漫画

2007年03月11日

ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い 70点(100点満点中)07-070

7人そろって今見せる大魔術
公式サイト

昨年の『のび太の恐竜2006』に続き、映画第5作『魔界大冒険』をリメイク。「新」とタイトルにあるのだから、旧作と違っているのは当たり前で、「違うからダメ」という思考回路の持ち主は、そもそも観るのが間違いだ。旧作をリアルタイムで観ていた様な年齢の大人なら、自分の行動結果に責任を持つべし。

リメイクは、旧作と変わっているからこそ作る意味がある。変えているところに変えるだけの理由があるなら、それでいいのだ。

本作、基本的には、原作、旧作映画において引っかかりとなる部分に、ある程度の説得力、必然性、整合性を持たせるための改変が多く見られ、一つの独立した物語としての完結性は高くなっている。後出しだから当然とは言え、色々と不備が指摘されている『魔界〜』をリメイクするにあたって、この方向性は一つの正解だろう。

それは今回、脚本を担当した真保裕一による、ミステリー作家ならではの仕事であり、もともとシンエイ動画で藤子アニメの演出を務めていた(ドラの演出はしてないが)氏だけに、単なる話題性だけでない、意味のある起用と言える。("ズッコケ"の演出が、ハットリくんの"ズコー"っぽかったのは、この事を意識した意図的なものか?)

まず、原作、旧作にて一番の反則展開である、ドラミ登場の唐突さに、序盤にドラえもんの体の異変とそれを気にするドラミ、という場面を新規で追加する事で、終盤の謎解き展開のタイミングでドラミが登場し、救いをもたらす必然性を持たせている。これだけでも、リメイクした価値は充分にあると言って良い。

そしてもうひとつの大きな改変は、原作、旧作では出番は少ないながらも印象的で重要な存在であった、魔物・メジューサの設定、ドラマの追加である。

これもまた、終盤に唐突に登場しドラとのび太を窮地に追い込む"いきなり感"をなくし、宿敵、強敵としてのキャラクター性を追加し存在感を高めている。と同時に、物語に登場するそもそもの存在意義をも与える事で、ストーリーに奥行きをもたらし、今回のゲストキャラ・満月父娘の存在にも、より確立したキャラクター性と存在意義を持たせる。物語そのものを左右する、重要な改変となっている。

ただこれに関しては、いかにも魔物然としておどろおどろしい(それでいて藤子的なユーモラスさも兼ね備えていた)ものであった、原作、旧作のメジューサのデザインが、美しさを基調としたシルエット、色調に変えられている事と、満月家の過去の悲劇が早い段階に語られた時点で、その顛末が簡単に想像がついてしまう仕掛けで、"よくした改変"と手放しには言い難い。

だがそれでも、"新しい面白さ"を作り出そうとした意図は理解出来るもので、決して「ダメ」ではないだろう。

満月博士が元の世界にも存在し、地球に謎の天体が迫っている危機に瀕している描写がファーストシーンとして見せられるが、これはもちろん、並行世界の近似性を表現するための新規追加要素である事はわかるが、それなら、終盤で一旦元の世界に戻った時などに、この"危機"がドラやのび太に伝わって、魔法世界へ戻る決断の一助とするなど、更に物語に絡める工夫が必要だったのでは、とも思う。(当初の脚本にはあって、尺の都合等でカットされたのかもしれないが)

今回の監督、寺本幸代が女性である事も、本作の大きな特徴となっており、脚本にはなかった、美代子としずかが"髪"の会話をする顛末に、それが特に色濃い。

この場面での二人の会話内容は、明らかに"女"ならではのそれであり、子供だろうが何歳だろうが、女は女である、と、荒唐無稽な子供向けマンガ映画ながら、リアルな生々しさが感じられる場面として異彩を放ち、あくまでも男性目線で創られている藤子ヒロインの範疇を超え、よりキャラクターが立たされている。

更に、藤子作品の"お姉さんキャラ"としては珍しくショートカットのデザインである事をも逆手に取った、うなずける追加設定、描写でもある。

そうしてリアルなキャラクター描写をする事で、美代子にまつわるドラマに、より"感動"を与える結果となっている。これには賛否あるだろうが、それは好みの問題でしかないため、評価の良し悪しとは関係ないだろう。

最初に翻訳コンニャクで古文書を読ませておき、謎が残っているのは読めないからではなく、半分を奪われたからだと変更する事で、古文書と翻訳コンニャクに関するツッコミどころをかわす、美代子がネコに変えられる顛末も含め、この辺りの改変は評価していいだろう。(でも、最後はジャイアンに決めてほしかったなあ、と素直に思う)

本作、変えられた部分も変えられなかった部分も、全ての事象、キャラクターが、それぞれ意味のある形で絡み合い、全体として物語の流れを形作る役割を果たしており、ムダな要素がひとつもない、最初にも述べたが物語構成の完成度はかなり高い。

並行世界と時間軸のパラドックスには相変わらずフォローがないが、そこまでを綿密に考証してしまうと物語が成立しなくなるため、これは仕方ないだろう。

ただ、藤子漫画の特徴のひとつである、SF、科学考証のウンチクを子供にもわかりやすく伝え、それによって世界観に説得力を持たせている部分、『魔界〜』で言えば、出木杉が「魔法と科学の根はひとつだ」と、のび太に説明する場面などが省略されているのは、藤子ファンとしては残念なところだ。(この省略、満月博士が満月牧師に変えられている設定変更と、無縁ではない様に感じられる)

ドラが冠り続けている魔法帽子のネタ振りとオチが一段階削られているのも、多少の物足りなさを感じる。(子供達は笑ってたから別にいいが)

一方、バイバインで増え続けている栗饅頭が宇宙ステーションで観測されていたり、ライオン仮面のボトルキャップフィギュアやエスパー魔美のパロディ番組など、比較的わかりやすい藤子小ネタが主として前半に多く見られる遊びは素直に楽しく、また、前作『恐竜2006』に登場した、タマゴから出る恐竜の玩具がのび太の机に置かれているなど、"映画ドラ"が連続した世界である事を暗に示す配慮もありがたい。

前作『恐竜2006』に続き、今回もいわゆる"タレント声優"がいくつか配されているが、相武紗季が演じた美代子の声には、声質自体の違和感は少なかったが、演技的にはやはり問題があり、このキャスティングは失敗だろう。(と言っても、旧作で美代子を演じた小山茉美も、大人モモやグラディス艦長など、"女性声"の演技はあまり上手いとは言えないのだが)

