2008年05月30日

タクシデルミア 〜ある剥製師の遺言〜 69点(100点満点中)

スタッフが美味しくいただきました
公式サイト

デビュー作『ハックル』の実験的手法にて評価を受けた、ハンガリーの映画監督パールフィ・ジョルジによる、同じくハンガリーの作家パルティ・ナジ・ラヨシュの短編を原作とした作品。

祖父、父、息子の三世代にわたって紡がれる三部構成となっているストーリーにおいて、祖父の代は『A fagyott kutya laba』、父の代は『A hullamzo Balaton』と、ラヨシュ作品をベースとしている(いずれも未翻訳)が、締めとなる息子の代は、本作オリジナルのストーリーとなっている。

祖父の代から始まり息子で完結する構成は、最後に提示される"作品"の完成に至る"歴史"を表向きに表しつつ、大戦時から現在までの、ハンガリーの激動の歴史を、人間の欲と業に投影させる事で寓話的に描くものだ。

第二次大戦中である祖父は、命の価値が軽い戦時において、生の根源である性欲を象徴させたキャラクターでありつつ、日々オナニーに明け暮れている"無駄遣い""自己満足"を描く事で、人間の欲望の倒錯、歪みのメタファーとしている。

本作があくまでも寓話であると最初に示すべく、勃起したチンコの先から炎が噴射される様を見せつけ、現実の歴史をなぞりつつ、映し出されているままが現実ではないとの認識を誘っている。この代の最後に登場するブタの尻尾も当然同じ意図だ。

その炎射精に至るまでの映像、ロウソクの炎を愛玩し己の肉体にまとわりつかせて快楽を得る様を、身体各部の超アップを多用した映像構成にて見せているが、この時、炎に対しての幻惑的なビジョンはあれど、肝心の体の各パーツに対するフェティッシュ、倒錯や陶酔を醸す観点に欠けているため、ただ寄りすぎてどこが映されているのかもよくわからず、見辛く全体像を掴みづらいだけの結果となっているのが惜しい。

まずアップの画ばかりを積み重ね、全体像を曖昧としたまま観客の興味と想像を喚起した上で、最後にフルショットを見せて収束させる、との意図は理解出来る。だが、アップの画自体の各々における意図が明確でない事で、表しているもの、向かっている先が、作り手の狙いとは別の意味で不明瞭となり興味を減退させ、最後のフルショットもまた構図や視点操作が散漫な事によって、オチとして弱くなる、と、狙い通りの効果はあがっていない。

その組立が、全編を通した要所にて繰り返し用いられているのは、狙いとしては
、世代を超えて相似形の構図を見せ、表面上のジャンルは異なれどテーマや指針は一貫していると示し、物語構造の据わりを良くするものながら、見せ方が及ばないために、またこの見辛いだけのパターンかと、却ってウンザリさせる結果になってしまっているのが、何とも残念。

例えば父の代の結婚パーティシーンにて、花嫁が次々とダンスパートナーを変える長回しカットもまた、首から上のアップにやはり寄りすぎて、狭苦しい印象を強める結果にしか繋がっていない。デブの暑苦しさを表しているのでもなく、首から下を見せない事に何の意味もない、ただ視点が中途半端なだけで気持ちの悪い画角は、その場の展開に必要な、シュールなテンポを奪ってしまっている。

息子の代にて、最後の作品が作られる工程シーンもまた、先述のロウソクシーンと同じ手法を用い、やはり体の各部、特に今回は内部のパーツに対しての、フェティッシュな観点に欠けた、ただ寄りすぎて見辛いだけの、全体像を見せる事を焦らす意図ばかりが優先されたものに終始し、またかとウンザリさせられてしまい興味は減少し、オチの衝撃も目減りする。オチに用いられる全体像においても、狙いが絞りきれていないのも、ロウソクシーン同様。

そのロウソクシーンからいきなり、ズルムケのチンコが丸出しにされても一切ボカシが入らないのは評価出来る。勃起時の状態はフェイクの張型とはいえ、ストレートに性的な意味で映されているにも拘らずだから尚更。だがその一方で、セックスシーンにおける結合部のアップに限り、昔懐かしシネカリによる消しが行われているのは、盛り上がっている場面のテンションを停滞させる要因でしかなく、受け入れ難いものだ。

その結合部アップが、出来の悪いAVの定番である手抜きアングル、正常位を後ろから撮って男優のケツ丸出し状態の画角なのも、セックスの表現としては的確とは言い難い。エロティックではなくグロテスクに描く意図としても、観点の安易さとイマジネーションの貧困が如実に象徴される、当のアングルだけは使うべきではなかった。

ただしそのセックスシーン自体は、まず前段として、バスタブがあらゆる事に使われている、回転台様の映像を、印象的に認識させておいた事で、現在その上に置かれているものはブタの死体だが、あらゆるものに置き換える事が可能なのだとの意味合いによって、まず最もブタに近い中尉の妻へと化し、更には祖父にとっての究極の性対象である姉妹とも交錯する、とのビジョンの必然を生んでいる、段取りと組立は秀逸。

