つきかげや

かわいい私的領域です。ひろうい。

銚子散策記

銚子駅から銚子電鉄に乗りました。日本ふしぎ発見です。何が不思議って、こんなボロい電気鉄道がまだ廃線になっていないことです。

利根川を挟んで北側の王国では、ボロい線路はみんな廃線になってしまう。土建王国茨城は筑波鉄道、日立電鉄、鹿島鉄道など貴重な鉄路を次々に失ってきた。しかし利根川を挟んで南側の千葉県においては、国や県や市町村がお金を出して鉄道を守る文化がある。千葉モノレール、北総公団線、東葉高速線、芝山鉄道などがその証左であり、銚子電鉄はむしろ支援が足りないぐらいである。千葉県営鉄道銚子線とでもして、成田や千葉から外川まで走ルンですこと中古209系を入線させ直通運転をするべきである。


冗談はさておいて、電車に乗ります。きっぷも電車内の車掌が売ってくれます(銚子駅構内では買えません)。「弧廻手形」と名付けられた一日乗車券を買いました。

電車は発車するとすぐ、ヤマサ醤油の工場の中に入ります。ここにはヤマサ醤油の本社と大きな工場があるのです。コンベヤーを流れる醤油のボトルが電車と並走し、香ばしい大豆の香りが鼻をくすぐり、電車の窓は醤油でべっとりと茶色に濡れます。というのは嘘です。
ちなみに、銚子にはヤマサ醤油とヒゲタ醤油という2つの醤油ブランドの拠点があり、寿司屋などには二種類の醤油が用意されていたりします。

僕は銚子から3駅先の、本銚子駅で電車を降りました。

風邪が治ってきたから「ほんちょうし」という親父ギャグではありません。「もとちょうし」と読みます。

本銚子駅から少し歩いて、まとまって何軒か寿司屋があるところに向かいます。銚子に来たからには、まずは海鮮で腹ごしらえ、という魂胆。
寿司屋を何軒か巡ってみますが、値段が高く、店の構えもあまり商魂のない感じです。地元の店という感じでしょう。旅行者としてはリスクが高くあまりそそられません。
道の向こうに、おいしそうな肉屋があります。この肉屋の店員に、どの寿司屋がいいか聞いてみようと思って、入店しました。
そしたら、目の前に飛び込んで来たのは「ローストチキン 270円」の文字。そう、今日はクリスマス・イヴなのです。
(ちょっと食べてから思い出して写真撮りました)
このローストチキンが思わぬ美味さでした。照り焼きになっていますが、使っている醤油がおいしいのかもしれません。もぐもぐ。

食べ歩きをしながら飯沼観音まで来ました。漁の安全を祈ってる感じの観音だと思います。途中、猫がたくさんいましたのでその写真を撮りました。

もちろん、観音の写真も撮りましたよ。

僕は、寿司のことを忘れたわけではありません。チキンを食べ終わったら海鮮が食べたくなりました。なんと罪深い舌であることでしょう。
観音まで歩いて来たら、銚子港も目と鼻の先です。てなわけで、銚子港まで歩いて来ました。「万祝(まいわい)」という、漁港内にあるお店で遅い昼食。海鮮丼を食べました。その内容については写真でどうぞ。

銚子港には、たくさんの漁船が並んでいました。結構新し目の船が多いですね、一艘数千万ぐらいしそう。漁師は漁業組合に負わされた船の借金を返すのにずっと苦しめられるという話を昔聞いたことがありますが、本当かどうかは知りません。
奥に見えるのは利根川の河口にかかり、王国茨城と千葉県を結ぶ銚子大橋です。

腹がふくれたので、観音駅まで歩いてふたたび銚電こと銚子電鉄に乗ります。銚電(ちょうでん)って略し方もよくないですよね。誰か死んだのかな、みたいな。どうせなら銚電(ももでん)って略せばいいのに。銚鉄って略してゲームとコラボするのもありだけど貧乏神たくさんいそう。

観音駅は一瞬戸惑います。看板がこれなんです。
これ、駅の看板なんですよ。ローマ字読める人にしかわからないハイソなやつです。
駅もハイソな感じ。

で、電車に乗って終点の外川駅で降りました。
外川駅は銚子の先っぽのあたりにあって、ちょっと歩けば海です。
写真の奥が海なんだけどわかりにくいですね。でもこういう場所好きなんですよ、まっすぐ道があって奥に海が広がってるの。僕は茨城の内陸の方の育ちなので、あこがれみたいなのがあります。なんかリア充感があってね。

ただ、外川は特に何もない場所なので、居てもあまりやることがありません。乗って来た電車にまた乗ります。ここは終点なので、乗って来た電車がまた銚子方面へ折り返すのです。
一駅戻って、犬吠駅から犬吠埼灯台まで歩きます。だいたい10分くらいです。

