昨年12月に死去した金正日・北朝鮮総書記の孫で、現在ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)の学校に通う金ハンソルさん(17)=写真=がフィンランド放送協会(YLE)のインタビューに応じ、そのドキュメンタリー番組が18日放映された。

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(YLEホームページより)

番組はフィンランド語だが、インタビューは国連事務次長とボスニア人権特別報告官を務めたフィンランドのエリザベス・レーン元国防相が英語で行っており、YLEのホームページで閲覧できる。
http://yle.fi/uutiset/ylen_ohjelma_kim_jong-ilin_lapsenlapsesta_saanut_paljon_julkisuutta_maailmalla/6341405

筆者は北朝鮮ウォッチャーではないが、昨年末、旧ユーゴスラビア内戦の傷痕が生々しく残るボスニアの古都モスタルにある国際学校ユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)モスタル校=写真=を訪れた。モスタルはイスラム文化とカトリック文化が交りあった美しい街だ。

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1992~1995年のボスニア紛争ではボスニア人(イスラム教徒)、クロアチア人、セルビア人勢力が三つ巴の激しい戦闘を繰り広げた。ハンソルさんが通うモスタルの学校は「分割線」と呼ばれたボスニア人とクロアチア人対立の最前線にあり、周辺の廃墟ビルに銃弾や爆撃の痕が残っていた。

当時、産経新聞ロンドン支局長だった筆者は、なぜ、金総書記の孫、ハンソルさんが、モスタルを留学先に選んだのか知りたかった。

UWCモスタル校は内戦後の民族和解と多文化・多民族主義をテーマに2006年設立され、地元のボスニア人、クロアチア人生徒のほか、30カ国以上からの留学生135人が学んでいる。

モスタルで生まれ育ったという同級生は「ハンソルを普通の生徒と同じように扱いたいという理由で学校から箝口(かんこう)令が敷かれている」と断った上で、ハンソルさんが自らUWCへの入学を申請したことや、1995年にイスラム教徒8千人がセルビア人勢力に殺された東部スレブレニツァを校外活動の訪問先に選んだことを教えてくれた。

同級生は「ハンソルは北朝鮮のことを少しも話さないよ。彼はモスタルで生まれたように溶け込んでいる。自分の気持ちを素直に語り、ここでの経験はきっと良い影響をもたらすはずさ」と語った。

ハンソルさんは寮暮らし。UWCモスタル校近くにある喫茶店員によると、ハンソルさんは明るい性格で笑顔を絶やさず、おしゃべり好きな好青年。英語が流暢で、夜にはビールやタバコを楽しむところも目撃されている。

問題のドキュメンタリー番組ではレーン元国防相がハンソルさんに優しく話しかける。ハンソルさんは黒縁眼鏡で、左の耳にピアスが二つ。

ハンソルさんは「私は1995年に平壌で生まれたが、幼児期は目立たないようにしていなければならず、非常に孤独だった。幼なじみはほとんどいない。マカオに住むようになってから、インターナショナルスクールで米国や韓国の友達と知り合った」と生い立ちを語った。

筆者がまず注目したのは、ハンソルさんが「寄宿舎のルームメイトがリビア人で、革命(体制変革)後、帰国すると、ニュー・リビアになっていたと感動していた」と語り、北朝鮮と韓国について「政治に分断されている。われわれは同じ文化と言語を共有しており、2つのサイドから平和を構築し、統一を実現することは可能だと思う」と強調するシーン。

次いで、金総書記について「会ったことも話したこともない。メディアと同じように私も彼がどんな人物なのか、どんなパーソナリティーなのか知りたかった。最期まで回復するのをずっと待っていた」と語り、後継者の金正恩第1書記について「会ったこともないし、彼がどのようにして独裁者になったかは、祖父(金総書記)と叔父(金正恩氏)の間の話で、僕は知らない。父(金正男氏)は政治に全然興味がなかった」と打ち明けた。

