2013年03月17日 17:10
2/14 『石巻灯油大作戦』
仙台ライブから一夜明け、腹ごしらえに皆で行った「利久」の牛タンにタン鼓みを連打しまくって、石巻へ。
本日は石巻灯油大作戦だっちゃ!
この辺りの人は語尾に「〜ちゃ」をつけがちなんやけど、この方言は「うる星やつらのラムちゃん」を連想させる…
ラムちゃんのあの話し方は、作者の高橋留美子先生が仙台弁をモチーフにして作ったんだとか…。
さて、最初に灯油を届ける11世帯が生活している仮設日和が丘団地に到着して、
今回、石巻の事をいろいろサポートしてくださった地元で民生委員をなさっている秋月さん、そして灯油業者『渡辺米穀店』のワタナベさんと合流。
ちなみに、秋月さんは俺の大学の先輩のお母さんです(^^)
さらに、クロサワ店長をはじめとするBLUE RESISTANCEチームも応援に駆け付けて来てくれてました!
ありがとうございます!!!!!
届けに行った先で出会ったノザキさんが震災当時のことや仮設住宅での生活のことなどを話してくださいました。
とにかく元気っぱいなノザキさん。
いろいろ話してるうちに意気投合して、、、
ハグ。笑
ノザキさん、いつまでも元気いっぱいでいて下さいね。
また逢える日が来ることを願っています☆
(ちなみに、ノザキさんと俺は同じヘビ年です!)
続いて、12世帯が生活している仮設日和が丘第2団地。
ここはテニスコートの敷地内に建てらています。
11世帯が生活している仮設泉町団地。
そして、37世帯が生活している仮設日本製紙団地へ。
ここで出会った姉妹のようで姉妹じゃないお2人
このお2人も、ものすごく元気!
ずーーーーっと、喋ってました。笑
あと、灯油を持ってきた俺達に何度も
「コーヒー飲んでくかい?」
「コーヒーはいいかい?」
って、すごく気遣ってくださいました。
「津波に全部流されて何も無くなったんだよ。」
「全部、皆からもらった物。今日着てる服だってそう。」
「けどさー、この服あったかいし、可愛くないかい?」
そう明るく笑顔で話す姿に、俺はあらためて心を突き動かされた。
もう2年近く、この生活を送っているのだ。
そして、東京からやってきた見ず知らずの俺達にあったかい心配りをみせてくれる。
復興までの道のりはまだまだ、まだまだ続く。
俺も、俺達も、その道を一緒に歩んでいこう。
お2人に手をふり、俺達は8世帯が生活している仮設新栄中央団地へ。
ここは公園に建てられた仮設住宅です。
敷地内には、このような石碑が…。
『新なる 栄あれ』
この地域の名前を意味するであろうメッセージ。
震災前に刻まれたこのメッセージは、今、この地域そして被災地のみならず、日本全体に発信されている言葉なんじゃないだろうか。
復興への道のりのスローガンともいえるこの言葉を俺達1人1人の胸にも刻んでおこう。
続いて、30世帯が生活している仮設新栄団地へ。
写真に写っている1000極さん(ミミカジルのボス)が小さく見えるのは俺だけ?笑
もともと小柄な彼ですが、てっきりレゴブロックかと…。笑
そんな1000レゴブロックさんも自分の体より一回り大きいポリタンクを一生懸命運んでくれたこの場所で出会った年輩のご夫婦がいろいろお話をしてくださいました。
旦那さんは19歳の時にチリ地震津波を経験したそうです。
1960年、チリでM9.5という世界最大規模の地震が発生。
それによって、およそ2〜6mの津波が三陸各地を襲い、大きな被害が生じました。
しかし、東日本大震災ではそれを遥かにしのぐ津波が押し寄せたのです。
このご夫婦は津波からなんとか助かったものの、何もかもを失い、4日間まともな食事をとることができなかったそうです。
「そんな感じでも生きていられたんだから、ちょっとのことぐらい大丈夫だっちゃ!」
そう話してくれたご夫婦も、長引く仮設住宅での生活に不安が募ることが多くなってきているそうです。
仮設住宅も含め、現在およそ31万5千人もの方々が避難生活を余儀なくされています。
きっとその方々も、このご夫婦と同じ心境なのではないでしょうか…。
俺達が次に向かったのは、9世帯が生活している仮設新栄東団地。
ここも公園に建てられた仮設住宅です。
ここで出会った、ホルモンを聴いてくれてるONE PIECEが大好きなジュン君
ジュン君。
君はもう立派な"腹ペコの一味"やで!
いつかライブハウスで逢おうぜ!
そして、
10世帯が生活している仮設井内団地に灯油を届けて石巻灯油大作戦終了!!!!
今回、石巻で届けた灯油はポリタンク107缶分。
灯油を届ける際に、お世話になった渡辺米穀店は陸前稲井駅前にあるんやけど、皆でそこに立ち寄りました。
ここを走るJR石巻線は震災の影響で一時全線不通でしたが、現在は小牛田〜渡波駅間が復旧しており、さらに渡波〜浦宿駅間が今月16日に運転再開。
しかしながら、残る不通区間である浦宿〜女川駅間は軌道の損傷、さらに女川駅舎が消失してしまったため復旧の目途は立っていないそうです。
プラットホームから女川駅方面を望む
ちなみに、震災後、海に出れなくなってしまったクロサワさんは線路上にたまったガレキの撤去作業をしていたそうです。
クロサワさんと同じく海で生計を立ててた方のうち、再び海に戻ったのは半分くらい。
戻ったのは70〜80代の方々がほとんどで、それ以外の世代、特に40〜50代は辞めてしまった方が多いそうです。
クロサワさんは、その後ライブハウスを作るわけですが、それができるまで石巻でのライブは、
このボーリング場に隣接された『プレナホール』で行われてました。
そんなBLUE RESISTANCE店長 クロサワさん。
普段、口数が決して多い方ではないけど、大好きなバイクの話になると童心に返ったような笑顔で楽しそうにお話してくれます(^^)
あと、灯油大作戦の移動中に住宅地のなかでひときわ目立つ大きな家を見つけては、
「あれ、地主だな」
と、地主に敏感でした。笑
陸前稲井駅前でワタナベさん、BLUE RESISTANCEチームとお別れした俺達。
東京への帰路につこうかと思いきや、秋月さんが俺達のために何やら用意してくれてるっていうことなので、ご自宅にお邪魔しました。
到着した俺達を待っていたは、、、、
ぐはぁぁああああ!!!!!
秋月ママ特製 SOUP THE PIG
そして、
寿を司るもの!!!!
オトゥティ!!オトゥティ!!
共食いの如く豚汁をすすり、両方の前足を器用に使ってお寿司をいただく。
さらに、ワカメやお酒のお土産まで頂きまして、本来は俺達がお礼しなければならないのに、こんなに手厚いおもてなしを受けるだなんて…。
秋月さん、ありがとうございました!
その優しさ…
クセになってしまいそうです…
俺達に良くないことを教えてしまったかもしれませんよ、秋月さん。笑
とにもかくにも、『ホルモンの東北灯油大作戦』 これにて終了!
今回、俺達のこの活動にご賛同・ご協力くださった皆さん。
本当にありがとうございました!!!!
震災から2年。
時間がかかってしまいましたが、ようやく三陸の地に来ることができました。
このツアーで結んだ「絆」を第一歩として、今後もホルモンなりの支援活動を続けていきたいと思います!
被災地の復興を願う俺達と全国の皆さんの真心をこれからも届けに行きまっせ〜!!!!
さてさて、秋月家をあとにして帰京するお腹いっぱいの豚さん達。
心地よい疲労感とこのツアーで得た多くの思い出に包まれながら、眠りにつくのでありました。
食べてすぐ寝てしまったので、東京に着くころには牛になってることでしょう。笑
〜今日の「俺たちの太」〜
あのツアーから1ヶ月が経過。
まだまだその余韻が残っているようです。
先日の太様と私、、、、
偶然のシンクロ。
ビバ☆東北ライブハウス大作戦
2013年02月13日 01:13
朝、病院に行こうと思い、何気なく乗ったタクシーの運転手さんの名前が津田さん。
実は、いそうでいない「津田」
仙台の津田さんを前にすると何でも話せる自分がいることに気がついた俺は、
「この人だったら分かってくれるはずだ。」
そう思い、35年間隠し続けてきた自分が津田であることを思い切って打ち明けました。
俺の話を黙って聞いてくれた津田さん。
そこからは、
「津田あるある」
「こんな津田は嫌だ」
「津田で良かったこと・悪かったこと」
「ベストオブ津田」
「もしも津田じゃなかったら」
など、"津田話"に花を咲かせました。
仙台と香川の津田の融合。
ありがとう、仙台の津田さん。
心のモヤモヤが無くなってスッキリしたよ。
そんな俺が病院でもらったもの。それは、
『下剤』
腸のモヤモヤが取れないんだ。
食べて食べて、また食べての毎日だけど、ほとんど排泄されてない。
記憶に残すだけでは物足らず"記録"として体内に残しておこうとしてるのだろうか…。
宮古〜大船渡〜石巻で、ライブハウスに集結した三陸のガッツを勢いよくぶつけてきた猛者たち、そして、腸内に集結した三陸の食材を勢いよく排泄させてくれない便秘と熱い闘いを繰り広げ、ツアー最終地 仙台にやって来ました。
TERUさん(GLAY)の言葉を借りるなら、
「今日は最後のファイナルです。」
音と食に囲まれたツアーだったことを物語るかのように、仙台Rensaの楽屋には各地の食べ物がズラリ!
東北ライブハウス大作戦 宮古支部 太田社長から頂いたカレー。(ダンボール1箱分!)
ノースロードミュージック(東北のイベンター)の大内さんが自分の手柄にしようとした痕跡が残ってます。笑
大船渡ライブの日にもらった「味しらべ」
俺にとっては味しらべの粉の方が、
ハッPターン(※)のアレより"魔法の粉"
※名指しを避けるため、商品名の一部を伏せさせてもらいました。
大船渡灯油大作戦の日にもらったワカメ。
メッチャ美味しくて皆に大好評!
あまりの美味しさに箸を持つ手が止まらず、スナック感覚でパクパクいただきました(^^)
石巻ライブの日に女川町の皆さんから頂いた「高政のかまぼこ」
俺、この手の練り物が大好きなんやけど、これホンマ美味しかった☆☆☆
ここにもノースロードミュージック(東北のイベンター)の大内さんが自分の手柄にしようとした痕跡が残ってます。
さらに、このツアーで出会った最高の仲間達も仙台に駆け付けてくれました!
東北ライブハウス大作戦 宮古支部の皆
東北ライBooハウス大作戦 宮古デブ結成。笑
ちなみに、太田社長とイトウ君は前日の石巻にも来てくれてました。
大船渡支部 オキナワも、KESEN ROCK FESTIVALでケータリングを担当している、岩手県の水沢にある『萬福食堂(まんぷくしょくどう)』のタイシン君と一緒に仙台に来てくれました。
このツアーで出会った全ての人達、そして全ての食材達へ思いを込めて、マイクスタンドにくっつけた太田社長にプレゼントしてもらったコイツと共にステージへ!
本数にして、4本。期間にして1週間。
けど、1ヵ月くらい旅に出てるように感じられるくらい濃い内容となったこのツアー。
それをギュギュッと締めくくる仙台の熱き夜。
前日の石巻ではあまりの灼熱さに火災警報機が誤作動する珍事が起こったけど、さすがに石巻の約2.5倍のキャパがある広い仙台Rensaでは警報機を鳴らせなかった…。チクショー。
でも、ホール内は湯気モックモクでエエ感じの蒸し風呂でした☆
よっしゃ!次は鳴らしたろうぜ!
吠えろ、仙台!
鼓動と警報機を高鳴らせ、呼べ!呼ぶんだ!仙台市消防局!
次回、『警報機、お前はもう鳴いている』 お楽しみに!
ありがとう、またな!
ライブ後は、くるりと打ち上げ。
ちょうどこの日がファンファン(トランペット)の誕生日てことで、皆でお祝いしてあげました♪
ファンファン曰く、2年連続ホルモンと共に誕生日を過ごしたそうです!
去年、俺達のラジオ番組にくるりがゲスト出演してくれたんやけど(その時、初めて皆さんにお会いしました)、
その日が、ちょうどファンファンの誕生日だったっていうわけです。
すごい巡り合わせやね(^^)
待望の対バンが実現した今回。
人間的にも音楽的にも、すごく魅了されました!
くるりの皆さん、本当にありがとうございました!!!!
残念ながら吉田省念さん(ギター)は不在でしたので、次回はフルラインナップでの対バンよろしくお願いします!
