2008年05月12日

ひぐらしのなく頃に 66点(100点満点中)

(c)わた
公式サイト

07th Expansion製作の同名同人ゲームを、アニメ化、コミカライズ等メディアミックス企画の一環として実写映画化

原作ゲームは、いわゆるサウンドノベルと呼ばれる形式に属するサイコホラーミステリーだが、ひたすらに絵と文章を順送りにしていくだけで、この種のゲームに付きものの選択肢がほとんど存在しないため、ゲームと呼んでいいものか疑問だ。むしろ電気紙芝居なる呼称が当てはまってしまう様にも思える。

横溝正史の伝奇猟奇ミステリーに萌え美少女をミックスし、設定説明から始まり謎に満ちた惨劇へと至る前半部と、それらの謎が意外な伏線の回収により明かされていく後半部を分離させているのが特徴の一つである。それだけでなく、たとえ前半だけでも、残された数々の謎が「わからない」ままな事で、意図した据わりの悪さにより感情を掻き立てられ強い余韻となってしまう、ダリオ・アルジェントあたりが得意としている類いの不条理ホラーとして完成している事も評価点である。前半部が丸々収録された体験版が、それ自体が立派な宣伝材料として機能し、大ヒットを招いた理由はそこにある。

平和な日常を長く描いた上で受難、狂気と惨劇へ切り替わる構成そのものは、先日『口裂け女2』レビューでも書いた通り、古くからある手法の一つだ。その王道手法を萌えアニメ的な世界観に組込んでオタク心を掴んだ事も、成功要因だろうか。

そして今回の映画版は、その体験版『鬼隠し編』をベースとし、これのみで完結であっても一作品として問題ない様に、不条理ホラーとしての側面を前面に押し出したストーリー構成となっている。一応は解決編としての続編の製作も決まってはいるが、企画当初では一本のみで終わる可能性も決して避けられないだけに、「わからない」事が面白さとなるこの選択は正解だ。

監督および脚本を手がけた及川中は、前作『吉祥天女』の実写化においては、キャスティングのせいもあって完全に失敗したと言っていい出来だったが、今回は敢えて大胆に省略や改変を行う事で、実写番外編とも位置づけられるべき、立派な一作品に仕上がっている。とは言え決して手放しで褒められる様なものではなく、相変わらずお粗末な作劇、演出に興醒めさせられる部分も多いのだが。

特に前半部に問題は集中している。舞台となる雛見沢村や主人公のスタンスなどを説明する段において、最初の人死にに至るまでの長い時間のほとんど全てが、本当にただひたすら言葉で設定を説明しているだけに終始しているのは、あまりに工夫のない退屈なやり方だ。ゲームなりアニメなりで既知の観客は、わかっている事の反復以上の意味がない説明の羅列に退屈し、これが『ひぐらし』初体験となる観客にとっても、思わせぶりな演出や作劇を駆使して興味を引いてやらない事には、その長い説明のどこが重要なのかが受け止められず、退屈な長話を聞かされているだけとしか感じられない。

実際、それらの説明のほとんどは、今回の展開において大して意味をなさず、最後まで「何がどうなっているのかわからない」ままであり、そのわからなさが不条理な恐怖を生んでいるのだから、長すぎる説明は無駄でしかないのだ。

そんな説明に尺を割くくらいなら、転校時にふてくされていた主人公(前田公輝)が学校に馴染むまでの過程を省略せず、美少女達との関係変化をメインにして描いていった方が、ストーリー的にもビジュアル的にも興味を引くものとなった筈。とにかく前半部は退屈だ。当初思わせぶりに存在感を放っていた三輪ひとみ演じる担任教師が、結局何もないのも、三輪ひとみの無駄遣いだ。

だがそれでも、魅音(飛鳥凛)とレナ(松山愛里)をメインとした、主人公を取り巻くハーレム状態は、尺こそ少ないものの、「それどこのイメクラ?」と聞きたくなる程に不自然なスキンシップを強調しており、主人公の微妙なビジュアルと、ヒロイン二人の完璧とは言えないリアルなビジュアルが、観客の実体験や妄想を一層に喚起する役割となっている。

そして、やたらと体に触れ合っていながら、男がヘタレなため肝心な行為には至らず、微妙な距離感が物理的にも精神的にも保たれている状態が、異性に対する憧れと怖れの混淆を的確に表し、後の展開への必然およびギャップを生むためのフリとして、あるいは観客の感情移入の糸口として機能している。

アニメ的なキャラクター配置にアニメ的な衣装デザイン、それが実写として実物で具現化される事で、現実と虚構が入り交じった奇妙な世界を生み出し、現実が異界へ浸食されていく作品世界の有りようを醸しているのは、これは実写化による偶発的産物か。

その、"異性に対する憧れと怖れ"をクローズアップし、主人公の受難のメインとしている事が、本作が後半にて大きくテンションを盛り返し、前半の退屈を払拭する成功要因である。

魅音とレナの二人が主人公宅を訪れて主人公に対し行う行為は、普通の萌え作品なら「それなんてエロゲ?」な、単純なオタクハーレム妄想の定番でしかない。だが本作では常に憧れだけでなく怖れをも主人公の視点に混在させているために、本来なら嬉しくてたまらない施しを受ければ受ける程、その時の彼女らの真意が推し量れなくなってしまい、憧れと嬉しさの大きさだけ恐怖が倍増してしまう事となるのだ。

