2008年05月30日

P2 80点(100点満点中)

スーパーリアル麻雀
公式サイト

『ハイテンション』と『ヒルズ・ハブ・アイズ』にて、ホラー映画界に確固たる地位を築いたアレクサンドル・アジャが、プロデュースと脚本を手がける、サイコサスペンス映画。

2005年版『悪魔の棲む家』にて、クローゼット内で大変な目に遭うベビーシッターを演じていた事が記憶に新しい、主演ヒロインのレイチェル・ニコルズ。今回も終盤になって、狭いところに隠れているシチュエーションが用意されているのは、あるいはそれを意識したお遊びだろうか。唐突に『マッドマックス』のパロディが始まるなど、確信的なお遊びが散見される本作、あながち的外れとも思えないが。

クリスマスイブにオフィスビル内にての攻防とのシチュエーションは『ダイ・ハード』、愛するがゆえに相手を監禁するストーカーの話としては『ミザリー』、ヒロインが建物内で散々イジメられた挙句に逆転炎上し建物を去っていくのは『サスペリア』、黒犬がやたらと吠えまくってウルサいのも『サスペリア』か。

と、意図的にオマージュやパロディ、リスペクトと思しきシチュエーションや構造が用いられている本作だが、ありがちなシチュエーションと少ない出演者、限定された空間にて展開されるストーリーを、全く飽きさせず見せきる作劇、演出は、地味ながら優れたものだ。

キチガイストーカーが如何にキチガイストーカーかを、丁寧な人物描写によってリアルに描ききった事が、ヒロインの受難に興味を与える基盤となっている。

事件前、困っているから下手に出ているだけのヒロインに対し、どうにかして付け入ろうとしつつ、だが、自分がヒロインと"仲良くなりたい"との、都合や願望を通したい事がバレバレの不器用で不自然な接し方を見せており、この時点から既に、こいつがキチガイであると、観客に匂わせている。

これは、正体を焦らすつもりなど最初からなく、手短に本題に入るための狙いと、キャラを殊更に変える事なくそのままで、状況が異なる事でキチガイのマトモでなさが浮き立って、受ける印象が全く異なってしまう、リアルなキチガイ像を描く事を両立させた演出と見て取れる。

ディナーシーンにおける、ヒロインの「何が望みなの?」に対する受け答えで、"言葉は通じるが話が通じない"事と、キチガイストーカー自分の都合や願望が最優先で、相手の気持ちなど何一つ考えちゃいない事を的確に表現、話が通じない相手なのだから何を言っても無駄、と、早い段階でヒロインを絶望させて追いつめてしまう、意地の悪さが憎らしい。そして観客もまた、同じ理由にて「もうコイツは殺すしかないな」と、憎々しいキチガイに対する殺意をつのらせていく事となる。

最下階での惨劇時に言う、「アイツはクズだ。君を人間と思っていない」との台詞は、観客全員が「お前が言うな」と突っ込むためのもの。人を攻撃する言葉が全て自分自身の事でしかない、キチガイの自覚なき自爆という、極めてリアルな"あるある"を描く事で、劇中のヒロインを更なる絶望に陥れ、同種のキチガイに関わられた経験のある観客もまた、「コイツは殺すしかないな」と、更なる殺意を高めていく。

終盤の台詞「俺を失業させる気か!」もまた、悪い事は全部人のせいにする、キチガイストーカーのリアルな像を表現するものとして、極めて的確。

結局のところ、この種のキチガイストーカーは、相手(他人)の事を思ってやっているといいつつ、相手(他人)の気持ちや感情など何一つわかってもおらず、わかる術も知らず、自分の感情、自分の願望を優先させている、ワガママ坊主にすぎない。その自覚がまるでなく(キチガイだから)、相手(他人)のためと、自分では本気で思い込んでいるからこそ、余計にタチが悪い。

自分が個人的に気に入らないという、ワガママな感情を正当化するために相手(他人)を大義名分とし、自分が正義を行っているかの様に自分だけが思い込んで、相手(他人)から本当はどう思われているのかなど考えもつかず、ひたすらに自分の願望による妄想の世界に閉じこもる自称聖戦士は、現実にも少なからず存在する。そしてそんなキチガイの、誰もが判で押した様に同じ行動、同じ反応キチガイぶりを発揮する、幼児レベルの単純バカさ加減は、人間としての程度が最下層である証である。