その時のタイトルは、岸田さんの名前「繁(しげる)」を拝借した
「俺たちの繁」
で、お願いします。笑
〜今日の「俺たちの太」〜
くるりとのツアーが大団円を迎えたこの日。
盛大に打ち上げが行われましたが、まだまだ盛り上がり足らない面々は2次会へ。
俺は1次会で帰ったから、その後のことは分かりませんでしたが、
翌朝、チェックアウトしてみたら、、、
太様がこのような状態になるのは滅多にございません。
くるりの皆さんといる時間が相当楽しかったのでしょうね。
横に置かれたミネラルウォーターが哀愁を誘います。
2013年02月12日 17:48
朝、宿で見たローカル情報番組『突撃!ナマイキTV』
出演者・番組内容ともに地域密着型情報番組テイストがたまらなくエエ感じ(^^)
そんで、この日はライブハウス行く前に石巻市街を見て回ることに。
津波に加え、大規模な火災も発生し甚大な被害にあった門脇地区。
被害の爪痕が生々しく残る門脇小学校
ほとんどの生徒・教職員は裏の高台に避難できたけど、校舎は焼けてしまったため、今は近くの中学校を間借りして授業を行ってる状況で、震災後、クラスの数も減ってしまったそうです。
小学校から少し車を走らせ、旧北上川の中瀬へ…
津波被害から復活した石ノ森萬画館
その先にあったのは…
傷ついた自由の女神像。
ここには『中瀬マリンパーク』という公園があり、その公園のシンボルとして航行の安全と公園を訪れる人々の安全を見守るため、この自由の女神像が建てられました。
そして、その周りには"石巻を花と緑あふれる街へ"という願いを込めて「フラワーガーデン」が広がっていたそうです。
その他、園内には、
世界平和を打ち鳴らす「平和の鐘」。
夜の航行の安全を願い明かりが灯されていた「灯台」。
食と健康を与えてくれる魚達に感謝と供養をするための「魚供養碑」。
さらに屋外ステージなどもあり、地元の人達の憩いの場、そして石巻の観光スポットでもありました。
しかし、津波により残ったのは傷ついた自由の女神だけ…。
津波に耐えぬき、傷つきながらも安全を見守り続けてくれています。
女神の眼に"あの日の光景"はどう映り、石巻の"今"そして"未来"はどう映っているのでしょうか?
そして俺達はライブハウスへ。
ライブハウスは、かつて飲食店が連なっていた繁華街にあります。
石巻は漁師町。
豪快な生活を送る漁師たちは朝、海に出て、戻ってきたら繁華街に繰り出す。
かつて、この繁華街は肩がぶつかるほどの人で溢れていたそうです。
その繁華街全体が被災してしまい、その後、営業を再開したお店はほとんど無く、当時の賑やかさを失ったシャッター街になってしまいました。
ライブハウスの前の通りで営業してるのはラーメン屋と寿司屋のみ。
しかし、このラーメン屋も、もうすぐ閉店してしまうそうです…。
隣の寿司屋には津波の水位が印されていました。
じゃ、ちょっくら行ってきま〜す(^^)
そんなことをしつつ(笑)、BLUE RESISTANCE店長クロサワさんとお話してたら、とある男の子を発見。
パッと見てすぐわかった!
今回のツアーと灯油大作戦の事を発表したすぐ後に、俺達のレギュラーラジオ番組『ギンギラギンにさりげ肉』にメールを送ってくれてたタケシ君や!
石巻市内の仮設住宅で生活している彼。
"マキシ"マム ザ ホルモンがイシノ"マキシ"にやって来るってことで、
こんなフラッグを作ったそうです(^^)
ちょうど俺達とくるりが宮古〜大船渡〜石巻を回ってるのと前後する日程でSiM、HEY-SMITH、COUNTRY YARDの3バンド。そして、GOOD4NOTHING、HOTSQUALLの2バンドがそれぞれ同じ場所を回ってることから、タケシ君のフラッグには俺達より先に石巻でライブしたそれぞれのバンドのサインが書かれており、俺達も後ほど仲間入りしました(^^)
完成してまだそれほど時間が経っていないけど、すでにBLUE RESISTANCEはタケシ君にとって、なくてはならない存在。
そして、それはタケシ君のみならずたくさんの人達にとってそうだと確信しています。
そんな石巻の今と未来を鳴らす本陣ともいうべきBLUE RESISTANCEは、もともとあったテナント3軒をぶち抜いて店長クロサワさんをはじめ、東北ライブハウス大作戦 石巻支部の皆の手で作り上げたライブハウス。
さらに、その隣のテナントも飲み屋にしました。
震災前、クロサワさんは海で生計を立ててましたが、今は自分達の手で1から築き上げたこの城に全てを懸けています。
その城に俺達の息吹を!っていうことで、、、
ホルモン&くるり 木札作戦!
俺、字きたないなぁ。。。
てか、、、マキシマムザりょ。笑
そんな「マキシマムザりょ」さん。
ライブハウスに着いてから、しばらく姿が見えないと思っていたら…
あ゛ーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
何か買ってきたぁあああーーーーー!!!!!!!
初めて来た土地もなんのその!
食欲ドラゴンレーダーを駆使して、近所にクレープ屋を発見!
ムキーーーーーー!!!!!!
これにはたまらず俺・ナヲ・上ちゃんも
ばしょいどう ←
ひとにきく
もちものみる
もちづきみのる
そこしらべる
で。
グヘヘ〜
もっちもち生地の絶品クレープ♪
クレープだけでも2枚組CDくらい種類があるんやけど、それ以外にもフライドポテトをはじめとした多種多様な充実のラインナップは、もはやフェスレベル!
メニューを見てるだけで胃袋の鼓動が高鳴ります。笑
美味しいうえに安い!こんなお店、近所に欲しい!
このお店もビルの屋上まで津波にやられてしまったけど、なんとか再建して、石巻の学生達で日々にぎわってるそうです(^^)
ごちそうさまでした☆
さて、この日は、漁網を使ったミサンガ・革製品・Tシャツ作りなどを通して、石巻で特に被害の大きかった沿岸部、牡鹿半島の女性達の自立支援を進めている『いしのまき へい輪プロジェクト』の方々もライブハウスで、浜のお母さん達が中心となって作った漁網ミサンガを販売してくれてました。
ミサンガと私。
そのプロジェクトの中に、東京SKINSシーンの重鎮「鉄槌」の千葉さん(石巻出身)のお兄さんがいらっしゃって、お兄さんを通じて「弟から!」ってことで、
レペゼン石巻。
地元の方々から絶大な支持を誇る『やまだの焼きとり』を頂きました!
肉もさることながらタレがデラぜっぴん☆
地元の方はこのタレをわざと残しておいて、ゴハンにかけて食べるんだそうです。
千葉さん、ごちそうさまでした!ありがとうございました!
ど〜やら、この日もやはり、オシャベリとは別の意味で口がよく動く我々。
さてと…、次はライブハウスに集結した猛者どもをペロリと平らげようか…。
昨年10月に放送されたTV番組の企画で、くるりが石川さゆりさんから依頼を受け、石巻で暮らす人々の言葉を丁寧に紡ぎ、節をつけ作り上げ、石巻に届けられた「石巻復興節」という唄があります。
この日、くるりはライブの最後の曲にその「石巻復興節」を選びました。
しかも、地元のご婦人方で構成された「やっぺすダンサーズ」がゲスト参加するというスペシャルコラボバージョンで披露されました☆
※ちなみに、この「石巻復興節」のCDは石巻市内の各店舗またはネット通販で購入でき、その売り上げの一部ならびに収益が石巻復興支援ネットワークを通じて、仮設住宅での生活支援、そして石巻川開き祭りをはじめとする地域事業などの活動支援金に充てられます。
くるりの時から感じてはいたんやけど、石巻の皆はホンマに元気やね!
皆の前へ前へと迫ってくる勢いがあまりにも凄いもんだから、最前列の人は気がつくとステージに上がってしまっているくらいの超肉弾戦!
ついさっきまで、はんなりとしたくるりワールドが展開されてたのが嘘みたいに豹変…
あっという間に、高温多湿で酸素希薄な地獄絵図空間の誕生。
おそらくBLUE RESISTANCEが、東北ライブハウス大作戦のライブのなかで、キャパ的に1番大きいライブハウスなんやけど、1番キツいライブハウスだわ、こりゃ。
息を吸っても口にほとんど何も入ってきやしない…。
そんな状況にも関わらず、イシノ マキコ(石巻っ子)の勢いは衰え知らず!俺達をグイグイ攻めてくる!
しかもマキコ達ってば、めっちゃエエ顔してるのよ!
ロッキンアグリーモションで攻め立ててくるもんだから、それに煽られて俺達もギアチェンジ。
そしたら、今度はそれに煽られたマキコ達がギアチェンジ。その応酬。琴欧州。
中盤以降、さすがに苦しくて白目むきそうなKO寸前の子もいたんやけど、目を合わせると「おらぁぁあああ!!!」って一瞬にして蘇る。笑
ちなみに、そんな子が1人や2人じゃなかったからね。笑
強敵だったわ、石巻!
その強さ、忘れるなよ!
ありがとう!
互いの日々を闘い抜いて、また決勝の地、ライブハウスで逢おうぜ!
実はこの日、火花と汗と脂を散らせて闘った猛者のなかに、なんと!
女川町長 須田さんがいたんです!
町長さんがホルモンファンってことは友達に教えてもらって知ってたんやけど、鉄槌の千葉さんから「女川町長さんが石巻のライブに来てくださる」って連絡をもらった時はビックリしました。
さらに、その連絡をもらった時点で、町長さんは抽選で当たってすでにチケットを持ってたことが判明!
さすがは町長さん。しっかり「当選」したんですね。笑
アンコールの時、「今日、ここに女川町長さんが来てるはず…」っていうとフロアの1番後ろから町長さんのデッカイ声が飛んできました。笑
そして、最前列まで出てきてくれた町長さんとハグした後は、もちろん、、、、
町長 IN THE MOSH PIT!!!!!!!!!!
日本広し、ROTTENGRAFFTYのドラムはナカマ ヒロシ、といえども。
モッシュする「自治体の長」は女川町長さん以外いないでしょう!笑
町長さん、汗だくになりながらモッシュするその姿。
しっかりと焼き付いてますよ!
町長さんの他にも、
音楽イベント『我歴(GAREKI) stock女川 in 』を開催するなど、女川復活のノロシをあげるべく活動している「女川福幸丸」の方々。
その福幸丸メンバーと連携して各種イベントの中心を担っている、女川再建のため民間の立場でまちづくり会社を設立された若手水産経営者の方々。
が、ライブに来てくれました。(全員チケット当たったそうです!)
ちなみに、『我歴(GAREKI) stock女川 in 』とは…
震災後、自身が音楽に救われたことから音楽の力を実感した福幸丸メンバーが、
「一見ゴミのように思える"瓦礫(GAREKI)"は、そこで暮らしてきた1人1人の生きた証であるという意味から"我歴(GAREKI)"である。復興を目指し、新たな"我歴"を刻んでいきたい。」
という願いを込めてスタートしたイベントです。
ライブ後、町長さんをはじめ女川の皆さんと談笑。
俺の奥にいる笑顔の男性が町長さん
ていうか、これ何の話をしてるんや?笑
女川のお土産と、町長グッズ(笑)まで頂きました\(^-^)/
皆さん、ありがとうございました!!!!
で、こちらがその町長グッズ
町長クリアファイルと町長バッチ。
クリアファイルには、ちょっとしたギミックがあるらしい…。
ホルモン好きってことで、1つだけ手がメロイックサインぽくなってる町長さんがいました。笑
ここ石巻でもまた、素敵な人、素敵な食べ物(笑)に出会えました。
イシノマキシマム ザ ホルモン キャーキャーうるさい方 ダイスケはん
〜今日の「俺たちの太」〜
リハーサルを終えて、ライブハウス周辺を「うえ散歩」した太様。
この日、差し入れでもらった『やまだの焼きとり』を皆より一足先にお店で食べてたそうです。
そんな太様のライブ前までの食の足跡をまとめてみました。
STEP1. 楽屋で弁当。
STEP2. クレープ屋でクレープ。
STEP3. 「うえ散歩」で焼きとり。
STEP4. 差し入れで焼きとり。
いいですね〜。順調に積み重ねてますね〜。
そんな太様からCOUNTRY YARDに伝言。
「BLUE RESISTANCEデ メンバーノ ワスレモノヲ アズカッタ」
「ギターノ ミヤモニ ワタシテオク」
2013年02月11日 13:26
FREAKSでのライブから一夜明け、本日は大船渡灯油大作戦!
※この日の模様も"ROCKIN'ON JAPAN 2月末発売号"にて掲載されますので、そちらと合わせて読んで下さい。
今回、大船渡灯油大作戦をやるにあたり、東北ライブハウス大作戦 大船渡支部のトモダーが全面的に協力してくれて、俺達と現地の方々との間に入って、いろいろな応対をめちゃくちゃスピーディーかつ綿密に進めてくれました!
トモダー、ホンマにありがとう!
地元の消防団に勤務する37歳 既婚者 2児の父 目標とする芸人は10-FEETのコーイチ(笑)
っていう愉快で頼もしい男です!
当日はトモダーの他にも、
オキナワや
今回、灯油を届けた仮設住宅に住んでる「KESEN ROCK FESTIVAL」実行委員のエビちゃん
そして、トモダーの消防署の後輩のヨコチンが応援に駆け付けてくれました!
皆ホンマにありがとう!
そして今回、大船渡でお世話になった灯油業者『八木又(やぎまた)商店』さんも俺達の支援活動に賛同してくれて、寒さが一段と厳しい今シーズンにおいて灯油価格が高騰するなか、少しでも多くの灯油を効率よく届けられるよう会社ぐるみで料金面・輸送面において全面的にサポートしてくれました。
本当にありがとうございました!
八木又商店サイコー!
子供ができたら1人目の名前を「津田 八木又」に、2人目ができたら「津田 商店」にします!
