英ケンブリッジ大アジア・中東学部日本学科のバラック・クシュナー准教授(近現代日本史)=写真=が新著『つるつる!日本で最も人気のある食べ物 社会史と料理史におけるラーメン(Slurp! A Social and Culinary History of Ramen Japan’s Favorite Noodle Soup)』を出版、10月5日、ロンドンの大和日英基金で講演した。

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クシュナー准教授は何を隠そう、美しすぎる外交官として有名だった水鳥真美さんのご主人。

クシュナー准教授には私が産経新聞ロンドン支局長だった今年3月11日の東日本大震災1年を前にインタビューしたことがある。

1992年、米国から小・中学校英語補助教員として岩手県山田町を訪れたクシュナー准教授は 「おばんでござんす」と話しかけられても最初は何のことかわからなかった。閉鎖的な東北の生活になじめずふさぎ込んでいるとき曹洞宗龍昌寺の清水誠勝和尚に出会い、日本を探求する旅を始めた。

将来、米国出身のドナルド・キーン氏のような日本学者に成長してほしい有望株である。

日中関係を研究対象にしているクシュナー准教授は、戦前日本の帝国主義と戦後の民主主義、日中間に横たわる優越感と劣等感から日本のラーメン文化を読み解く。

「脱亜入欧」を唱えた明治時代以降、日本では西洋化が進んだが、大衆レベルでは、中国とつながりが深い長崎で長崎ちゃんぽんが普及し、次第に、全国各地で食堂や屋台で南京そば、シナそばが広がった。西洋レストランでも南京そばを出していた。

中国人労働者や中国人留学生が食べていた麺類が日本風に味付けされ、日本の食文化として定着していったという。

ラーメンの語源として、クシュナー准教授は、中国人の料理人が「ハオ・ラー・メン(麺だよ)」が短くなって「ラーメン」になったと説明する。

敗戦でGHQ(連合国軍総司令部)が日本に対して小麦粉を大量に支給。パン食を基本とする学校給食が導入されたが、大衆レベルではパン食になじめず、小麦粉でラーメンの麺がつくられたという。

1960年代にはこまどり姉妹の「涙のラーメン」が発表され、シンガーソングライター矢野顕子さんの「ラーメンたべたい」の詩は高校国語の教科書に掲載された。シャ乱Qの「ラーメン大好き小池さんの唄」など、ラーメンは歌、映画、漫画など日本のサブカルチャーとして定着している。

1990年代のバブル経済崩壊で、リストラされたサラリーマンがラーメン店を開店したため、日本全国のラーメン店は20万店にものぼっている。

台湾や中国でも「日式ラーメン」がブームを起こしていたが、現在は尖閣諸島をめぐる領有権問題で下火になっている。

クシュナー准教授は「戦前の帝国主義がなければ日本のラーメンは誕生せず、戦後民主主義がなければここまで普及しなかった。日中間には優越感と劣等感が交錯するが、大衆レベルでは中国の麺がいつしか日本のラーメン文化として定着した」と話している。

講演会のあと、ロンドン・ソーホーに今年6月、オープンした「TONKOTSU」の山田研介さん(36)=写真=が参加者全員においしいとんこつラーメンをふるまってくれた。

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ごちそうさまでした。(了)