも、シームレスな事で当人にとっては自然で違和感は無い、との構成イメージは、人が寝ている時に見る夢と同質のものだ。黒人少年が左利き用として使っていたギターが、老人パートに登場すると普通の右利き用だったりと、繋がっている様で繋がっていないのも、全て夢だからである。

だが、他人の夢の話ほど、聞かされていて退屈なものはない。本作はまさにそれだ。

ボブ・ディランの名曲を鑑賞してついでにイメージ映像も付いてくる、程度に思っておいた方が無難か。



tsubuanco at 16:41│Comments(2)TrackBack(6)clip!映画 

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この記事へのコメント

1. Posted by ワトソン   2008年05月19日 15:29
5 こんにちは〜
大変参考になりました。
CDだけの鑑賞にしておきます。
この手の物で良い物を思いつきません。
レンタルが出たら観てみます。
2. Posted by わとそん   2008年11月01日 12:43
 DVDレンタルで見ました。
 わりとコアなディランファン(ブートレッグ第8集は当然海外から3枚組を買うが、1枚組や2枚組バージョンまでは重複して買わない程度)だからか、思いのほか面白く見られました。むしろ、倍くらい長くなっても、80年代中盤以降のディランも表現してほしかったくらいです。
 たしかにある程度のディランファンに"だけ"向けた映画だとは思いますが、まあこういうのもあっていいんじゃないでしょうか。
ラストシーンに本物のディランの映像がちょこっと出ましたが、他の役者さんには悪いですが、やっぱオーラがぜんぜん違うなあと思いました。

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