2008年06月19日

パリ、恋人たちの2日間 80点(100点満点中)

みうらじゅん「『ミー』ってフランス語じゃないよね」
公式サイト

『恋人までの距離』に主演し、その後日談として9年ぶりに作られた『ビフォア・サンセット』では共同脚本も担当したジュリー・デルピーの、長編映画としては初となる監督作品。脚本、主演、音楽、編集も本人によるもの。

『恋人まで』『ビフォア』と同様、男女カップルによる会話が延々と続けられるだけの本作、ダイアローグ量が膨大なだけに、字幕もまた膨大となる。のだが英語とフランス語が入り乱れる事が本作の要点でもあるため、吹替えではその意味を楽しむ事は不可能であり、日本語または英語字幕による、原語鑑賞が必須となる。

となるとハードルが高い様にも思われるかもしれない。確かにフランス人同士によるフランス語の会話は、何を言っているのかほとんど聞き取れないが、その感覚は主人公のアメリカ人男性ジャック(アダム・ゴールドバーグ)が、劇中での状況に際し抱く感情と近似するため、却って楽しめるものだ。アメリカ人とフランス人による、片言の英語やフランス語での会話は、互いによくわからず行っているだけに、これまた感情がシンクロする事となる。

そこに松浦美奈による、苦心して要約された日本語字幕による補完が行えるのだから、日本語字幕版でも、一般社会人レベルの言語力があれば、充分に楽しめる筈。ただし少しでも気を抜くと置いていかれてしまう局面が多々あるが。

言語を含めたカルチャーギャップによって生まれるシニカルな笑いが、まずその場その場の笑いを生み、ジャックの精神を追いつめていく要因ともなる、などの、あらゆる仕掛け、描写が、ギャグだけでなくストーリー展開と心情の変遷に有意に絡まって構成されていることが、本作の完成度を高めている。

ストーリーや心情と絡む事で、登場人物の背景や人格までも、笑いながら認識する事が出来、ディフォルメされつつも生きた人間として存在を感じ取れる様になる。だからこそ、ジャックの境遇を笑いつつ、苦悩や苦痛も共有させられてしまう事となる。

二年間つきあったと言っても、今までは自分のホーム(NY)での彼女しか見ていなかったジャックが、彼女のホーム(パリ)へと赴く事で、自分がアウェイと化し、理解不能なフランス語とパリ人気質に囲まれてストレスが溜まりまくる、との流れにおいて、ヒロインであるマリオンのナレーションによって作品を始め、随所に彼女のナレーションによる説明を挿みながらも、ジャックのアウェイ感こそが観客の感情移入対象となる、との、奇妙な現象が生まれる。

これは、パリ人のエキセントリックな面を強調した作劇を始めとし、決してフランスの側を"基準"としない作品構造に、その理由がある。単純に言語の不自由によるものだけでなく、言語が通じないとわかった上で、異人を阻害する様な行為を意図的に行うなどの、嫌味で意地悪な気質を前面に押し出し、ブラックな笑いとしている事も大きい。

カルチャーギャップに戸惑い続ける男に対して、本当は味方にならなければいけない筈の彼女さえも、なぜか"敵"に回ったかの様な印象となってしまう、との、ヒロインも含めてパリ人に共通する、自覚のない閉鎖性や独善性が、事あるごとにディフォルメ、カリカチュアライズされ、意地の悪いダイアローグ、意地の悪いシチュエーションにて展開し、観客もまた、ジャック同様イヤーな気分にさせられてしまう。異郷への戸惑いと、彼女の知らない面への戸惑いとがシンクロしていく構成は見事。

そうして、パリ人の傲慢とも言うべき態度を散々に見せつつも、一方ではジャックや団体観光客、妖精テロリストなどのアメリカ人描写を通じ、英語しか知らず英語がどこでも通用すると信じ込んでいるアメリカ人の、郷に入りて郷に従わない傲慢さをも、カウンターとして揶揄している。

すなわち、本作は別にパリ人の嫌らしさを批判したいわけではない。ジュリー・デルピーはパリ出身で、登場する両親役も本物の両親。何よりフランス映画なのだから、日本の自虐左翼でもあるまいし、そんな国辱的な映画をストレートに作ろうと思うわけがない。むしろ、アメリカ人とのギャップによって、パリ人の特質を強調した上で、「だが、それがいい」と、郷土心と誇りを再確認している様に思えてならない。それだけ捻くれた人種だ、と帰結してしまうこの気質は、日本で言えば京都人に相当する捻くれ様だ。