灯台からは海が見えます。当たり前ですね。だいたいみなさんの予想の通りです。
これが灯台です。
これが海です。

もう高校生ではないので、海を見ただけで3,000字ぐらいの恥ずかしいポエムもどきの独白などは致しません。そういうのは恋とかに悶えてちんちんがぴんぴんしてる人がやればいいんです。僕はもっと奥深い世界へと進んだのです。
むしろ面白かったのはこれ。
港区の資源ごみの日にごみ集積所においてある、ビンを入れるためのコンテナが、はるばる犬吠埼に流れ着いていました。芝浦か港南のあたりで運河に落ちたのでしょう。房総半島をぐるっと廻ってきたんですね。昨日の朝が資源ゴミの日だったのに忘れていたことを思い出しました。高校2年生にあるのが夢や希望なら、今の僕にあるのは日々の現実です。

犬吠埼にいる間に日が暮れてきました。そろそろ帰る時間です。


ふたたび銚子電鉄で銚子駅に戻ります。
銚子駅では、いい具合に特急列車との接続が図られていました。行きは30分待ちだったけどね。


千葉の夜景を見ながら帰ります。それではみなさま、よい聖夜を。メリー・クリスマス!

お銚子者

こんにちは、つきかげやです。
フェイブックに書くと、色々と差し障りがあるので、今後はこっちに書いておきます。

今日は、銚子に向かっています。風邪を引き、体調がすこぶる悪いので、本当は家で寝ているべきかもしれません。しかし、僕は短気ですので、部屋で横になっていると、壁のシミの形に怒りが湧いてきて憤死してしまったりします。そういうことを避けるために、まずは家を出る。

銚子へ行くために、東京駅から特急列車に乗っています。なんだか妙におんぼろな特急列車です。特急列車というと、常磐線や成田空港に走っているピカピカのやつとか、逆に伊豆の方へ走っている渋いやつとかを想像するのですが、この千葉の方へ行く特急列車は新し目なのにボロくて、作りがチープです。ただ、乗る人が少なく自由席でものびのびできるのはいいことですね。そのうち廃止になるでしょう。

今日はいい天気です。外環道の建設現場を車窓から眺めました。車掌が歩いてきて、僕の特急券にハンコを押してくれます。千葉運輸区です。千葉運輸区の人も働くんですね。
車掌との会話を聞くに、斜め向かいに座っている乗客も、銚子に向かうようです。若い女性2人でオシャレしてわざわざ特急列車で銚子に向かうというのは驚きです。だいぶ美人です。どういうことなのでしょうか。風俗とかでバリバリ稼いでる人かな?と思ったけど、それほど派手ではありません。余談ですが、風俗で働いている人には三種類いるんだそうで、騙されて奴隷のように働かされている人と、そこそこ金あるけどもっと稼ぎたくてパパ活とか風俗とかキャバとかをがんばっている人と、本当に性的行為を通じた遊びが好きな人、なんだそうです。
斜め向かいに座っている乗客のことに話を戻すと、しかし、この2人はプロレタリア的職業とは縁のない単なるお嬢様、という感じです。気品があります。慶應女子OGの同期旅行かなにかでしょうか。銚子のような辺鄙なところへ旅行するのも、慶應女子高校卒業の人ならあり得そうです。白百合のお嬢様や、聖心のお嬢様が辺鄙なところへがんばって行ったとしても、せいぜい北軽井沢といったところでしょう。旅行で銚子に行くのは、僕の知る限り、慶應女子か、お茶女のOGくらいのものでしょう。あるいは、フェリスのお嬢様が母方のおばあちゃんちに年末のご挨拶へ向かうところなのかもしれません。

もう千葉に着きました。特急列車は速いですね。錦糸町を出てから一回も止まりませんでしたし、線形が良くて減速もほとんどありませんでした。

ここまで読んで、賢明な読者のみなさまは気づいたことでしょう(こう筆者が書くときは、だいたいそんな人はいないということが想定されています)。僕のブログ記事にしては、衒学的言い回しが1つも出てこない、ということに。
そうなんです。それが今回の旅の理由です。
どういうことかというと、最近の僕はとても頭が悪いのです。いや言わなくてもわかってます、「それは元からだ」とあなたが言いたいということは。それにも増して、悪いのです。
実を言うと、夏頃に論文を投稿してから、どうも日常の忙しさにかまけて研究に手がつかないのです。本などを、全く読んでいないのです。インプットなくしてアウトプットはできない。なので、衒学的なことも言えない。これはまずい。僕の沽券にかかわる事態です。

で、今日。予定がない1日なのです。自分を、本を読むよりほかにすることのない状況に追い込みたい。あと、大好きな鉄道旅行をしたい。列車に乗っていれば、本を読むよりほかにすることもないだろう。そういうわけで、長時間列車へ乗るわりに何もすることがないような場所を目指している、とまぁこういうわけなんですね。