また、「僕は独裁者と普通の家系の二つを経験した。母は一般市民で、自分が食べる前に、十分な食料が手に入らない人々のことを考えなさいと言って私を育てた。僕がこうして(モスタルで民族和解を学んで)いるのは両親の影響が大きい」と語った。

将来について「いつか北朝鮮に帰ることを夢見ている。38度線をまたいで他のサイドに行けないというのは悲しいことだ。実現するのは遠い未来のことだが、南北統一を果たせるよう一歩ずつ努力したい」と目を輝かせた。

ハンソルさんはただ自分の気持ちを正直に語っただけなのか。それとも権力から外された父、金正男氏のスピーカー役を務めたのか。筆者には、ハンソルさんが北朝鮮の指導者として金正恩第1書記より自分の方がふさわしいと欧米に向かってアピールしているように聞こえたのだが…。

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北朝鮮ウォッチャーのプロ、韓国・延世大学の武貞秀士国際学部専任教授はどう見るか、尋ねてみた。

金ハンソルさんが「祖父の金正日総書記に会ったことはない」と言っていることから、早い時期から金総書記の長男である金正男氏の後継の可能性はなかったことがわかる。

金総書記は金正男氏の家族全員を早い時期から遠ざけていたことがわかる。「私(ハンソル)が存在するということを祖父が知っていたのかどうかもわからない。そのため常に祖父が私を訪ねてくるのを期待して待っていた。(祖父が)どんな人物なのか、また個人的なことについて知りたかった」「主に母方で育ったため、祖父が北朝鮮の指導者だということを知ったのは大きくなってからだ」とハンソルさんが言っていることから、金総書記は早い時期に金正恩第1書記を後継者に決めていたのだろう。

ハンソルさんは「父(金正男氏)は政治にあまり関心がない」と言っており、金正男氏自身の言葉と合致するので、ハンソルさんが真実を語っていることがわかる。ハンソルさんの母は北朝鮮の一般市民の出身であり、ハンソルさんは子供のときから自分の勉強したいことを勉強し、制約を受けずに外国に滞在して教育を受けたので、自由主義に憧れていることがわかる。

韓国について、ハンソルさんは「韓国人の友人と話しているうちに自分たちがどれだけ似通っているかわかってきた。言葉も同じ、文化も同じ。そして私たちは親しい友人になった。それは本当にすごい気分」と述べている。

北朝鮮では普通の人は語ることができない内容だ。

また、ハンソルさんは「韓国と北朝鮮の二つの国は平和と統一に向けて努力しているが、法があるため双方の国民が会うことはできない。南北のどちらか一方に行けないというのは悲しいこと」と語っている。

「学業を続けて大学を卒業し、どこかでボランティア活動や人道主義的な活動に取り組みたい。北朝鮮に戻ってあらゆる面をもう少し改善し、住民たちが楽に暮らせるようにするのが夢」というのは、金総書記の孫であるから許される言葉だ。父、金正男氏の影響を強く感じる。

また「独裁者」という言葉を使っている。北の一般住民がこのような発言をすると厳罰だが、ハンソルさんの言葉には、切迫した感じがしない。自由な雰囲気の下で、「処罰される」ということを知らない特権階級で育ったからだろう。

米国の民主主義制度を称賛するわけでもないので、米国に助けを求めている雰囲気は、この発言内容からは感じることができない。欧米の文化、生活に憧れる金総書記の孫(ハンソル)が、欧米の視聴者を十分に意識しながらも、自由に言いたい放題を語りつつ、将来は北朝鮮に戻り、祖国の再建、統一に向けて仕事をしたいという気持ちを語ったという印象を受ける。

金日成主席の曾孫が「多文化主義」「多様性」という言葉を使いながら、ここまで話をするのだなあという「感慨」のようなものがある。マカオでの教育の成果だ。このような人材が将来、北朝鮮に戻り国家建設に従事する時代が来るとすれば、朝鮮半島の将来は明るい。米国に向けて「助けて」と発信したいと思うコリアンは決して「自分の生まれた国家に戻って仕事をしたい」とは言わないだろう。(了)