閑話休題。キチガイが殺害を行う場面にて、車を正面に停めた時点で、何をするのかは誰でも予想がつくだろうが、その予想を飛び越え、執拗に何度も何度も突撃を繰り返す様は、自分で自分の感情を抑える事が出来ない、これまたキチガイストーカー典型のリアル描写だ。この時のスプラッタ描写を過剰かつリアルに見せる事によって、キチガイもまた、こんな風に無惨に苦しんで死んでくれる事を、観客に期待させる狙いも果たされている。

つまるところ本作は、キチガイの恐怖を描くというよりも、ひたすらに自覚のないキチガイに対する苛立怒りを募らせるべく作劇、演出がなされ、それは時にヒロインが発する罵倒スラングにても露呈される。

だからといって、最初のディナー場面でフォークを手にした時に殺してしまっては、お話がそこで終わってしまう。そうさせないのは、もちろん作る側の都合もあるが、キチガイに対してヒロインを"普通の人"としてギリギリまで保ち、観客の感情移入を極限にまで高め、最後のカタルシスを最大とするためである。

観客の誰もが殺してしまえと思っている、キャンキャンうるさいバカ犬を、自分が重傷を負わされるまで殺そうと考えもしないのは、彼女が良識ある"普通の人"だからだ。オフィスビルという設定は、舞台のためだけでなく、ヒロインの人物像にも必然として反映されている。これが下層労働者だったなら、キチガイも犬もサッサと殺してオシマイにならない方がおかしくなってくる。

途中で小さな反撃が挿まれるのは、テンションに緩急を持たせ、イライラさせすぎに興味を持続させるための配慮だ。それでも一線を踏み越える事が出来ず逃げてしまう様を繰り返して、"狂気"が持つ、己の絶対を盲信するがゆえの"揺るがなさ"は、"正気"では太刀打ち出来ないと、ヒロインにも観客にも執拗に突きつけて決断させ、彼女が一線を踏み越え、自らも狂気へと転ずるだけの必然としている。

そして、「元から絶たなきゃダメ」「死ななきゃ治らない」と、現実としても唯一の解決法(実際には「死んでも治らない」だろうが)に至りやっと、延々と我慢し続けたウンコをやっと出せた時の快感にも等しい、至福のカタルシスと解放を、ヒロインと共有する事が出来る。

キチガイキチガイぶりが、本当にウンザリする程リアルに鬱陶しく描かれている事が、凡百の類似作と一線を画す、本作の大きな評価点の一つである。顔の濃さから始まり、キチガイストーカーの気持ち悪さをリアルに演じきったウェス・ベントリーの、抑制された壊れっぷりが素晴らしい。

それに対しあくまでも"普通の人"としてのアクション、リアクションを貫こうとするヒロインはしかし、キチガイの手によって気絶中に着替えさせられ、巨乳が三分の二は露出している叶姉妹ドレスを着用したまま逃げ続けるのでは、見た目はちっとも普通ではない、このギャップが面白い。

そして逃げるために走ったり転がされたりする度に、出すぎているおっぱいがポヨンポヨンと自己主張して、『P2』とは実はこれの略なんじゃないかと思わせる程に観客の目を釘付けにし、そちらの点でも興味を引き続けるのだから素晴らしい。だが胸肉は強調しつつ、ポイントだけは絶対に死守し、水浸しになっても全く透けないのでは、何のための水責めシーンなのか、頑張れ水!と、悔しくてたまらなくさせられる。これはマイナスだ。

カメラを壊し始めた時点から、完全に攻守交代して攻めに転じ、今度はキチガイストーカーを執拗に追い回しイジメ倒す展開になってくれても面白かっただろうが、それでは『デス・プルーフ』と被ってしまう。最後まで一本道を通して飽きさせなかった事を評価すべきだ。なかなかこうはいかない。



tsubuanco at 17:13│Comments(3)TrackBack(1)clip!映画 

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1. 「P2」  [ クマの巣 ]   2008年06月02日 13:41
「P2」観ました。 クリスマスの夜に、ビルに閉じこめられたキャリアウーマンが恐怖の一夜を過ごすことになる――ちゅうサスペンス映画で??.

この記事へのコメント

1. Posted by C   2008年05月28日 18:24
私はP2の意味が地下2階だということを知りませんでした。
それは最初のほうでわかったのですが、途中で同じように思いました。
せめて下着が透けるくらいのサービスは欲しかったです。

時間つぶしに見に行きましたが、結構感情移入してみてしまいました。
2. Posted by つぶあんこ   2008年05月30日 17:32
まあ、パイってのは日本語なんですけどね。
3. Posted by サスケ   2009年06月27日 13:13
5 久しぶりに吹きましたww

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