そんな様々な人達の力を合わせて大船渡では、
64世帯が暮らしている後ノ入(のちのいり)仮設住宅
27世帯が暮らしている山口仮設住宅
(エビちゃんはここに住んでます。)
ここは、もともと個人が所有する田んぼを拓いて建てられたそうです。
10世帯が暮らしている下船渡仮設住宅
公園に建てられてます。
そして、27世帯が暮らしている小中井仮設住宅へ灯油を届けに行って来ました。
後ノ入仮設住宅では、前日のライブにも参戦した女の子(ハルカちゃん)と出会いました。
彼女は近所に住んでるらしく、俺達がここに来るってことで待っててくれてたんです。
「ぶっ生き返す」が好きだというハルカちゃんからワカメをもらいました!
三陸産のワカメはホンマに美味しくて、皆このツアーですっかりトリコになってます。
この日もらったワカメは後日、ライブの日に皆で頂きました!
メーーーッチャ美味しかった!ハルカちゃん、ありがとう\(^o^)/
ちなみに、ワカメの効果効能を調べてみたら、、、
『ダイエット効果』
『育毛効果』
ステキやん☆
2ヶ所目の山口仮設住宅から下船渡仮設住宅へ移動中、、、
ここには、トモダーの母校「赤崎小学校」がありました。
津波で発生した大量のガレキが校舎に押し寄せてきた光景は言葉に表せないほどだったそうです。
今はここが小学校だったことを教えてくれる『赤崎小学校前』のバス停を残して何もなくなってしまってるけど、大船渡高校に通っていた鹿島アントラーズ小笠原選手が、ここにサッカーグランドを作る計画をしているそうです。
そして、、、
前夜、1人で歩いた時には暗くてハッキリわからなかった商店街跡の時計台。
針は津波に襲われた時間で止まっています。
トモダーからいろいろ話を聴きつつ下船渡仮設住宅に到着すると、ここでも俺達が来るのを心待ちにしてくれてた方々がいました。
ここに住んでるシモダテさんと、そのお友達が俺達を出迎えてくれました(^^)
そして、一足早めのバレンタインってことで、こんな素晴らしいプレゼントをもらいました!
どーーーーん!!!!!!
チョコでデコレーションされたクッキーなんやけど、クオリティ高すぎ!!!!!!
みんな目と体を丸くしてビックリ!(体はもともと)
細か〜いところまで再現されてて、食べるのがもったいない(>_<)
けど、こちらも後日、ライブの日に美味しく頂きました\(^o^)/
俺達が皆さんに届けに行ったにもかかわらず、こんな素晴らしい贈り物をもらうだなんて…
ホントにホントにありがとうございます!!!!
お互いの心が着て温めてた"気持ち"と"気持ち"のユニフォーム交換みたいな感覚。
繋がり合う。温め合う。そんな感覚。
それって、目の前に実際に相手の姿が見えなくてもできる。
あの日起こったこと。そして、あの日以来すっかり変わってしまった現実。
全部、遠い世界のお話じゃありません。
"少しのこと"
そう思うようなことでも、それが歩みを強くします。
"少しのこと"
それが幾重にも積み重なったら、歩みを何倍も何十倍にも強くします。
下船渡仮設住宅で出会ったレン君。
ちょっぴり人見知りなところが可愛かった(^o^)
オッチャンみたいにイッパイ食べてスクスクと、そして、プクプクと育つんやで☆
大船渡で出会った子供達には、ここで購入したお菓子をあげました。
このスーパー、本来はプラザホテルの向かい側の、この場所にありました。
シモダテさんやレン君が暮らしている下船渡仮設住宅は大船渡で一番支援の手が届いてないそうです。
時間の経過と共に同じ土地の中でも徐々に支援の行き届かなくなってきている仮設住宅があるのが現状です。
今回、大船渡で届けた灯油はポリタンク130缶分。
4ヶ所の仮設住宅を回って、残りは後日、大船渡市内の学童クラブに届けてもらいました。
(直接届けに行きたかったんやけど、この日は祝日で学童クラブが不在だったので後日届けてもらいました。)
大船渡灯油大作戦、終了!
ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました!
さてさて。
大船渡を発つ前に、お腹を空かせた八王子のポリタンク達を乗せた車は大船渡の名所『碁石浜』にある食堂へ!
途中、大船渡で最も被害が大きかった【西舘地区】を通りました。
今も行方不明の方々がいるこの地区は解散し、皆さんバラバラで生活しています。
食堂に到着すると10分ほど前に「ありがとうございました!」をした八木又商店チームもゴハン食べてました。笑
ここは観光客のみならず地元の方々にも馴染みのお店のようです。期待できそう!
メニューが豊富。
しかも、ジャケット写真(←サンプルの写真)見たら全部ジャケ買いしたくなるようなモノばっか!
迷う。。。迷うわ〜。。。
で、
三陸の海のオムニバス「海鮮丼」にしたわ。
(皆、海鮮系メニューをチョイスするなか亮はまさかのヒレカツ定食!笑)
1品だけで終わりかと思いきやホルモンメンバーそれぞれ、さらにラーメンを追加オーダー。笑
オッサン、オバハン、食欲旺盛!
『食に対してストイック』
このように言い訳させて下さいませ。
食堂の前に広がるこの壮大で美しい三陸の大海原に共鳴するが如く、今まさに僕達の胃袋も広がっているのだ。
この美しい海が牙を剥いたなんて想像もつかない。
崖の上に建つこの食堂の赤いラインまで浸水して
店内はこのような状態に。
さっき通ってきた西舘地区の震災直後の写真もありました。
様々な逆境を乗り越え営業を再開して、この店を訪れた人達に至福の時間を与えてくれる「お食事処 岬」
美味しかった!メッチャ美味しかったです!
ごちそうさまでした☆☆☆
大船渡の皆と挨拶を交わし、出発した俺達は陸前高田〜気仙沼〜南三陸を通って宿泊先へ移動することにしました。
走ること間もなく、陸前高田へ近づくにつれ景色は一変。
4階の高さまで津波が来たことを物語るマンション
そして車は市街地へ。
屋上の手すりまで浸水した市役所
被害の実情を知ってもらうため保存の声もあったけど、被災者の方々の感情を考え、解体工事が進んでいます。
市民会館
市の指定避難所だったここには多くの方々が避難してきたけど、館内は丸ごと浸水してしまいました。
道の駅「高田松原」
三連休だったこの日。本来なら、多くの人でにぎわってたんだろうな…。
たくさんの重機が解体工事・ガレキ撤去をするけたたましい音。
市街地跡を走る数多くの工事車両の音。
三連休最終日のこの日、陸前高田市街地の"今"に響いていました。
そして、俺達は気仙沼へ。
水産工場が立ち並んでいたこの辺りは、一面焼け野原になってしまいました。
俺達は津波によって市街の中心部まで流され座礁したタンカーの所へ行ってきました。
ここに到着した時間が、『2013年2月11日 14時46分』
震災から2年と11ヵ月のまさにその時。俺達はここにいました。
偶然とも必然とも思えるような気持ちを抱きつつ、タンカー前の献花台で手を合わせてきました。
ちなみに、ナヲが手を合わせてる様子が現地のカメラにバッチリ納められ、この日の夜のNHKニュースで流れたらしいわ(^^;
気仙沼をあとにした俺達は、
南三陸町 歌津地区を通り
町の主要施設が集中していた志津川地区へ。
南三陸の各地区は街ごと破壊されてしまい、町民の方々の約半数の安否が確認されていません。
全壊してしまった卸売市場
そして、
津波襲来の直前まで防災無線で町民の方々に避難を呼び掛け続けた遠藤さんをはじめ、ほとんどの方が果たすべき職責を全うし、その犠牲になってしまった防災対策庁舎へ行き、手を合わせてきました。
それが何だったのか分からなくなってしまった建物を僅かに残し、遥か向こうまで360度見渡す限り何も無くなり、さえぎるものなく吹く風の音以外はシーンと静まってしまった街に自分の足で立つと、果てしない絶望感がある。
生涯初めて訪れた場所で、それほど感じるとするなら、
自分の故郷が、今住んでる街が、無くなってしまうと一体どんな気持ちになるんだろうか…。
はっきりいって俺には想像もつかない。
この町の皆さんは今どんな気持ちで震災からの日々を暮らしてきたんだろうか…。
そして、これからは…。
防災対策庁舎の横にはこんなものがありました。
追伸。
大船渡では地元紙『岩手日報』『東海新報』が取材に来てくれました。
そしてTwitterで亮も触れてたけど、こんな記事がありました。
今回のツアーをやるにあたり俺達なりの支援活動をやろうということで、何をすればいいのか皆でいろいろ考えに考えた結果『灯油を届ける』ことにしました。
届けた方からのメッセージ、ホンマに心に染みます。
まだまだ寒い日が続きますので、お体にくれぐれも気をつけて下さいね。
〜今日の「俺たちの太」〜
北海道で皆が全力で寿司モードに突入するなか「ボク、マックでいいや。」
あげくの果てには「北海道のマックのポテトはちょっと違うはず…」との歴史的迷言まで。
名前は「ふとし」 食は「ほそし」
で、お馴染みの太様ですが、このツアーでは三陸の美味しい食材の力も相まって序盤から食べまくり。
この日も、、、
食べて!
食べて!
寝た〜!
2013年02月10日 16:46
気がつけば宮古4日目の朝を迎えました。笑
ツアーも含め、今までライブで同じ街にこんなに滞在したの沖縄と宮古くらいしかないかも。
さて、チェックアウトの時間。
1階へ下りるエレベーターが開く前、いや、むしろ2階あたりからすっかり"耳なじみ"となった豪快なあの声が聞こえてきた…
やっぱ社長だ!笑
せいちゃんとイトウ君も来てくれてました。
宮古のお土産として太田屋肉店特製「パンクロックカレー」を頂きました☆
さんざん胃も心も(笑)お腹イッパイなほどおもてなししてもらった上にお土産まで!
ホントにありがとうございます!
ツアー初日にしていきなりファイナル感がにじみ出て、出発する時ちょっと淋しかった(;_;)
しばしこの地を離れますが、また宮古に帰ってくるよ!いってきます!
そして、我々は次なる街、大船渡へ移動。
津波の傷痕が残る海沿い・川沿いの地域を走ります。
あの日、ほんの数秒前までいつもの風景が広がってた街を、街全体を飲み込んだ津波が、建物を、人々の日常を、思い出を、未来をあっという間に奪い去ってしまったのです。
そんななかにも、
「ご支援ありがとうございます 恩返し致します 気をつけてお帰り下さい」
日本中・世界中から寄せられた温かい支援への感謝の気持ちが込められた看板がいろんなところに立っていました。
思い出は心のなかに宿ります。
嬉しいこと。楽しいこと。
そして、辛く悲しいことも。
振り返ると心がギューっと痛む過去は絶対に消えません。変えることもできません。
でも、ここから先の未来はいくらだって創り上げられる。俺は絶対そう思う。
そしてそれは、歯をくいしばって生き抜いてる被災地の方々・俺達・そしてこれを読んでくれてるアナタ、皆で創り上げる未来。皆で創り上げられる未来。
大船渡への道中、我々は大槌町を訪れました。
ここは街全体が壊滅的な被害にあいました。
俺達は、この街にある『復興食道』に行き、毎年盛岡で開催されてる『いしがきミュージックフェスティバル』の運営委員長であるゲンさんとお会いしました。
ゲンさんは、もともと盛岡の方なんやけど、震災後、大槌町に移住して復興活動に従事しています。
ゲンさんから大槌のお話しをいろいろ伺うなかで、地元大槌の皆さんが震災以来、支援してくれてる日本中・世界中に、
「みなさんのおかげで今こうして生きてます!」
「本当にありがとうございました!」
「こんなにもみなさんのおかげで笑顔が戻りましたよ!」
この想いを伝えたい!ということから行った『OHTSUCHI ARIGATO ROCK FESTIVAL 2012』のお話しを伺いました。
復興支援として被災地に向けたイベント行事はたくさん行われてるけど、こうして被災地からメッセージを発信していくイベントがあることに非常に感銘を覚えました。
このフェスにはTHE STREET BEATS、SA、THE MACKSHOWなどがやって来てくれて、地元バンドなどと共に大いに盛り上がったそうです。
(ちなみに、THE STREET BEATSのオキさんは震災直後から頻繁に大槌に来ており、ここの人達と強いつながりがあることからチャリティーコラボTシャツも作成してます)
そのフェスの最後に【ありがとう花火】と名付けられた花火が打ち上げられたんやけど、これは大槌町の皆さんから募った募金で打ち上げられた花火なんだそうです!
しかも、その数600発!
町民の皆さんの気持ちがたっぷり詰め込まれた花火が花開くたびに、町民の皆さんから「ありがとう!」という大きな声がたくさんあがったそうです。
音楽以外にもいろいろとプロジェクトが立ち上がってます。
震災後、大槌町内にあった5つの学校が被災し、被災をまぬがれた学校も仮設住宅として活用されてるため、子供達が運動できるグランドが2ヵ所しかないことから、思いっきり走り回って、遊んで、寝転がれるグランドを皆の力で作ろうというプロジェクト『大槌にグランドを作ろう』
そして、
バスケットコートを屋外に作ろうという『花道プロジェクト』
(このコートから桜木花道を越える天才バスケットマンが誕生することを楽しみにしてます!)