だが、言われなければ気づかない、久本雅美や次課長河本の演技には大きな問題はなく、これまでの洋画吹替などの例を見ても、やはりお笑い系は発声ができているので、声優仕事と相性がいい(場合が多い)様だ。(まあ、バラエティでの彼女らは面白いとは思えないが)

少し"泣かせ"がクドいと感じられるきらいはあるが、改めてリメイクしただけの意味は充分にある、家族で楽しめる娯楽作である事は間違いない。これで『魔界〜』を初めて観た子供が原作漫画にも興味を持って、オリジンのテイストを楽しんでもらえたなら、藤子ファンとしてこんなに嬉しい事はない。

やわらかい頭の持ち主にはオススメ。親戚の子供でも連れてどうぞ。


余談:
未来の科学で作られたドラえもんの存在が魔法世界で受け入れられていると言う事は、本来の魔法世界には、未来の魔法で作られたドラえもんが存在した、という事か。どんなのだ。




tsubuanco at 17:55|PermalinkComments(8)TrackBack(5)clip!

2007年02月17日

ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド 2点(100点満点中)

スピードワゴンは出ていないのにスピードワゴンが出ている
公式サイト

週刊少年ジャンプに連載された(現在はウルトラジャンプで第七部が連載中)荒木飛呂彦の人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第一部をアニメ映画化。

ジャンプ漫画の映画化としては、最近では『デスノート」の様な大成功例から、同じく昨年の『北斗の拳』の様な明らかな駄作まで、幅広く作られているが、今回は残念ながら後者

今回は長くなるので最初に書いておくが、本作、ゲロ以下のニオイがプンプンする、生まれついての駄作にすぎない。

原作の第一部は、連載当時は決して「人気漫画」と呼べる程の人気はなく、前作であり打ち切られた残念作『バオー来訪者』のカラーを強く受け継いだ、荒木飛呂彦独特の表現手法を楽しんでいたマニアックな読者が「いつ打ち切られるか」とドキドキしながら読んでいた、言わばカルト作品であり、一般的な人気が爆発したのは、現在巷に溢れる"能力バトル漫画"の先駆けである"スタンド"が登場する第三部以降の事だ。

そんな第一部の持つ最大の魅力は、やはり上述の"独特の表現手法"にあり、独特な言い回しの台詞、場面に合ってるのかどうかわからない擬音、関節が変な方向に曲がるポーズなど、一コマ一コマ、一文字一文字の全てが見どころであり、この"面白さ"が、第一部の面白さの八割方を占めていると言って過言ではない。

漫画をアニメ化するにおいて、異なる性質を持つメディアへの変換を行うのだから、そのメディアに合った"表現"に移し替えるのは、基本的には当然の事だ。

が、"面白い漫画"だからこそ、アニメ化する価値があるのも確かで、漫画の持っていた"面白さ"を再現出来ていなければ意味がないのだ。(もちろん、代わるだけの別の面白さを出せていれば、それはそれでいいのだが)

本作、そうした"原作の面白さ"は、ほとんどと言って良いレベルで再現されていない

単行本にして五巻弱の物語を、90分程度の尺に収めなければならないため、ある程度のエピソードやキャラクターの省略が行われるのは、当然であり仕方の無い事だ。

だが、省略されずに残っている場面であるにもかかわらず、その場面が一体何が面白くて受けていたのかを、全く理解しないままに作られている展開の数々には、呆れ返るばかりだ。

まず台詞、モノローグに関連する事項を。(以下赤文字は原作における表記)

これはストーリー構成上の大問題でもあるが、ジョジョとディオの出会い場面にて、「こいつを精神的にとことん追いつめ、ゆくゆくはかわりにこのディオが ジョースター家の財産をのっとってやる!」というモノローグがなく、その後も"ディオの目的"が語られる事がないため、これから先にディオがジョースター家で行う所業の意味、意図が不明なままなのだ。これでは、原作を知らない人にとっては、単なる嫌な奴でしかない。

続いてディオが犬について語る場面でも、「僕は犬が嫌いだ!怖いんじゃぁない。人間にへーこらするその態度に虫酸が走るのだ」の、「怖いんじゃぁない」が省略されている。この省略されている"補足説明"的な台詞こそが、原作の面白さであり、負けず嫌いなディオのキャラクターをも表しているにもかかわらず、だ。

ジョジョがディオに時計を盗まれる場面も、「ショックだッ! 彼はぼくの机の引き出しを、かってに開けて見ているッ」のモノローグがなく、単に取られただけとなり、しかも原作にはないペンダントを取られた方が大事の様に描写されている。本来は、物を盗られた事よりも、"引き出しを勝手に開けて見られていた"事こそが、ジョジョにとっての精神的ダメージとなっているという意味の場面であり、原作が表現していた機微を全く理解していない改悪でしかない。

一応ヒロイン的立場にあるエリナ絡みの場面においても、まず何故エリナがジョジョに惹かれているのか、その説明が全く無いのも大問題で、この点に関しては後述するが、樹に二人の名前を彫る場面はあるのに、「まあ!ジョジョッたら、いけないひとッ!」の名台詞は無い。どうでもいい会話をさせる暇はあるのに。

エリナがディオに唇を奪われる、ショッキングな場面でも、ここでショッキングなのは、キスそのものより、そのコマに大きく被せられる「ズキュウウウン!」の擬音にある。この擬音、後にディオが人間の血を吸う際に使われる擬音と同じであり(ズギュンの場合もあるが)、"人間から大切なものを奪い取る"意味が込められた、重要な擬音でありながら、このアニメでは何ら表現されていない。

更にその場面では、それを見る少年達による、「そこにシビレる!あこがれるゥ!」の名台詞が無い。というか周りに誰もいない。キスしている状態で画面をグルグル回している余裕があるなら、何故もっと"面白さ"を再現しないのか。これでは何も伝わらないし、そこまでの展開で、原作無視で萌えアニメキャラの様な言動を取っていたエリナが、この段に至って突然に原作通り"淑女のプライド"を表現するのも違和感がある。原作を知らなければ尚更、急にキャラが変わって戸惑うだろう。

遂に怒りが頂点に達したジョジョとディオが殴り合う名場面も、「君がっ!泣くまで、殴るのをやめないッ!」「こんなカスみたいなヤツに、このディオがッ!」「このきたならしい阿呆がァーッ!」と、一連の名台詞はことごとくカット。代わりに「君は!なぜ!あんな事をしたんだ!」とか、全く面白味のカケラもない普通の台詞に変えられている。