また、ジャックはアメリカ人といっても、ユダヤ人の血が濃い設定とされており、一般的なアメリカ人像とは少し異なるものだ。そもそも演じるアダム・ゴールドバーグ自身がユダヤ人な上、フランスだけでなくドイツ資本も参入している本作において、チンコをソーセージに喩えたり、「女性は陰毛をヒットラーのチョビヒゲと同じに整える」だの、「アウシュビッツはユダヤ人の捏造だ」などの言葉をポンポン放り込んで、シニカル且つ下品な笑いとし、キャラクター描写にも繋げるなど、とことん捻くれて意地の悪い作劇は、たまらなく面白い。

ヒロインの元カレを軸において、まずジャックが彼に対し「俺のものは俺のもの、勝手に触ったら殺す!」と言い、元カレがそれをギャグとして流した後で、ヒロインが元カレに「彼は刑務所帰り、自分の部屋に入った男を殺したから」と言う事で、最前の会話がフリとなったオチとして締められる、など、その場単独の会話の妙でまず笑わせて、後からまた活きてきて更なる笑いに繋がる、といった、ネタ構成も巧みだ。

序盤にジャックが騙した団体旅行者が終盤に再登場し、「デモ隊にでもかち合えばいいのに」と言っていた台詞を具現化する様に、彼女らのシャツに「FUCK YOU」などの落書きがされているなども同様。チンコ風船も含め、ネタの繰り返しにより笑いを増幅しストーリー展開をも変じさせているのだから、よくしたものだ。

ネコの名前ジャン=リュックなのは、デルピーの初期出演作『ゴダールの探偵』からのネタであるなどパロディ小ネタや、最初の食事時にヒロインの父親とジャックの間で交わされる、無意味な古今東西ゲームの不毛さなどのあるあるネタも、センスよく周到されており楽しい。墓ネタのオチがジム・モリソンの墓で、その場所で踊り狂っている女性によるシュールな笑いを見せた上で、母親との関係にも繋げてオチとし、ジャックの不安を強める要素ともなっている、と、とことん多層的な構成に、興味は薄れる事がない。

劇中でも実年齢でも30代半ばのジュリー・デルピー、ラブラブな様が描かれる段においては、確かに年齢相応には感じさせるものの、飛び抜けた美女である事には相違なく、ダサダサのメガネすら可愛く似合い、外すと尚美人になってしまう。そして痴話ゲンカで別れた後では一変して疲れたオバサンと化してしまうのだから、これまた自身を決して美化せず、作品のありようを優先させる、勇気ある姿勢が見て取れ素晴らしい。

美人なのに30過ぎて独身というのは、本人の人格に問題があるからだ、との真理を、自ら演じるキャラクターを通じ、アイロニカルに表現しているのも興味深い。

本編だけでなく、エンドロール時に見せられる自分で描いたラクガキ調のイラストからも、自作自演が単なるオナニーに終わらず、あくまでも人を楽しませるために作っている事が窺える本作、天が与えるのは二物に終わらないらしい。


tsubuanco at 17:31│Comments(2)TrackBack(2)clip!映画 

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1. パリ、恋人たちの2日間  [ ☆彡映画鑑賞日記☆彡 ]   2008年06月19日 17:56
 『大人の恋は、 甘いだけじゃない』  コチラの「パリ、恋人たちの2日間」は、5/24公開となったPG-12指定のチャーミング&ファニー!「ビフォア・サンセット」のジュリー・デルピーが描く、もうひとつの愛すべきラブ・ストーリーなのですが、観て来ちゃいましたぁ〜♪ ...
2. 「パリ、恋人たちの2日間」  [ 心の栄養♪映画と英語のジョーク ]   2009年01月19日 17:57
機関銃のような会話劇。すごかった〜!

この記事へのコメント

1. Posted by へちま   2008年06月19日 23:35
「日本で言えば京都人」って、出てくる予感はあったのですが…美味しすぎませんか?
2. Posted by つぶあんこ   2008年06月20日 17:39
パンおいしいねん

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