その他にも様々なプロジェクトが進行中です。
そして、もう1人、ここに俺達が来るを待ってくれてた方とお会いしました。
大槌町出身で、震災後、釜石市に住んでらっしゃる平野さんです。
ご自身も現役格闘家の平野さん、釜石市内で『GRAACA(グラアカ) 釜石ベース』というジムを開設しています。
このジムを開設するにあたり"神の子"山本KID徳郁選手から必要な道具を寄贈してもらったそうです。
そのKID選手をはじめ"4 Times Champion"アーネストホースト選手などが教室を開いてくれたり、俺もライブで着用してるreversal、そしてMOBSTYLES、inspiritなどの格闘技系アパレルの協力も受けつつ、釜石の地で日々皆さんが汗を流してます。
俺も次はGRAACAにお邪魔して皆さんと一緒に汗流してみたいです!
大槌を発ち釜石を経て、ツアー2ヶ所目、大船渡に到着!
昨年4月、Zepp SENDAIにて行われた『PANTS SPRING 2012 in 東北』の時に対バンしたIdolPunchを介して東北ライブハウス大作戦 大船渡支部の皆と出会ったんやけど、その時はまだ「ライブハウス完成はまだまだこれから」って状況だったんだよな〜。
完成した大船渡FREAKS、ようやく来たぞー!
大船渡駅前に広がる商店街のなかにあった建物の2階部分、もともと飲み屋が入ってた所が現在のFREAKSです。
津波によって大船渡駅周辺は壊滅状態に。
ライブハウス周辺はこのような状況。
FREAKSのある建物の屋上にもともとあって、津波に流されずに残っていたプレハブに店長オキナワが1人で寝泊まりしてコツコツ作り上げっていったライブハウスなんです!
顔がこんなデザインと濃度だもんで"オキナワ"って呼ばれてます。笑
そんなオキナワが俺達を屋上に案内してくれるってことで、階段を上ってるとこの建物が津波に浸水したラインが残ってました。
建物の3階相当の高さの津波がこの街を飲み込んでしまったわけです…。
屋上でオキナワから、ありし日の状況を教えてもらいながら、すっかり姿を変えてしまった街の現状をしっかり受け止めてきました。
大船渡駅前跡
ホームとロータリーの名残から、ここが大船渡駅だったことが、かろうじてうかがえるけど、話を聞かないと正直わからなかったかもしれない。。
列車の到着しなくなった駅のロータリー跡には、今も客待ちのタクシーが停まってます。
駅前商店街跡
ここには数多くの店が連なり、人々の暮らしを支え、街はにぎわいをみせていたのだろう。
大船渡のみならず被災地では、震災による地盤沈下が深刻な状況で、沿岸部では潮が満ちてくると海水で街が冠水してしまいます。
俺達が屋上に上がった時、ちょうどこれから満潮になっていくタイミングで、海水がどんどん街中へと流れ込んできてました。
特に大潮の際は、ライブハウス一帯は一面冠水してしまうそうです。
さらに、市民の方から提供してもらったFREAKSの建物が津波に襲われた写真を見せてもらいました。
(茶色い建物がオキナワが寝泊まりしてたプレハブ。現在は取り壊してます。)
いつか必ずその活気を・輝きを取り戻す駅前の景色。
その復興への道のりの、先頭に立つ旗頭ともいうべきFREAKSにホルモン&くるり見参!
と、いうことで。
この日の大船渡爆裂GIGの模様は"ROCKIN'ON JAPAN 2月末発売号"にて、がっつりライブレポートが載ってますので、そちらを御覧ください!
大船渡、ホンマありがとう!
もうすでに、またここでライブやりたい禁断症状が出てるくらい(笑)すっかり大船渡FREAKS中毒。
"厚木シロコロホルモン"
ならぬ
"大船渡コロコロホルモン"
やみつきです(^^)
ライブ後は、くるりチーム・東北ライブハウス大作戦 大船渡支部の皆と打ち上がり、大船渡の夜はふけていきます…
打ち上げ後、ホテルまでの帰り道、1人で遠回りして商店街跡を歩いて帰りました。
これ実は街灯の土台。
土台から上は津波で流されてしまい、新設された街灯に照らされていました。
数メートルおきに立ち並ぶ残された土台たちが、ここに商店街があったことを伝えてくれてます。
人通りは無く、時折通過する車のヘッドライトと街灯が照らしてくれるわずかな空間以外は暗く静寂に包まれたかつての商店街。
薄暗くなった駅のロータリー跡には、この時間も客待ちのタクシーが停まっていました。
追伸。
大船渡FREAKSでも木札作戦やってきました。
むむ?
「難波」「ツネオカアキラ」「横山健」
ワオーッ!ハイスタ!
ここにしようかな。グヘヘ。笑
(ツネさん、ホントすいません!)
てことで。
ハイスタのお隣にホルモンメンバーを並べてもらいました。
〜今日の「俺たちの太」〜
太様は最近、ことあるごとにお菓子を僕達にくれます。
そのため付いたアダ名が『お菓子オジサン』
お菓子オジサンのくれるお菓子はどれもこれも美味しいんです♪
ぼくたち、おかしおじさん、だ〜いすき\(^-^)/
この日、大船渡でもお菓子オジサン登場!
今日は、僕達が1発で魅了された"ぽってりショコラ"ポッキーをくれました(^^)
おじさん、ありがと〜!
またきてね〜!
ん(・・;)?
お菓子オジサンの後ろに怪しい人影、、、
岸田さん!笑
お菓子オジサン feat.電車オジサン
大船渡で夢の共演☆
2013年02月09日 23:22
『とうほく元気です!TV』見てたら、タイムリーに宮古が取り上げられてたので、興味津々で見てました。
前日、皆で行った「浄土が浜」から始まり「魚菜市場」そして前回紹介した安倍屋と同じく宮古の有名老舗ラーメン店「たらふく」が取り上げられてました。
さてと、、、
宮古入り初日。
宮古の仲間達とたらふく食べて飲んで大いに笑う。
2日目。
灯油大作戦を行い、夜はくるりチームと一緒にたらふく食べる。
そして、宮古に来て3日目。
ようやくライブっていうね(^^;笑
ようやくライブ。
ようやく「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」に来ることができました!
楽屋に入ろうとしたら、
素敵なイラストがお出迎え。
ちなみに、このイラストは札幌のイラストレーターの方が書いてくれてるそうなんやけど、クオリティ高すぎ(>_<)
他のイラストも見たんやけど、どのバンドメンバーも特徴をちゃんと捉えてあってソックリ!
なかでもlocofrankのは似すぎてて満点大笑い。
真ん中に描かれたシンガーベーシスト(←数年前に自分のパートのことをこう言ってた)のマサユキ、顔長っ!笑
あえていうなら、マサユキの右側に描かれたドラムのTATSUYAさん、、、の、、、
アゴのライン、、、
もうちょい"ポリンキー"みたくシャープに"ポリンキって"ていいかと。。
なにせ、彼のアゴのコードナンバーは【4890】ですから。。
で、楽屋に入ったらこんな感じ。
俺達のカレンダーにかかるように書かれた細美さん(the HIATUS)とTHE BACKHORNのサイン。
これでこのカレンダーは2013年以降も剥がせまい!笑
そんで、亮のツイートにもあった、前日がここでライブだったSiMとHEY-SMITHからのメッセージが。(あれ?COUNTRY YARDも一緒にいたはずですが…笑)
コチラの方は俺達が帰ったらすぐに剥がしといて下さい。笑
さらに、楽屋には前日、鍬ヶ崎仮設住宅で出会ったホックンの会社の弁当がバッチリありました(^^)
かなりゴージャスな弁当!特に焼魚メッチャ美味しかったよ☆☆☆
ライブハウスのホール内の壁には、東北ライブハウス大作戦に賛同いただける方に1口¥5000での募金協力をお願いしてて、募金してもらった方の名前を木札に記載して、それを張りつけて宮古・大船渡・石巻のライブハウス内の壁を皆からの木札で作っていくという木札作戦によって募られたたくさんの木札がビッシリ。
俺達も木札作戦やってきました!
亮は、、、
割り箸かーい!!!!笑
あつらえたようにちょうど良い隙間があったので、そちらへ。笑
ブートレグ木札だけじゃなく、あとからオフィシャル木札にもキチンと名前をしたためましたので、あしからず。
あ、しみゆうも!
今回のツアーは、全ヵ所「くるり」と廻ります。
やったね☆
これまで、フェスで同じ日ってのはあったけど、ガッツリとした対バンは今回が初めて。
しかもいきなり4ヵ所。
俺が言うのも何やけど、宮古・大船渡・石巻・仙台の君達うらやましいぞ!笑
タモリ倶楽部で電車に関する時に出演することでもお馴染みの鉄道マニアの岸田さん。
この日、早起きして三陸鉄道に乗ってきたそうです。笑
「三陸鉄道応援切符」も購入されてました。
震災により甚大な被害をうけた三陸鉄道は第三セクターの鉄道会社として、社員総出で復旧に向けて進んでおり、国や県の支援もあり、現在北リアス線の久慈〜田野畑駅と小本〜宮古間が復旧してます。
平成26年4月に北リアス線・南リアス 線全線の運転再開を予定しているそうです。
岸田さんも購入した応援切符は、売り上げ全額を三陸鉄道の収入にできるよう小学館から制作費などを支援されてて、三陸鉄道久慈・宮古駅及び通販で購入可能です。
以上、実はちょっと鉄道好き、プチ鉄・津田大輔からのお知らせでした。
開場時刻を過ぎるとあっという間にギッシリのライブハウス。
ちょいちょいカメラ目線気味な人がいますが、壁の木札を見てるのであって、自己アピールではごぜいません…。
さぁ!"俺たちの太2013〜東北ライブハウス大作戦ツアー〜"の幕開け!
今回くるりはギターの吉田省念さんが私用で(笑)全ヵ所欠席のため、4人でのライブ。
けど、全然それを感じさせないライブ。
くるり然としたライブが初めて宮古に響く。
ええわ〜。気持ちええわ〜。
"はんなりゆるり"とした世界観を"こってりどろり"した世界に塗り替えるべくホルモン宮古の地、記念すべき第1歩目のライブ!
「待ってました!」のぶつかり合いで、いきなり沸点。
2曲くらい終わった段階ですっかり蒸し風呂。
「COUNTER ACTION MIYAKOの湯」誕生。
ええわ〜。気持ちええわ〜。
これこれ!顔と顔とが至近距離のライブってやっぱテンション上がる!
ただね…
宮古に来てから宮古の皆の手厚い歓迎に喰いだおれすぎて、明らかにお腹が重たい(-_-;)
ある意味、腹ペコ諸君と腹パンパンおじさん達の肉弾戦。笑
こっちに目一杯ぶつかってくる腹ペコ諸君に紛れて、昨日と一昨日に食べたモノがチラチラと走馬灯に様に浮かんでは消えていったわ。笑
まぁ、この日はライブハウスに集結した皆のデカい声・グチャグチャな顔・突き上げられた拳の手厚い歓迎にお腹いっぱいになったけどね!
宮古、ありがとう!!!!
太田社長をはじめ、せいちゃんや心熱き宮古の仲間達が作り上げた素晴らしき城、KLUB COUNTER ACTION MIYAKOをがっつり盛り上げて、どこにも負けない誇れる場所へと築き上げてこーぜ!
岩手といえばココ!ってぐらいにね。
あんまり言いすぎると、盛岡club changeWAVEの店長クロちゃんに「盛岡は!?怒」ってゲンコツくらわされそうなんで、このくらいにしときます。笑
(実際、ライブ前日、ゴハン食べてるとこにクロちゃんも来てくれて俺達が宮古のことを良くいうたびに「盛岡忘れんなよ!」って言ってたし…笑)
ライブの後は「七厘焼肉 もりもり」でガッツリ食べまくりました♪
どの肉食べても美味しいんやけど、特にホルモン系の肉、メッチャ美味しかった(o^〜^o)
結局宮古ではライブしてる時と灯油を届けに行ってる時以外は、ずっと食べてたようなもんですね。笑
そうそう!"もりもり"の店員さんの中に、以前、INDIES ROCK MAGAZINEとのコラボ企画で全国で3名しかいない「ぶっ生き返すツアー」の全公演をタダで見れる『プラチナパス』が当たった子がいたんです!!!!
イトウ君です。
ちなみに、プラチナパスに載ってる顔写真を見てみたんやけど、現在のイトウ君から当時の面影一切なし!笑
今あるのはハシダスガコ先生の面影のみ!
その当時より20kg増の、今では立派な太田社長ファミリーのフォルムです。笑
イトウ君もいろいろありがとう!
そんなこんなで、にぎやかに、にぎやかに…。
宮古の夜は愉快な仲間たちと共に流れていきました。
追伸。
俺達もライブハウスを出る前に翌日ここでライブでやるGOOD4NOTHING、HOTSQUALLそして地元宮古期待のホープHUMPTY DUMPTYにメッセージを残して帰りました。
届け!
隣がAIR JAMだけにね。笑
〜今日の「俺たちの太」〜
本日、太様はライブでした。
宮古でハッスルする太様でありました。
前日、皆で行った「浄土が浜」から始まり「魚菜市場」そして前回紹介した安倍屋と同じく宮古の有名老舗ラーメン店「たらふく」が取り上げられてました。
さてと、、、
宮古入り初日。
宮古の仲間達とたらふく食べて飲んで大いに笑う。
2日目。
灯油大作戦を行い、夜はくるりチームと一緒にたらふく食べる。
そして、宮古に来て3日目。
ようやくライブっていうね(^^;笑
ようやくライブ。
ようやく「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」に来ることができました!
楽屋に入ろうとしたら、
素敵なイラストがお出迎え。
ちなみに、このイラストは札幌のイラストレーターの方が書いてくれてるそうなんやけど、クオリティ高すぎ(>_<)
他のイラストも見たんやけど、どのバンドメンバーも特徴をちゃんと捉えてあってソックリ!
