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先日のヤング★ナッツに続き、熊坂義人の止まらない勢いは下北沢で燃え上がるのだった。
つか、いつ休んでるんですか、熊坂義人は。

大福である。
1月の、あの衝撃のデビュー・ライブに続き、今回はツアーまでやってしまい、そのファイナルという位置付けになるのかな。
ラ・カーニャでの2マン・ライブ。
その名も、

『鯨と大市民の太陽』

という、でっかいものを並べたタイトルなんだとか。
大市民というのは件のデビュー・ライブのタイトルにも使われていたし、大福のテーマ的なイメージがあるのだろう。
鯨は、コントラバスを持って歩いてたら「鯨みたいですね」と言われたんだとか。
なるほど。

で、まず司会として登場した熊坂義人が、でっかいひとです、と紹介したのが今回の2マンの共演者。
塚本功さん。

塚本さんはピラニアンズの方。
思えば、前回ラ・カーニャに来たのはミツムジカのワンマンのときで、そのときのゲスト・ミュージシャンが、ピラニアンズのピアニカ前田さんだった。
いろんなことが緩やかに繋がっていて、面白い。

で、この塚本功さん。
初めて観たのだけど。
「でっかくないですよ。音はでっかいですけど」
と言って始まった1曲目は、かの有名な映画音楽、ニーノ・ロータの“太陽がいっぱい”。
イベント名にちなんだそうだけど、これをギブソンのセミアコで、大音量でやる訳です。
ソロですよ、たった独り。
よく下北沢レテに出演しているとのことだけど、いつか、レテは吹き飛ぶんじゃないか、って感じ(笑)。

大まかにいえば、ソウルやブルーズに寄った音楽で、オーティス・レディングのカバーなども演奏した。
ぼくなんかはつい、ストーンズのヴァージョンを思い出してしまう、“I've been lovin' you too long”。

また、独自の渋さと少年性が入り混じったオリジナルも弾き語ったり、ミュージシャンとしての半生を自然に反映させたようなステージだった。
ラストはまた映画音楽で、“エデンの東”。
来るまでは大福のことしか考えてなかったのだけど、思いがけず楽しい1時間だった。



しばしの休憩を挟んで、大福の登場。
まだ音源のないバンドであり、また従来のジャンル的な枠組みからはみ出す音楽性ということもあり、説明は難しい。
メンバーを紹介するくらいなら出来るが。


熊坂義人(コントラバス)
バッキー(アルトサックス)
オラン(アコーディオン)
スパン子(アコーディオン、ピアノ)


ポップスよりもポップである。
ロックよりロールしている。
ジャズよりスウィングするし。
現代音楽より現代的。
そしてワールドミュージックよりもワールドワイド。

大福は音楽的可能性のカタマリだ。
歌ものとインスト、という垣根もまったくなく、ただただ熱いマグマのような音楽が、空気を振動させる。

現在の日本の環境の中で、音楽について会話をするとき、多くの場合、邦楽のヒットを中心としたヒエラルキーが形成される。
それじたいは特に悪いことではなく、いわゆる常識的な判断に基づいた会話だろう。
しかし、音楽の本質は常識で考えるものではない。
常識とは、コミュニケーションにおける当たり前な前提として機能するものでしかない。
といって、芸術は非常識なのだ、とも思わない。
非常識であろうとする芸術は、所詮そこまでのものでしかない。
常識や非常識というような二元論は、最初から飛び越えて、まっすぐイメージの核心に向かうのが本物ではないのか。


熊坂義人は、これまでのキャリアにおける様々なグループで、世界中の音楽を奏でてきた。
彼の参加した代表的なグループを幾つか並べてみただけで、その幅の広さは驚異的だと確認出来る。

ヤング★ナッツ、
福、
ケチャップ、
ロイヤルハンチングス・・・

ほとんど世界一周である。

大福が素晴らしいのは、ひとつには、そうしたキャリアを踏まえた上で、やっぱり踏まえない、という点。
つまり、世界一周はもうやったけど、まだ世界はあるぞ、宇宙だ、海底だ、というような溢れる冒険心にある。

本当は、これこそが、音楽家として当たり前の態度なんではなかろうか。
音楽は、ジャンルで説明出来るようなみみっちいものではない。
巨大な、訳の判らないものである。
大福が向き合っているのは、そういうものだ。
ただ「音楽」と呼ぶことしか出来ない、正体不明のもの。


シャープで弾ける演奏があり、キュートでユーモラスな楽曲がある。
ユーモラスといえば、スパン子が演奏したトイピアノは可愛かった。
普通、トイピアノはグランドピアノの形が多いが、アップライトの形というのも面白かった。

そして美しいメロディがあり、荒々しいパフォーマンスがある。
シリアスな面を見せたかと思えば、とぼけた味もたっぷりある。
メンバー間のオフビートなやり取りと、熊坂義人の濃いMC。

ドラマー不在でアコーディオンはふたり、という編成が、しかしまったく変則的には聴こえない。
判りやすくいうなら、ホワイトストライプスを聴いて、編成について語ろうとは思わないようなものだ。
大福はひたすらに音楽の核心部分と向き合っている。

盲目のひとと暗闇で一緒に過ごすワークショップが流行っていることから発想した、という“瞼の裏に解放区”など、日々考えていることを突き詰め、想像力を駆使して生み出された曲の数々。
そうした過程を経て出来た曲が、必ずしも歌ものではないというのも良い。

本編の演奏が終わって、ステージを去らずにアンコールへ突入。
曲は、ロイヤルハンチングスでもやっていたが、既に楽曲がバンドの枠を越えてしまったような、熊坂義人の代表曲といって良いであろう大曲。
“最後の人間”。
圧巻のラストだった。


写真は終演後。
左から、スパン子、オラン、熊坂義人、バッキー。
撮影しようとなったら全員集まっていただいて、いや、ありがとうございました。


常に動向が気になる熊坂義人だが、大福としてのレコーディングも考えているようだし、ますます注目してゆきたい。
彼の音楽に触れると、自分の音楽的知識の乏しさと言語表現の貧しさに直面するが、仕方がない。
ぼくはぼくの、手持ちの武器でやっていくしかない。
泥縄式に補強しながら。
熊坂義人だって、コントラバスだけで世界に立ち向かっているのだ。