まわりの乗客は、僕を見かけても、まさかそんな高尚な理由のために僕が銚子に向かっているとは、思わないでしょう。

まわりの人は、「クリスマス・イヴに銚子へ1人旅行に行くような奴は、塾高でもない、学院も違う、御三家もないだろうし、埼玉あたりの男子校出身者か」、と考えているはずです。しかし、人間の行動を、卒業した高校やその人の身なりや職業で判断してはいけません。僕はあくまで、自らの内省的理由によって銚子を選び、旅行しているのであって、それには僕の出身高校も、寝間着みたいな身なりも、無職であることも、関係していないのです。
しかし、世の中のゲスな人たちは、そういうことを慮ってはくれません。それに、何もすることがなくて本を読むだろう、というのがこの旅の趣旨なのに、僕はまだ携帯でブログを書いています。僕は一体何をしているのでしょうか。

そして、列車は成東に到着しました。旅は続きます。

楽しいの価値

改めてこのブログを眺めてみると、ずいぶんたくさんの記事がある。
ブログが行き場のない自己表現の掃き溜めとして一般に認知されてから久しいが、未だに意味のない長文を垂れ流して悦に入っている人間もそうそういないのではないだろうかという気がしてきた。

この意味のなさはなんなのだろうか。僕も生きていくためにお金を稼ぐなど、非常に人間的な理由から非人間的環境で身と精神を削っているが、そこには意味が満ち溢れている。しかも、そこそこ意味があるものであっても効率や高度化の観点から無意味とされるものすらある。とにかく無意味であるこのブログと違って、本当に意味、意味に満ち溢れているのが世間というものだ。

このブログで意味について論じたのも一度や二度ではない。同じことを何度も何度も繰り返すというのもの、またずいぶんと無意味な行為である。
研究の世界では、必ず何か新しい要素がなくてはならないと言われる。新しい要素に意味があるのである。また、会社法人の世界では収益がなくては意味がないし(ただの慈善事業なら会社法人でやる必要はない)、慈善事業であれば誰かが喜ばなくては意味がない(嫌がらせをし続ける慈善事業というのは成り立つだろうか?) 。意味を追い求めるのはなかなか大変である。

イケダハヤトのブログをなんとなしに読んでいると、彼は「楽しい」ということをよく言っている。余談だが、彼はまだ30歳になったぐらいなんだそうだ。若い。「楽しい」で終わるのはいい。マルクスが本来の労働について述べたように、生きて労働することそれ自体が「楽しい」ものなのだ、という前提がいい。ドミニク・メーダは労働が楽しいという前提自体が虚構だといみじくも指摘しているが、楽しい方がいいに決まっている。楽しいという言葉にはいいという傾向が含まれている。

面白法人カヤックじゃないけど、「楽しい」に意味を見出す共同体なり生活方法なりがあったらいいのではないだろうか。うれしい、楽しい、大好き。めぐりあいたいそんな世界に。

そう考えると、楽しければ全て救われる、みたいな宗教が欲しい。他者とのコンフリクトを避けるために道徳を守りましょうとか、生産性を高め生き延びるためにストイックになりましょうとか、来世の救いのために頑張りましょうとか、そういうんじゃなくて、みんなが今日楽しければそれでいいじゃん、みたいな刹那的宗教。マック赤坂みたいになっちゃうな。30°教。

 楽しくないことが世の中には多い、それはそうかもしれないけど、みんな楽しくないことの話をするのが好きすぎると思う。もし、楽しいことに価値がある社会だったら、みんなもっと楽しい話をするんじゃないかな? 楽しくないことばっかり話してたら、なんでそんな意味のない話するの?みたいな。
それはそれでちょっとディストピアっぽいっていうか、楽しいことを強制するみたいな感じになっちゃうけど、そこまでいかなくても、楽しい話するのいいよね、楽しいよね、みたいな文化。そういうの、重要な気がする。楽しくない話すれば、嫉妬もされないし同情も得られるっていう考え方もあるかもしれないけど、それは楽しくない話を重視する文化だから。ルソー的って言ったら大げさかな。スミスみたいに、実は同情より楽しいことへの共感の方が、強い感情なんだよ〜、みたいな考え方、もっと広まらないかな。誰かが楽しい話をし始めたら、それを茶化したり僻んだりするんじゃなくて、そこに楽しい話をかぶせていく、みたいな流れ希望。

だいたい、ポルノグラフィティの歌じゃないけど、楽しいことについて本気出して考えてみたらもっと色々あるはずなのにみんな人生の暗い部分にスポット当てすぎなんだよね。いや、当ててもいいんだけどさ。

話を元に戻すと、僕はなんとなくブログとか書くのが楽しくて書いてる。まぁ、イケダハヤトみたいにお金は稼げないし、読む人も全然いないブログなんだけど、でも書くのが楽しいんだよね。書くの楽しいってだけで価値が生まれる、そういう風になったら僕ももうちょっと堂々と楽しくブログ書けるのになー、今はなんか時間の無駄だし、恥さらしで、無意味だ・・・というもやもやがあって純粋にブログ書くの楽しめないなぁ、っていう、そういう話でした。
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