未来のわたしのため、備忘録を残しておいたほうがいいことばが多すぎる




結論:ともだちはみんなやさしい





(以下、事実及び理由)





「アネゴとか呼ばせるのやめた方がいいよ!つだーるは
姉御キャラなんかじゃない。どっちかっていうとみんなから面倒見られる系なんだから。そんな呼び方されると、それに自分を合わせることに無理しちゃうよ。」


「つだは後輩に対してはお姉さんっぽい感じなんだね〜。(驚)」


「なぜ相手が善良な市民で自分がそうじゃない方っていう前提なんだw」 







これら褒め言葉かは知らないけどけっこう目から鱗。笑


善良な市民で妹キャラなんでしたっけっていう。。。ww





*****





。。。そうなのかも。。。。。





ともだちに甘やかされすぎているのか


これらを甘やかされていると評価すること自体が病理なのか


正直今のわたしにはわからない・・








てか、そもそもですよっ。


なんか、各々が「評価」することって、さも、客観がどうとかいいながら、あまりに主観的すぎてびっくりするんだけど最近。

要するに1を見て10を語る人が多すぎてってことなんだけど、
相手によっては、あんたが1だがこっちは3くらいのファクト集めてるわ、と思ってしまう、そうそれが自己欺瞞。。



だから私はそれが10でも9でも8でもなくて3であることを認められるような人になりたいと思っているよ。


もしかすると、それは3ではなくて、なんだかんだ、「客観的に」は、1にすら満たない0.1くらいなのかもだけど。。。


そしてもしかすると、万人がその3か0.1かで計り知れない葛藤があるのかもしれない、とか、想像したりする・・。




・・・ 数値化すれば言いたいことが伝わりやすいかと思いつつ、更に混迷を極めている。笑




  

*****





楽しかったお酒のあとは、習慣のように思い出す。




(本当はあれらに勝る「楽しい」なんて、イマはないのかもしれないと思いながら) 

・・いやもうホントそれ自体が正に病理ほんとやめたほうがいい








今日も楽しかったかな。と。





ほかの人なら単なる空洞でしかないその沈黙を、今この手に埋める材料がちょっとだけあるという事実に、一抹の寂しさと嬉しさを感じながら。






 *****





急いだ方がいいのか、よくないのか、 っていうかそれ以前の問題なのか、意外と方法次第なのか、不可思議な不明さ。





自分が今、やるべきであることが「客観的に」は明確であることに、感謝するとするか。




結局、優等生の導けるくらいの単純なレールに、(あ、最大限の嫌味ですよ)、乗ることが最も心地いいのかもしれないと思う、その思慮の浅さと、そこに嫌悪感を感じるゆがみに、自分の受けてきた教育の短絡さと、それを全身で受け入れた悪い意味で素直すぎる自らの人格に、遠い目をするところで今夜を終えることとしたい。



***** 


世の中は、きらきらしている。



そんな時には、その背後に見える快晴の秋空を、思い出すことが多い。