ウインドナイツロットで、ディオとツェペリさんが対峙する場面での名台詞、「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」までカット。これまで挙げた全て、それを言うための場面そのものは省略されずにいるのに、台詞のみが省略、変更されているのだ。これは、時間や予算、あるいは各方面からの横ヤリとは関係なく、単に原作の面白さを再現しようとする気がないだけの愚行に過ぎない。中心スタッフに一人でも、"ジョジョが好き"な人がいたなら、こんな脚本は通らなかった筈だ。(「何をするだァーッ!」が「何をするだー!」に変わっているのは、もともと誤植なので構わないがw)

そしてまた、擬音も全く再現されていない。音の聞こえない漫画とは違い、絵が動き音が鳴るアニメなのだから、何らかの"表現"を用いて、漫画の擬音効果に匹敵するインパクトを画面に与えるべきなのに、何も無いのだ。これもまた、単純に理解度、センスの問題に過ぎない。

だからと言って、このアニメ自体が、原作の面白さを意図的に無視し、独自の作品として創ろうとしているのか、なんて事も全く無いのだ。

原作の魅力の一つである"奇妙なポーズ"が、ところどころで再現されている事でも、それは明白だし、パンフレットのケースが、原作の擬音や台詞で埋めつくされている事においても同様だ。

つまり、原作ファンが第一部のどんなところに面白さを感じているのかを、わかっている人はスタッフの中にいた筈なのだ。にも拘らずこの有様とは、一体全体どういうつもりなのか。

原作の名場面を再現した数々のシーンでも、その中途半端さは変わらない。

語り草となっている、"見開き2ページを丸々使ったディオの来訪シーン"だが、ここは、いきなりジョジョの前に馬車が現われ、飛び出してくるからこそインパクトがあったのに、ジョースター邸に馬車が向かう様子を先にじっくり見せてしまっていては台無しだ。そして飛び出すところも、ドン!バン!ギャアーン!と、テンポよく見せているからこそカッコいい場面なのに、やたらとモッサリゆったりしており、全く効果的ではなくなっている。

ここに限らず、尺が短くエピソードを省略している割には、場面場面での演出テンポが悪く、常に一呼吸遅いタイミングで展開しており、これならもっとテンポよく進めれば、もっと省略せずに済んだ要素が一杯あったはずなのだ。

ダニーとエリナを同時に失う事でジョジョのショックと怒りを強調する狙いはいいが、やはりテンポが悪くモタモタと進むため、効果として現われていない。

ツェペリさんがカエル越しに岩をブチ割る名場面は、何故かその行動を誰も見ていない状況に変えられており、何のためにやっているのかが不明で、"とりあえず原作の場面をやってみた"との、観客やファンを舐めたやっつけ仕事としか思えないのだ。

原作の、ジョジョとディオが草拳闘をして眼に親指を突っ込まれる場面に代わって、ジョジョの枕に針が仕込まれていて怪我をする、という場面がオリジナルで挿入されているが、これでは、何十年前の少女漫画だよと失笑したくなる、単なる陰湿なイジメではないか。ディオの悪人ぶりも、ずいぶんと矮小化されたものだ。

URYYYYYY!」の奇声とともに、吸血鬼化し復活したディオが逆さ吊りで登場する、原作の名場面もまた、何だかサラリと流されてしまいインパクトが無く、少しも劇的ではない。気化冷凍法に関する説明が無いので、原作を知らないと何の事やら全くわからない。

作者自身が「根性で勝つのは安易すぎる」と言っているのに、拳を燃やす事で冷凍を防いだラストパンチを、根性で殴っただけに貶めてしまっている。これではワンピースと変わらない芸の無さだ。

まだまだ続けるが、この様に、原作ファンがガッカリする様な省略、改悪が散々に行われているクセに、一方で、原作を知らない人が観た場合でも、説明や描写が不足過ぎてわからない、そんな、誰も嬉しくない状態になっているのだ。

それは、アニメ化に際して最も大きな違いとして話題にあがる事が多い、"スピードワゴンの不在"にも、その原因は大きい。

スピードワゴンというキャラクターは、バトルに参加するメイン人物の中では唯一、特殊能力を持たない一般人であり、彼がある意味で"読者の代表"として、現状の実況や説明を行う事で、その場その場における、読者の理解の助けとなっていた、重要キャラであったのだ。

それを、「尺の都合」なる理由で存在自体を抹消し、さらに大幅にストーリーを省略する事で、結果的に、"説明"を行う役割が不在となってしまい、あらゆる部分での"説明不足"や"意味不明"の状態となって表出しているのだ。

これは明らかな判断ミスである。スピードワゴンを出して説明させた方が、わかりやすくテンポよく物語を進められた筈なのだ。

ブラフォードとタルカスは、もう出てきただけでも有り難いとしよう。そこまで求めるのは贅沢だ。完全に抹消された切り裂きジャックやダイアー、ストレイツォよりマシだ。

さて、最初に台詞、擬音、ポーズが面白さの八割と述べたが、残るストーリーやキャラクター設定面での面白さについて言えば、第一部は"誇り"がメインテーマとなっており、脇のエリナ、ブラフォード、ポコ姉弟などに至っても、その行動で提示されるテーマは"人間の誇り"にある。

特にジョースター父子によって見せられる、偽善ではない紳士としての心の底からの"きれいごと"の数々こそが、"生まれついての悪"であるディオとの対比として対称画となり、因縁をより盛り上げ、独自の面白さを生み出しているのだ。先述の、唇を奪われたエリナがとった行動も、その"誇り"の一環であり、ディオの"悪"に対抗する、人間の善なる魂の表現なのだ。

が、その"誇り"を提示するエピソードが、狙った様にことごとく削除されており、ジョースター父子が単なるお人好しとしか見えないのだ。これでは原作のテーマが見当たらず、それに変わる何かさえも無い。エリナも何故ジョジョに惚れたのか、その理由すらわからないのだ。

特にラストにおいて、自らの死に際してまでも、他人の子供を救う様にエリナを諭し、共に死のうとしていたエリナの命をも救う、完全なる"善"の魂を最期まで貫いた、ジョナサンの"誇り高き死に様"が完全にスポイルされてしまっており、そもそもジョジョとディオの因縁すら描写不足なので、感動どころではない。