なかでもlocofrankのは似すぎてて満点大笑い。
真ん中に描かれたシンガーベーシスト(←数年前に自分のパートのことをこう言ってた)のマサユキ、顔長っ!笑
あえていうなら、マサユキの右側に描かれたドラムのTATSUYAさん、、、の、、、
アゴのライン、、、
もうちょい"ポリンキー"みたくシャープに"ポリンキって"ていいかと。。
なにせ、彼のアゴのコードナンバーは【4890】ですから。。
で、楽屋に入ったらこんな感じ。
俺達のカレンダーにかかるように書かれた細美さん(the HIATUS)とTHE BACKHORNのサイン。
これでこのカレンダーは2013年以降も剥がせまい!笑
そんで、亮のツイートにもあった、前日がここでライブだったSiMとHEY-SMITHからのメッセージが。(あれ?COUNTRY YARDも一緒にいたはずですが…笑)
コチラの方は俺達が帰ったらすぐに剥がしといて下さい。笑
さらに、楽屋には前日、鍬ヶ崎仮設住宅で出会ったホックンの会社の弁当がバッチリありました(^^)
かなりゴージャスな弁当!特に焼魚メッチャ美味しかったよ☆☆☆
ライブハウスのホール内の壁には、東北ライブハウス大作戦に賛同いただける方に1口¥5000での募金協力をお願いしてて、募金してもらった方の名前を木札に記載して、それを張りつけて宮古・大船渡・石巻のライブハウス内の壁を皆からの木札で作っていくという木札作戦によって募られたたくさんの木札がビッシリ。
俺達も木札作戦やってきました!
亮は、、、
割り箸かーい!!!!笑
あつらえたようにちょうど良い隙間があったので、そちらへ。笑
ブートレグ木札だけじゃなく、あとからオフィシャル木札にもキチンと名前をしたためましたので、あしからず。
あ、しみゆうも!
今回のツアーは、全ヵ所「くるり」と廻ります。
やったね☆
これまで、フェスで同じ日ってのはあったけど、ガッツリとした対バンは今回が初めて。
しかもいきなり4ヵ所。
俺が言うのも何やけど、宮古・大船渡・石巻・仙台の君達うらやましいぞ!笑
タモリ倶楽部で電車に関する時に出演することでもお馴染みの鉄道マニアの岸田さん。
この日、早起きして三陸鉄道に乗ってきたそうです。笑
「三陸鉄道応援切符」も購入されてました。
震災により甚大な被害をうけた三陸鉄道は第三セクターの鉄道会社として、社員総出で復旧に向けて進んでおり、国や県の支援もあり、現在北リアス線の久慈〜田野畑駅と小本〜宮古間が復旧してます。
平成26年4月に北リアス線・南リアス 線全線の運転再開を予定しているそうです。
岸田さんも購入した応援切符は、売り上げ全額を三陸鉄道の収入にできるよう小学館から制作費などを支援されてて、三陸鉄道久慈・宮古駅及び通販で購入可能です。
以上、実はちょっと鉄道好き、プチ鉄・津田大輔からのお知らせでした。
開場時刻を過ぎるとあっという間にギッシリのライブハウス。
ちょいちょいカメラ目線気味な人がいますが、壁の木札を見てるのであって、自己アピールではごぜいません…。
さぁ!"俺たちの太2013〜東北ライブハウス大作戦ツアー〜"の幕開け!
今回くるりはギターの吉田省念さんが私用で(笑)全ヵ所欠席のため、4人でのライブ。
けど、全然それを感じさせないライブ。
くるり然としたライブが初めて宮古に響く。
ええわ〜。気持ちええわ〜。
"はんなりゆるり"とした世界観を"こってりどろり"した世界に塗り替えるべくホルモン宮古の地、記念すべき第1歩目のライブ!
「待ってました!」のぶつかり合いで、いきなり沸点。
2曲くらい終わった段階ですっかり蒸し風呂。
「COUNTER ACTION MIYAKOの湯」誕生。
ええわ〜。気持ちええわ〜。
これこれ!顔と顔とが至近距離のライブってやっぱテンション上がる!
ただね…
宮古に来てから宮古の皆の手厚い歓迎に喰いだおれすぎて、明らかにお腹が重たい(-_-;)
ある意味、腹ペコ諸君と腹パンパンおじさん達の肉弾戦。笑
こっちに目一杯ぶつかってくる腹ペコ諸君に紛れて、昨日と一昨日に食べたモノがチラチラと走馬灯に様に浮かんでは消えていったわ。笑
まぁ、この日はライブハウスに集結した皆のデカい声・グチャグチャな顔・突き上げられた拳の手厚い歓迎にお腹いっぱいになったけどね!
宮古、ありがとう!!!!
太田社長をはじめ、せいちゃんや心熱き宮古の仲間達が作り上げた素晴らしき城、KLUB COUNTER ACTION MIYAKOをがっつり盛り上げて、どこにも負けない誇れる場所へと築き上げてこーぜ!
岩手といえばココ!ってぐらいにね。
あんまり言いすぎると、盛岡club changeWAVEの店長クロちゃんに「盛岡は!?怒」ってゲンコツくらわされそうなんで、このくらいにしときます。笑
(実際、ライブ前日、ゴハン食べてるとこにクロちゃんも来てくれて俺達が宮古のことを良くいうたびに「盛岡忘れんなよ!」って言ってたし…笑)
ライブの後は「七厘焼肉 もりもり」でガッツリ食べまくりました♪
どの肉食べても美味しいんやけど、特にホルモン系の肉、メッチャ美味しかった(o^〜^o)
結局宮古ではライブしてる時と灯油を届けに行ってる時以外は、ずっと食べてたようなもんですね。笑
そうそう!"もりもり"の店員さんの中に、以前、INDIES ROCK MAGAZINEとのコラボ企画で全国で3名しかいない「ぶっ生き返すツアー」の全公演をタダで見れる『プラチナパス』が当たった子がいたんです!!!!
イトウ君です。
ちなみに、プラチナパスに載ってる顔写真を見てみたんやけど、現在のイトウ君から当時の面影一切なし!笑
今あるのはハシダスガコ先生の面影のみ!
その当時より20kg増の、今では立派な太田社長ファミリーのフォルムです。笑
イトウ君もいろいろありがとう!
そんなこんなで、にぎやかに、にぎやかに…。
宮古の夜は愉快な仲間たちと共に流れていきました。
追伸。
俺達もライブハウスを出る前に翌日ここでライブでやるGOOD4NOTHING、HOTSQUALLそして地元宮古期待のホープHUMPTY DUMPTYにメッセージを残して帰りました。
届け!
隣がAIR JAMだけにね。笑
〜今日の「俺たちの太」〜
本日、太様はライブでした。
宮古でハッスルする太様でありました。
2013年02月08日 03:22
いっきなり余談から始めるけど、ツアーとかでいろんな土地へ行った際の個人的な楽しみがあります。
『地元のワイドショーを観ること』
まー、基本的にワイドショー好きで、全国ネットのワイドショーも面白いんやけど、その土地ローカルの地域密着型なワイドショー、これがまたオツなもんなんです(^^)
今朝は『じゃじゃじゃフライデー』を観てました。
そんな2月9日(じゃじゃじゃフライデー)にいよいよ敢行されるのが『ホルモンの東北灯油大作戦 宮古編』でございます!
ここで改めて『ホルモンの東北灯油大作戦』についておさらいをしときますと、、、
「俺たちの太2013〜東北ライブハウス大作戦ツアー〜」において宮古・大船渡・石巻でライブを行うにあたり、その際に俺達なりの支援活動として、寒さの厳しい東北地方の被災地で"灯油を無料配布"するという『ホルモンの東北灯油大作戦』を行うことにしました。
そして、昨年の12月29日COUNTDOWN JAPAN12/13のホルモン物販スペースにてホルモンの東北灯油大作戦に向けた支援タオル(GET UP PEOPLE!!タオル)を販売したところ、お陰様でこの日販売した支援タオルは完売しました。
皆さん、ありがとうございましたm(__)m
この支援タオル全ての利益を宮古・大船渡・石巻での支援にあてさせてもらいます。
言い換えるなら、皆さんからの"真心"を俺達が代表して宮古・大船渡・石巻に届けたいと思っています。
なお、現地の経済を回すという意味で灯油はそれぞれ現地で購入します。
さぁ、まずは宮古灯油大作戦!
この日まで宮古における様々な応対で俺達と連絡を取り合ってくれてたのが、東北ライブハウス大作戦宮古支部 KLUB COUNTER ACTION MIYAKOの"せいちゃん"
ね、だいぶポッチャリやろ。笑
俺の1コ下やけど、そのフォルム同様かなり頼もしく愉快で熱い男です☆
こう見えて彼はナマモノが苦手で、生魚も苦手なモノが多く、刺身は基本的にタコ専門。最近イカ刺しを覚えたとのこと。
美味しい海の幸が豊富な三陸の街にいながらもったいない(>_<)
そして、今回せいちゃんとツートップ体制で俺達の宮古でのライブそして灯油大作戦に協力してくれてるのが、KLUB COUNTER ACTION MIYAKOのオーナーの太田社長
地元宮古で「太田屋肉店」や「七厘焼肉 もりもり」を営む太田社長。
写真じゃ伝わりにくいけどポッチャリです。笑
俺の10コ上やけど、重戦車のような豪快さがあるかと思えば、皆に対する細かい配慮が半端ない素晴らしいアニキです☆
ちなみに、社長と俺は同じ9月13日生まれ!
これには2人でハイタッチ!
そして、今回、灯油大作戦をやるにあたり協力してくれる灯油業者さんは、なんと!社長の元バンドメンバーであるトッキさん。
恐るべき宮古コミュニティ!
ちなみに、そのバンドには宮古出身で俺の大好きなGREAT PUNKS、雷矢のボーカルのヤスオさんもいたそうです。
行きつけのサウナが俺と同じサウナメイトとも言えるヤスオさんは俺達が宮古に行くっていうことを知り、社長に「ホルモンもう着いた?」とかいろいろ気にかけてくれてホンマ嬉しいです!
宮古コミュニティの強力なバックアップのもと、"もりもり"の駐車場に全員集合して、いざ!宮古灯油大作戦スタート!
皮下脂肪という天然のダウンも東北の寒さには歯がたたないので、防寒対策もバッチリの贅肉少女帯a.k.a.マキシマムザホルモン。
(ただし、上ちゃんは脂肪分少なめのササミストリートですが…)
スッキリ晴れてるのに雪が舞い散る不思議な天候。
昨日よりも寒いかも。。。
今年は例年にも増して寒さが厳しく灯油の消費量も増え、それに伴い灯油の値段も高騰しています。
少しでも現地の皆さんのお役に立てるよう灯油を届けに行きまっせ〜!
と思いきや、、、、
( ̄▽ ̄;)!!
Twitterに本人もツイートしてますが、灯油大作戦前夜、宮古の魅力にテンションが上がってハシャギすぎた亮さん、"宮古二日酔い大作戦"のようです…。
焼肉"もりもり"の向かい側で、もりもりリバース「もりもリバース」した亮さんを乗せ、我々は最初の目的地へ。
まず最初に届けに行ったのは『佐原第二仮設住宅』
ここでは11世帯が暮らしています。
1軒ずつ玄関先まで灯油の入ったポリタンクを持って行って、ご挨拶をしながら渡していきます。
あいにく留守にしているお宅があった場合は、、、
この紙と一緒にポリタンクをそれぞれのお宅の玄関先に置かせてもらいます。
当日お留守にしてるお宅があった場合のポリタンクの保管方法について、宮古で届けに行く先々の方に確認を取ったら「玄関先で大丈夫ですよ。」とのことなので宮古ではこのような形をとらせてもらいました。
(最初この返答をもらった時はちょっと惑ったんやけど、昨日せいちゃんや社長と会話してるなかで「ここら辺の人達は誰も人様の家のモノを盗むなんてことしない。なんなら盗みに入っても、このウチには○○が足りないから○○を置いていってやろう、っていうぐらいだよ(笑)」って言葉聞いて安心したのよ)
灯油を届けに行った先のお宅にお子さんがいたら、灯油と一緒にお菓子もあげようとことにしました。
もちろん、このお菓子も現地で購入します。
宮古入りした7日に、ここで購入しました。
ちなみに、暖房をエアコンなどでまかなっており灯油を使用していないお宅があった場合には、お茶・紅茶・お味噌汁など保存の効くものをいくつか詰め合わせて渡していきます。
小学生のお子さんが2人いるノザキさん宅では灯油もメッチャ喜んでもらえたし、お菓子も喜んでもらえました(^^)
ノザキさんもしっかりメタルポーズ。笑
ちなみに、この仮設住宅に、、、
このようなベンチとテーブルが設置されてたんやけど、これ実は、俺がかつて在籍していた東方神起が宮古市内の仮設住宅に寄贈したものなんだそうです。
アイツらときたら、、、やりやがるぜ。
(この先訪問した仮設住宅でも、これが設置されてました)
続いて届けに行ったのは『佐原第一仮設住宅』
写真左側に子供が遊べる丘のようなものがあるのが分かると思うけど、ここは公園に建てられた仮設住宅で、ここでは11世帯が暮らしています。
皆さんのお宅へ灯油を持っていく!
