アマ書評家の書棚とラジオ欄と試写室

アマ書評家、司行方のブログ主に書評とラジオ番組、映画の感想、語学学習を綴っていく予定です。

日本史リブレット

北条時政と北条政子

 山川出版社の日本史リブレット人シリーズの一冊です。

 北条氏の家紋と言えば三つ鱗、(蛇足ながら伊豆/鎌倉の前北条氏が正三角形、小田原の後北条氏が二等辺三角形)さてその由来は? 
 恥ずかしながら、その由来をこの『北条時政と北条政子』を読むまで知りませんでした。答えは是非本書を読んでいただきたいと思います。

 このシリーズには前北条氏をテーマとしたものが4冊でています。しかし、まあ歴史の表舞台舞台に立ったのはこの二人からということで、北条氏の成り立ちから始まり、政子と頼朝が出会ったころの北条氏の勢力は、従来のイメージより大きかったことなどがまず語られます。
 
 そして時政の後妻、牧の方の出自の考察、乳母や姻戚関係を介した東国武士団のネットワーク(詳細な地図がついていて嬉しい)なども説明されています。
 石橋山以降の源平合戦に関する記述はあっさりしていて、それよよりも、幕府内での内ゲバや朝廷との駆け引きに多くページが割かれています。
 
 特に頼朝の血筋を巡るライバルとしては比企氏が筆頭ではないかという印象をもちました。
 
 そして、本当に色々あって、頼朝直系の将軍が三代で絶え、政子の手によって時政も押し込められてしまいます。そして承久の乱で朝廷との関係は破局を迎え、承久の乱での有名な演説に繋がります。承久の乱の戦後処理はどうなるか? と思ったら、結びの言葉が
北条体制安定のために、 尼将軍たる立場での政子の戦いはさらに続けられる。
というジャンプの打ち切りマンガみたいなもので思わずずっこけてしまいました。 

後、北条得宗家の得宗が義時の法名徳崇からきているのは、この本で初めて知りました。 

対馬からみた日朝関係 

 昨日のエントリーをアップした『対馬と海峡の中世史』は日本でいうと大体、室町から織豊時代に収まる期間を扱っていたのに対し、こちらは鎌倉時代から幕末にかけての対馬の歴史を記しています。
 同じ日本史リブレットシリーズですが、出版されたのはこちらが先となっています。

 さて対馬の支配者宗氏は平氏を名乗っていますが実際は惟「宗」氏の流れを汲むようです。当初は九州本土での領土獲得も視野に入れた活動を行っていましたが、朝鮮王朝が前期倭寇を取り締まりを期待して宗氏に特権を与えたことなどより、対馬島内の掌握に向かいます(朝鮮側から見ると夷を以て夷を制すですな)。
 
 それ以後、豊臣秀吉の朝鮮出兵までの経緯は『対馬と海峡の中世史』のエントリを参照してください。
 朝鮮出兵直前まで日朝両方の書状を改ざんし、最終的破局を避けようとしたことはよく知られています。その過程を表に起こして詳しく解説されています。 
 
 宗氏は朝鮮出兵で薩摩に領土を貰ったものの、大損害を被ったようです。撤兵後も朝鮮との貿易が生命線だった宗氏は生計を得られないわけで、五大老は前述の領地と交換の形で肥前に領土を与えます。これはかなり異例な措置だったようです。

 関ケ原では西軍につきますが、朝鮮との早期関係修復を目指した幕府により処分らしい処分はなし。
例によって外交文書改ざん等により、1609年までには日朝関係は修復されました。

 しかしながら、誤魔化しは長く続かず、重臣柳川氏ともめたことにより、幕府に暴露されます。宗氏は何とかこれを切り抜け、朝鮮への窓口の地位を保持します。
 
 とはいえ、外交に欠かせない漢籍の素養のある重臣を失い以後、五山の僧が輪番で領内に滞在することになります。これは一種の目付としても働きました。また、この後徳川氏のことを大君と号するようになりました。

 さらに朝鮮側も、色々不満はあったものの、対馬を通しての日本との交渉について納得します。

 対馬藩は外交活動の成果により、支領を追加され合計二万石まで加増されます。その上、宗氏は十万石格までの引き上を願い出ます。
朝鮮との貿易が順調だったころは良かったのですが、衰退に向かうと大変なことになります。これについては詳細な表がついていますので是非確認されたく思います。元禄末年以降衰退の一途をたどるのが一目瞭然です。

 このことを受け、対馬藩は何度も幕府に支援を要請します。異例なことながら、幕府も対馬藩の特殊な地位を考慮し支援を了承しています。

 そして江戸時代も進むと、小中華意識の高まりとともに対馬藩と朝鮮との関係が批判が高まります。そして幕末は上述のように金欠ながら、長州藩と連携して行動したようです。その結果明治維新後は厚遇されますが、維新によっての近代的な外交関係に対応できず、結局、廃藩置県で宗氏が担ってきた役目は消滅したのです。

 看板に偽りなしの良著だと思います。宗氏系図や貿易額などの移り変わりなど図版も充実しています。『対馬と海峡の中世史』とダブっている部分も少なく補完的に読むことができ非常に楽しく読めました。


  
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対馬と海峡の中世史

 耕地が面積の3%しかなかった対馬では、朝鮮との貿易を生命線とせざるを得ず、島主宗氏はそれを維持するために、手管を尽くしていたことは知られていることだと思います。

 この日本史リブレットとして出版された
『対馬と海峡の中世史』は以下の時代を主に取り扱っています。日本では南北朝時代、前期倭寇対策として朝鮮が対馬に出兵した「応永の外寇」から、豊臣秀吉の朝鮮出兵で、従来の対馬と朝鮮の関係が崩壊するまでの期間です。

 その応永の外寇の戦後処理が終わると、「ハングルの生みの親」世宗は倭寇に対して懐柔策をとります。その結果、朝鮮に帰化するものが現れました。これらは向化倭と呼ばれます。向化倭について面白いのは日本に再帰化する場合もあったことです。向化倭には朝鮮から官職が授けられることも与えられるものがありました。次第に日本に住んでいる者にも官職が与えられ、一種の貿易権を意味していました。

 朝鮮は、自身で今でいうビザを発行して正式な通行者を判別するだけでなく、宗氏にも証明書をさせていました。これにより、宗氏の存在感は増します。その他、宗氏が朝鮮から米と大豆を与えられていたことも記されています。

 朝鮮側の交易不拡大策にも拘らず、開港されていた三つの港-富山(釜山)浦、セイ浦、塩浦-に居留する日本人も現れます。しかしながら、1510年に居留民が反乱を起こしこれが、きっかけで対馬と朝鮮の関係は一時断絶します。そして新たに結ばれた条約で釜山浦のみに限定され、また貿易船の量も厳しく制限されました。

 そして後期倭寇の時代を迎え、宗氏は朝鮮側に倭寇の諸情報を知らせ自身の重要性をPRします。ここでは対馬自体も倭寇の標的となり、壱岐の倭寇に襲撃を受けています。このころになると朝鮮-対馬-博多-琉球といった広域ネットワークが構築されたようです。
 
 こういった体制も秀吉の朝鮮出兵で終わりをつげ、幕藩体制で新たな時代を迎えることになると筆者は結んでいます。
  
 貿易以外にも漁民の活動や、 対馬の製塩、朝鮮の使者がみた対馬の姿なども掲載されていて、読み応えのある一冊となっています。
 
 この時代の日朝関係史に興味のある方は、手に取られてたらいかがでしょうか。 
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