だいたい、原作で船を爆破するのは、既に乗客乗員ほぼ全員がゾンビ化していたからであって、誰もゾンビ化していないのに船を爆破してどうするというのだ。本当に何もわかっちゃいない。

最期のカットをモノクロの劇画調にしたのは、原作カットの再現であろうが、爆発の光を白抜きで再現している原作カットの意図を理解しておらず、単なる線画になっており台無しだ。

また、そこで原作カットを再現するなら、
  1889年 2月7日
  ジョナサン・ジョースター  死亡

と、原作通りにテロップ又はナレーションを入れて、美しく締めるべきではないか。その後に続くナレーションは入っているのだから尚更だ。この最後のナレーションも、原作ではエリナの語りとして書かれているのに対し、アニメでは誰か知らない人が言っており、この変更もまた、何の意味も無く、むしろ、"ジョジョが救った命"と、"受け継がれる血統"をも表現している原作の狙いを外している

そもそも、新婚旅行の船上でのテロップにて「アメリカ航路 太平洋沖」と出ていたが、イギリスからアメリカに行くのだから、どう考えても大西洋の間違いだろう。誰も気づかなかったのか? それとも、カナリア諸島が太平洋にある、別の地球の話なのか?

基本的にはアクション作品でありながら、アップと止め絵が辛うじて観賞に堪えうる程度でしかなく、引いて動くとパースもデッサンも狂いまくる、作画レベルも劇場どころかOVAでも問題になる惨状。枚数が少ないなら少ないで、もっと工夫出来た筈だ。

結局、本作はジョジョからジョジョらしさを抜いて、後に残ったダシガラを食べさせられている様な、薄味にも程がある、スカスカの大駄作である。

ジョジョファン向けの映画でありながらジョジョファンが喜ばない出来。そもそもジョジョファン以外は観ようと思わないのにだ。仮にジョジョファンでない人が観ても、絵が汚いだけのつまらない作品としか受け取れず、これを観てジョジョを判断した気になられても困りものだ。

そもそも原作は、最初に述べた通り、いつ打ち切られてもおかしくない状態にあったため、作者もその事を考慮して、いつでも終われる様に構成して描いていたのだから、今回は館が全焼するところまでで終了させ、評判が良ければ"波紋編"を製作するなどしておけば、もっとしっかりしたモノを作れたのではないか。良質の素材が勿体なさ過ぎる。

これなら、大島渚の『忍者武芸帳』の様に、漫画のページをそのまま映して音響を被せただけの方が、よほど面白い物になっていただろう。と言うかそうしろ。

こんな消費者をバカにした安易な企画が今後通らないためにも、ファンであっても劇場には足を運ばない様にお願いします。ホントに。


蛇足:
どうでもいい事だが、原作リアルタイム世代にとって、この『ファントムブラッド』なるサブタイトルは、帰ってきたウルトラマンをジャックと呼ぶのと同じくらいの違和感バリバリだ。やっぱり『第一部 ジョナサン・ジョースター -その青春-』だよなあ、と。




tsubuanco at 15:23|PermalinkComments(61)TrackBack(5)clip!

2006年11月06日

DEATH NOTE the Last Name 80点(100点満点中)

[無修正][お宝]アイドル監禁飼育映像.avi            .exe

公式サイト

今年6月に上映され、(一部を除いた)原作ファンにもそうでない人にも好評を博した映画『DEATH NOTE』の続編にして完結編

この3連休、上映劇場は超満員でグッズもパンフも完売と、関係者の予想を上回る絶好調ぶりを今回も見せているが、これは、公開直前にテレビ放送された前編の内容が視聴者に評価され、続編に対する期待を大きく煽られた事が、主要因の一つになっていると考えていいだろう。

公開規模があまりに小さすぎたせいで、超満員・グッズ品切れの事態に陥った『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』の様な例とは違い、一つのシネコンで2つも3つもスクリーンを占拠し、1日に10回以上も上映されている現状において、この盛況ぶりは紛れも無い大成功だ。

もちろん作品自体の出来も、大ヒットに値する、観客の期待を裏切らない、充分に完成度の高い娯楽作に仕上がっている事は言うまでもない。

長編漫画を映画としてまとめあげる上で、基本的には前編と同じ方向性で作られてはいるが(前編のレビューはこちら)、今回は、"第二のキラ編"から最終回までと、前編に比してもあまりに多くのエピソードが消化されており、尺が30分長くなったにもかかわらず、密度はかなり濃くなっている

オシシ仮面特に、"ヨツバ編"と"第三のキラ編"を、全く違和感のないかたちに融合させた改変センスは見事なもので、「Lが死んだと思ったら、場面が変わって後継者が現われた」なる、『ライオン仮面』を地で行く原作のいらない部分を大幅に省略した、全てのシーン、全てのキャラクター、全ての台詞・行動が、全く無駄のない、計算されつくされた構成として存分に楽しめるものとなっているのだ。

ストーリーやキャラクターを整理して、時間の短縮を計るとともに、原作にあった矛盾点や突っ込みどころを、例えば「どう見ても普通のノートですよね」の台詞など各所において、可能な限りフォローする様留意されているだけでなく、前編のラスト同様、"ノートのルール"を原作には無い形で利用したトリックを新たに見せ、原作未読者のみならず、原作ファンですら唸らせてしまう場面など、「後出しだから当然」というレベルを超えて、原作を徹底的に読み込み、理解した上で、練りに練られた脚本の完成度は賞賛に値する。(ここまで親切丁寧に、わかりやすく描かれたものを「わからない」「不整合がある」と言うのは、それはもう見る側の問題だ)

これは、単に原作と同じ話をそのまま映画の尺に合わせてダイジェストで見せられる様な、芸の無い、そして漫画を読めば観る必要すらない"漫画の実写化"などではなく、原作を尊重し、面白さを理解した上で、漫画の映画としても、独立したひとつの映画としても、どちらの方向でも楽しんで鑑賞できる作品を作ろうとした、金子修介監督をはじめとする、製作スタッフ達の意欲的、創造的な挑戦であり、それは結果的にも大成功している。

原作と映画の大きな違いは、ストーリーより何より、まず"人間"の描き方にある。

原作において、"退屈な天才"月をはじめとする、あらゆる登場人物は、あくまでもゲーム的ストーリーを進めるための駒としてしか扱われておらず、"生身の人間"として描かれていないのだ。小畑健による硬質な作画が、そのクールさに拍車をかけており、現実感が薄く、感情移入を拒否され俯瞰的にストーリーの進行を追う作品となっている。(それがイコール悪いという事はなく、あくまでも方向性の違いだ)