ここでも灯油とお子さんへお菓子を差し上げると皆さんメッチャ喜んでくれました(^^)
社長が皆さんにメタルポーズのやり方を年配の方にも分かりやすいようにレクチャーしてくれました(笑)
皆さん、まだまだ寒い日が続きますがお身体お大事に、いつまでもお元気で☆
ちょうど俺達がここを出るのと入れ替わるようにして『復興支援 石焼き芋 』という看板を掲げた車がやって来ました。
どうやら無料で石焼き芋を配って回ってる車のようです。
ちなみに、その車のナンバーが「つくば」だったので、ひょっとすると茨城県から来たのかもしれません。
その光景に心が石焼き芋の様にホッコリしたのと同時に、石焼き芋から連想されてしまったからなのか(!?)プスーッとサイレント放屁かましてしまった(^^;
俺はせいちゃんの車に乗せてもらってたんやけど、スマン!せいちゃん!何も言わなくて!笑
放屁パワーで次なる目的地に、あっという間に到着。
次に届けに行ったのは『鍬ヶ崎仮設住宅』
1枚目の写真に校舎が確認できると思うけど、ここは小学校のグランドに建てられた仮設住宅で、ここでは29世帯が暮らしています。
ちなみに、グランド内に仮設住宅が建てられてる鍬ヶ崎小学校も津波被害にあったそうです。
フェンスにその名残がありました。
さて、俺達がここに灯油を届けに行くと談話室から数名のナイスマダム軍団がお出迎えしてくれました。
このマダム軍団、全員満場一致で元気ハツラツ。笑
口々に喋る喋る。笑
どこからそんな元気が湧いてくるのかっていうくらい元気ハツラツ。オロナミン・マダム。
皆さんの底抜けに明るくキラキラした笑顔、とってもチャーミングでした♪
鍬ヶ崎仮設住宅の素敵な太陽のマダム軍団、いつまでもお元気に朗らかでいて下さい\(^-^)/
マダム軍団とのご挨拶を終え灯油を配っていると、ナヲに「ちょっと来てー!」って呼ばれたので行ってみると、、、
俺達がここに灯油を届けに来るってことで、なんと!会社を早退して(←上司もホルモンファンで「そういうことだったらやむを得ん!」と了承してくれたそうです笑)ROLLING CRADLEのTシャツを着て待っててくれたナイスガイがいました(^^)
彼(ホックン)はここで1人暮らししてるそうです。
ちなみに、ライブ当日、楽屋に用意してもらう弁当はホックンの会社で作ってる弁当なんだって!
なんたるミラクル!
ホックンの会社の関係者各位。
ありがとうございますm(__)m
お弁当は美味しく頂きます!
鍬ヶ崎仮設住宅を後にして次の目的地へ移動する途中、宮古で最も津波被害の大きかった辺りを通りました。
あの日から間もなく2年が経とうとしている今、TVや紙面などでは見てきてはいたものの、実際にその状況を自分の目で見て、肌で感じるのはこれが初めて。
雑草が生い茂ってるとこも、更地となり今は駐車スペースになっているとこにも、かつては家や商店があり宮古の皆さんの心暖かい日常があったのだ。
「行ってみないと分からない」
いろんな人にそう言われた。
その言葉が脳裏に浮かび、その言葉を痛感した。
ここに来るのに約2年かかってしまったけど、俺達と宮古、そしてこの先に待ってくれてる大船渡も石巻もそう、これから続いていく。ここから続いていくのだ。
次に届けに行ったのは『熊野町鍬ヶ崎児童遊園仮設住宅』
その名前の通り、公園に建てられた仮設住宅で、ここでは18世帯が暮らしています。
俺達が到着すると皆さんが集まって来てくれました。
メタルポーズをレクチャーしていると「これは何のおまじないかね?」と年配の方に聞かれたので、、、
「若返りのおまじないです♪」
って答えました。笑
ここでも灯油とお子さんへお菓子差し上げてきました。
さて、次なる目的地へ行こうと思った矢先!
寒いなか一緒に手伝ってくれてたせいちゃんに異変が!
これぞ鼻水。
"This is 鼻水"な芸術点がすこぶる高すぎる鼻水インザハウス。
せいちゃん、やるなー。笑
鼻水と俺を乗せたせいちゃんの車を含む我々一行が次の目的地に行く途中にあった布団店。
さっき行った熊野町鍬ヶ崎児童遊園仮設住宅に住んでる方のお店で、以前BRAHMANが宮古に来た際、ここから布団を借りたそうです。
さて、次に届けに行ったのは『漁民住宅跡地/浄土ヶ浜仮設住宅』
ここでは19世帯が暮らしています。
勾配のキツい谷あいの場所にある仮設住宅だからなのか、他のとこよりも寒く感じられます。
降り積もった雪が氷ってツルッツル!
寒さにも負けず和気あいあいと「どんだけ〜精神」で進む我々IKKO。
撮影者:俺
別角度で、、、
撮影者:H.and.A
ここで灯油を配っていると、チビッ子を連れたヤングママさん達(サイトウさんとササキさん)が声をかけてくれました。
俺達がここに来るのを待っててくれてたんやけど、話を聞いてみるとササキさんはさっき行った鍬ヶ崎仮設住宅のホックンのお姉ちゃんでした!
(マスクしてるのがホックンの姉のササキさん。
念のため弟さんが会社を早退した事を報告しておきました。笑)
この子メッチャかわいかったぁ!!!
次の目的地へ向かう前に、社長とせいちゃんが宮古の名所『浄土が浜』を俺達に見せたいってことで案内してもらいました(^-^)/
名前には聞いたことはあった浄土が浜。
綺麗な海と自然が作り出した岩と白い浜が織り成す絶景。
しかし、今はこんなに美しい景色が広がってるけど、ここも津波被害にあっています。
浜に隣接されてるレストハウスにはそのことを伝えるものがありました。
ここを襲った津波の高さは青線の位置6.5mに及んだそうです。
今ではすっかり綺麗に甦ったレストハウスでお土産を物色。
俺は海の幸を使った珍味の他に、
仮設住宅に住む被災者の方々に仕事を提供し、収入を得られ働く喜びを生きがいへと繋げ希望を抱いてもらえるようにと経済支援を目的とした復興プロジェクト「かけあしの会」の方々が生産した塩サイダーと宮古の塩ストラップを購入。
一息ついて次に届けに行ったのは『浄土が浜第三駐車場/日立浜仮設住宅』
ここでは24世帯が暮らしています。
俺達が到着すると、ここでも皆さんが集まって来てくれました。
ナヲの後ろのおじいちゃんカワイイ!
灯油を満載したローリーから空のポリタンクに灯油を入れて、満杯(18リットル)になったら持っていく。
こうして配布完了!
本来ならここが最終目的地だったんやけど、配り終えてもまだ若干灯油に余裕があったので社長の提案で『もっこ少女』という所に持っていくことにしました。
『もっこ少女』とは、、、
もともと年配の方々が多く生活してた高台にある集落で、幸いにして高台だったため直接的に津波被害はなったけど津波によって発生した大量のガレキによって集落までの道がふさがれてしまいライフラインを失ってしまったそうです。
そこへ近所にある鍬ヶ崎小学校(灯油を届けた鍬ヶ崎仮設住宅がグランド内に建てられてる学校)の生徒達が食料など生活に必要な物資を背中に背負って集落へ続く急な坂を登って届けてたという場所です。
山肌に沿うように密集している所が『もっこ少女』
車が入れないので近くまで行って、そこからは徒歩で行きます。
あらかじめ聞いてはいたけど、実際行ってみると想像以上の坂でした(^^;
ここを小学生達が物資を背負って坂を登ってたと思うと感慨もひとしお。
灯油の入ったポリタンクをここに住む社長の知り合いの方に預けてきました。
そして、これをもって宮古灯油大作戦終了!!!!
今回、宮古で届けた灯油は全部でポリタンク114缶分でした!
まずは宮古に皆さんからの真心を届けてきました!
協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
さぁ〜、作戦終了して皆でゴハン食べに行こうと思って車に乗るやいなや、その時カーステから流れてきたラジオ番組 エフエム岩手「ROCK ON THE FM!」で俺達のツアーのこと、そして灯油大作戦のことを詳細に紹介してくれて「ぶっ生き返す」までかけてくれたので、いてもたってもいられなくなり、いっきなりエフエム岩手に電話!笑
番組のディレクターさんに繋いでもらって、紹介してもらったお礼と宮古灯油大作戦終了の報告をしたところ、その後に番組内でちゃんと伝えてもらえました(^^)
とりあえず番組ディレクターさんもパーソナリティーさんも、いきなり本人から電話があったってことで非常にビックリしてたわ(^^;
そんなこんなで、無事終了した後に皆で訪れたのは、、、
安倍屋(あんばいや)というラーメン屋。
地元じゃ有名なお店らしいけど、最初は有名店だからこの店に来たかったわけではないんです。
実はこのお店、上ちゃんの奥さんのお父さんの同級生がやってるお店なんです!
で、せいちゃんとか社長に聞いてみたら地元の有名店だったっていうわけ。
しかも、ここのチャーシューは我らが太田社長の太田屋肉店のチャーシューを使用してるって!
てことで、店に着くと、せいちゃんが先に全員分の注文しててくれてたんやけど、自動的に太田屋肉店自慢のチャーシューをふんだんにあしらった「チャーシューワンタンメン」が出てくるシステムに。笑
現れたチャーシューワンタンメン。
細麺であっさりしてるんやけどスッキリとしたなかにキリッとした奥深さとまろやかな優しさを感じる至高の一杯。
そんでもって、チャーシューがこれまた絶品☆☆☆
ごちそうさまでした(o^〜^o)
(ちなみに、こちらでのお食事代は本日ダウンしてしまった亮さんが皆に申し訳ないとのことで全額お支払いしてくれました。笑)
今回のツアーは"支援"というのが1つのキーワードです。
ホルモンなりの支援を、ということで今回3ヵ所で行う東北灯油大作戦。
その1ヵ所目、宮古。
届けに行った先々で出会った皆さんは俺達が想像するよりもきっと何倍も辛く困難な状況を複雑な心境を抱えながら、前を向いて少しずつ歩を進めてる人達。
正直、俺達の方が恵まれた環境で日々過ごしてる。
それなのに「体に気をつけるんだよ」とか暖かい言葉をたくさんくれた。
皆さんの少しでも力になれれば、そう思って来たのになんだか俺達の方が背中を押されてる気もする。
負けちゃいられん!
俺は正直そう思った。
共に闘うんや。
それぞれがおかれた環境で頑張るんや。一緒に頑張るんや。
ここから始まった俺達なりの支援活動は間違いなくこれからも続いていきます。
〜今日の「俺たちの太」〜
浄土が浜でのヒトコマ。
ロッククライミングにお熱な太様はなにやらソワソワしたご様子。
もはや「上ちゃんを探せ!」みたいになってるけど、どうやら岩の感触を確めに行ったようです。
「登りたいな…」
そう小さくつぶやく太様でした。
『地元のワイドショーを観ること』
まー、基本的にワイドショー好きで、全国ネットのワイドショーも面白いんやけど、その土地ローカルの地域密着型なワイドショー、これがまたオツなもんなんです(^^)
今朝は『じゃじゃじゃフライデー』を観てました。
そんな2月9日(じゃじゃじゃフライデー)にいよいよ敢行されるのが『ホルモンの東北灯油大作戦 宮古編』でございます!
ここで改めて『ホルモンの東北灯油大作戦』についておさらいをしときますと、、、
「俺たちの太2013〜東北ライブハウス大作戦ツアー〜」において宮古・大船渡・石巻でライブを行うにあたり、その際に俺達なりの支援活動として、寒さの厳しい東北地方の被災地で"灯油を無料配布"するという『ホルモンの東北灯油大作戦』を行うことにしました。
そして、昨年の12月29日COUNTDOWN JAPAN12/13のホルモン物販スペースにてホルモンの東北灯油大作戦に向けた支援タオル(GET UP PEOPLE!!タオル)を販売したところ、お陰様でこの日販売した支援タオルは完売しました。
皆さん、ありがとうございましたm(__)m
この支援タオル全ての利益を宮古・大船渡・石巻での支援にあてさせてもらいます。
言い換えるなら、皆さんからの"真心"を俺達が代表して宮古・大船渡・石巻に届けたいと思っています。
なお、現地の経済を回すという意味で灯油はそれぞれ現地で購入します。
さぁ、まずは宮古灯油大作戦!
この日まで宮古における様々な応対で俺達と連絡を取り合ってくれてたのが、東北ライブハウス大作戦宮古支部 KLUB COUNTER ACTION MIYAKOの"せいちゃん"
ね、だいぶポッチャリやろ。笑
俺の1コ下やけど、そのフォルム同様かなり頼もしく愉快で熱い男です☆
こう見えて彼はナマモノが苦手で、生魚も苦手なモノが多く、刺身は基本的にタコ専門。最近イカ刺しを覚えたとのこと。
美味しい海の幸が豊富な三陸の街にいながらもったいない(>_<)
そして、今回せいちゃんとツートップ体制で俺達の宮古でのライブそして灯油大作戦に協力してくれてるのが、KLUB COUNTER ACTION MIYAKOのオーナーの太田社長
地元宮古で「太田屋肉店」や「七厘焼肉 もりもり」を営む太田社長。
写真じゃ伝わりにくいけどポッチャリです。笑
俺の10コ上やけど、重戦車のような豪快さがあるかと思えば、皆に対する細かい配慮が半端ない素晴らしいアニキです☆
ちなみに、社長と俺は同じ9月13日生まれ!