この時の、彼女らの笑顔と真顔の使い分けと切り換えのタイミングが極めて的確な事も、切り換わったギャップによる恐怖の増大に大きく寄与している。更に、主人公が知っている、わかっている情報と、観客が知っている、わかっている情報が、これまでの劇中展開にてイコールとされている事で、どうしてこんな事になっているのかが主人公同様に観客もわからないからこそ、主人公の感情と観客のそれとがシンクロし、作品世界に呑み込まれてしまうのだ。

すなわち、原作やアニメなどでの情報は、本作鑑賞の際には一旦頭から外して、新しい作品を観る気持ちで臨んだ方が、シンクロをより一層楽しめるという事だ。これが『ひぐらし』初体験となる観客は、この奇妙な不条理体験をまっさらに味わえて、本当にお得である。感性と想像力が豊かな初体験者ならば、今回の結果から『ひぐらし』ワールドを想像し、実際以上の興味と期待を抱いてしまう畏れすらあるだろう。

一見普通の物語っぽく始まり、段々何かがおかしいと匂わされていって、最終的にはわけのわからない狂気と不条理が次々に押し寄せ、結局何が何だかわからないまま終わってしまい、唖然としつつも余韻は凄まじいまでに残る、との概観は、先述した通りイタリアンホラーの巨匠ダリオ・アルジェントが得意とする手法であり、「わからないけど妙に面白い」あるいは「わからない事が面白い」鑑賞後感を生んでいるまでは本作と同種である。

ただ異なるのは、アルジェント作品において不条理に追い立てられイジメられるのは美少女の側である。だが本作にては、少年が美少女達に不条理に追い立てられイジメられ続ける。つまるところドS加虐映画であるアルジェント作品とは真逆の、ドM受難映画としての側面が、後半にて極めて顕著となる事が、本作の大いなる特色であり魅力となるのだ。それは、気絶および現実と幻覚、妄想や夢などのギミックを駆使する演出、構成によって、主人公が少女達へ加虐する局面を省略し飛ばしている事からも明らかである。

本作がつまるところ、謎解きミステリーなどどうでもよく、不条理サイコ映画およびドM受難映画である事こそが第一義であるとは、堤防を歩く主人公が、両腕をそれぞれ魅音とレナに組み付かれて、二の腕におっぱいの感触を堪能している、今際の際に主人公が夢見る至福のビジョンと、現実の主人公が流す涙によって、彼が残した手紙の文面「どうしてこんな事になってしまったのか」との、全くもってやるせない心情を一層に強調しているシーンにて決着づけられる。

本ストーリーの様な、あり得ない極端さでなくとも、青春期の男女関係において「どうしてこんな事に…」と、どこにも感情を持っていきようのない失敗や挫折を経験した事は、誰にでもある筈だ。そうした普遍的な心情をベースとしているからこそ、主人公への感情移入が果たされて不条理と無念を味わえるのだ。

単に『ひぐらし』の実写化というイベントに終わらず、美少女に囲まれてイジメられ犯されて殺されたい願望を持つ者なら特に、至上の悦びに浸りきれるであろう、これ単独で立派に評価に値する、不条理サイコフェティッシュ映画の佳作に仕上がっている。

これを観て「何が面白いのか、さっぱりわからなかった」との感想しか出ないのであれば、それは自らの感性の乏しさ、貧しさを露呈しているに他ならない。味覚障害に何を食べさせようが、真っ当な評価など引き出せないのと同じだ。好き嫌いは別にして、何がどういいか悪いかを最低限読み取れないのでは、批評を名乗るに値しない。

それにしても、四人の美少女の中で特に可愛い方である梨花(あいか)と沙都子(小野恵令奈)の年少組側が、大して主人公と絡まず出番も少なかったのは残念。続編での活躍を期待したい。




tsubuanco at 17:43│Comments(3)TrackBack(2)clip!

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1. ひぐらしのなく頃に  [ 佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン ]   2008年05月13日 20:47
公式サイト。正式タイトル「ひぐらしのなく頃に」。及川中監督、竜騎士07原作、 前田公輝、飛鳥凛、松山愛里、あいか、小野恵令奈、杉本哲太、川原亜矢子、谷口賢志 、田中幸太朗、三輪ひとみ。都会から雛見沢村に引っ越してきた前原圭一(前田公輝)が最初に分校に登校する時....
2. 【ひぐらしのなく頃に】  [ 日々のつぶやき ]   2008年05月16日 09:13
監督:及川中 出演:前田公輝、飛鳥凛、松山愛里、古手梨花、小野恵令奈、杉本哲太、川原亜矢子 「昭和58年、東京から雛見沢村に越してきた前原家。 そこは小さな村で、色々な学年が一つの教室にいる小さな分校に転校した圭一は笑顔が耐えない明るいクラスメートに

この記事へのコメント

1. Posted by ととろろ   2008年05月13日 22:20
前田有一の批評はお好きかな?
2. Posted by bit   2008年05月14日 01:35
ああ〜このへんが受けてるんだろうな〜ってのは感じ得そうでも、自分自身が楽しむってのはどうにも無理のようでがんす
3. Posted by つぶあんこ   2008年05月16日 14:41
それこそが、好みと評価を分別するという、大人としての鑑賞姿勢ですよね。

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