一方の映画では、月は正義の理想を追求する若者として紹介され、その理想がデスノートとの出会いで歪んでしまっていく様が、映画前編にて丹念に描かれており、同時に父・総一郎もLも、記号としての父親、ライバルではない、"一人の人間"としての描写が徹底されている。出目川ですら、より人間的なキャラクターとして描かれている。

今回から重要な存在となる海砂も同様で、原作の"(月にとっても作者にとっても)都合のいいバカ"というだけではなく、凶悪犯罪の被害者である事をまず生々しく見せ、粧裕の叫びによって、"人殺し"を憎んでいたはずの自分が"人殺し"である事の矛盾に気づかされたり、親を殺された海砂が月の親殺しを知った時の葛藤など、一人の少女の心情・感情を存分に描いた、魅力的な"人間"として存在しているのだ。(演じる戸田恵理香の魅力が大きくプラスになっている事も事実だが)

この様に、一人一人のキャラクターを、各々の想いを抱いた"生身の人間"として描いた事により、それぞれの人物が生身の心情を吐露し合い、正義、命、法、裁き、などに対する各人の見解、作品のテーマと主張を自然なかたちで観客に提示する、終盤クライマックスの展開へと結実し、観客の感動を生む結果となったのだ。

特に月の最期などは、何の救いもなく突き放された原作とは異なり(あれはあれでいいが)、総一郎とのやりとりを通じ、父と息子の誇り高き対立と、悲劇的な結末が、決して御涙頂戴にならず、また俯瞰的にもならない、絶妙な感情移入具合で展開され、この部分は明らかに原作を超えたと言って過言ではないだろう。

これは、事件解決後のエピローグシーンも同様で、月を、夜神家を襲った"悲劇"を、Lの最期を、人情的な余韻あふれるものとし、多数の死者が出た凄惨なストーリーにも関わらず、後味の悪さをあまり感じない、救いのある印象とされている。

また、漫画の絵面を実写に置き換えた時に生じる"おかしさ"をも、本作では映画の魅力を高める方向に活かしており、特にLが取る様々な奇行は、あえて漫画的表現をディフォルメして見せる事で、密度の濃い、緊張感ある展開が続く中での、クスリと和める一服の清涼剤として機能し、流れに緩急を付けるとともに、観客のテンションをコントロールする役割も果たしている。

あるいは、金子修介の本領発揮とも言うべき、"女性を美しく、エロティックに見せる"表現は、かなり抑えめであった前編に比べ、今回は思う存分に発揮されており、戸田恵理香、片瀬那奈 、満島ひかりそれぞれを、パンチラや胸チラ、あるいはボディラインを強調する様な直球勝負ではなく、フェティシズム的観点でのエロティックさにこだわった撮り方で、彼女たちの美しさを大きく引き出した映像となっており、これもまた、ひとつの"娯楽要素"として成果を上げている。

対話や推理、洞察など、基本的に動きの少ない内容でありながら、移動撮影を多用する事で、飽きさせない映像を作っている、画面構成もよく出来たものだ。

超ドル箱の人気作品である事から、様々な方面からの干渉や要求があったと推測される状況においては、プロデューサーの並々ならぬ努力もあったと考えられ、よくぞここまで自由に作らせたものだと、感服する他ない。(おそらくはスケジュールの制限もきつかっただろうに)

CGのチープさやエキストラのわざとらしさなど、不満に感じてしまう点もあり、決して完全な作品ではない事は確かだ。が、本作は、前編も含め、"漫画の実写映画化"としては、現状の邦画界においては最高レベルの完成度と言って何の問題もないだろう。少なくとも、ここまでのものが出来上がるとは、誰も予想していなかったはずだ。

原作読者も未読者も、興味のある人は必見。もちろん前編を観てから。


蛇足:
海砂の一家惨殺現場の映像は、弟が階段で死んでいる点などから、『デビルマン』のパロディネタ?と思うがどうか。




tsubuanco at 17:10|PermalinkComments(6)TrackBack(5)clip!

2006年10月19日

アタゴオルは猫の森 50点(100点満点中)

植物の森
公式サイト

二足歩行の猫と人間が共存する架空世界、ヨネザアド大陸のアタゴオルを舞台とし、30年に渡り、タイトルと掲載誌を変えながら描き続けられている、ますむらひろしの漫画『アタゴオル』シリーズ(現在はコミックフラッパーで連載中)を、3DCGアニメにて長編映画化。

漫画を読んだ事はなくとも、登場人物を猫に置き換えたアニメ映画『銀河鉄道の夜』や、矢野顕子の歌をバックに酒井美紀とヒデヨシが共演する、ハウスシチューのCMなどで、その絵を目にしている人は多いだろう。

自分の欲望に正直に生きるデブ猫・ヒデヨシが解いた封印から目覚めた植物女王ピレアと、ヒデヨシを父と慕う謎の植物・ヒデコ。両者の対立を軸に、アタゴオルのみならずヨネザアド大陸全土を救うための戦いに、ヒデヨシやギルバルス達、アタゴオルの住人が巻き込まれて行く、というストーリー。

原作の外伝的エピソード『ギルドマ』をベースに、舞台をギルドマではなくアタゴオルとするなど、オリジナルと言っていいレベルに改変されている

独特のタッチで描かれた、シュールな世界観やキャラクターが織り成す詩的なテイストを楽しむ、ニッチなマニア向けの原作漫画に対し、この映画は一般の子供向けとして作られており、起伏のない原作のメインエピソードではなく、わかりやすいバトルをメインとし、わかりやすく話を広げている、その方向性自体は間違いとは言えないだろう。

内容は説明不足で破綻している部分も多いが、それは原作だって同じ事で、そんな整合性が求められる作品では、そもそもないのだ。

第一、原作に忠実にするくらいなら原作を読めば充分なのだし、映画の観客全体からすれば極めて少数派に過ぎない原作信者だけが喜ぶ様なものを作っても、興行的に成功するはずもないのだから。

3DCGアニメのクオリティ的にも、このレベルで充分だろう。人形劇、あるいは着ぐるみショー的なテイストで作られている本作のCGは、マンガ的世界を映像として表現するのに適したものだ。

本作は実写映画ではなく、あくまでも漫画のアニメ化であり、何でもリアルに作りこめばそれでいいというものではない。この映画でリアルな質感の人間キャラなんか出されても、気持ち悪いだけだろう。