これには2人でハイタッチ!
そして、今回、灯油大作戦をやるにあたり協力してくれる灯油業者さんは、なんと!社長の元バンドメンバーであるトッキさん。
恐るべき宮古コミュニティ!
ちなみに、そのバンドには宮古出身で俺の大好きなGREAT PUNKS、雷矢のボーカルのヤスオさんもいたそうです。
行きつけのサウナが俺と同じサウナメイトとも言えるヤスオさんは俺達が宮古に行くっていうことを知り、社長に「ホルモンもう着いた?」とかいろいろ気にかけてくれてホンマ嬉しいです!
宮古コミュニティの強力なバックアップのもと、"もりもり"の駐車場に全員集合して、いざ!宮古灯油大作戦スタート!
皮下脂肪という天然のダウンも東北の寒さには歯がたたないので、防寒対策もバッチリの贅肉少女帯a.k.a.マキシマムザホルモン。
(ただし、上ちゃんは脂肪分少なめのササミストリートですが…)
スッキリ晴れてるのに雪が舞い散る不思議な天候。
昨日よりも寒いかも。。。
今年は例年にも増して寒さが厳しく灯油の消費量も増え、それに伴い灯油の値段も高騰しています。
少しでも現地の皆さんのお役に立てるよう灯油を届けに行きまっせ〜!
と思いきや、、、、
( ̄▽ ̄;)!!
Twitterに本人もツイートしてますが、灯油大作戦前夜、宮古の魅力にテンションが上がってハシャギすぎた亮さん、"宮古二日酔い大作戦"のようです…。
焼肉"もりもり"の向かい側で、もりもりリバース「もりもリバース」した亮さんを乗せ、我々は最初の目的地へ。
まず最初に届けに行ったのは『佐原第二仮設住宅』
ここでは11世帯が暮らしています。
1軒ずつ玄関先まで灯油の入ったポリタンクを持って行って、ご挨拶をしながら渡していきます。
あいにく留守にしているお宅があった場合は、、、
この紙と一緒にポリタンクをそれぞれのお宅の玄関先に置かせてもらいます。
当日お留守にしてるお宅があった場合のポリタンクの保管方法について、宮古で届けに行く先々の方に確認を取ったら「玄関先で大丈夫ですよ。」とのことなので宮古ではこのような形をとらせてもらいました。
(最初この返答をもらった時はちょっと惑ったんやけど、昨日せいちゃんや社長と会話してるなかで「ここら辺の人達は誰も人様の家のモノを盗むなんてことしない。なんなら盗みに入っても、このウチには○○が足りないから○○を置いていってやろう、っていうぐらいだよ(笑)」って言葉聞いて安心したのよ)
灯油を届けに行った先のお宅にお子さんがいたら、灯油と一緒にお菓子もあげようとことにしました。
もちろん、このお菓子も現地で購入します。
宮古入りした7日に、ここで購入しました。
ちなみに、暖房をエアコンなどでまかなっており灯油を使用していないお宅があった場合には、お茶・紅茶・お味噌汁など保存の効くものをいくつか詰め合わせて渡していきます。
小学生のお子さんが2人いるノザキさん宅では灯油もメッチャ喜んでもらえたし、お菓子も喜んでもらえました(^^)
ノザキさんもしっかりメタルポーズ。笑
ちなみに、この仮設住宅に、、、
このようなベンチとテーブルが設置されてたんやけど、これ実は、俺がかつて在籍していた東方神起が宮古市内の仮設住宅に寄贈したものなんだそうです。
アイツらときたら、、、やりやがるぜ。
(この先訪問した仮設住宅でも、これが設置されてました)
続いて届けに行ったのは『佐原第一仮設住宅』
写真左側に子供が遊べる丘のようなものがあるのが分かると思うけど、ここは公園に建てられた仮設住宅で、ここでは11世帯が暮らしています。
皆さんのお宅へ灯油を持っていく!
ここでも灯油とお子さんへお菓子を差し上げると皆さんメッチャ喜んでくれました(^^)
社長が皆さんにメタルポーズのやり方を年配の方にも分かりやすいようにレクチャーしてくれました(笑)
皆さん、まだまだ寒い日が続きますがお身体お大事に、いつまでもお元気で☆
ちょうど俺達がここを出るのと入れ替わるようにして『復興支援 石焼き芋 』という看板を掲げた車がやって来ました。
どうやら無料で石焼き芋を配って回ってる車のようです。
ちなみに、その車のナンバーが「つくば」だったので、ひょっとすると茨城県から来たのかもしれません。
その光景に心が石焼き芋の様にホッコリしたのと同時に、石焼き芋から連想されてしまったからなのか(!?)プスーッとサイレント放屁かましてしまった(^^;
俺はせいちゃんの車に乗せてもらってたんやけど、スマン!せいちゃん!何も言わなくて!笑
放屁パワーで次なる目的地に、あっという間に到着。
次に届けに行ったのは『鍬ヶ崎仮設住宅』
1枚目の写真に校舎が確認できると思うけど、ここは小学校のグランドに建てられた仮設住宅で、ここでは29世帯が暮らしています。
ちなみに、グランド内に仮設住宅が建てられてる鍬ヶ崎小学校も津波被害にあったそうです。
フェンスにその名残がありました。
さて、俺達がここに灯油を届けに行くと談話室から数名のナイスマダム軍団がお出迎えしてくれました。
このマダム軍団、全員満場一致で元気ハツラツ。笑
口々に喋る喋る。笑
どこからそんな元気が湧いてくるのかっていうくらい元気ハツラツ。オロナミン・マダム。
皆さんの底抜けに明るくキラキラした笑顔、とってもチャーミングでした♪
鍬ヶ崎仮設住宅の素敵な太陽のマダム軍団、いつまでもお元気に朗らかでいて下さい\(^-^)/
マダム軍団とのご挨拶を終え灯油を配っていると、ナヲに「ちょっと来てー!」って呼ばれたので行ってみると、、、
俺達がここに灯油を届けに来るってことで、なんと!会社を早退して(←上司もホルモンファンで「そういうことだったらやむを得ん!」と了承してくれたそうです笑)ROLLING CRADLEのTシャツを着て待っててくれたナイスガイがいました(^^)
彼(ホックン)はここで1人暮らししてるそうです。
ちなみに、ライブ当日、楽屋に用意してもらう弁当はホックンの会社で作ってる弁当なんだって!
なんたるミラクル!
ホックンの会社の関係者各位。
ありがとうございますm(__)m
お弁当は美味しく頂きます!
鍬ヶ崎仮設住宅を後にして次の目的地へ移動する途中、宮古で最も津波被害の大きかった辺りを通りました。
あの日から間もなく2年が経とうとしている今、TVや紙面などでは見てきてはいたものの、実際にその状況を自分の目で見て、肌で感じるのはこれが初めて。
雑草が生い茂ってるとこも、更地となり今は駐車スペースになっているとこにも、かつては家や商店があり宮古の皆さんの心暖かい日常があったのだ。
「行ってみないと分からない」
いろんな人にそう言われた。
その言葉が脳裏に浮かび、その言葉を痛感した。
ここに来るのに約2年かかってしまったけど、俺達と宮古、そしてこの先に待ってくれてる大船渡も石巻もそう、これから続いていく。ここから続いていくのだ。
次に届けに行ったのは『熊野町鍬ヶ崎児童遊園仮設住宅』
その名前の通り、公園に建てられた仮設住宅で、ここでは18世帯が暮らしています。
俺達が到着すると皆さんが集まって来てくれました。
メタルポーズをレクチャーしていると「これは何のおまじないかね?」と年配の方に聞かれたので、、、
「若返りのおまじないです♪」
って答えました。笑
ここでも灯油とお子さんへお菓子差し上げてきました。
さて、次なる目的地へ行こうと思った矢先!
寒いなか一緒に手伝ってくれてたせいちゃんに異変が!
これぞ鼻水。
"This is 鼻水"な芸術点がすこぶる高すぎる鼻水インザハウス。
せいちゃん、やるなー。笑
鼻水と俺を乗せたせいちゃんの車を含む我々一行が次の目的地に行く途中にあった布団店。
さっき行った熊野町鍬ヶ崎児童遊園仮設住宅に住んでる方のお店で、以前BRAHMANが宮古に来た際、ここから布団を借りたそうです。
さて、次に届けに行ったのは『漁民住宅跡地/浄土ヶ浜仮設住宅』
ここでは19世帯が暮らしています。
勾配のキツい谷あいの場所にある仮設住宅だからなのか、他のとこよりも寒く感じられます。
降り積もった雪が氷ってツルッツル!
寒さにも負けず和気あいあいと「どんだけ〜精神」で進む我々IKKO。
撮影者:俺
別角度で、、、
撮影者:H.and.A
ここで灯油を配っていると、チビッ子を連れたヤングママさん達(サイトウさんとササキさん)が声をかけてくれました。
俺達がここに来るのを待っててくれてたんやけど、話を聞いてみるとササキさんはさっき行った鍬ヶ崎仮設住宅のホックンのお姉ちゃんでした!
(マスクしてるのがホックンの姉のササキさん。
念のため弟さんが会社を早退した事を報告しておきました。笑)
この子メッチャかわいかったぁ!!!
次の目的地へ向かう前に、社長とせいちゃんが宮古の名所『浄土が浜』を俺達に見せたいってことで案内してもらいました(^-^)/
名前には聞いたことはあった浄土が浜。
綺麗な海と自然が作り出した岩と白い浜が織り成す絶景。
しかし、今はこんなに美しい景色が広がってるけど、ここも津波被害にあっています。
浜に隣接されてるレストハウスにはそのことを伝えるものがありました。
ここを襲った津波の高さは青線の位置6.5mに及んだそうです。
今ではすっかり綺麗に甦ったレストハウスでお土産を物色。
俺は海の幸を使った珍味の他に、
仮設住宅に住む被災者の方々に仕事を提供し、収入を得られ働く喜びを生きがいへと繋げ希望を抱いてもらえるようにと経済支援を目的とした復興プロジェクト「かけあしの会」の方々が生産した塩サイダーと宮古の塩ストラップを購入。
一息ついて次に届けに行ったのは『浄土が浜第三駐車場/日立浜仮設住宅』
ここでは24世帯が暮らしています。
俺達が到着すると、ここでも皆さんが集まって来てくれました。
ナヲの後ろのおじいちゃんカワイイ!
灯油を満載したローリーから空のポリタンクに灯油を入れて、満杯(18リットル)になったら持っていく。
こうして配布完了!
本来ならここが最終目的地だったんやけど、配り終えてもまだ若干灯油に余裕があったので社長の提案で『もっこ少女』という所に持っていくことにしました。
『もっこ少女』とは、、、
もともと年配の方々が多く生活してた高台にある集落で、幸いにして高台だったため直接的に津波被害はなったけど津波によって発生した大量のガレキによって集落までの道がふさがれてしまいライフラインを失ってしまったそうです。
そこへ近所にある鍬ヶ崎小学校(灯油を届けた鍬ヶ崎仮設住宅がグランド内に建てられてる学校)の生徒達が食料など生活に必要な物資を背中に背負って集落へ続く急な坂を登って届けてたという場所です。
山肌に沿うように密集している所が『もっこ少女』
車が入れないので近くまで行って、そこからは徒歩で行きます。
あらかじめ聞いてはいたけど、実際行ってみると想像以上の坂でした(^^;
ここを小学生達が物資を背負って坂を登ってたと思うと感慨もひとしお。
灯油の入ったポリタンクをここに住む社長の知り合いの方に預けてきました。
そして、これをもって宮古灯油大作戦終了!!!!
今回、宮古で届けた灯油は全部でポリタンク114缶分でした!
まずは宮古に皆さんからの真心を届けてきました!
協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
さぁ〜、作戦終了して皆でゴハン食べに行こうと思って車に乗るやいなや、その時カーステから流れてきたラジオ番組 エフエム岩手「ROCK ON THE FM!」で俺達のツアーのこと、そして灯油大作戦のことを詳細に紹介してくれて「ぶっ生き返す」までかけてくれたので、いてもたってもいられなくなり、いっきなりエフエム岩手に電話!笑
番組のディレクターさんに繋いでもらって、紹介してもらったお礼と宮古灯油大作戦終了の報告をしたところ、その後に番組内でちゃんと伝えてもらえました(^^)
とりあえず番組ディレクターさんもパーソナリティーさんも、いきなり本人から電話があったってことで非常にビックリしてたわ(^^;
そんなこんなで、無事終了した後に皆で訪れたのは、、、
安倍屋(あんばいや)というラーメン屋。
地元じゃ有名なお店らしいけど、最初は有名店だからこの店に来たかったわけではないんです。
実はこのお店、上ちゃんの奥さんのお父さんの同級生がやってるお店なんです!
で、せいちゃんとか社長に聞いてみたら地元の有名店だったっていうわけ。
しかも、ここのチャーシューは我らが太田社長の太田屋肉店のチャーシューを使用してるって!