バスタブの多様性の全てに覆い被さり犯しつつ、最後に射精する段ではブタの死体のみとなっている。現実から狂気へ、そしてまた現実への移行を表現するとともに、実際に生まれた子供にブタの尻尾が生えている事で、一体誰と誰の子供なのかさえも混濁させ不明瞭なままである。

本作が次代へと続く物語ながら、その連続性を決して確とはしない、この表現は、国を支配する権力や思想体系が、繋がっている様で繋がらずにコロコロと変転し、それでいて歴史は続いている、ハンガリーの有りようを投影させたものだ。だからこそ全編通し、テーマは一貫しながら印象が一貫しない、不安定な不確かさが作品を支配する事となる。こちらの不確かさは意図通りだ。

飛び出す絵本の世界に入り込む、マッチ売りの少女の顛末は、ビジュアルとしては面白く、現実と虚構と妄想の混濁として、続くセックスへの前段としては機能しているものの、マッチ売りの少女=少女性愛との観点は安易すぎる。自慰、不倫、獣姦、屍姦と、性的な背徳をストレートに示す方向性とは、この安易さは似て非なるものだ。

父の代、共産主義政権下における、様々に歪んだ事物を、ノスタルジーを喚起させつつ皮肉った、やはり寓話的観点によるアレコレは面白い。

スポーツエリート育成による国威発揚と顕示の事象を、よりによってフードファイトに象徴させ、独裁権力の貪欲と肥大を皮肉っているのが面白い。見苦しいデブたちが、汚らしく食料を貪り食い、食った先から全部吐いてまた食い始める、と、本来の意味での食欲を歪め、"無駄遣い"と"自己満足"のメタファーとしているのは先代と同様。趣は全く異なれど意図は一貫している。

デブがゲロを吐き出す様を執拗に繰り返し見せつけるのは、見苦しさを強調する事で、本来表現したい見苦しいものを想起させる意図。その見苦しさと対極を成す様な、インターバルに見せられる子供達のショーもまた、共産圏における統制と価値観の歪み、欺瞞をシニカルに象徴させたものだ。

そのデブと大食いの要素が次代、息子の代へと展開すると、ロサンゼルスオリンピックにおける亡命コーチといった、現実をパロディックに投影させた図式を挿んで皮肉な笑いとしつつ、傲慢な暴食の挙句に肥大しきって身動きがとれなくなり、家族に見放され飼い猫に食われる、との展開は、社会主義国家の膨張と崩壊を暗喩させたものである。だがそれをも、前時代の遺産として尊重する事を忘れない姿勢は、国家に対する捉え方の表出だろう。

大食いライバルが常に口を動かして何かを食い続けていたり、キャビア大食いシーンでは、妻を気遣って自分が多めに食べる様にしている様をさりげなく演出したりと、細かい描写で笑いを生む、丁寧な仕事は良くしたもの。花嫁に逃げられたのに歌を歌わされてしまう、シュールコントのごとき展開も、意味がわからないだけに面白すぎる。祖父の代同様に、誰の子かわからなくする仕掛けを置いた上で、後に亡命する伏線ともなっているなど、フリとオチの構成が細かい。

だけに、女性の応援が気になって競技に集中出来ないとの前フリを執拗に描きながら、最後に倒れた理由は曖昧なままだったりと、構成が絞りきれていない半端な部分が気にかかる。

ここまでの代において、欲望の倒錯、取り違えによる内向的な無駄遣いを描きながらも、生命は次代へ受け継がれている矛盾が、最後の息子の代にて同じ手法で完結すべく、剥製というファクターを持ってきた着眼も面白い。

サイフまでも剥製であるこだわり様にて、先代までと同様に内向きな欲望の矛先を表現する一方、生きながらにして肉体の造形美を追求しているマイケル・ジャクソンのポスターが工房に貼られている表現で、主人公の求める欲望が、具体的にどの方向へと向けられているのか、結末への示唆としているなど、ディテールによる暗喩は見事。

祖父のセックス、父の結婚と、生命の連鎖が主軸とされたストーリーにて、息子の代では逆に、気持ち悪くて女に相手にされない、"我欲"が"現実"に拒否される展開によって、現実からの完全な逃避を必然とし、求道的な様で全てが後ろ向きだった家系のピリオドとしている。彼の最後の仕事の一つが、胎児のキーホルダーだったことも、世代が途絶える事を示唆したものだ。

ヘソの穴にクローズアップしたラストカットにて、祖父が覗き見続けた穴を想起させ、回帰構造とする締めも的確。

狙いが面白く、よく出来た表現も多いだけに、失敗しているところが引っかかってしまうが、全体としては変態映画として水準以上の傑作。だが邦題は遺言ではなく遺作の方が相応しい様にも思える。


tsubuanco at 15:54│Comments(0)TrackBack(2)clip!映画 

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