前半で多用されるミュージカル的演出も、ファンタジックな架空世界であるアタゴオルという舞台を、原作を知らない観客にとって受け入れやすくするためのギミックとしては適当で、何より、『ひょっこりひょうたん島』も『ネコジャラ市の11人』も『プリンプリン物語』も、人形劇といえばミュージカルは付き物である。深く考えず楽しむには丁度いい。

ヒデヨシのキャラクターは原作のテイストを再現出来ているし、特にスミレ博士が登場するくだりなどは秀逸だ。ギルバルスのアクションシーンもカッコ良く撮られている。

が、中盤以降の対決場面あたりからは、何度も何度も同じ主張を繰り返し述べ続けるなど、クドすぎてウンザリしてしまう部分も目につき、あまり盛り上がらず、そのまま思った通りに話が進んで意外性もなく終わってしまうのは困る。もうひとひねり出来なかったものか。

いろいろと気になる問題点もあるが、子供向けアニメ映画としてはそれなりに楽しめるもので、信者ではない、分別のある普通の原作ファンにとっても、ところどころに原作の味を感じるところもあり、このレベルなら及第点だろう。少なくとも、大の大人が目の色変えて怒る様な出来ではない。興味のある人は、過剰な期待をせずに。



tsubuanco at 16:05|PermalinkComments(0)TrackBack(1)clip!

2006年08月28日

ラフ ROUGH 65点(100点満点中)

速水もこみちの色の黒さは異常
公式サイト

昨年の『タッチ』(犬童一心監督)に続き、本年もまた"あだち充原作―長澤まさみヒロイン"の実写映画が登場。同様に漫画の実写映画化である『NANA』の監督に抜擢され、業界の一線へ躍り出た大谷健太郎監督による今回の『ラフ』は、これが初の映像化となる。

長澤まさみが引き続きヒロインを演じる事に関してはいろんな意見もあるだろうが、原作者も喜んでいる様だし、あだち充ヒロインの顔は全部同じなので、年齢的限界がくるまでは今後も長澤まさみでいいだろう。(ちなみに市川由衣も、『H2』に続いて"ヒロインの当て馬役"としての出演となる。出来ればこちらもレギュラー化決定でお願いしたい)

また、長澤まさみを東宝映画の清純派看板女優として育てたい狙いのある東宝からすれば、青春・恋愛をメインテーマとしながらも、セックスのニオイが完全排除されているあだち充の作風は、彼女のための題材として最適と判断したのだろう。

ただ、『タッチ』でもそうだったが、主人公を演じる男優側が、とてもあだち充作品の主人公に見えないという欠点を今回も引き継いでしまっているのが残念。東宝が社を挙げて長澤まさみのために製作している映画とはいえ、やはり主人公側のキャスティングにももっと気合いを入れてほしいものだ。速水もこみちが高校生(ファーストシーンでは中3)というのは、どう見ても無理がある。

実際の作品内容的には、長い原作の最初から最後までの、要所要所のエピソードがピックアップされ、初めて作るのに総集編の様な構成となっており、特に原作未読の観客にとっては、駆け足感が強く感じられてしまうかもしれない。

特に主人公・大和圭介とヒロイン・二ノ宮亜美の両者に焦点を絞った作りとなっているため、大和の恋と競技双方のライバル的存在となる仲西が、単なる記号としてのライバルキャラ的な扱いになっていたり、大和を好きになって話をややこしくするはずの小柳かおり(市川由衣)などの、本来なら重要なキャラも、ほとんど単に出ているだけという印象しか与えないなど、かなりディテールが省略されてしまっている

一方で、メイン二人を巡る、原作からのエピソード抽出は、比較的ツボを押さえたものとなっており、全体を通してみれば、破綻の少ない構成となっている。

次に映像・演出的な面。大谷健太郎監督は、おそらく『NANA』の仕事を通し、漫画を実写映像に置き換える際のコツを、かなり的確に掴む事が出来たのであろうと推測される。

コマ割りによる"間"の表現にこだわる事で、読み手のテンポをコントロールし、そこから生み出される独自の空気感や心情の機微の表現を本領とする、あだち充漫画の持つその独自の趣を、実写映画のスクリーンに再現する事に成功しているのだ。

あだち充が好んで多用している、寒めのギャグシーンなども、独特の空気を壊す事なく再現出来ている。

その上で、単なる"あだち漫画の再現"に終始する事なく、大谷健太郎ならではの演出(八嶋智人によるハイテンションなギャグなどがその代表)も所々に散見され、その両方が乖離する事なく、一つの方向性の作品としてまとまっている点は、評価に値すると言えよう。

主人公は競泳、ヒロインは高飛び込みの選手という事で、それらの競技を実際に行う場面も、本作の見せ場となる。漫画を実写化する際、キャラクターの顔や声と同じくらい、再現が最も難しくネックとなり、下手をすれば作品の完成度を大きく下げてしまう事となるのが、このスポーツ映像なのだが、本作はカット割りやデジタル処理などを的確に駆使し、本人と吹替えの区別がつかないレベルで、しっかりと"一流クラスの競技者"として見せる事に成功している。これは大谷監督の持つ、優れた映像構成力によるものであろう。

また、水平方向の"競泳"と垂直方向の"高飛び込み"という、主人公とヒロインの競技を両者の交わりに暗喩させるという原作の着想を、本作では、画面上での位置関係を重視した映像としてしっかり見せつける事で、より強調したものとなっているのも、大谷監督の狙いであると思われる。

約4年間に渡るドラマを一気に見せてしまうための"時間経過・季節変化を大幅に省略"する演出として、"歌をバックにダイジェスト映像を見せる"という、極めてオーソドックスな手法がとられており、この事で、"総集編を見ている"的印象を強めてしまっているのかもしれないが、他にこれといって上手い逃げ方もないだろうし、何より使用されているスキマスイッチの歌が、作品の根底に流れるテーマの一つ、"かけがえのない、未完成な青春"と見事にマッチしているため、気分よく見ていられるのだ。このタイアップは成功と言え、同種の映像としても水準以上の出来となっている。

最後に、やはり本作一番の見どころは、何を差し置いても"長澤まさみの水着姿"と言っても、全く問題ないだろう(何せこの点は原作者の本懐でもある)。

東宝の意向からか、女優としての売り出しを意識されてからというもの、比較的露出を抑えられてきた(セカチューの控えめな水着であったり、タッチではレオタードではなく体操着とされるなど)彼女であるが、今回の役柄が"高飛び込み選手"とあっては「もう逃げられない(原作者・談)」ため、覚悟を決めてハイレグ競泳水着姿を存分に披露している。