てことで、店に着くと、せいちゃんが先に全員分の注文しててくれてたんやけど、自動的に太田屋肉店自慢のチャーシューをふんだんにあしらった「チャーシューワンタンメン」が出てくるシステムに。笑
現れたチャーシューワンタンメン。
細麺であっさりしてるんやけどスッキリとしたなかにキリッとした奥深さとまろやかな優しさを感じる至高の一杯。
そんでもって、チャーシューがこれまた絶品☆☆☆
ごちそうさまでした(o^〜^o)
(ちなみに、こちらでのお食事代は本日ダウンしてしまった亮さんが皆に申し訳ないとのことで全額お支払いしてくれました。笑)
今回のツアーは"支援"というのが1つのキーワードです。
ホルモンなりの支援を、ということで今回3ヵ所で行う東北灯油大作戦。
その1ヵ所目、宮古。
届けに行った先々で出会った皆さんは俺達が想像するよりもきっと何倍も辛く困難な状況を複雑な心境を抱えながら、前を向いて少しずつ歩を進めてる人達。
正直、俺達の方が恵まれた環境で日々過ごしてる。
それなのに「体に気をつけるんだよ」とか暖かい言葉をたくさんくれた。
皆さんの少しでも力になれれば、そう思って来たのになんだか俺達の方が背中を押されてる気もする。
負けちゃいられん!
俺は正直そう思った。
共に闘うんや。
それぞれがおかれた環境で頑張るんや。一緒に頑張るんや。
ここから始まった俺達なりの支援活動は間違いなくこれからも続いていきます。
〜今日の「俺たちの太」〜
浄土が浜でのヒトコマ。
ロッククライミングにお熱な太様はなにやらソワソワしたご様子。
もはや「上ちゃんを探せ!」みたいになってるけど、どうやら岩の感触を確めに行ったようです。
「登りたいな…」
そう小さくつぶやく太様でした。
2013年02月07日 03:29
盛岡まではリッチに新幹線移動させてもらいました。
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが筆者は新幹線が大好き♪
もはや毎日が駅弁フェアと化した東京駅の広大な地下街で駅弁を買い込んで改札を通ろうとしたら警告音が鳴って中に入れない!
どうしたものか?と思ったら、、、
マネージャーしみゆうが事前に買ってくれてた切符の日付が、、、あろうことか移動日である2月7日ではなく移動日翌日の2月8日になってた(一言一;)
駅弁が傾いて"ヨリ弁"にならないよう細心の注意を払いつつ大急ぎでウインドウ・オブ・グリーンに行って手続きを済ませ、再び細心の注意を払いに払いつつ大急ぎで改札へ!
なぜなら、、、
改札内にあるグランスタで「伊達の牛たん」の芯タン弁当を買いたいから。笑
マラソンランナーが給水所を通るが如く、一直線に伊達の牛たんを目指した勢いでお目当ての芯タン弁当を手に取り、ササッと買って無事に乗車。
予想外のバタつきにベタつく筆者の体…。
突然の風に吹かれて(powered by FIELD OF VIEW)ちょっとだけゴキゲンのライトショルダーが下がりそうになってたけど、、、乗車した新幹線が2011年3月に導入されたE5系車両だったし、美味しい弁当に舌鼓を連打しまくってすっかりゴキゲン\(^-^)/
だったんやけど、、、
その1時間後、、、
隣のご老人がビールをたっぷりと、それはそれはたっぷりと、おこぼしあそばされましてリュックびちゃ男ならぬ床びちゃ男(-_-;)
はぁ〜
なんで、こうもツイてないんやろ…
ひとまず、約1時間前に出会った"ある意味"運命のご老人と2人で初めての共同作業「床の清掃」
こちらを滞りなく済ませて盛岡到着。
最初の目的地・宮古はおろか岩手県に入る前に、すでにドラマチックな展開。
これは今回のツアー、ただならぬ予感(良い意味でね)
盛岡で東北のイベンターさんノースロードの後藤さんと合流して、後藤さんの運転でホルモンさんを乗せたラブワゴン改めデブワゴンは一路宮古へ!
盛岡から宮古へは峠を越えないといけないんやけど、その峠越えの途中で立ち寄った道の駅にて
久しぶりにツララを見たわ!
気づけばココは-1℃…。
宮古に着いて、東北ライブハウス大作戦宮古支部 KLUB COUNTER ACTION MIYAKOのスタッフの皆とゴハン。
皆それぞれ強烈な個性の持ち主で一瞬にして意気投合。
昔からの友達みたいな感覚。
なんでこんなにもスッーっとうちとけられるんやろ〜?って思ったら、、、
全員ポッチャリ。
見渡す限りポッチャリだらけ。
「俺たちの太」を除いてポッチャリしかいない。笑
他人とは思えないフォルムがそう思わせたのか!?
とにかく、ずーっと笑いっ放し!
あったかくてオモロイ人達やわ!
結局3軒ほどハシゴしたんやけど、どのお店の人達、はたまたお店のお客さんも皆イイ人ばっか!
なんかすごく良い時間を過ごしたわ〜。
ま、3軒ハシゴし終えた時はお腹パンパンで苦しかったけど!笑
なのに、宿への帰り道にコンビニで最近ハマってる「かっぱえびせん 紀州の梅味」買ったけど!笑
とにかくまだライブやってないし、灯油も配ってないし、数人の宮古の人達にしか会ってないし、ただただ食べて呑んでかっぱえびせん買っただけでしかしてないけど(笑)宮古が一気に大好きになった!
あったかい人達がいる宮古やけど気候的には当たり前やけど、寒い。
地元の人達は「内陸部に比べたら暖かい」って言うけど、俺達の住んでるとこから比べると当たり前やけど、寒い。
関東も今年は交通機関をはじめ随所におっきな影響を及ぼした大雪が降ったり、かなり寒い日もあったりしたけど、やはり日本を北上するとガラリと気候も景色も変わる。
あれから約2年。
震災直後、生活するのに最低限必要なライフライン・物資などがままならない2年前。
少しずつ、ほんの少しずつやけど一歩進んだ1年前。
震災後そしてまた3回目の冬が訪れました。
ちょっと来るのに時間がかかってしまったけど、これまで溜め込んだ分を・待っててくれてた分を一気にかき鳴らすわ!
顔と顔とが見える距離・声と声とが聞こえる距離で届けにきたで!
そして宮古・大船渡・石巻の皆さんに身も心もあったか〜くなってもらえるように灯油を配ってきます!
『俺たちの太2013〜東北ライブハウス大作戦ツアー〜』
始めます。
〜 今日の『俺たちの太』〜
盛岡から宮古へ移動する道中にたちよった道の駅にて。
巨大な雪山にダイブするかすまいか結構本気で悩んでおりました。
(残念ながら、その様子を撮影する事に失敗!次回以降は編集部の総力を決して激写します!)
お詫びにコチラを、、、
2012年04月06日 18:27
この度はRACCOS TOKYOへビックリするくらいたくさんの皆さんが御来店いただき本当にありがとうございました!!!!!
あらためて経緯を簡単に説明すると、、、
Hi-STANDARDやBRAHMANなどのバンドのPAを担当している一見怖いように見えて実は人情深くてアツい、けどちょっと怖い(笑)西片さんが代表を務めるPA集団【SPC peak performance】が立ち上げた東北三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設して「人と人を繋げる」ためのプロジェクト【東北ライブハウス大作戦】のサポートの一環として、震災後から被災地での炊き出しや瓦礫撤去活動を行なってきた「PANTS SPRING 2012 in 東北」にも出演する奇天烈ファストコアバンドfrom岡山「IdolPunch」のVo.Raccoさんが店主のハンバーガーショップ【RACCOS BURGER】とBRAHMANの所属するtactics recordsによりハンバーガーショップ【RACCOS TOKYO】を期間限定で営業することになり、ホルモンも少しでも復興への力添えができればと思い、1日店長をやらせてもらいました。
通常は、具材に茨城県産のホウレン草などを使用したRACCOS BURGER×BRAHMANコラボバーガー【復興の鬼玉バーガー】を販売してたんやけど、ホルモンが店頭に立ったこの日は特別に、具材にホルモン・ガーリック・ポテトチップ・BBQソース・肉を使用したRACCOS BURGER×マキシマム ザ ホルモンコラボバーガー【野菜ナシナシ 復興のホルモンバーガー】を販売!
キーワードは「ラルクアン支援」です。笑
ちなみに、このメニューをはじめ店内のメニューは全てRaccoさんが書いてます。
サラサラサラ〜っとマジックでモッサイおっさんが書いたメニューはどれも作者とは対極的な(笑)キュートかつFUNNYでポップ♪
そんなメニューがいろいろ貼られアメリカンテイスト溢れる店内に、昨年『グレイテスト・ザ・ヒッツ 2011〜2011』をリリースした際、タワーレコード店頭で使用していたCDジャケットの三肉エンブレムのオブジェとホルモンロゴを持ち込んで、この日はさらにホルモン色をブレンド。
オブジェは軒先に。
そしてロゴは店内に俺達で設営。
こうして準備完了!
かたくななまでに野菜を一切排除し、No.14なパティ(=肉がジューシーってこと!)に絡まるBBQソース。
そして臭みの無いホルモンのギュッ!ポテトチップのパリッ!とした食感。
まさにジャンク度1200%なホルモンバーガーを求めて腹ペコ諸君が続々とやってきて、俺達がせっせと開店準備をしてるうちに、結構な行列ができてたので予定より1時間早めて『RACCOS TOKYO feat.ホルモン』オープン!!!!
店内は飲食物を売るスペースの他にRACCOS BURGERのグッズ売り場、そして東北ライブハウス大作戦のスペースがあり、ホルモンメンバーは飲食物スペースでの接客係と東北ライブハウス大作戦スペースで募金を募る係の2班に別れて応対。
開店直後から、ご近所さんをはじめ、入学式が終わってそのまま家族で来てくれた人(ご家族は佐賀から!)や就職活動の合間に来てくれた人、さらには静岡・新潟・愛知・三重そしてなんと札幌(しかも日帰りで!)など遠方からこの日のためにやって来てくれた人などなど、ホンマにたくさんの人が来店してくれました\(^^)/
そのなかには被災地出身の人もいて実家を失ったり、親戚がいまだに仮設住宅で生活してるなど少しだけやけど話を聞けて、震災から1年余りたったけれども、まだまだ続く復興への道のりを少しでも少しでも早く進められるよう俺達がやれることをやらなくてはいけないと、あらためて感じさせられました。
開店直後から全く途切れる事ない行列。
むしろ時間が経つにつれ伸びてる勢い。。。
住宅地の中でやってるので周りに絶対迷惑をかけてはいけない…。
2008年11月。
八王子MATCH VOXで行う予定だった「爪爪爪TOUR 裏FINAL」の店頭販売するチケットを求めて約2000人の人がライブハウスに押し寄せ警察沙汰となりライブ延期になった経歴があるだけに、もう絶対マッポの厄介になることだけは御免や。。。
しかし、そこは心配無用!
コチラの金属バット(笑)を大胆にあしらったtactics特製プラカードを持って最後尾に立っていたのが、、、、
このヤ●ザ、、いや、、TOSHI-LOWさん!
「あなたはピターッと整列しますか?」の問題に「Yes or Yes」の二択問題を突きつけられたようなもんやろ!?笑
ちなみに、この893さんのせいで気がつくとホルモンロゴがこのようにされてました…
お、、、おぅ、、、。
そんなオチャメな彼(笑)以外のBRAHMANメンバーの皆さんも肉を焼いたりポテトを揚げたりしてくれてました!
こうして皆で一致団結して提供したホルモンバーガー。
メッチャたくさんの皆さんが来店してくれたおかげで、予定より2時間早く全食完売!!!!!!
これにはホンマびっくり!!!!!!
本当にありがとうございました!!!!!!
終盤、翌日が東京ライブのため前ノリしてきたlocofrankもやって来てアゴを出しながら募金に協力してくれたり
完売をお知らせするプラカードを先輩後輩仲良く持って(持たされて!?)もらったりしました。笑
こうしてRACCOS TOKYOでの1日店長があっという間に終了しました。
皆でワイワイしながら準備して、来店してくれた皆と少しずつだったけど話もできてホンマに楽しくて、あっという間でした。
尚、ホルモンバーガーの売り上げは、東北ライブハウス大作戦 大船渡支部に寄付します。
そして店内に設置してた東北ライブハウス大作戦とRACCOS BURGER大船渡への協力費の募金にも御協力いただきありがとうございました。
復興への支援の形は本当に様々あると思います。
今回はこういう形でしたが、今後も俺達なりにバンドレベルでも個人レベルでも、やれることを精一杯やっていこうと思います!
あらためまして、RACCOS TOKYOに御来店いただいた皆さん!
本当に本当にありがとうございました!!!!!!
2011年11月07日 20:34
帯広といえば豚丼。
初めて帯広に来た時、俺を含む胃袋警察ご当地グルメ捜査一課による豚丼取り締まり強化パトロールが行われ、めぼしい豚丼屋をしらみ潰しに廻った結果「ぱんちょう」が美味しいということに落ち着き、それ以来、帯広に来ると「ぱんちょう」の豚丼を食べてました。
前回、帯広に来た時…
「ぱんちょう」より「とん田」の方が美味しい。
というタレコミが入ったので現場に急行してみたが、まさかの定休日(ToT)
そこで今回こそはと思ってたら…またしても定休日(ToT)
どーやら日曜定休みたい。。。
アディオスとん田(ToT)/
ならば「ぱんちょう」しかない!
そう思ったのだが今回の行程上「ぱんちょう」には行けないとのこと(--;)
もはやここまでか…
しか〜し!勝利の豚神は我らに微笑んだ!
「ぱんちょう」はテイクアウトができることが判明!
テイクアウトした「ぱんちょう」の豚丼をライブ後ありがたく頂きました☆
美味しいこの豚丼にかけられた容疑は『津田のほっぺた誘拐罪』
美味しすぎて津田さんのほっぺた落とさせたのはアンタだよな。。。