170603 歌舞伎座おはようございます。
「まおまお」で~す。
いつもブログを見ていただきありがとうございます。

今回の書籍の紹介はコレです。

十八代目中村 勘三郎『十八代勘三郎』(小学館,2013) 1,500円(税別)

十八代勘三郎
中村 勘三郎
小学館
2013-03


この書籍をサクッというと


十八代目中村勘三郎さんが生前、さまざまな場所で話したことを集めて1冊にしたもの。
熱くておちゃめな人だったんだなと再認識できる1冊です。


目次


第一章 歌舞伎のこと 芝居のこと
第二章 とっても素敵な人たちと
第三章 遊びも仕事のうち 
特別な人と対談 ビートたけし
十八代目勘三郎さんへ
特別インタビュー 父・勘三郎のこと
 六代目中村勘九郎/二代目中村七之助


十八代目中村勘三郎さんという人


お亡くなりになった歌舞伎役者さんの舞台で、もし生で観ることがかなうということがあったなら、間違いなく挙げるのは十八代目中村勘三郎さん(以降、中村勘三郎さん)の舞台です。

歌舞伎の書籍を読んでいくと中村勘三郎さんの以下のような点に惹かれます。
1.ビジョンに向かって周囲を巻き込みながら、目標をかなえていく姿。
 平成中村座やニューヨーク公演などがその例です。
2.歌舞伎人気を復活させた立役者としての活躍。
 かつて来場者数が減る8月に納涼歌舞伎を開催するなど、歌舞伎人気を復活
 させるため、さまざまに尽力してきたとなどが挙げられます。
3.若手役者にさまざまな機会を与え、育てていく姿。
 二代目中村獅童さんをはじめ、多くの若手役者さんたちが勘三郎さんの
 育成に対して感謝の言葉を述べていることもからも、そのことが分かります。

今は映像でしか観ることができない勘三郎さんですが、その人柄は書籍でも知ることができます。
今回紹介する書籍は、そんな勘三郎さんがさまざまな所で話された内容をまとめたもの。

今回は大御所の歌舞伎役者さんたちの交流を中心にエピソードをピックアップしていきます。
これを読んでいくと、勘三郎さんという人が、どのような人かが何となく理解できるのではないでしょうか?

十二代目市川團十郎さんのこと


以前、関容子さんの『海老蔵そして團十郎』という書籍で、十二代目市川團十郎さんがアメリカでの失敗談に触れていました。

それは大きく2つあり、1つはトラベラーズチェックを現金に換えるとき、本当は「ワン サウザンド ダラーズ プリーズ」というところを「千(せん)ダラーズ プリーズ」と連呼していたというもの。

そしてもう1つが日本に帰るときに、ホテルの人から「荷物だけ先に出しておいてください」といわれ、帰国の日に着るものまで仕舞ってしまい、帰国当日、パンツ一枚で難儀したというもの。

このパンツ一枚に関しては、團十郎さんが、勘三郎さんの盛った話であり、そんなことはなかったといっていました。
その発言が当書籍にあり、「あ~このことなんだ」とちょっと笑いました。

ちなみにこの話、歌舞伎座の楽屋で話されたそうで。
周りを楽しませるための、ネタだったのかもしれませんね。

九代目松本幸四郎さんのこと


勘三郎さんは九代目松本幸四郎さんについても触れています。
歌舞伎役者は大名跡の御曹司だったとしても、父親が亡くなると役が減るという現実があります。

先日、紹介した長谷部浩さんの『菊之助の礼儀』でも、五代目尾上菊之助さんが大きな役が回ってくるのは七代目尾上菊五郎さんの存在があってのことと話しています。

勘三郎さんは、五代目中村勘九郎時代にお父さんである十七代目中村勘三郎さんがお亡くなりになって苦労をされたことを、こんな形で話しています。
中村勘九郎という役者は、それまで十七代目中村勘三郎という大きな傘に守られてきたわけで、それが突然すっ飛んじゃって、いきなり嵐の中でしょ。その時の僕の年齢が実に中途半端。10代の頃だったら同情されたかもしれないけど、30過ぎでしたしね。(P.56)