大谷監督もこれを機とばかりに、舐める様なカメラワークでじっくりしっかり撮ってくれており、ファンならずとも満足だろう。

さらに市川由衣、果ては田丸麻紀の競泳水着姿まで見せてくれており、サービスは満点だ。正直なところ、これだけでも劇場へ足を運ぶ価値は充分にある

エピソードの取捨選択が中途半端で、犬童一心の演出が、あだち作品の表現手法と今イチ噛み合っていない感があった『タッチ』に比べ、本作は"あだち作品の実写化"としてよく出来ている事は確かだ。しかも水着祭りのオマケ付きだ。長澤まさみファンならずとも、あだち充のファンが観ても、過度の期待をしなければ楽しめるのではないだろうか。興味があるならどうぞ。

ただ、ラストの試合結果は、原作通りの表現の方が良かったかもしれない。


蛇足:
なにげに本作、超大作『日本沈没』を差し置いて、"東宝映画製作作品"である(例によって製作委員会のクッションはあるが)。冒頭のロゴクレジットではいきなり"若大将シリーズのロゴブリッジ"が流れ、続いて加山雄三の歌が"大和が聴いている曲"として流れるという、古くからの日本映画ファン大喜びの嬉しい遊びには、ニヤリとさせられた。

といっても、この映画を観に来るメイン層には、何が何やらだろうが(笑



tsubuanco at 16:42|PermalinkComments(4)TrackBack(2)clip!

2006年08月03日

あんこ、大いに怒る

不完全BOXエスパー魔美 DVD-BOX 届きました。

待ちに待ったこの商品、喜び勇んで開封し、中身の確認です。
ん?何か書いてあるよ?

どれどれ…?

(↓の斜体部は記載通り)


何この仕様収録内容
本編映像:
1987年4月〜1989年10月までTV放映された全119話中、前半の1〜60話までを収録!


うん、前半BOXなんだから、半分入ってるのは当たり前だね。

新録コーションメッセージ:
魔美役のよこざわけい子さんによる新録のコーションメッセージ


お、これはちょっと粋なオマケですね。

BOX:
書き下ろし仕様による豪華BOX仕様


ん? DVD-BOXなんだからBOXなのは特記する事なのか?
しかもどこが豪華? あまりに普通なんですが。
むしろショボくない?

封入特典:
1.コロコロパックカセットテープ「ウルトラB/エスパー魔美 〜うたとおはなし〜」(魔美部分のみ)の復刻版CDを封入!


音声だけ? 絵本はどこ?
音だけなら普通に売ってるCDに入ってるんですけど…

2.40頁設定画ミニブックレット(作品の設定資料集を掲載)特典CDケース内封入
設定画
あ、これね。
って、本当に設定画だけしか載ってないじゃんw
マニア向け高額商品の付加価値ってわかってます?

上・下巻連動特典応募券:
上下巻両方お求めの方に連動応募券をご用意
連動応募特典:非売品DVD
未公開パイロットフィルム、 次 回 予 告 、ノンテロップオープニング・エンディング等、貴重な映像を収録!


( ゚д゚) ポカーン

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) …?!

ハァ?本商品には次回予告が入ってないの?
当然ながら、予告は放送の一部。
OP・本編・ED・予告まで見て初めて一つの作品なんですよ?
いきなり不完全仕様ですか?
予告だけ別個に連続して見て何が楽しいの? アホか?
滅多にない機会の、初の全話ソフト化でこの有様ですか?
こんなマニア向け高額商品で、"入ってて当然の映像"が入ってないとはどういう事ですか?
仕事って何かわかってますか?それで給料もらってるんですか?

応募締め切り:2007年3月末日(※応募に際しまして、送料等の実費をご負担いただきます。ご了承ください)

客持ちかよ!! もうアホかとバカかと。
というか最初から商品内に入れとけ!!!! アホか!!!!!!!

で、一番上の画像に写ってる、CDケースっぽいのが、
予約特典:人気声優・植田佳奈が歌う、OPカバーソング「テレポーテーション-恋の未確認-2006」のトリビュートCD(非売品) だそうです。

えっと、植田佳奈って誰? いや、知ってるんだけど、エスパー魔美と全く関係ない人ですよね?

この人がこの歌を歌う事に何の意味が? 魔美(藤子)ファンの誰が喜ぶと思ってこの企画を通したの? 橋本潮によるリレコーディングとか、横沢啓子によるカバーとかなら、みんな喜んで飛びつきますよ? でもこんなの全然要りません。むしろBOXに入らないから邪魔です。

というかコレ、植田佳奈のファンの人からしたら凄い迷惑な話だよ? だって、彼女の歌が入ったCDは、ファンなら欲しいでしょ。でもそれを入手しようと思えば、(おそらくは)特に興味のない、古い子供向けアニメの高額なDVD-BOXを買わないといけないなんて、悪意に満ちたイヤガラセとしか思えない所行ですよ。

誰一人喜ばない特典だよね。それって特典として意味をなしてるの?

そんなわけで、この商品、"本来あって当然のモノは無く、要らないものは余分に入っている"という、客を舐めているとしか思えないやっつけ仕事の不良品です。

お金が余って仕方がない人か、あるいは熱狂的魔美(藤子)ファンで、関連するモノだったらゴミでも欲しい! というレベルの人くらいにしか購入はオススメ出来ません

貴重な商品化の機会が、こんな事になってしまい、本当に残念です。
そりゃ橋本潮さんも怒るわ。


オマケ:
予約特典CDのゴミさ加減に、さすがのメーカー側も気づいてると思ってたんだが、この度、下巻BOXの予約特典が新たに追加されました!
http://www.animate.tv/nf/detail.php?id=0000000765(以下引用)
『エスパー魔美』DVD-BOX下巻に桃井はるこボーカル

『エスパー魔美』をイメージした

 完 全 オ リ ジ ナ ル ソ ン グ 

を声優・アーティストの桃井はるこさんが歌うことが明らかになった。
これは、12月8日にリリースされるTVアニメーション『エスパー魔美』DVD-BOX下巻のアニメイト、および通販特典「エスパー魔美トリビュートCD2006 〜Halko Momoi〜」として制作されるもので、『魔美』好きな桃井さん本人が作品に対するリスペクトを形にしたもの。

同シリーズでは、声優の植田佳奈さんが、オープニングテーマ「テレポーテーション〜恋の未確認〜」をカバーしたスペシャルリメイクCD「エスパー魔美トリビュートCD2006」がDVD-BOX上巻の特典として発表されており、話題を集めた。



( ゚д゚) ポカーン

ダメだこりゃ!
どうやらメーカー担当者とファンとのカニ缶の差は、あまりに大きすぎる様だ。

完全版が出る日を夢見て、こんなゴミは買うな!!!




tsubuanco at 14:19|PermalinkComments(2)TrackBack(1)clip!