このことは勘三郎さんの他の書籍でも語られています。
つまり役がつかないだけでなく、役を得たとしても相手役に名乗りを上げる役者さんがいなかったのです。

そんな状況で相手役に名乗りを上げたのが、九代目松本幸四郎さんでした。
このことについて勘三郎さんはこんなことを話しています。
この芝居で、僕は勘九郎として初めて認めてもらえたというのかな。親父をなくしたどん底からようやく光が見えた思いでした。(P.57)

十七代目中村勘三郎さんや勘三郎さんが幸四郎さんを尊敬しているのが伝わってくるエピソードです。

三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)さんとのこと


お父さんである十七代目中村勘三郎さんがお亡くなりになってお通夜の席での出来事。

三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんが来られた。
ちなみに三代目市川猿之助さんはスーパー歌舞伎を主宰していた歌舞伎役者さん。
亡くなった十七代目中村勘三郎さんに手を合わせて、その後、勘三郎さんのところに来て、「あなた、大丈夫だから心配しないで、これからは僕と一緒にやろう」といったとのこと。

先にも触れましたが、一般的に名門の名跡を持つ歌舞伎役者さんでも、名跡襲名前に後ろ盾となる父親が亡くなると、配役でも以前のようにならないのだとか。
そんな状態になった勘三郎さんに猿之助さんは手を差し伸べた訳です。

それに対して勘三郎さんがいった言葉が「いや結構です」「その必要はありません」というものだったそうです。

当時を振り返ってのことで、今だったら「お願いします」というかもしれなかったが、当時は突っ張っていたんだろうとの本人の見解。
猿之助さんの舞台は常に満席で、自分はそうでもない。
加えて、十七代目中村勘三郎さんが猿之助さんのことをよく褒めていたことも、息子としてしゃくに障ったのだとのこと。
複雑な感情があったようです。

このことでしばらくは一緒の舞台がなかったそうですが、その後はそのようなことも氷解し、一緒に舞台を行うようになったとのこと。
この時のことが、勘三郎さんにとっては大きな転換期になったと回想しています。

父として、師匠としての十七代目中村勘三郎さん


勘三郎さんは父として、師匠としての十七代目中村勘三郎さんを本当に尊敬しています。

そんな十七代目中村勘三郎さんのエピソード。
まず新しもの好き。
マイケル・ジャクソンのコンサートに行った翌日の舞台でムーンウォークをやったそうですが、勘三郎さん以外誰も気づかなかったそうです。

次に後輩思いで、役者さん全員のいいところをいつも褒める。
九代目松本幸四郎さんの『ラ・マンチャの男』を歌舞伎役さんたちが誰も観に行かなくても、十七代目中村勘三郎さんだけは観に行ったとのこと。
このことを幸四郎さんは恩に感じているよう。

また先ほども触れた三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの宙乗りを見て「猿之助くんが一所懸命空中を飛んでいる姿を見ると涙が出てくるよ」といって、興奮して隣の席に倒れてしまったことも。
他にもマージャンのときのエピソードなどもあり、なかなか面白い方だったようです。


勘三郎さんはさまざまな場所でいろいろなことを話されており、その言葉は他の書籍でも収録されていることも。
それでもこれだけの話をまとめて読むと、本当に誰にも愛されていた役者さんだなとしみじみと思います。
なかなかこのような役者さんはいないですよね。


まとめ


当書籍から分かったことは以下のようなことです。
 1.勘三郎さんの明るさが文面から伝わってきます。
 2.名跡の御曹司でも後ろ盾となるお父さんがなくなったことで、かなり苦労を
  されたようです。
 3.本当に父であり、師匠である十七代目中村勘三郎さんを尊敬していたことが
  分かります。


亡くなった後も愛され続けている歌舞伎役者さんはあまりいないのではないでしょうか?
そんな稀有は一人が十八代目中村勘三郎さんだと思います。
生前にその舞台を観たかったと思ってしまった1冊です。


ランキング評価
読みやすさ  3
情報量    4
情報質    4
価格     3
と言うことで「★★★」です。


次回も見に来てくれると嬉しいです。


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