2006年06月18日

DEATH NOTE -デスノート- 70点(100点満点中)

ウルトラマンマックス VS 仮面ライダー響鬼
公式サイト

原作:大場つぐみ、作画:小畑健の人気コミックの実写映画化。前後編の2回に分けて上映されるという形態を採っており、今回は前編。

原作漫画は、最近のジャンプにしてはハードかつネームの多い、異色のピカレスクものとして、購読者である若い世代から大いに支持され、信者と呼ばれるレベルのファンからは、「緻密な頭脳戦」「練り込まれた展開」と言った評価を得ているわけだが、実際のところは"後出し設定・ご都合主義・無意味に頭の悪い登場人物"による超展開の連続を、小畑健によるクールな作画と、ページを埋めつくすネームの圧倒的ビジュアルとで誤摩化しているというもので、そこまで高く評価されるほどの作品ではないというのが事実。

(フォロー:いや、オレはこの漫画好きですよ。でもね、そもそもこう言った作品に登場する「天才」というのは、絶対に作者よりも賢くは描けないのです。だから、「天才」の周りの人間をバカに描く事で、「天才」を相対的に賢く見せる事しか出来ないのです。この漫画は、明らかにその典型なのです。好き嫌いといい悪いは違うんです)

この漫画の実写映画化を担う事になったのが、古くは『みんなあげちゃう』に始まり、最近では『ホーリーランド』の実写ドラマの総監督を手がけるなど、漫画の実写映像化には定評のある金子修介監督。

実際の脚本化作業にあたって、監督と脚本家とのディスカッションが、どの程度行われたのかは不明であるが、長く情報量の多い原作漫画を、2時間の映画としてまとめるには最善に近い編集とアレンジが行われており、予想していたよりも完成度の高い脚本となっている。

まず、原作の"ネームの多さ"を、映画としての表現に置換するために、台詞やモノローグだけではなく、ノートのルールなどは画面上にテロップとして表示するなどして、原作を知らずに観る人間にも世界を理解出来る様な親切設計にすると同時に、言葉による説明だけに頼るのではなく、可能な限りビジュアルとして視覚化する事で、映画として公開する意味をも押さえている。原作読者にも、未読者にも、共に楽しんでもらおうとする、このバランス感覚は見事。

また、"死神のノートに名前を書いたら死ぬ"という、一歩間違えばギャグ漫画になってしまう様な、荒唐無稽なメインファクターを、マスコミ報道や群衆の会話などを多用する事で、観客の現実世界と映画の作品世界との境界をなくす演出手法をとっている。これはかつて金子修介が平成ガメラ3部作で、"巨大なカメが暴れる"という、荒唐無稽なマンガ的世界観を、リアルなものとして観客に体感させようとした手法と同じ、手慣れたものであり、より洗練されていたものとなっている。

更に、ストーリーやキャラクターには、いくつかの改変がなされているのだが、これは、最初に述べた、原作にある数々の"突っ込みどころ"を、作品として不備のないレベルとするための変更であり、ストーリーに無理が生じない様、よく考えられたものとなっている。と同時に、長いストーリーをまとめる役割も果たしている。

特に、映画化に当たって最も大きい変更箇所である、ヒロイン・詩織の存在などは、この様な"上からの押しつけ"と推察されるキャラクターにありがちな、"一人だけ世界から浮いてる"感もなく、原作の展開にリンクしつつ、終盤のオリジナル展開を盛り上げる重要な役どころとして見事に機能しており、この辺りにも、金子修介はじめとするスタッフの、優れたバランス感覚が見受けられる。

ほぼ原作通りに進む前半、南空ナオミとの対決がほぼオリジナルへと改変されている後半ともに、テンポよく見どころを散りばめ、最後まで飽きさせないまま、後編への引きを最大の盛り上がりとする、この全体的な構成はよく練られており、先述通り、原作を知る知らないに関わらず、充分に楽しめ、次回への興味を大いに引き立てられるものとなっている。

更に言うなら、原作読者にとっては、原作通りに進む前半によって、すんなりと絵→実写と切り替わった作品世界内に入る事が出来、途中から、原作ファンにとって不自然ではない程度に展開が変わっていく事で、最後までどうなるのかわからない、ハラハラドキドキ感が楽しめてしまうと言う、単に原作を忠実に再現しただけでは味わえない楽しさも、本作は与えてくれるのだ。

正直なところ、この映画がここまで楽しめる出来になっているとは全く予想しておらず、まさに嬉しい誤算だリュークのCGがチープなのがマイナス点だが、何とかガマン出来るレベルだ。11月公開となる後編は、おそらく今回以上にオリジナルの展開となるであろうと推測されるが、今回の出来をふまえれば不安はなく、むしろ期待出来るものだろう。

まあ、期待しすぎると、足下をすくわれるのが定石だがw

蛇足:本作に登場する女性陣、モデル時代から注目していた香椎由宇、子役時代からチェックしていた戸田恵梨香、沖縄アクターズスクール時代から(以下略)満島ひかりと、個人的に応援している娘らばかりで非常に嬉しい。見ているだけで眼福というものだ。(もう一人誰かいた様な気がするが忘れた)

蛇足その2:先述の粧裕役・満島ひかりはもちろん、金子修介が立ち上げに関わった『ウルトラマンマックス』つながりであろうが、もう一人、『ホーリーランド』『ウルトラマンマックス』に続く、金子作品連続出演となる、松田役・青山草太は、よほど金子に気に入られているのだろう。確かに、ちょっと変わった存在感の青年ではあるが…、アッー!な関係で無い事を祈る。

蛇足その3:シブタクの悪党っぷりが、大幅にグレードアップされてて笑った。アレは死んで正解(笑



tsubuanco at 16:53|PermalinkComments(10)TrackBack(2)clip!
Comments